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2011年9月22日 (木)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(19)

この領域は、上述のもののうち、特に論理的領域と深い関聯を以て成立している。というのは、「論理的成体」は「言語的成体」によって言表されるからである。論理的成体と言語的成体とは差し当たっては先ず区別される。何故なら(1)論理的成体は言語表現をもたなくともその現実性を確保している、すなわち論理の基礎は言葉ではなく対象的価値の担い手たる意味内実である。(2)また言語として発せられる命題そのものは真でも偽でもない。真偽は命題に附着する判断において始まり決定される。(3)言語は感性的に知覚され、実在的世界に属し、時間的に発生消滅するが、論理的意味内容は変化を蒙ることなく、無時間的に同一的であるからである。だが、それにもかかわらず、一度人が認識の表現の中に入るや、この差異は止揚される。そこでは、言語的成体はその非論理的性格を消失し、意味成体の担い手として、かつ意味成体の対象関係的性格に従って、客観に対する「符牒」として、登場する。言語的成体は意味の符牒であり、また意味は対象の符牒である。かくて言葉は、それが直接に指示する論理的成体に対する符牒であるとともに、それが間接的に指示する対象に対しても符牒である。このような符牒という性格において、言語形態は論理的内実と実は深く絡み合っているのである。このようにして、意義領域が極めて深く論理的領域と関係しつつ、或る特異な位置を諸々の対象領域の中で占めるものであるということが、帰結されてくる。そこで問題は範疇論を離れて、「意義様相」の具体的分析、即ち第二の意義論に立ち入ることになる。

意義様相は、これを二つの方向において考えることができる。第一は意義附与の作用の面で、第二は作用の相関、作用の内容の面である。この両者は、作用と質料、形式と内容の如く相関的である。ところでこの場合、内容とは結局「存在様相」である。「存在様相」とは、単に実在的な自然的現実ばかりでなく非感性的論理的なものを含むもの、即ち広く認識されるもの一般、対象性一般、つまり存在という原範疇のことである。この存在一般が意義の内容をなす、即ち第二の面の内容を構成する。しかしこれが意義の内容になるためには、それは、それは予め認識されていなければなるまい。従って意義様相には、ものの対象の認識の様式が、即ち「認識様相」が先行されていなければならない。意義は直接的に対象に関係するのではなく、認識された対象に関係するのである。意義と対象との間には「認識様相」が介在する。ところでこの介在者にも「能動」と「受動」の二つがある。即ち前者は認識による対象化作用であり、後者は対象的に認識されたものである。換言すれば、「存在様相」にほかならない。従って、存在様相と意義様相の第一の面と第二の面とは、その内容に関してみれば、結局同じものである。ただ第一の場合にはそれが体験されたもの一般としてあり、第二の場合には認識された現実性としてあり、第三の場合は意義として表現されたものとしてあるということが、違っているだけである。即ち、所与性、認識、意義という観点の相違がそれらに含まれている。そしてこのことは作用の側面も同様であって、所与性としての「存在様相」に対し、認識として第二の面が働き、これをもととして第一の面が成立する。従って意義形式は、認識された所与性を導きとして作られるのである。

このように意義様相はこの領域に一定の秩序を規整する。だがこれは文章法的価値であって妥当的意味を未だ構成しない。そこでは未だ真理の価値は実現されていないからであり、この役割は判断にある。しかし意義構成は妥当的意味一般の中に入る。それは、真理の価値に関して評価される対象を、初めて規整するからである。そこで論理学は、(1)意義論(2)判断論(3)知識論の三つにならなければならないとハイデッガーは結論し、ここで論理学と意義論の関聯を明示するのである。

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