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2011年10月 8日 (土)

松原誠一郎「経営革命の構造」(3)

ケイの飛び杼が織布工程を著しく効率化したのに対して、紡糸工程の効率化すなわち紡ぎ車に代わる紡績機は、まず、ジョン・ワイアットとリュイス・ポールによる発明があったが、機械自身のもろさや故障の多さから、事業化には失敗した。そして、ハーグリーブスのジェニー紡績機が発明される。ハーグリーブスはブラックバーンに住む織布工兼大工だった。このころ紡績と織布の不均衡の問題はますます大きくなり、紡績業が集積していたランカシャーに住む織布工の間では、職にあぶれたり原料不足に喘いだりすることが多くなった。彼は、ワイアットとポールの機械の製作にも携わり、紡ぎ車を原理として簡単な工夫を加えたものだった。しかし、動力という限界がなければ錘を稼働させる数をいくらでも増やせると、大増産が可能になるものだった。しかし、彼も紡糸工の憎悪の対象となり、災難に遭った。

ハーグリーブスと同時期に水力紡績機を発明したのがアークライトであった。彼は、それまでの発明家と異なり、発明を一大事業にまで昇華させた。彼は、それまでの発明家たちとは違って織布工や機械工ではなく、床屋であり村を巡回する商人だったと言われている。このことを利用し、豊富な情報を手にし、元々備えていたビジネスマンとして資質により、この技術の変革期にあって、あちこちに点在する発明を利用して一つの機械にまとめ上げた。さらにいえば、それを実用化して綿工業における工業制度にまで完成させた。アークライトの水力紡績機は、手動のジェニー紡績機に比べて速いだけでなく、より細くて丈夫な糸を紡ぎ出せる点できわめて優れていたからであった。こうして織物業者たちはアークライトの糸を使うことによって、インド綿布に負けない薄く丈夫な綿織物を作ることが可能となった。これは亜麻糸を使わざるを得なかった交織布に対して、革新的な商品の国産化であった。当然のことながら、このイノベーションは既得権益者の利害を侵害した。

そして、ジェニー紡績機と水力紡績機をさらに巧みに組み合わせたクロムプトンのミュール紡績機が登場するに及んで、ジョン・ケイの飛び杼以来の紡糸と紡織生産の不均衡は解消したばかりか、逆に防止の生産性が紡織を上回るまでになった。しかも、ミュール紡績機はジェニー紡績機・水力紡績機に代替したばかりでなく、その極細の綿糸によって織布工程にも大きな影響を与え、インド労働者の熟練をしのぐ繊細な綿の国産化を可能にしたのである。

このように1790年にはミュール紡績機の出現によって、今度は織布工の数が不足するようになった。こうした状況に対処するため、過剰生産分の紡糸の輸出が論議されるようになったが、イギリスにとって輸出は他国の織物業の発達を助けるというジレンマがあった。そのため織機のさらなる改良が急務となった。再び、技術のインバランスが顕著になったのである。そして、こま要請に応えたのが、カートライトであった。彼の力織機は、横糸に落下する筬と縦糸を駆け抜ける飛び杼が交互に連続運転するというものだった。彼自身の事業は失業を恐れた周囲の織布工によって度重なる脅迫を受け破産に追い込まれるが、力織機は19世紀半ばまでには各地の工場に普及しもより大規模な動力を得ることによって、大工場を生んでいく。

このように、産業革命前後における紡績機械の発達史から引き出されるポイントは、以下の三点に集約できる。

第一に、発明が事業化や産業発展にダイレクトに結びつくことは稀で、多くの場合、新しい機械は職を奪い、雇用を減らすものとして労働者による激しい憎悪の対象となることである。インベンション、イノベーションは既存の体制を創造的にであっても破壊する。その意味で、変化を嫌う人々の必死の抵抗に直面してしまう。よほどの不屈の精神や事業の才能のない発明者たちは、革命の第一矢を放ちはするが、その返り血の中で不遇な生涯を終えるものが多い。しかし、彼らの試みや挑戦があったからこそ歴史が展開した。そのことを可能にするのは、先駆者たちの失敗や不遇があってのことである。もし、こうした先駆的なイノベーターたちを駆り立てる社会的なインセンティブや、失敗に対する社会的寛容がなければ、経済の新たに次元は生まれない。

第二に、関連する工程間の不均衡は、相互補完的にその発展を促進し合うということである。工程間のインバランスがイノベーションを誘発し、結局一つの技術体系の完成を促進することである。このことが可能となった背景には、現状を変革するような突出や逸脱を許容する社会の自由が必要である。当時のイギリスには特許制度に加えて、商人、機械工、農民が新たなことをはじめられるインセンティブと自由度が限定的とはいえ存在した。また、技術のインバランスに関する知識を共有する市場と技術の集積が存在したことも重要である。

第三に、発明が実用化されるためには、技師や承認とは別のタイプの人間、即ち企業家の出現が必要だったということである。その意味では、繊維工業の機械発明史に登場する他の多くの人物にもまして、アークライトの存在はとくに重要である。

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