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2011年11月

2011年11月30日 (水)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(8)

インターリュード1 身ぶりの言語

ここまで、ミュージッキングのことのことを、我々が理想とする世界の結びつきを生み出す活動なのではないかという仮説を、そしてミュージッキングを通じて我々がしていることは、それらの結びつきを学んで探求し、我々自身を含むそこに注意を払う全ての人に対してその結びつきを確認し、我々がその全体を祝うことなのではないか、と言う仮説を立てた。もしこの仮説が正しいのなら、ミュージッキングとはまさに我々が住むこの世界について知るための、ひとつの方法だということになる。(もちろん、ここでいう「世界」とは、人間の経験から切り離され、近代科学によって知り得るとされる、あらかじめ出来上がった物理的な世界のことではなく、関係性の複雑な網目からなる経験的な世界のことだ)そして、これを知ることによってこそ、我々はこの世界でよりよく生きることを学習するのだ。

このような考えのきっかけは、グレゴリー・ベイトソンの科学的で客観的な世界の知り方と、(一見その対極にある)人間の倫理や価値、神についての知識を統合するような「ものの知り方」を進化させることに努めた。この「ものの知り方」が目指すのは、科学的知識がそうするように世界を支配することではなく、よりよく生きるということに尽きる。ベイトソンの根本的な直観の一つはデカルト的な二元論として知られる世界観、世界が分割可能で、質量、次元、空間的位置づけのある物質と、分割不可能で、質量、次元、空間的位置づけのない精神/心という、互いに相容れない二つの異なる実体から成り立つとする世界観も否定だった。このデカルト的な分離した宇宙で、物質と精神とがどのように互いに振る舞い合うかは、デカルト依頼解決不能な問題として、人間を引き裂かれた存在にしてしまった。一方には、空間的な広がりがあって、物理学的、化学的法則に従属する有形の身体があり、他方には、身体の内側にはあるけれど、姿かたちがないからその一部とも言えない、どんな科学的法則にも従属していない無形の心がある、という生き物に。このようなデカルトが西洋的な思考に残した遺産は、心の動きに身体が何の影響も及ぼさないと言う仮定である。身体の働きは、せいぜい感覚器官を通じて情報を感知するくらいのものとされている。この前提に従うと、知識とはそれが誰の知識かに関わらず「そこにある」のであり、誰にも知られていなかった時から誰もが忘れ去ってしまった後まで、ずっと「そこにある」、ということになる。同じことが理性的判断についても言える。その判断を行うのが誰であれ、いくつもの前提が絶対的な結論を導くというわれだ。だが、心の働きが身体から独立しているというこの考え方がここまで広く普及しているのは、本当に意味することが理解されていないからに他ならない。いわば、全く吟味されないままの仮説でしかないのだ。

ベイトソンは、これに対して、我々が心の動きとして感知する如何なる現象も、あらゆるすべての生き物にそなわった昨日の一部分なのだと捉えた。彼は心のことを、極めてシンプルに情報をやりとりする能力と定義する。そして、我々が生きると呼ぶパターンが組織化されるところでは、どこにでもこれと同じ特徴が見出せるのだという。彼は、生き物の世界は心の過程に満たされていて、生命があるところには必ず心があるというのだ。例えば、植物というものが、光の強さや持続時間の変化、気温の変化、近くにある別の植物の存在といった周囲の環境の情報に単に反応するだけでなく、その植物自体も、色や育ち具合、開花の状態によって周囲に情報を与えることで、自らの成長と再生産に好ましいように環境を変化させる、ということに驚いたことがあるはずだ。さらには、植物、微生物、虫、その他の動物、そして人間との間の限りなく複雑に見える相互作用は、生物圏そのものが、我々が心と呼ぶものにベイトソンが与えた定義、情報をやりとりする巨大で入り組んだネットワーク、と一致することを示唆する。環境と関わり合う心とは、「そこにある」情報を単に受動的に受け取るだけでなく、環境と斬り結ぼうとする能動的な過程なのである。生物とは、環境によって形作られるのと同じくらいに環境を作り出す、と言うこともできるかもしれない。

我々一人ひとりの心、つまり一個の生命全体の中にある情報をやり取りする一連の過程は、それ自体としては単純でも複雑でもあり得るが、それが同時に、更に大きくて複雑なネットワークを構成している。ベイトソンは、この巨大なネットワークを「結び合わせるパターン」と呼んだ。このバターンを一つにまとめ上げているもの、つまり有機体がその外部たる世界と絶え間なく相互作用することで有機体の境界内に世界を存在させるものこそ、情報のやり取りなのである。心には、内側へと向かう通路だけでなく、外へと向かってのびる通路もあるということだ。

