松原誠一郎「経営革命の構造」(8)
第3節 ロックフェラーとスタンダード・オイル
1839年ニューヨークの片田舎で生まれたロックフェラーは高校を卒業すると穀物商社に就職する一方、商業学校で簿記を学ぶ。そこで彼の障害変わらぬモットーである「規律、秩序、そして厳密な貸借計算」であった。そして、1858年クラーク&ロックフェラー社を設立し、灯油の輸送や委託販売を始めた。南北戦争の勃発によるブームとロックフェラーの堅実でありながら拡大を志向する商才によって大きな利益を上げた。このころ西部ペンシルバニアで油田が発見され石油関係の起業がブームとなっていた。かれらも63年製油業を始めた。65年には地元クリーブランドで最大の製油所にまでなった。そして、経営権を握ると株式会社に組織を改めスタンダード・オイルが70年に誕生した。
彼らの大規模な創業は数々の競争力をもたらした。その最大のものは「規模の経済」である。装置産業の特徴であるが、初期投資が変わらないため、通量が増えれば増えるほど、精製コストはガロン当たりで低下する。アメリカで最大の製油所であるということは、アメリカで最も安い石油精製を可能にするということである。同時に彼はこの規模の利点を生かすために同製油所内に、樽製造所や硫酸工場を併設する後方統合、さらには直接販売を行う流通チャンネルの前方統合と、いわゆる垂直統合戦略も積極的に進めていった。また、この規模は資金調達にも大きな影響を与えた・クリーブランドの銀行は、この規模を信用してロックフェラーたちの短期融資にいつでも応じた。さらに重要なことは、この規模によって鉄道に対して強い交渉力を持ちえたことであった。製油業者にとって輸送費は価格競争力を左右する重要な要因である。輸送量が大きくしかも定期的であれば、過当競争に直面していた鉄道に対して輸送費削減の強い交渉力を持つことができたのである。70年代なると、彼は規模の経済性と鉄道会社との交渉力を相乗的に利用することによって、更なる規模を達成できることに気づく。そして、他の製油業者の自分たちの傘下に入れば同じ低運賃を鉄道に適用させるといってスタンダード・オイルへの参加を強要した。そして、株式交換を利用した全国的なトラストを形成していった。そして、同産業の90%にあたる投下資本を配下に組み入れた。さらに彼は組織改革を行い、協定破りや闇取引を抑え、全国に散在する設備の合理化をあたかも中央本社がするように推進できるようになった。このトラスト協定によってロックフェラーは散在していた製油所を三か所に集約し、世界の四分の一から五分の一の精製を可能にし。1880年代には販売網拡充のための前方統合をさらに積極化した。
一方で企業のトラスト化の動きに対して消費者側は激しい反対・抗議を表明し、議会もそちらに付いた。1890年シャーマン反トラスト法が成立、独占の排除が政府の政策となった。そのため、スタンダードをはじめとしたトラストは、他の会社の株式を所有する持ち株会社制を模索し始める。しかし、反トラスト法の解釈は持ち株会社に対する規制も可能とした。このため、単一の事業会社のもとに統合された事業形態だけが、アメリカのビッグ・ビジネス形態の基本となっていく。しかし、実際的な理由からも、アメリカという広大な市場にあって合理的な製造と販売を行えるビッグ・ビジネスとなるためには、ゆるやかな連合を中心とするトラストや持ち株会社組織形態では経済的に取引費用・管理費用を削減することはできない。集権化した単一の本社が重複する取引を内部化し、それらを厳密な責任と権限に基づいてトップからミドル、ローワー・マネジメントにいたる経営階層が管理する組織が完成されてはじめて、巨大組織は持続的な成長を遂げることができるからである。ロックフェラーが率いたスタンダード・オイルも例外ではない。
« 松原誠一郎「経営革命の構造」(7) | トップページ | 松原誠一郎「経営革命の構造」(9) »
「ビジネス関係読書メモ」カテゴリの記事
- 琴坂将広「経営戦略原論」の感想(2019.06.28)
- 水口剛「ESG投資 新しい資本主義のかたち」(2018.05.25)
- 宮川壽夫「企業価値の神秘」(2018.05.13)
- 野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(10)(2015.09.16)
- 野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(9)(2015.09.16)
コメント