無料ブログはココログ

« 小林英雄「日中戦争 殲滅線から消耗戦へ」 | トップページ | 橘玲「大震災の後で人生について語るということ」(2) »

2011年10月 1日 (土)

橘玲「大震災の後で人生について語るということ」(1)

51dhdmcz6el__ss400_ 著者は、3.11の東日本大震災と14年前の見えない大災害によって戦後社会は終わり、新しい社会に移行し始めたという。しかし、ほとんどの人はこのことに気付かず、3.11によって、はじめて、これまで目をそむけていた人生の経済的なリスクに正面から向き合わざるを得なくなったと言う。

ここで、リスクについて、著者は「欲望と同様に、それによってひとびとの行動を規定するもの」と定義する。危険に遭遇すると、生き物は反射的に身を守ろうとする。同様に、我々も無意識のうちに危険を回避する選択をしていて、リスクに対する耐性(許容度)はひとによって大きく異なる。ひとは誰でも、危機に際して最悪の事態を想定し、そのなかで最善の選択肢を探そうとする。このときに、最悪事態はそのひとのリスク耐性によって大きく異なってくる。たとえば、震災のさいに買い占めに走ったひとは自分が抱えているリスクをリスクが管理できる許容範囲を超えたと感じたことから不安に陥ったためで、これを倫理的に批判しても意味はない。この問題を解決するには、一人ひとりのリスク耐性を上げるか、リスクに強い社会を作るしかない。

著者は、日本人も日本社会もリスクに対して脆弱になってきていると警鐘を鳴らす。日本社会をいま大きな不安が覆っているとすれば、そのひとつの(そしておそらくはもっとも大きな)理由は、日本人の人生設計のリスクが管理不能になってきたからだと言う。戦後の日本人の人生設計を支配してきた四つの神話が崩壊してきた。それは「不動産神話」「会社神話」「円神話」「国家神話」だという。しかし、我々は、いまだに神話なき時代の人生設計を見つけることが出来ず、朽ちかけて染みだらけの設計図にしがみついている。役立たずとなった設計図から生ずるリスクが、日本人の行動を規定している。皮肉なことに、我々はリスクを避けようとして、そのことで逆にリスクを極大化させ、それが不安の原因になっている。3.11以後を生きるとは、この神話を奪われた世界を生きることに他ならない。

« 小林英雄「日中戦争 殲滅線から消耗戦へ」 | トップページ | 橘玲「大震災の後で人生について語るということ」(2) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 橘玲「大震災の後で人生について語るということ」(1):

« 小林英雄「日中戦争 殲滅線から消耗戦へ」 | トップページ | 橘玲「大震災の後で人生について語るということ」(2) »