2011年11月29日 (火)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(7)

オーケストラと聴衆も互いに見知らぬ者同士で、知り合う機会などない。これは、彼らが、別々のドアを使ってホールに出入りし、コンサートの間中別々の空間にいることからも分る。このことはオーケストラと聴衆の双方に、むしろ安心感を与えているらしい。彼らは互いに親しい関係になりたいわけでもないし、棲み分けは明らかに重宝されている。その一方で、聴衆は静かに着席してオーケストラの演奏を受け取ることしか期待されておらず、唯一の許された反応は演奏直後の拍手だけだ。あまりに演奏が気に入らなければブーイングすることもできるが、それはかなり極端なケースに限られている。演奏の最中であれば、目に見えるか耳に入るような目立った反応は、それが賞賛であれ非難であれ、してはならないことらなっている。つまり、コンサート・ホールは、私たちに明確で矛盾のないある一連の関係をみせてくれているのだ。聴衆一人ひとりの自律性とプライバシーの尊重、非人間的な礼儀正しさとグッド・マナーの当然視、親しみやすさの拒絶、上演中は演奏家も演奏も聴衆の反応の対象とならないこと。シンフォニー・コンサートに足を運ぶ人の大半は自発的にそうしているのだから、聴衆は押しなべてこの関係をたのしんでいるということなのだろう。従って、この関係がコンサート・ホールに集まる人々の心の中で、ある種の理想として思い描かれていると言ったところで、こじつけにならないはずだ。

シンフォニー・コンサートにおける聴衆の沈黙と明らかに受け身的な姿勢は、歴史的には極めて新しい習慣なのだ。第一章で紹介した18世紀のラネラーの円形劇場は例外ではない。現代のシンフォニー・コンサートでの演奏を迎える沈黙は特徴的ですらあり、そこで聴衆は、自分以外の観客が立てるノイズで邪魔されることなく、演奏を通じて作曲家と完璧なコミュニケーションを達成することができる。その一方で、我々の注意は、いくら研ぎ澄まされているとしても、パフォーマンスからは切り離されている。我々はもはや、自分がパフォーマンスの一部だとは感じていない。あたかも、その外側にいるかのようにして聴いているのだ。我々が立てるノイズは、パフォーマンスの構成要素にはなり得ず、雑音はうるさくて邪魔な存在でしかなくなった。となると「コンサートにいる我々」は、参加者というよりもむしろ傍観者に近い。演奏中の静寂は、自分たちのためにアレンジされた見世物をじっと見つめるだけで、パフォーマンス自体には何の貢献もできないということを物語っている。さらには、その見世物は我々のものではないし、我々とその見世物製作者(作曲家、オーケストラ、指揮者、裏方の人たち)との間にある関係は、消費者と生産者の間にある関係と同じものであると言うことができる。我々にできることは、普通の消費者と同じで、買うか買わないかを決めることだけなのだ。

これは、現代でも、ロック・フェスティバルでの参加者の振る舞いとは大きく違う。しかし、ロック・フェスティバルにも、正しい振る舞い方と間違った振る舞い方、正しい服装と間違った服装、正しい話し方と間違った話し方、そして他人やパフォーマンスに対する正しい反応と間違った反応があった。もしロック・フェスに、シンフォニー・コンサートに出かけるような格好で現れ、シンフォニー・コンサートでそうするように振る舞ったとしたら、嘲笑の的になったか敵意を向けられたのどちらかだったろう。こうした振る舞いの規範の規範は根付き確立されている。このような規範が窮屈でなく自由に感じられたのは、そこで理想的な社会関係を表現した人々によって、その規範が軽やかだったということに他ならない。シンフォニー・コンサートを含むどんな音楽パフォーマンスでも、服装を含めたあらゆる行動において、同じことが言える。特定のイヴェントを楽しむということは、その場にいる人々の不めまいが、押し付けではなく、自然で普通なものに感じられているということなのだ。そして、その音楽パフォーマンスの最中は、かれらが日常生活で出会いたいと思うような社会関係が、メタリックな形で表現されているのだ。シンフォニー・コンサートや祖股のクラシック音楽の演奏で確立される関係は、あたかも、我々の社会の表向きの関係を反映しているかのようである。少なくとも、その場に参加することは、社会や政治的な規範を提供し、それを実行しようとする権威の側からすると、完全に模範的な活動といえる。すでに示唆したように、我々はそこで中産階級で善しとされるマナーに従って振る舞い、逸脱しないように上品ぶっているのだ。

