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2011年10月28日 (金)

小林英夫「日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ」(4)

第2章 破綻した戦略

戦線の拡大は急で華北の拠点を次々と制圧していった。この地方は大半が地方軍閥軍の寄せ集めだったため、強大な日本軍の軍事力の前に後退を続けた。軍事力を主体とする日本の殲滅戦略は成功を収めたかに見えた。しかし、8月中旬からの上海を中心とした戦闘が、日本に大きな誤算をもたらした。上海には中国中央軍の精鋭が駐留し、日本軍は苦戦を強いられる。しかし追加増援部隊をもって攻撃を継続し、防衛線は崩れる。しかし、その後日本軍が首都南京の攻略に向かうと蒋介石指導部は南京を脱出し、遠く四川省の重慶まで遷都して抗戦続行の意志を宣言する。長期消耗戦に引きずり込もうという戦略に沿った行動であった。こうして戦線は華北にとどまらず華中に拡大していき、正確に言えば華中が主戦場となっていくのである。

短期で決着する殲滅戦の遂行という意味では、日本にとってこれが致命傷となったといえる。つまり、上海地域には外国勢力と結びついた、その意味では中国の中で最も日和見主義的な、最も動揺的な勢力が集中していた。彼らはそれ故、最も日本側に取り込まれやすい勢力といえた。にもかかわらず日本は、ここを主戦場にしただけでなく、彼らの基盤を徹底的に破壊したことで彼らを蒋介石側に追いやり、蒋介石の消耗戦略による徹底抗戦に厚みを与えることとなったのである。

このような日中戦争の初期に発生したのが、南京事件である。日中戦争をハードパワーとソフトパワーの相克としてみるならば、この事件は彼我のソフトパワーに決定的な差をもたらすものであった。中国人兵士のみならず一般市民までが大量に虐殺されたこの事件は、日本の軍隊がいかに残虐であるかを国際社会で証明するに十分な材料を提供し、日本のソフトパワーを著しく減退させるとともに、中国のそれを大きく増大させたのである。

戦略の次元でみれば、この事件の背景には、日中両軍の根本的な戦略思想の相違が横たわっている。上海攻略から息つく間もなく南京攻略を企図した日本軍中央と出先の指揮官たちは、殲滅戦略戦争的な視点で兵を動かした。南京が陥落すれば国民政府は降伏すると確信していた。その性急な用兵が、将兵たちが暴徒と化す原因になった。対するに中国側は、消耗戦略戦争的な視点でこれに応じた。徹底抗戦による殲滅を避け、南京から分散遷都して後退しながら、空間を時間に替えて軍事力を鍛錬・再編していく戦法を採用したのである。これらの結果、無防備な市民に膨大な数の犠牲者が出た。南京事件は、二つの戦略がもっとも不幸な形で遭遇した帰結といえるかもしれない。

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