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2011年10月19日 (水)

松原誠一郎「経営革命の構造」(14)

第2節 ニクソン・ショックと石油ショックによる主役交代

大型設備投資は時に資本の論理を越え、激しい同質的競争を加速させた。そのため、銀行を中心とした日本独特の企業集団やグループを形成し、株主の利益を抑えても投資を先行させることが必要となった・利益なき拡大を前提とした、同質的過当競争を日本中に蔓延させることになった。そのしわ寄せは1980年代後半から噴出する。

第3節 ポスト・フォーディズムとしてのカンバン方式

ニクソン・ショックに始まる円高と第一次・第二次石油ショックは戦後日本経済を揺るがす経済危機であった。しかし、この経済危機からの回復過程でもっとも意外な事実は、大方の予想とは逆に日本が豊かになったという事実である。物質的には以前にもまして豊かな社会が実現した。そして、その豊かさの内容は、さまざまな電化製品や自動車、食料品や衣料品の氾濫といったフロー型消費社会の到来であった。例えば日本の自動車メーカーのモデル数は、アメリカやドイツの三倍近い数字になった。こうした変化は60年代の高度経済成長期に豊かになった国民所得水準が70年代以降はより個性化・多様化した商品を求めた結果ということができる。しかし、経営者の視点からすれば、この変化は所得水準上昇の結果ではなく、それを的確に捉えた企業戦略の結果である。上昇した所得をめぐって、多くの日本企業が消費者の選択肢を広げ、更なる購買行動へと誘導するような製品差別化戦略と新型モデルの導入競争を展開した結果に他ならない。

日本の自動車や電気機械の競争力を決定づけたのは、多品種を少量生産してもコストアップを生じないという画期的組織革新である。この革新の中核に位置するのがカンバン生産方式とそれを構成する系列生産グループであった。フォードが20世紀の消費社会を変えたのは、「大量生産・大量販売」という新しいビジネス・モデルを確立したからである。フォードに取って代わったGMも、フルラインという多車種生産モデルを提唱したが、一車種については十分に規模の経済が達成される台数を生産していた。

日本の自動車メーカーはアメリカの大量生産とは比較にならないほどの少量多品種生産を産業化の初期から強いられた。この市場規模と多様な車種を要求する日本市場の特性が、日本における下請け生産の進展を促進した。資金的にも技術的にも未発達であった日本の自動車メーカーは、数万点にも上る部品をはじめから内製化する資金も技術力もなかった。したがって、部品供給を外部メーカーに大きく依存した。もし、資金的にも技術的にもアメリカのように内製化が進んだかもしれない。日本の下請け生産は、中小企業を温存する二重構造あるいは品質管理不徹底の温床ということで、60年代までは日本の後進性と考えられていた。しかし、石油ショック以降、この後進性は「高品質な多品種少量生産を可能にするシステム」にパラダイム・チェンジされたのである。そのイノベーターはトヨタ生産方式の生みの親である大野耐一である。

あらゆるムダを排除するというトヨタ生産システムには日本の柱がある。「ジャスト・イン・タイム」し「自働化」である。「ジャスト・イン・タイム」とは、一台の自動車を流れ作業の中で組み立ててゆく過程で、組み付けに必要な部品が、必要なだけ、必要な時に、生産ラインのわきに到着するということである。「自働化」とは、狭義には「自動停止装置つきの機械」であり、異常があれば現場作業者が自主的判断で機械を止めるということである。しかし、広義には、生産ラインにおける問題を顕在化し、品質を生産ラインに作り込んでいくという、全従業員を巻き込んだ品質改善運動のことであった。ジャスト・イン・タイム方式は当然のことながら製品組立企業と部品供給業者の密接な協力関係を前提とする。部品が必要な時に、必要なだけ、必要な所に届くには。部品納入業者との情報や品質意識の共有が必要不可欠である。これが後に世界中の自動車会社が模倣することとなった系列生産システムを必然化した。日本という特殊性の中でやむなく展開してきた下請システムが、70年代後半の市場ニーズの多様化と低コストの実現という二律背反状況で極めて効率的なシステムとして花開いた。これは大野がフォード以来常識となっていた既存の生産システムに、「脱常識」としてチャレンジし続けた結果である。彼の「脱常識」は、従来の「前工程が後工程へものを供給する」という生産の流れを、「後工程が前工程に、必要なものを必要な時、必要なだけ引き取りに行く」と考える逆発想から生まれた。「アメリカ式の量産方法をいたずらに真似ていたのでは危険であることを、私どもは一貫して念頭に置いてきた。多品種少量で安く作る、これは日本ひとでなければ開発できないことではないか」、フォードによって確立されたアメリカン・パラダイムを超えるために大野は必死になって考え出したのである。

