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2011年10月15日 (土)

松原誠一郎「経営革命の構造」(9)

第3章 ビッグ・ビジネスの組織革新

第1節 経営階層の出現

20世紀初頭のアメリカでは多くの巨大企業が出現した。しかし、そのすべてが成功したわけではない。アメリカに出現した大企業が原材料の購入から生産と販売までを社内に内部化したのは、規模の経済を追求するためであった。しかし、規模の経済すなわち大量に生産すればするほど単位当たりのコストが下がるという現象は、ただ規模を大きくすればうまれるというものではなかった。生産から販売に至るプロセスを設計し、そこを流れる原材料から中間製品そして最終製品にいたる材の流れを周到に計画・調整できて、はじめて規模の経済は達成される。垂直統合戦略による規模の経済性の達成は、技術の問題というよりはきわめて組織の問題であった。購買と販売を統合すれば、財務、人事、法務といった全社にわたる責任を持つ職能も必要となる。こうして、規模の経済性を追求する統合戦略は、企業が物を作るだけという単一職能組織から複数職能を備えた組織に発展することを必要とした。

デュポン社は1802年、フランスから移住したデュポン一族によって火薬製造を行うパートナーシップの企業として発足した。南北戦争の兵器需要では急成長を遂げ、その後の不況と過当競争の中でライバルの株式所有を通じて大規模化していく。1902年ユージン・デュポンが亡くなると、アルフレッド・デュポンは株式を買い取り近代的な組織に埋まり変わらせてて行った。それは製造部門を合理化し、主製品の黒色火薬、高性能火薬ダイナマイト、無煙火薬ごとの生産部門を設置し、全国に亘る販売組織を作り上げることだった。まさに垂直統合戦略であり、出来上がった組織は、各種火薬の製造と販売さらに法律や開発という職能が中央本社のもとに隼連化された複数職能別組織だった。そして1914年の第一次世界大戦により莫大な利益を上げるとともに巨大企業に成長した。

垂直統合に戦略によって企業の内部に複数の職能が統合され大量生産と大量販売が達成されると、「財の流れ」や「通量」を管理調整するトップやミドルといった階層的な秩序が必要となる。従来の小規模かつ単一の企業は一人ないし二人の企業者が数人の事務員をアシスタントにしてすべてを切り盛りできたため、経営階層の必要性に関心が払われなかった。経営階層出現の歴史を見てみると、現実の業務を行うミドル・マネジメントの確立が、全社的な経営判断を行うトップ・マネジメントよりも先行した。

このようなミドル・マネジメントは内部成長によって垂直統合を果たした創業者企業であった。これらの企業は内部の資金によって垂直統合を推進したため創業者やその一族や仲間が企業を所有すると同時に経営に責任を持ち続けた。これらの木々用は専門の俸給経営者をトップ・マネージャーとして雇う必要はなかった。しかし、生産を新しい技術革新によって合理化して巨大な全国市場あるいは海外市場を建設し、しかも原材料購買部門を後方統合する組織を効率的に運営するにはとても少人数の家族ではまかなえず、俸給によって雇用されたより多人数の専門的管理者すなわちミドル・マネージャーが必要となった。このような新しいミドル・マネージャーはビッグ・ビジネス形成過程で原材料の確保から販売に至る大量の財の流れを近代的に管理調整する様々な革新を遂行した。これらは競争の戦略に含まれる。巨大垂直統合企業数社がその市場シェアを争う近代的寡占市場では、価格は競争要因のごく一部にしかすぎない。新しい寡占市場では価格に加えて、新製品の開発、広告活動、販売員の訓練、迅速な配送、信用条件そして満足のいくアフター・サービスなどが欠かせない。これには現在の業務と財の流れを管理調整するための会計方法や統計的手法の確立が伴わなければならなかった。

一方、ミドル・マネジメントが現業に対して詳細な責任を持つようになるにしたがって、トップにある者は企業が将来に向けて発展していくように経営資源を全社的に配分するという責任を持つ必要がある。こうしたトップ・マネジメントの確立にとっては、合併によって成長した巨大企業が重要な役割を果たした。次に企業が効率的に運営されるには、有能なミドル・マネジメントを雇用し、各職能を一層強化させて市場競争に立ち向かわさせる必要があった。この段階でのトップ・マネジメントの重要な役割は現業に関わることではなく、職能部門の責任者であるミドル・マネジメントを適切に評価し、全社的な資源配分を行うことである。そのために原料から生産・販売に至る財の流れを全社的に把握し、どこに欠陥や失敗があり、その原因は何かを究明するさまざまな手法が完成された。その中心は原価計算、減価償却等を含む会計システムであり、内部取引や業績評価から発生する情報の集中統制システムであった。また、そのための指標として、デュポンのドナルド・ブラウンによって開発された投資利益率計算法がある。これにより、経営者は、職能部門に配分した投資が効果を上げているかを把握して現業部門を評価すると同時に、後に述べる多角化戦略に当たっては将来性のある分野に投資を重点配分していくことができた。ROIは財務会計、資金会計、原価会計のすべてをトップ・マネージャーが統一的に把握することを可能にした。このようなトップとミドル・マネジメントによる集権的職能別組織は長い期間をかけて1917年ごろまでには一応の確立をみた。この人材の育成制度として、ビジネススクールが整備されていく。

1880年頃までの工場は、直接生産に関わる労働者を「内部請負制」と呼ばれる方式で管理した。そこでは工場主と請負人との間で一定の生産高に関する契約が結ばれ、工場主は設備、原料、運転資本を提供し、請負人は自ら労働者を雇用して日の作業を管理した。請負人の収入は、工場主から支払われた金額と、配下の労働者に支払う分との差額である。この差額を大きくするために、請負人は労働者を管理して効率的生産を図ることになる。これは、工場主にとっては、労働者の作業を直接管理する必要がなく、管理コストや労務費を固定化しなくてもいいというメリットがあった。こうした状態を一新したのが19世紀末にアメリカ東部の機械工業や金属加工業に普及した「体系的管理」である。工程管理、原価計算、在庫管理等の手法を導入し、作業現場の反復する管理過程を定型化して、原価削減を図った。このように作業管理の内部化が起こると内部請負制は廃止されていく。テイラーの唱えた「科学的管理法」もこの流れ中に位置づけられる。

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