音楽する時我々がどんなふうに互いに関わり合うかは、そのパフォーマンスが創り出す音の関係や、ミュージッキングへのむ参加者同士の関係だけに関連するのではない。それは、ミュージッキングに参加する我々が、パフォーマンス空間の外の世界とどう関わるのか、ということにも関連している。この諸関係の複雑な螺旋、即ち関係と関係の結びつき、こそが、パフォーマンスの本当の意味なのだ。

2011年11月28日 (月)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(6)

第3章 見知らぬ者同士が出来事を共有する

我々が観に行くのが演劇であれ、映画であれ、ミュージカル、オペラ、シンフォニー・コンサート、スポーツ等々の何であれ、パフォーマーは当然のこと、聴衆や観衆のほとんどが見知らぬ人たちだということを、我々は意識しないままに受け入れている。我々は、一度も会ったことのない人々、声をかけたり挨拶することもないだろう人たち、このさき二度と会うことはないだろう人たちと一緒に居ながらにして、笑ったり、泣いたり、身震いしたり、興奮したり、自分という存在について深く考えさせられるほどに感動するだけの準備が出来ているのだ。しかし、我々にとってはいかにも当然だと思えることも、人類の歴史からすればかなり例外的なことではある。たとえば村落社会の場合では、演奏家と聴衆というのは同じ共同体のメンバーとして知り合った者同士である。同じことは、古代アテネから18世紀ウィーンに至るまでの小規模都市にも当てはまる。

村落社会の演奏家は、誕生、結婚、死その他の人生の重要な出来事の神話を祝う営み、つまり共同体の儀礼において、中心的な役割を果たしていた。彼らは、そのために社会的に必要とされていたのだ。そうした儀礼では誰もが歌ったり踊ったりするのだから、演奏家とか聴き手とかいう区別は、そもそもはっきりしたものではなかった。音楽のパフォーマンスとは、我々が儀礼と呼ぶ、より大規模でドラマティックな活動の一部だったのである。そうした儀礼では、共同体のメンバー自身が互いの関係と相互的な責任を直に演じてみせた。そうすることで、共同体全体のアイデンティティを確認し、祝った。

同じような例は、西洋の貴族社会にも見出せる。貴族社会でも、ミュージッキングは社会的儀礼の一部をなしていて、その儀礼はかれらの世界観を維持するのに不可欠だった。彼らの社会では、音楽は聴くものであると同時に演奏するものであったし、貴族が音楽家を雇ったのは、音楽家の演奏を聴くためだけではなく、演奏を教わるためでもあった。また、中世からルネッサンスにかけてのキリスト教会と同様、貴族社会の音楽も、共同体が行う神への捧げものだった。聖歌隊は会衆に向かってではなく、会衆に成り代わって歌ったのであり、会衆はそれに「アーメン」と賛成を表したのだ。もちろん今日でも、会衆全員が歌うときに聴衆など必要ない。そうした形式のミュージッキングでは、入場料など発生しようがない。

今夜のシンフォニー・コンサートに集まった人々は互いによそ者同士だが、彼らはコンサートが終わるまでずっとそのままだろう。友人同士で訪れたとしても、いったん演奏が始まれば、座席に座って身じろぎもせず、互いにアイコンタクトを交わすことさえ避けて、一人ひとり極めて個人的に体験するというわけだ。どんな種類のパフォーマンスであれ、そこに集う人々はたった一人の個人として、孤立した状態で演奏を経験するのだし、そうすることも期待している。彼らはよそ者同士かもしれないが、見方によっては、まったくそうとも言えない側面がある。どんな音楽イヴェントの参加者も、自分が何者でどうありたいのかという感覚に基づく、ある種の自己選択をしているわけだが、シンフォニー・コンサートも例外ではない。複数の産業国家で行われてきた調査結果の多くは、シンフォニー・コンサートの聴衆の圧倒的多数が中産階級と上流階級で占められていることを示している。少々大雑把にいうと、彼らは会社員、経営者、専門職、行政関連などの仕事に就いているか、その予備軍である。これは、どんな種類の音楽イヴェントとも同じく、コンサート・ホールの聴衆の間にも、どこか基本的な類似点があるのではないかと言いたいからだ。つま、彼らが一緒に寛いでいられるのは、お互いが期待通りに振る舞うだろうと予期できるからなのだ。コンサート・ホールにいる聴衆は、時間通りに入場しなければならないこと、もし遅れればホールから閉め出されること、演奏中は静かにしていなければならないことを、誰もが当然視していると分っている。彼らは、ホールのスタッフに丁寧に、かつ敬意を払って扱われることを期待している。期待される振る舞いはそれにとどまらない。

