あるIR担当者の雑感(53)~個人投資家施策のセミナー
東京株式懇話会という上場会社の株式事務や会社法の担当者の団体のセミナーに行ってきました。テーマは『個人株主対策の現状と今後の検討課題について』で新日鉄の担当の方が講師になっての報告を聞きました。
2005年ころ、鉄鋼業界はミッタルという風雲児が積極的に買収を仕掛け、業界再編の動きが活発化しました。当時、世界第2位のアルセロールがミッタルに買収され、日本の鉄鋼メーカーも狙われるのではないか、という話が現実味をもって語られる状況ではありました。当時の日本は長期低迷の真っ最中で、各企業や金融機関が持ち合いで保有していた株式を持ち続ける余裕がなくなってきて、そういう株式が市場に出回り、日本企業の割安感が高まっていました。他方、政府の規制緩和策により三角合併による買収が可能となり、企業の危機感は高かった時です。新日鉄は、そのころから、個人株主対策を積極的に行い始めました。ちょうどのその時、NHKで三上社長(当時)が率先して株主と語り合おうとする取り組みが紹介されたのを覚えています。その時の当事者の話が聞けるので、興味を持って出かけました。
その時まで、新日鉄は個人株主に対して特に何かするということは、何もしていなかったそうです。そのため、個人株主施策を始めるといっても、何もデータがないので具体策をたてられない。個人株主に対して何を求めるのかを限定できない、だからこそ有効性に対する不安があったそうです。最初は株主名簿の分析から始めたそうです。といっても株主名簿からは住所、氏名と持株数程度しか分らず、IR担当役員の熱意でとにかくスタートしたらしいです。当時の新日鉄は個人株主施策の他にも、取引先持株会を新たに始めたり、鉄鋼会社どうしの株式の持ち合いを始めたり、JPモルガンから高額のコンサルタントを招いたり、と買収防衛にやっきになっていたはずです。そんな時、当の担当者がこんなことやっていて効果があるのか、という社内の声があったとか言われると、外側から見るほど会社に危機感はなかったのだろうか、と不思議に思いました。想像するに、効果があるかどうかは分からないが、とにかくできるものは行うくらいの危機感というのか、切迫感を当の最前線にいる担当者は感じなかったのか。
そして、実際に新日鉄が行った施策は、製鉄所見学会、経営概況説明会、新規株主や買増株主への礼状、カレンダーの送付、株主通信の強化などだという。製鉄所見学会は希望者が多く、抽選であたるのは希望者の1割くらいだそうだ。参加した株主には好評で、アンケート結果にも反映される。工場見学が一種のブームにあるし、広い製鉄所の中をバスで移動し、高炉周辺パイプの折り重なる様や真っ赤な鋼鉄の塊が流れ出て板状に成形されていく様を実際に見ると、すごい迫力だろうから、見学者には好評だろうし、会社に強烈にアピールできると思います。担当者としても、バスに株主に同乗して、案内などしていれば、互いに親近感が湧いてくるし、達成感もあると思います。この効果として、担当者だけでなく、製鉄所の現場や役員も含めて、社内に株主の存在が強く意識されるようになったというのは、正直なところだと思います。製鉄所見学会をはじめとしたイベントでアンケートを行い、そこでデータを集めて、少しずつ株主の顔が見えるようになってきたそうです。
個人的には、それらの施策を毎年行っているのは評価すべきことで、担当者をはじめとした関係者の苦労には頭が下がりますが。例えば製鉄所見学会をそれほど苦労して行ったはいいけれど、それだけで終わらせて勿体ないと、感じてしまったのです。例えば、製鉄所見学会の参加者に対して、アフター・フォローをなぜ行わないのか。参加者に礼状を送るだけで、全然違うだろう。礼状でなくても、メールでもいい。参加者を事後的に再度集まってもらって製鉄所の印象を語り合う会のようなものを開いてもいい。なぜ印象を定着させないのか。また、それぞれの施策が同じ年に始まっているのも気になります。その後、新たなイベントや施策が追加されていないのではないか。各イベントの後でアンケートを行い、意見を徴収し、株主の顔も見えてきたというのなら、そのデータを基に新たな試みが加わって充実度を高める。情報の施策へのフィードバックが為されているのか。2005年から始められているとして5年続けていれば、イベントもルーティン化するはずです。それでいいのかという疑問があります。そして、最も気になるのが、イベント等の施策や株主通信や新規株主への礼状といった個々の施策がそれぞれ行われているのは素晴らしいことなのですが、何かそれぞれが単発的に行われていて、個々の施策が有機的に連繋して、総合的な個人株主への姿勢とか防衛策となっていないように見えるのです。講師となったのが総務部の方で全体を取りまとめる役員のような人ではないから、かもしれませんが。しかし、ある程度の年齢の人で経験を積んだ人であると思うので、しかも株主に対して会社のことを説明している人が、全体(経営)への目配りが感じられないのは淋しい思いがしました。以前に、株懇の集まりの中でも、個人株主に対しては多くの会社の担当者がポリシーは分らないと言い、コストや効果測定ということばかりを話題にし、ホームページに出されている建前とは別に、実は個人株主が嫌いなのではないか、と思われる中で、新日鉄の場合は、実行しているのは立派です。
セミナーでは触れられませんでしたが、そこには経営者のリーダーシップがあるのではないかと思います。それらを含めて参考になったセミナーでした。
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