港徹雄「日本のものづくり 競争力基盤の変遷」(13)
第4章 日本産業の競争力要因分析
1.1960年代の競争力要因
1960年代初頭まで、日本の輸出の50%以上は中小企業製品によって占められていた。中小企業の輸出製品はワンダラー・ブラウスに代表されるような低価格の繊維製品、洋傘や玩具類の雑貨類のほか、ミシン、自転車、カメラ、音響機器等の軽機械工業部門でも輸出専業の中小企業が多数存在した。こうした輸出構造は、均質で整備された義務教育の就学率がほぼ100%であり、かつ1960年中頃までは有効求人倍率が1.0以下で余剰労働力が存在していたため、良質で賃金水準の低い労働力が豊富に供給されていたことによる。とりわけ、中小企業部門では「日本経済の二重性」といわれるような大きな企業別規模別賃金格差が存在していたことによって、大企業部門よりも低賃金労働者を多く雇用しうる環境にあった。
1960年中頃までの日本の輸出企業は、新々貿易理論が説くような高い生産性を持つ企業ではなかった。むしろ、60年代初頭までは、生産性の高い大企業部門では輸出比率が低く、成長を続ける国内需要への販売に注力していた。日本の国内市場は大企業による流通系列化が進展しており、中小企業にとって最終製品の国内販売チャネルを確立することは容易ではなかった。当時の中小企業にとって、国内市場に参入するよりも輸出市場に参入する方が参入障壁は低かったのである。
2.1970年代の国際競争環境変化
(1)ブレトンウッズ体制の変質
1970年代までの世界の自由貿易体制を支えた戦後の国際経済秩序は、大量生産システムがもたらすアメリカの圧倒的な国際競争力を前提に構築されていた。ところが、フォード生産システムの本格稼働から半世紀を経過した1960年代になると、米国型大量生産システムの絶対的な競争優位性は揺らぎ始め、70年代に入るとアメリカの貿易収支は赤字に転落した。これに伴い、アメリカの生産力とイニシアティブによって支えられてきた戦後の国際経済秩序、すなわち、IMF・GATT(ブレトン・ウッズ)体制は、1970年代に入ると急速に変質し始めた。まず、GATTは71年から発展途上国を原産国とする産品の輸入関税を減免する一般特恵関税制度を導入した。これにより、当時途上国に区分され工業化が始動し始めた韓国、台湾、香港、シンガポールなどが工業製品を無関税で先進諸国に輸出できるようになったのに対して、日本はすでに先進国グループにあり関税を支払わなくてはならず、これらの国との価格競争で劣位に立たされることとなった。
また、1971年にニクソン大統領は金とドルの交換停止を発表した。いわゆるニクソン・ショックである。この後、世界の外国為替市場は変動相場制に移行し、円高基調が続くことになった。
さらに原油生産はメジャーと呼ばれた米系中心の巨大石油企業が支配し、1バーレル3ドル前後の安定した価格で供給され、「資源供給の無限の弾力性」神話を生み日本の経営者の強気の投資を意欲を支え、高い設備投資が続いた。しかし、1970年代には、そのメジャーの支配力が低下し中東の産油国が力を獲得しオイルショックを契機に原油価格が高騰した。
以上の三つの出来事は、主に価格競争力に依存してきた日本の輸出中小企業に決定的な打撃を与え、中小企業は直接的な輸出産業からの撤収を余儀なくされた。
(2)日本の輸出構造の転換
1970年代は中小企業性製品の輸出額の縮小に対して、非価格的競争力を大幅に強化した大企業性製品の輸出が著増したため、日本の輸出額は増加した。実際、70年代半ばになると日本輸出総額の約70%が資本と技術を集約した高度組立型機械類で占められるようになり、繊維製品等労働集約的産業は輸入産業化した。
このように輸出の大部分が大企業によって担われるようになり、国際競争力が大きく低下した中小企業は、内需への転換にその活路を見出した。その典型的なケースは、1970年代に拡張期を迎えていたスーパーマーケットへの納入企業となることであった。ここでの旺盛な国内需要が、比較優位性をなくした輸出中小企業の産業調整に伴う摩擦を緩和させた。また第二に、国内市場と輸出市場の両方で需要が拡大した自動車、家電、精密機械工業等の大手完成品メーカーの下請企業となることであった。
(3)競争力基盤としての下請分業システム
日本の下請分業システムは、戦後の高度経済成長期に拡張されたが、1960年代中頃までその取引関係は不安定であり、試行錯誤を経て60年代末以降には安定し、下請分業システム利用の効率性は上昇するようになり、70年代になると、機械工業部門の持続的な成長に支えられて、下請取引関係はさらに安定化し長期継続契約が一般化した。
このような下請取引関係の長期継続性の一般化は、取引企業間の信頼財蓄積を促した。この信頼財蓄積を背景に、リスクの高い取引特定資産投資が下請企業によって積極的に実行されるようになり、下請分業システムがもたらす企業間生産性はますます上昇するようになった。この結果、日本の機械工業は下請分業システムをその競争力基盤として輸出を伸長させることとなった。
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