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2011年10月18日 (火)

松原誠一郎「経営革命の構造」(13)

1950年9月、西山弥太郎率いる川崎製鉄が千葉に大規模な銑鋼一貫製鉄所を建設することが明らかになると、日本経済界からは一斉に非難の声が上がる。1950年の日本の鉄鋼器用の将来は不安定で、250万トン程度の粗鋼生産しかない業界に、一挙に50万トンの生産力を持つ一貫工場を、資本金6億円の川鉄が163億円を投じて建設するというのは無謀に映った。操業していない高炉も多かったことから、これは枯渇していると言われた資本の二条投資であるという批判を受けた。たしかに、ドッジライン下のデフレ経済状況や不安定な原料事情からすれば、休止中の高炉の再開あるいは圧延段階の改善から始めるのが当時の常識だった。西山はそうした古びた高炉の再生や段階的な改善などには、何の興味もなかった。カーネギーがそうだったように、規模の経済を達成するためには新しくて大型の設備が必要であることを身をもって確信していたのである。使い古しの設備ではいつまでもアメリカの後塵を拝しているだけである。

終戦後の日本鉄鋼業の存続に関する予測は、必ずしも明るいものではなかった。軍需という鉄鋼業最大の需要先を失い、鉄鉱石もない日本で本格的鉄鋼業が世界市場の中で存続し得るのかという疑問は当然のことであった。しかし、西山は鉄の将来に対して楽観的で、鉄は木材より材料として優れコストでも安くことができると、鉄鋼業の中心が軍需から民需へ移行しようとも、鉄の必要性・有益性について疑問を持たなかった。一方の、この将来有望な轍をいかに生産するかに関しても西山には明確なビジョンがあった。「日本の鉄鋼業は、これまでの欧州式の小規模生産方式から、米国式大量生産方式に切り替え、コスト・ダウンをはかり、国際競争力をつけていかなければならない。大規模生産を行うには、溶鉱炉をもつ銑鋼一貫製鉄所の建設が必要だ。」彼は敗戦の最中にあって、銑鉄や輸入屑鉄に依存する平炉メーカーから銑鋼一貫体制しかもアメリカ型の大規模製鉄メーカーへの飛躍を計画していた。戦前の川重製鉄部門は、米国からの輸入屑鉄に加えて半官の日鉄から供給される銑鉄を購入して製鋼を行う、いわゆる「単独平炉メーカー」だった。その部門でいかに優れた技術をもっていても、米国から良質のスクラップの輸入が途絶し、日鉄の銑鉄供給も質量ともに不足してくれば、単独平炉ではろくに鉄もつくれないのである。西山は優秀な技術者ゆえに原料を他社依存する単独平炉の限界を見極め、新たな事業展開の必要性を認識した。しかも敗戦後のGHQからもたらされた経済改革は、統制一色であった鉄鋼業界に競争を復活させるという大変革をもたらした。日鉄の分割民営化である。戦前の国家によって「民器用を圧迫しない」と規制されていた日鉄をGHQは八幡、富士という純民営企業に再編した。この新しい民間企業は、単独平炉会社にとって競争相手になるばかりか、高い銑鉄占有率をもって平炉企業の死命を制する企業となったことを意味した。この危機をとくに強くもったのは川重であった。

千葉に建設された侵攻時要は、単に新しい工場というだけではなく、その後の日本経済のあり方を規定するような重要な三つの革新性をもっていた。

(1)競争的寡占構造

第一の革新性は、川鉄の千葉工場建設・一貫生産参入という決断が日本鉄鋼業の産業構造を一変し、戦前にはなかった一貫メーカー6社による寡占的な競争形態を生み出したことである。日本の戦後発展を支えた産業の多くが、数社による寡占的な競争構造を有しているように、川鉄の千葉工場はその構造を鉄鋼業に持ち込んだ、川鉄が神鋼、住金の一貫化をも促したと言ってよい。寡占的競争関係は、鉄鋼業ばかりでなく日本企業の国際競争力を高めることとなった。造船、家電、自動車、コンピュータ、半導体など国際競争力のある企業では、ほとんどが数社による寡占体制であり、ヨーロッパで主流となったナショナル・チャンピオン的な一社独占を採らなかった点に大きな特徴がある。その先駆けが川鉄千葉の一貫化であった。

(2)最新鋭設備

第二の革新性は、建設しようとした千葉工場がそれ自体技術的にも戦略的にもきわめてイノベーティブな工場だったことである。川鉄千葉で実現された臨海型新鋭工場は単に高性能であっただけでなく、世界のモデルとなるようなコンパクトで効率的な工場だった。技術経営者は段階的な改善とは全く異なる、当時誰もが予想していなかった鉄鋼業の将来像を描いていた。

(3)オーバー・ボロウィング

第三の革新性は、千葉製鉄所建設の資金計画の大胆さとその調達方法である。第三の革新性とは、他人資本の活用による設備投資のすいしんである。戦後日本の設備投資は明らかに銀行からのオーバー・ボロウィングによって成り立った。自己資本が少ないという戦後事情の中で、大胆な設備投資を実現するために考えられた特殊性である。西山の計画は戦後企業の資金戦略の先駆をなすものであり、銀行のバックアップを得るために銀行からの役員派遣も受け入れた。明確に資本調達を意識したメインバンクの形成であった。

この最新技術によめ大型工場と借入金という二つの要素は、それぞれが激しい競争を呼ぶ原因となる。新しい技術革新と大型設備は大量かつ迅速な生産を可能とし、激しい販売競争とマーケットシェア争いを展開させる。一方、借入金依存度の高さは投資の損益分岐点を押し上げ、高い操業度コストぎりぎりのシェア争いを強制する。最新工場をペイさせるには、少しでも高いシェアが必要である。しかも、一貫六社は特殊製品や需要セグメントごとに棲み分けすることをせずに、全社同じような製品系列を採ったため、シェア競争はきわめて同質的かつ熾烈なものだった。鉄鋼業で先駆的に始まった設備投資の特徴は、実は他の多くの産業分野で踏襲されていった。大型の最新鋭設備投資を借入金主体で先行させ、その結果激しい同質的競争を展開するというのが戦後日本の産業発展の特色といっても過言ではない。その意味で、西山弥太郎の決断はまさに戦後日本の競争パターンを規定した決断だった。しかし、こうした決断を下したのは西山に限らない。さまざまな分野で技術と経営にビジョンをもった企業家たちが、同じような意思決定をしていったのである。

日本の戦後発展は決して偶然にもたらされたものではない。あの困難な時代にあって、自分たちの技術と未来への信念を持った新しい企業家たちの、当時の常識からはけた外れの企業行動から築かれた。それは、徐々に生産力を回復するといった従来の後進国開発モデルではなく、一挙に新技術を世界から導入して国際競争力を獲得するといった大胆なものであった。だからこそ、短期間の間にここまで国際競争力を築き得たのである。ただし、この日本の戦後パターンの構築は、当時日本の技術力や経営力が世界最高の技術導入に耐えられるだけの蓄積と能力に裏付けされていたからこそ可能だったことも忘れてはならない。

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