松原誠一郎「経営革命の構造」(15)
第5章 シリコンバレー・モデルの登場
第1節 情報革命がもたらしたモデル
90年代のアメリカを牽引したのは疑いなくサンフランシスコ郊外にあるシリコンバレーに誕生した企業群である。
情報革命によって技術と市場の特性が大きな変化を遂げた。技術の視点からは、次のように要約できる。
(1)この情報革命が汎用コンピューターに始まりながらも、最終的には技術革新のテンポが著しく速い個人情報端末機器(パーソナル・コンピューターという極めて分散化したレベルでの情報処理・創造にまで突き進んでいる。
(2)こうして分散化した知識・情報が通信を通じて世界規模で繋がった。
(3)そこではあらゆるミディアム(媒介。すなわち文字、映像、音声、空間など)が融合し始めた。いわゆるマルチメディア化といえる現象である。
そして、以上の技術的特徴は指示用に全く新しい次元をもたらした。
(1)技術革新の速いテンポと分散化した情報処理・創造活動は、想像を絶するような多様で変化の激しいマーケット・ニーズを生み出した。
(2)インターネットをはじめとする物理的な時空間を超越する広大な市場あるいはビジネス・チャンスが形成された。
(3)そこでは既存の事業分野を超えた事業ドメインや過去の経験や知識を超えたアイデアが新たな事業機会をもたらしている。
こうした技術と市場の変化はこれまで信じられてきた20世紀型の競争条件、資金調達、組織構築のあり方を一変した。そしてこの変化は、それまで無関連に進化してきた幾つかのシステムを有機的に結合し、新しいビジネス・モデルを形成した。
野中郁次郎の『知識創造の経営』や『知識創造企業』といった一連の著作の中で、新たな知識とは言葉にできない知識(暗黙知)と言葉にされた知識(形式知)の相互循環作用から生まれるということが主張されている。「人間は語れることよりも多くのことを知っている」というマイケル・ポランニーの言葉通り、我々の本質的な知識の多くが単純に言葉にはしにくい暗黙知から構成されている。これを伝えることは時間と手間を要する。単純なマニュアル化よりも、優れた個人と長い時間を共有することの方が暗黙知の移転には優れた効果を発揮する。この時間関数こそ日本企業の情報共有の特徴であり、日本企業の強さであったと野中氏は主張した。終身雇用とまで言われた長期勤続や現場情報を共有・マニュアル化させるQC活動、長時間勤務もこうした日本企業独特の勤務形態は決して日本企業の後進性を物語るわけではなく、個人や組織に眠る暗黙知を重層的に共有させる手段としてきわめて有効な経営方法だったという指摘である。
アメリカ企業やアメリカの大学は日本企業の強さを徹底研究した。その膨大な研究のエッセンスがきわめて読みやすい本として形式知化され、アメリカ社会に発信された。この形式知化を受けてアメリカやヨーロッパのコンサルティング会社が、日本企業の強さをコンピュータを中心とした情報技術によって様々なパッケージに落とし込んでいった。それに伴い、優れたアイデアや時間のかかる価値共有をいち早く形式知化してそのオペレーションを情報技術にのせていくことが、競争の主戦場になったのである。さらに90年代後半になると、新たな競争の次元が付加された。製品やサービス開発の時間いわゆるタイム・トゥ・マーケットを短縮するだけでなく、他分野にわたる新製品・サービスの開発あるいは事業展開の速さを競う必要が出てきたのである。タイム・トゥ・マーケットを短くしたのは日本企業であったが、情報革命下における事業展開に新たにモデルを提示したのはアメリカ企業であった。コンピュータ技術が分散化しそれらをつなぎ合わせる技術革新が進行した結果、技術進歩が加速化されただけでなく、多様化した市場ニーズが時空間を超えて顕在化した。この多様化したマーケット・ニーズに対応するかたちで、新製品や新サービスのコンセプト開発も分散化した。開発競争は、あらかじめ標準化を決められるようなものではなく、それぞれが事実上の標準(デファクト・スタンダード)を目指して同時多発的に行われる。様々な製品を様々なニーズにぶつけ、より多くの支持を受けたもの、あるいは多くの支持や参加を募る仕組みを考えたものが市場を制覇するという競争となった。とくにこの傾向は、国民総生産に占める比率が20%前後に低下したアメリカで顕著になった。ソフトウェア開発、情報通信、金融、保険、流通、小売などサービス産業主体の経済では、事前に計画された合理性よりは、マーケット・ニーズや技術変化に事後的あるいは瞬間的に適応する能力が重要なのである。企業にとっては、一つの製品のタイム・トゥ・マーケットを短縮するだけでなく、変化する技術とマーケット・ニーズに対応するいくつもの製品を次から次に開発し続けることが、競争優位に結びつくようになった。縦のリードタイムを短縮するだけでなく、横への対応すなわち全く新しい製品、サービス・コンセプトへの転換の早さが勝敗の決定要因になった。
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