ジャスト・イン・タイム方式大量生産方式を以下の三点において凌駕する経営イノベーションだった。

(1)多品種少量生産

フォードが単一車種に固執したのは、コストを下げるためであった。自動車生産において日本のような小さなマーケットでアメリカの三倍のモデル数を生産するなどということは、問題外の発想であった。しかし、部品在庫をアッセンブラーを持たないジャスト・イン・タイム生産方式は、市場変動幅をゼロ在庫管理と多品種の一ラインへの混入などによって平準化し、コスト上昇を最小化しながら多品種生産を可能にした。これは、20世紀前半を支配してきた規模の経済に基づく対利用生産パラダイムを根底から覆す新発想である。

(2)開発リードタイムの圧縮

多品種少量生産を可能にしたジャスト・イン・タイム方式は、次第にもう一つの特徴を明らかにし始めた。新製品開発時間を短縮できる能力である。国内市場を拡大する一方で海外市場に急速に浸透した開発期間短縮の最大の要因は、組織内と組織間における経営革新に基づいていた。組織内の革新では、アメリカで高度に発達した職能別組織に風穴を開けた職能横断的な研究開発チームの編成があげられる。研究開発から製造、販売、マーケティングなど複数職能を一つの新商品開発チームに編成して、市場や生産・販売プロセスのニーズを製品設計段階から絶え間なくフィードバックする仕組みである。組織間の革新としては、前述の新商品開発チームに設計段階から部品供給業者を参加させたり、部品性能のスペックだけを部品業者に渡して部品開発を行うことで、製品開発・製造プロセスを大幅にスピードアップしたことである。この組織間のイノベーションに関しては、系列と呼ばれる下請け関係が功を奏した。かつては、下請として部品を機械的に納入するだけであったいわゆるパーツ・サプライヤーを、カンバン方式を進展させる過程で技術や納入情報ばかりでなく、新製品開発情報も共有するパートナーとして見なすようになったのである。こうした質的変化に従って下請企業は「協力会社」と呼ばれるようになる。

(3)中間組織

ジャスト・イン・タイム生産方式は、部品納入業者との密接な関係が形成されない限り実現不可能なシステムである。そして、後に系列生産として有名になったアッセンブラーとサプライヤーの関係は、アメリカのビッグ・ビジネスに代わる新しいビジネス・モデルを提供することとなる。イギリスに起こった産業革命では、16世紀から発達した市場機能を利用して生産、販売、原料購入などの単一機能に特化した企業が事業展開を行った。しかし、広大な市場と急速に成長する市場を抱えたアメリカでは、市場組織も未発達であったために、自社の内部に購買や販売という複数の機能を抱え込むことによって大量生産・大量販売を実現してきた。いわゆる、ビッグ・ビジネス・モデルである。但し、この二つの取引形態は背反するものでなく、同時共存するものである。規格品で価格志向が強い製品に

関しては市

場を通じて取引を行い、規格外で自社独自の製品あるいは競争力に密接に関係する部品については内製するという方法である。

カンバン方式がジャスト・イン・タイム方式に進化する過程で、日本企業は新たな組織モデルを提示した。それは組織の利点と市場の利点を相互に浸透させながら、安くて高品質の製品を調達・生産するモデルである。ビッグ・ビジネス型部品内製の利点は、技術や市場情報を内部的にフィードバックした競争力ある部品を安定的に生産できることであった。逆にその弱点は、市場購買に比較してコストが高くなるだけでなく、組織の肥大化を招くことである。一方、市場を通じた購買の最大の利点は、競争を通じた価格の透明性であり、業者を替えるスイッチングコストの安さである。しかし、市場購買では市況によって足元を見られたり、売り惜しみされたりするために、安定的にしかも独自性のある部品を調達することは不可能である。ジャスト・イン・タイム生産方式を行う日本の系列生産はこの二分法に新しいディメンションを付け加えた。中間組織という考え方である。日本の系列生産は、部品取引業者との関係を技術的・人的・資金的にきわめて長期的な相対関係で行うことによって、部品の共同設計や安定供給をあたかも組織内部で行っているかのようにすることを可能にした。その一方で、同一部品を複数の供給業者に発注して、納入業者間での厳しい競争を併存させてコスト上昇を最小化した。現在でいうマルチ・ベンダーの考え方である。

この優れたシステムも良いことばかりではない。在庫を持たないジャスト・イン・タイムとはいえ、部品や商品を頻繁に運ぶトラックの上に在庫は存在するわけで、街や工場周辺には交通渋滞が蔓延した。また、厳しい競争圧力は常に協力企業に転嫁され、成長の中では可能であった短期的犠牲も経済成長鈍化の中で限界に達した。その意味では、アメリカに渡ったジャスト・イン・タイム方式の方が、より平等な企業間関係に根差しており、優れて方向へ進化したという印象を受ける。

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