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2011年10月15日 (土)

松原誠一郎「経営革命の構造」(10)

第2節 多角化戦略と組織革新

第1次世界大戦においてアメリカ経済は急成長した。その中で、ビッグ・ビジネスは地理的にも製品的にも急速な拡大を遂げる。その結果、巨大企業ではさまざまな取引を内部化すると同時に、それらをいっそう効率的に運用する組織を備えるようになった。その基本戦略は三つの類型に分けることができる。第一に既存製品系列の販売拡張、第二には新しい製品の開発による新市場の開拓、第三としては国内外の遠隔地に新市場を開発すること、すなわち既存商品市場の地理的な拡大であった。この中で、アメリカ型組織変革に重要な影響を与えたのは、第二の新製品開発による多角化戦略と第三の海外進出につながった多国籍企業化である。企業が持続的な成長を遂げるためには、従来の製品の販売拡張に加えて新しい製品開発によって新市場を開拓する戦略がある。すなわち多角化戦略である。多角化戦略は、企業内に蓄積された経営資源不均衡を解決しようとした結果生じたことが、理論的にも歴史的にも明らかにされてきている。垂直統合を遂げた企業は、成長する過程で企業内に経営資源を次々と蓄積していく。しかし景気変動や競争等によって需要が変化したり、科学技術が進歩することによって、蓄積された経営資源の間に不均衡や未利用という事態が生じる。全国的に販売網を築き上げた企業が厳しい競争や景気変動に見舞われ、製品の売れ行きが鈍化するとせっかく築き上げた販売網が十分活用されなくなり、生産と販売の間に不均衡が生じる。このような未利用販売網を一層活用するために企業は新製品を開発して多角化を進める必要がある。化学工業や電機産業においては、科学技術の進歩によって同一の設備から副産物が発生したり複数商品の大量生産が可能となり、生産プロセスで未利用資源や非活用設備が蓄積される。この不均衡を解消するために製品の多角化が図られたのである。こうして同一の施設をさまざまな用途に利用して経済性を達成すること、あるいは経営資源を多重・多角的に利用して経済性を上げることを「範囲の経済」と表現する。

垂直統合を果たした集権的複数職能組織を採用したデュポンは、第一次世界大戦におけるヨーロッパの無煙火薬需要によって急成長を遂げた。デュポンは火薬を主製品としていたが、化学工業製品という技術特性とGEを見習って設立された開発部門によって早くから火薬以外の火薬以外の化学製品の多角化が模索されていた。それは、戦争終結後に火薬需要に応じて大きく膨張した経営資源をどう活用するかが経営課題だった。デュポンの本格的な多角化が始まり、もっとも友好的な多角化の事業分野として、(1)染料及び関連有機化学製品、(2)植物性油脂、(3)ペイント及びワニス製品、(4)水溶性化学製品、(5)セルロース及び綿事業に限定された。1921年、これに対応して単一の製品系列の生産から販売までの責任と権限をもつ事業部が限定された。これは、業種の異なる多数の工場、営業所、技術開発を一社内で進めるということは。想像以上に複雑な手続きをデュポンに強いることになった。各職能の評価や資源配分さらには中長期にわたる需要予測などについて、各製品によってすべて異なった評価基準や専門的知識が必要になり、本社の業務は複雑を極めた。こうした状況は大幅な赤字を計上するという結果を招いた。デュポンは、調査委員会を組織し、検討を重ねた。その結果、調査委員会は解答として事業部制という考え方を提示し、単一の製品系列の生産から販売までの責任と権限を持つ事業部を多角化した製品ごとに設置し、各事業部の集合体すべてを管理する総合本社を各事業部の上位に位置づける組織形態が提案されたのである。デュポンの組織改革において参考になるのは、過去の成功体験がいかに変化を妨げるかという事実である。この組織は、その後の大恐慌の中でも有効に機能した。このようなデュポンの戦略と組織の歴史的発展は「組織は戦略に従う」という有名な命題が導かれた。

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