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2011年9月26日 (月)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(23)

第7節 第一次大戦とヨーロッパ精神空間

前節までのところで、ハイデッガーが1916年に到って、自覚的に真正面から、そうした問題設定を破る形而上学的態度を打ち出し、そこに初めて真の意味での己の哲学の出発点を保ったことは、明らかである。しかし、それから金字塔的な『存在と時間』が出現するまでには、実はさらに10年間の歳月が必要であった。しかもこの歳月におけるヨーロッパ精神世界の昏迷の時代状況が、論理学的問題設定の取毀しの方向に拍車をかけ、存在問題への徹底的接近を促し、ハイデッガーをして独自の実存哲学の樹立へと促したと思われる。事実、ハイデッガーは、この時代の動乱と破局の中で、益々存在問題への関心を強くし、彼独自の思想へと深まって行く態度を示している。この苦闘の歳月が、16年の結語における態度を磨き上げ、現実の混乱の中での主体的なハイデッガー自身の哲学への覚悟を深めさせ、そこに、あの画期的な『存在と時間』を成就せしめたのだと言わなくてはならない。

1.昏迷の状況の中から

1910年代から20年代にかけての時代は、第一次大戦によるヨーロッパの破壊の中で、全欧が苦悩の嵐に見舞われていた時であった。

こうした現実世界の動乱を前にして、最も深く文化を支えるべき哲学が、この解体と不安の文化の危機、人間存在の支えのなさ、一言にして言えばこの暗黒のニヒリズムの現状に対して、何事かを語らないで済ませることはできないであろう。しかし一体何を語るのか。古き日の神を再び語るのか、それとも人間をか、世界をか、はたまた、人間存在の児の根本的な生存という現実の徹底的な露呈をか。或いは、昔日の如く、意識一般に基づき認識や論理的問題を語れば、それですべては事足りるのであろうか。新しき転身の苦悶は、要らざる苦悶にすぎないのであうか。だが、しかし、恐らくは破局の現実の中で、もはや古い哲学の形態は維持し難くなっているであろう。あるものは、破局の中での人間存在の裸の現実であり、その存在の中に根ざして、新しく世界像を再建すること、そのことのみであろう。確かに、ヨーロッパ大戦後の昏迷の暗い翳の射したこの状況の中で、哲学は、何事か新しきことを決意し、そして何ものかを捉え、語り出さねばならない事態へと追い込まれていた、言わなくてはならない。そしてそれを反映するように、その当時の哲学の世界にも、変貌と混乱の新しき萌芽か動き始めていた。

第一次大戦の混乱を契機として、近世的な認識論的論理学的問題群が瓦解され、具体的な生の現実、或いは存在の下降の道が求められ、人間の理性的意識一般的側面よりも、根本の人間存在という、動かし得ない、知的なものに先行する、端的なその事実性、現実性というものへの注目が、今やあらゆるものの破壊の体験と相まって、漸く起こりつつあったということであろう。

ハイデッガー自身は、破局の状況の中で、人間存在への凝視を方法的には現象学に学び、内容的にはキルケゴールに示されるような実存的なものを目指していたのであろう。そこに、16年の結語の形而上学性を具体化する方法を発見し得ると考えたのであろう。しかしその形而上学性を、伝統的なキリスト教に合流させることには、彼は違和を感じていたのだろう。ただ、混乱と破局の中で迷いつつも、何らかの光を求めてあがかざるを得ない己の姿、ひいては人間存在の現実に、先ず自覚し、そのあり方へと考察の眼を向けて行ったものであろう。大戦後、『存在と時間』を出すまで、ハイデッガーの思索の関心は、明らかに、認識論的論理学的問題を超え破局の中で、暗さも明るさをも含んだ人間存在そのものへと向かっていったことは、容易に洞察されよう。悪魔性と頽落と罪とを背負い、不安と無と深き淵辺にさすらいながら、何か一条の存在の光を求めてあがく人間存在の姿、そうしたものに、彼は、恐らく、現代ヨーロッパの運命性を見届け、かつはまた己の姿を見届けたに違いない。そうした論理学的問題を取毀した領域に、彼は新しい哲学の根づくべき問題を発見し、これをぎょうししてゆき、そこに、あの形而上学的志向を定着させてゆくこと、それが、ハイデッガーのその当時の苦悶のすべてであったと思われる。そうしたいわば「無神の神学」が、その頃のハイデッガーの課題であったろう。

2.「新しい模索」の動き

ここで、著者はローゼンツヴァイクの紹介とともに、時代状況やハイデッガーとの関連性を説明しています。そして、最後に、

このように、第一次大戦をめぐってのヨーロッパ精神空間は、近世の論理学的認識論的問題設定を瓦解させ、現代への思想的転換を昏迷と模索の只中で遂行する、暗い空気を醸成していたのであり、こうした背景においてハイデッガーは、様々な思想運動や文化再建の事業に促されつつ、厳しい姿で、必然なる一事を求め、かの16年形而上学的志向を、「新しい模索」の中へ定着させ、彫琢と上げようと努めていたのであり、このようなヨーロッパ破局の状況の中における十余年の歳月に亘る苦悶と思索の中から、ハイデッガーの実存哲学、のみならず一つの現代思想の典型である『存在と時間』の稔り得たことを、我々は忘れてはならないのである。

この後、しばらく時間をもらってから、第3章をまとめてアップします。

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