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2011年10月11日 (火)

松原誠一郎「経営革命の構造」(6)

第2章 アメリカにおける経営革命

アメリカはイギリスとは、その前提条件が大きく違っていた。イギリスから独立し、未開拓の領土を拡張して多数の移民を受け入れながら急成長を遂げた。しかし、東部、南部、中西部はそれぞれ分離分断されたような状態で、一つの国家として成長を開始したというわけではなかった。その一方で、常に新たなフロンティアと新しい実験の場を提供し続けるという活力に満ちていた。そのような精神的・地域的・経済的特殊性が、それまでに存在しなかったような企業組織をアメリカに出現させることになる。ビッグ・ビジネスと呼ばれる巨大組織である。こうした組織は従来の組織に対して単に規模が大きくなったということだけでなく、それまで信じられてきた組織や経営のあり方に質的な変更をもたらした。広大で未発達の領土、しかしその一方で急速に拡大する人口とフロンティアをかかえたアメリカにおける事業展開は、イギリスでは考えられなかったような無経営のイノベーションを必要とした。アメリカに出現した企業組織の特徴をより具体的な形で述べるとすると、次のような三点に集約できる。

(1)市場メカニズムに代わる内部取引の実現

(2)その内部取引を効率的に達成するための複数機能を持った組織の完成

(3)職能別組織を流れ内部取引や経営資源を管理調整する経営階層や本社機能の出現

第1節 アメリカにおける鉄道の影響

アメリカにおける大きな変化は1815年に始まった。第一の変化は、先進工業地域としての東部(ニューヨーク、フィラデルフィア、ボストン)が経済圏として確立する一方で、ヨーロッパに対する綿花供給地としての南部が経済基盤を強固にし、これら東部・南部の興隆がより多くの移民の流入を招いて西部フロンティアのさらなる開拓を促すという構図を完成させたことであった。第二の変化はヨーロッパにおける平和の訪れである。この結果、一時停滞していたヨーロッパ経済と貿易を復活させた。アメリカ経済のダイナミックな変化を加速するヨーロッパ資本の活動が再開された。イギリスの工業製品が大量に流入すると、それとの競争やイギリスからの先端技術の伝播によって、東部諸都市は先進工業地域として、一層の進展を遂げた。また、イギリス綿工業の生産能力の急激な上昇により植えた狼のようにアメリカ南部の原綿を輸入した。この原綿需要の増大は南部での綿作展開を促進すると同時に南部への人口拡大をもたらした。一方、中西部の豊かな農産物は、その経済的価値を十分に生かせずにいた。その要因は商品輸送コストのたかさであった。従って、西部が発展を遂げるにはこの輸送コストを削減するような技術革新が必要だった。このボトルネックを解消したのが蒸気船の登場で、運河の発達にとあいまって西部の発展にとって重要な契機となった。

こうして、1815年以降三つの地域がそれぞれの市場を形成し、ゆるやかに結びつきながらアメリカの国内市場を形成し始めた。そして、さらに、これらの地域が本当に一つの市場を形成するようになったのは鉄道と電信の発達であった。確実で安価な輸送手段と迅速な情報手段は経済発展を飛躍させる最も重要な要因である。これが、アメリカにおけるビッグ・ビジネス形成の重大な前提となった。

アメリカにおける鉄道の発達は、単に国内市場の創出や企業活動の基盤形成を整備したばかりでなく、鉄道会社自身が現代企業の組織モデルを提供したことが重要である。鉄道はそれ自体がアメリカに出現した最初の現代企業なのである。また巨大鉄道の建設は株式会社制度の発展や金融機関あるいは建設事業といった周辺産業の整備をもたらした。

鉄道がそれまでの交通体系や企業組織に決定的な革新をもたらすのは1840年代以降である。技術革新が進み鉄道への関心の高まりとともに鉄道網が延長され、東部と西部を結ぶニューヨーク鉄道、ボルティモア=オハイオ鉄道、ペンシルバニア鉄道、そしてニューヨーク・セントラル鉄道という四大幹線鉄道が完成しも鉄道網の成長に伴って鉄道企業の規模も急速に拡大していった。こうした急激な鉄道網の拡大は操業費、営業費の増大をもたらすと同時に、業務を複雑化させ、鉄道企業自身に近代的な管理運営を実現するための組織的対応を強制することとなる。組織的な対応を要求する第一声は、物理的な安全を求める声として湧き上がった。

ウェスタン鉄道では旅客列車の正面衝突という大事故により、適切な管理の必要性を認識させ組織改革を行った。その結果、各管区の権限と責任が明確化され、報告義務、事業統計などの情報フローも確定された。こうして萌芽的な現代企業の組織形態をとるに至った。また、トップ、ミドルの役割分担が出来上がり、これら専任の俸給経営者からなる経営層も出現した。ウェスタン鉄道は比較的短距離の鉄道会社であったが、より巨大な長距離の幹線鉄道の機構改革は安全に加えてより現実的な要請からであった。1850年ころ、長距離の幹線鉄道は1マイル当たりの操業費が小鉄道に比べてはるかに高く、経営者は走れば走るだけ赤字になりかねない状態だったのである。巨資を投下して運営される鉄等が規模のメリットを生かせず、1マイル当たりの操業費が小鉄道よりはるかに多くかかるということは、幹線鉄道の経営危機を意味していた。各幹線鉄道は一体どこに問題があるかについて徹底究明を開始し、その結果判明したことは、この根本原因は距離の違いではなく、採用されたシステムの完成度に比例して生じたということだった。距離が長いから操業費が高いというわけではなく、巨大で複雑な運行業務を効率よく運営する内部組織の未発達が経営悪化を招いたのである。この機構改革に立ち向かい近代的な複数事業単位組織を完成し、それを管理するのに重要な制度的革新を遂行した代表的人物はペンシルバニア鉄道社長のエドガー・トムソンなどであった。彼ら鉄道経営者が行った革新の共通点は次のようなものだ。(1)責任と権限のラインと範囲を明確にしたこと、(2)実際の運行業務を行う現業部門と会社全般の経営方針を考える本社部門との分離、(3)社内情報を経営管理手段として認識すること。まさに現代に通じる組織と管理の基本的アイディアが結実したのである。また、トムソンは会計制度の発展にも大きな貢献をしている。

鉄道が必要とした資金は、それまでのものとは比較できないほど膨大であった。1850年代、アメリカの鉄道企業による資金需要とヨーロッパ資本の要求が合致し、大量の資金がアメリカに流入した。この両者のニーズに応えるため、それまでヨーロッパの為替業務を中心としていたニューヨークの輸入商社が鉄道証券の取引業務に専門化し始めた。アメリカの資本市場はこのようにしてニューヨークに集中し、ニューヨーク証券取引所が制度として定着した。この膨大な取引活動によって、今日ある金融手段や制度のほとんどすべての原型がニューヨーク証券取引所において完成されたのである。この鉄道投資を通じて完成された株式市場や金融機関も、アメリカにおける現代企業台頭の基本的条件を整備した。多くの企業がニューヨークを通じて資本や社債を調達することができるようになったのである。

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