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2011年9月12日 (月)

下川浩一「自動車産業の危機と再生の構造」(15)

第4章 環境戦略で市場をリードする

世界的金融危機が進行しつつある中にあって、これまで先進国主体で進んできた自動車産業の構図は大きく変化しようとしている。世界の自動車産業をリードする主役は新興国市場、なかんずく中国、インド、ASEANなどに移ろうとしている。これらの地域での市場戦略は、これまで先進国で通用した市場戦略の繰り返しや延長ではありえない。まず底辺の需要を底上げする超廉価小型車と、徹底した省エネルギーの環境対策車でなければならない。ところが、この二つのコンセプトは必ずしも両立しないところに自動車メーカーの悩みがある。しかし、現実にはその究極の車作りを新興国が求めているのは確かである。

これまでの120年の自動車産業の歴史は、フォーディズムとも称せられるT型フォードのような当時としては超廉価で実用主義に徹した車によって切り拓かれた。これに対してスローニズムが擡頭し、消費者の財布の大きさに合わせた高級車から中級車、そして大衆車までフルラインのセグメンテーションによるマーケティングと、大衆車「シボレー」のグレードアップで付加価値を取る戦略が功を奏しGMの覇権が成立した。その結果、先進国の自動車メーカーは自国の所得水準が上がり、中産階級が出現するのに合わせてフルラインの戦略を取って成功を収めた。だがフルラインのセグメンテーションも先進国においてすら次第に色あせたものになりつつある。これはプラットフォームの統合や共通化が進み、特定ブランドのチャネルと製品を差別化することが難しくなっていることの反映である。それだけでなく、いまや先進国ですらValue for Moneyの価値基準の転換が起こりつつあり、低燃費と省エネ、安全性能に優れた車の価値観の転換は一般の想像を超えた急速なものとなるだろう。先進国に起こりつつあるこのような価値基準の転換は新興国においても進むであろう。

新興国市場にあっては。当面は先進国型のセグメンテーション的バラエティーマーケティングで高所得層と中産階級のユーザーに浸透す戦略が現実的アプローチである。しかし、他方において開発の徹底した現地化と自立化の下で。省エネと高環境性能車としての超廉価車の投入により、二輪車等の代替需要を刺戟して底辺のマーケットを掘り起こす努力は必要である。そのような超廉価車は「T型フォード」の再来と言ってよく、それでいてその設計思想においてモジュール化と必要に応じたインテグラル・アーキテクチャーを組み合わせるという点で、またその開発でそのなかに組み込むソフトウェアによる多様な対応も可能になるという点で、各メーカーの技術力と設計能力が試されることになろう。このような戦略の下では、先進国自動車メーカーは、先進国中心の成熟市場を前提とした製品開発に力を入れ、その中で生まれた製品を新興国や途上国でも展開するというこれまでの戦略をある程度修正し、開発から調達、そして生産に至るまで、経営資源配分を転換しつつ二つの可能性を追求することになろう。こうした新興市場戦略は、20世紀の自動車産業の基本パラダイムであった大量生産、大量販売、大量消費に代わる、新たなパラダイムの創出のなかから生み出される。新パラダイムとは、脱化石燃料を志向しつつ、省エネルギーと省資源に徹した中長期の環境戦略を立てることである新興市場こそ、これからの自動車産業の成長源であると同時に新たなる環境文明創造の舞台となっていくことは間違いない。

日本では1978年に排気ガス規制が法制化された、いわゆる「日本版マスキー法」である。局地的公害対策とはいえ、当時としては世界で最も厳しい基準の目標値を制定した。このときの日本の自動車メーカーは、資本自由化による海外メーカーの日本進出の脅威にさらされつつ、ようやく国際競争力をつけ始め、米国に輸出を始めたばかりであり、とうてい排ガス対策にその経営資源を重点的に投入する余裕はなく、これに挑戦することは社運を賭けたものであった。しかしながら、多大な犠牲を払った排ガス対策の研究開発は、その後の事態を長い目でみるとプラスに作用したものがあった。排ガス対策を進めるために、どのメーカーもエンジンの燃焼技術の根本に遡った研究開発に努め、そのために、それまでの研究開発が機械工学中心だったのを化学、素材、電子などの学際化したものに改め、これらの分野の専門家を技術者として多数採用したことである。特に化学分野の研究は触媒の解明に役立ち、電子分野の研究はやがて電子制御への道を開いた。その結果、三元触媒とこれを活用した電子制御燃料噴射装置の採用に漕ぎつけた。このように日本の自動車メーカーは日本版マスキー法の規制をクリアした。これが燃焼技術におけるイノベーションを誘発し、多くの教訓とノウハウが蓄積されたのであり、車両の軽量化とエンジンの燃焼率向上、コンパクト化に拍車がかかった。その後の日本自動車メーカーの研究開発における進化能力は、このときの経験と、そのなかから芽生えた要素技術を実体化する生産技術によって高められた。

その後、アメリカのビックスリーは三元触媒などの技術や特許を日本やドイツのサプライヤーから手に入れて規制をクリアできたが、その後のビッグスリーの環境戦略の立ち遅れに直結していく。一方、EUの存立にとって環境保全は必須の価値となり、自動車産業では競争優位に結びつくとされ主導権を取ろうとしている。

かつての排ガス公害が問題となった時代のように、社会や世論から強制されて副次的課題として対策を進めていた段階から、きかせついてみると環境戦略と環境技術は、これからの自動車メーカーの生き残りをかけた主体的・中枢的経営課題となりつつあり、今はまさに過渡期の始まりといってよいであろう。そこでは20世紀までの自然環境を征服・支配する発想から、自然環境との共存と循環社会の実現へむけての発想転換=資源エネルギーの循環的活用、環境負荷ゼロへの挑戦が現実化するであろう。そのためには今まで自動車技術の視界に入っていなかった科学の領域、バイオや宇宙工学、森林科学などとの学際的連携も視野に入ってこよう。日本の自動車産業が今後アジア新時代を切り開いていくには、環境問題に直接向き合うことにより、環境文明創造へ向けての挑戦を続け、持続可能な成長を実現し、この面での競争力優位を確保することが必須になりつつあり、世界的自動車不況のなかにあってもむしろその必要性は加速された考えるべきであろう。

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