小林英夫「日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ」(5)
蒋介石はかなり早い段階から消耗戦的な戦略を、強力な軍事力と産業力を有する日本と戦うためには、中国は道徳的優位性で勝負する以外に方法がないと考えていたようだ。盧溝橋事件から1か月後、日本への対応策を述べているが、それはつぎの五つに集約できるものであった。
第一 持久消耗戦
第二 防衛を中心とする。敵が来たら殲滅する
第三 後退せず陣地を固守する
第四 十分に民力と物力を利用する
第五 工事や人員を隠蔽し、戦車壕や防毒方法等を活用する
ここで蒋介石は、「持久戦」という発想をはっきり打ち出し、そこに中国の勝利への光明を見出している。これほど早い時期から対日戦略を明確持っていたことに、驚かざるを得ない。そして、抗戦の決意と勝利の確信の理由として次の三点をあげる。
第一、抵抗を通じて敵の兵力を内地に吸収し消耗する戦略を行う。日本が四川省まで侵略するには三年間以上の時間が必要だが、日本内部の状況はこうした長期間の用兵を許さない
第二、日本は国際的に多くの敵を作っており、持久できる条件が少ない。これまでの中国の抗戦は国際形勢をも転換させる役割を果たした。今後も抗戦を続ければ、各国は連合戦線を形成して中国を支援し、日本を孤立に導くに違いない。
第三、中国は国土が広く奥行が深く、民衆の抵抗意識は強い。とくに内陸の抗戦意識は強い。これらを基盤に政府、党と三民主義が続くかぎり、抗戦を続けていくことが可能である。
蒋介石の戦略の根底には、日本人と中国人についての彼ならではの分析があった。両国の国民性をも考慮したうえで導かれた戦略であったといえる。彼は、日本軍が規律を守ることに優れ、研究心が旺盛で、命令完遂能力が高いという長所を持つ反面、視野が狭く、国際情勢に疎く、長期持久戦には弱いという弱点を持っていることを指摘している。一方の中国軍は、広い視野と長期的展望をもって持久戦を戦うことには優れているが、戦闘心は旺盛でなく、研究心が足りないとしている。そして、日本軍の長所は兵士や下士官クラスにおいて発揮されやすいものであり、彼らはよく訓練されて優秀だが、士官以上の将校レベルになると、逆に視野の狭さや国際情勢の疎さといった短所が目立って稚拙な作戦を立案しがちであることを喝破していた。こうした日本軍の特質は、局所が単純な短期決戦向きといえるだろう。一方で、中国軍は対照的に指揮官レベルの人間は国際経験も豊富で視野も広いが、兵や下士官は資質が低く、訓練が行き届いていないことも承知していた。これは、中国軍にとっては戦局が長期化、複雑化するほど有利であるということにほかならない。戦争に勝利するためには、敵の長所を殺し、味方の長所を生かさなくてはならない。そうしたことまでも見越したうえで、彼は日本軍を消耗戦に引きずり込む戦略を打ち立てたのであった。
蒋介石の日本人に対する卓越した観察眼は、青年時代の日本への留学経験によって養われたものだった。そこでの留学体験と実習入隊を通じて、兵卒や下士官を規律正しく教育していることこそが、日本軍の強さの秘密であると総括した。いわば下士官教育の徹底が、日本軍の戦闘力の源泉となっていると考えたのである。しかし、彼は同時に上官の部下に対するいじめが、兵営内でしばしば行われるのを見ている。強制的な支配によってもたらされる規律は、短期的には忍耐力の範囲内で持ちこたえられるだろうが、それが長期に及べば必ずや破綻し、長所が災いに転ずるに違いないからである。蒋介石の日本理解は中国と日本の地政学的特色を比較することでいっそう明確になっていく。中国のように広い国土と、長年にわたる異民族との戦争の経験は、必然的に、広い情勢と綿密な情報の収集、それらにもとづいた外交を得意とする軍をつくりだす。中国における戦いでは、さまざまな勢力との合従連衡の成否が戦局を決定し、個々の兵隊や下士官よりも指揮官の情勢判断が、戦況に大きな影響を与えることとなるのである。これに対し、中国とは比較にならない狭い国土とか持たず、兵站の必要もないほどの狭小な地域での戦闘しか経験してこなかったのが日本軍だった。その戦いにおいては、指揮官の総合的な判断力よりも、個々の兵や下士官、とりわけ下士官の優秀さが戦局を決定してきた。このことも、蒋介石は留学経験を通じて熟知していたのだった。
思えば蒋介石が喝破した両国の長所と短所は、なによりも日中戦争当時だけに限られたことでなく、現在までも続く両国民の特徴となっている。一例を企業活動にとってみよう。日本企業の特徴はなんといっても、従業員の優秀さにある。彼らはよく訓練され、研究熱心で、共同作業に長じ、目標達成能力が高い。与えられた課題は確実にこなし、さらにその先まで読んで改善や改良を提案する。そして、そのような従業員たちを、係長・課長クラスの中間管理職がうまくまとめあげている。軍にあてはめれば下士官から準将校に該当する彼らの能力は、たしかに世界に冠たるものがある。彼らが戦後、軍事力から産業力にシフトして展開された日本の戦いを根底から支えたのである。しかし、その上の社長や取締役の経営者レベルになると、必ずしも優秀な人材が揃っているとは限らない。少なくとも平均値を他国と比較すれば、確実にその点数は劣っているだろう。総体的に個性ある経営者が少なく、独創性に優れ、柔軟な思考で状況に応じたユニークな戦略を展開できるような経営者は数えるほどである。まさに日中戦争期の軍人社会と変わらぬビジネス社会が継続しているのである。こうした弱点は右肩上がりの好調期には表面化しないが、ひとたび右肩下がりの不況期になるとたちどころに欠陥を露呈し、企業を危機へと追い込むのである。この日中両国の特徴は、外交にも一脈通ずものがある。狭い地域の殲滅戦略型の戦いであれば、外交が作用する余地はすこぶる小さい。しかし、広大な地域における、しかも異民族がいの混じる国際戦ともなれば、各国間との駆け引きの出来いかんが勝敗を決定づけることになる。成功のためには自国の基準だけで事を運んではならず、他国との文化の相違を認め、それを尊重しつつ柔軟な発想で相手と交渉する必要がある。そして決定的なポイントとなるのが、どの線で妥協するかを見極める総合的な判断力である。長い歴の中で、こうした外交戦を繰り返し、国民的文化といえるレベルにまで仕上げた中国と、そうした経験をついぞ持たずに来た日本では、国家の営みのなかに占めるその重みにも、力量にも、大きく差があるあるのは当然とも言える。これからの日本の将来像を考える上でも、このことは十分に意識しておくべきだろう。
一方、日本の軍事・産業力の特徴は、日中戦争を契機に急速に強化されたところにあった。国民総動員体制の進行である。38年5月中国派遣軍が総力を挙げて徐州占領作戦を展開したが、中国側に決定打を与えられないまま、戦線はさらに拡大していき、強大な一撃を与えれば中国は容易に屈服する、との希望的観測は完全に潰えていく。蒋介石を重慶に逃したことにより日本がめざした短期決戦は絶望的となり、以後は蒋介石の思惑通り、未経験の消耗戦略戦争へとはまり込んでいくのである。日中戦争の第一期の終わりとは、日本の殲滅戦略の終焉に他ならなかった。
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