聴衆は。全員で音楽体験を共有しているにも関わらず、何にもまして、互いのプライバシーの遵守を期待している。演奏の最中に聴き手が一人きりになることは、音楽作品を十分に楽しみ理解するのに必要な条件だからだ。彼らがコンサートの場で社交をしないというのではない。それは、開演前や休憩時間にロビーで起こることであって、聴衆席に入り込む余地はない。コンサートという出来事は社交と聴取に切り離されていて、音楽作品の体験は、最優先されるべく他の活動から隔離されているのだ。

2011年11月27日 (日)

あるIR担当者の雑感(55)~イデオロギー装置としてのIR?説明会でビジョンをかたる?

私の勤め先の第2四半期決算説明会が、迫ってきました。性格的に天邪鬼なところがあるため、本番が近づくと、プレッシャーから逃げ出したくなり、他のことを考えようとして、妄想にふけるのが常で、つばらくアト・ランダムな形で投稿していこうと思います。

今のところ、すでに発表されている他社の決算短信や開催された決算説明会では、今後の展望について、今期の残りだったり、それを含めたもう少し中期的なものであったり、具体的な数字に結実したような詰めたものではなくて、今後の方向性のようなものを、出してきている会社が比較的見られるのではないか、ということを聞きました。今のような環境変化が著しく、先行きの不透明感が強いときなので、今後のことは言いにくいと思っていました。しかし、このような状況で、敢えて確実性は低いかもしれないが、語ろうとする会社が結構あるということを聞いて、各社の姿勢に感心した次第です。私の勤め先の説明会では、中長期的な方向性だけでも、場合によっては、会社の将来への思いのようなものでもいいから、明確に語れないか、暗中模索しています。実際、シナリオや資料を考えても雲をつかむような作業でできるかどうか…

野村総研の行った調査では、一部上場企業の経営者や経営企画の責任者が抱いている経営課題のトップは既存事業をどうしていくかという戦略的課題だそうです。つまり、今、現に行っている企業の事業について、これから如何して行こうか、ということで迷っているということです。しょうがないと言えば、しょうがないのでいしょうけれど。このような経営陣の会社では、社員はどうしたらいいのでしょうか。とりあえず、今まで通り仕事をしていればいいいということなのか。今の時代、先行きに対する不透明感が強く、社員も立場でも、ある程度会社に対してコミットメントの意識の高い人は、このままでいいのだろうか、というような不安のようなものを漠然と抱いているのではないかと思います。そういう人は、社内でも良質の社員ではないか。そのときに、トップが迷って方向性を出せないでいるというのが、アンケートでは全体の7割になるということです。そして、私の勤め先であるニレコも、その7割に入ると思います。

この現状をIRという業務を通じて、何らかの打開のきっかけにすることはできないか。私の野心です。

企業がこれからどのような方向に行こうとしているのか。これことを気にしているのは、何も社員だけではありません。投資家や株主にも、そういう人はいます。株式投資とは、その会社の将来に対しての現在価値を計り、それに対して投資を決めていくという王道のような方式があるのですから。だから、企業のIR活動の実際的な対象となっている証券アナリストや機関投資家は、企業がどのような方向に行こうと考えているのかを知りたいでしょうし、それに対する可否や是非を投資家という立場で判断しようとしているわけです。ただ、客観的に突き放して分析判断に徹するのかというと、そういう人もいますが、投資している企業には、できれば成長してもらいたい(投資家や市場が企業を育てるということもあるわけで)と思っている人もいるわけです。後者のような投資家は、企業がこうして行くと表明した際に、何らかの意見や質問などのやり取りをすることで、情報を提供したり、より良い方向に進んでいくように手助けをしようとする傾向にあります。そこで、これを積極的に企業の経営にフィードバックさせる、というよりも、むしろ、それによって時には経営をリードすることはできないか、ということです。例えば、以前のソニーの久夛良木氏が、当時のソニー本流に逆らうようにしてプレイステーションを開発して、結果的にその後のソニーという企業の方向性を変えていってしまったという話は、他の会社でも例があると思います。インテルのCPUも、そういう例でしょう。経営トップでなくても、一社員だって、それが結果的に企業の発展にとって資することであれば、時に反逆的に当時の会社の本流的な流れに逆らう、あるいはそれとは離れたことを行うということは、成功した例であったり、失敗した例であったり、技術者や営業、事業推進では例がある。多分、事務部門では、そういう例はないでしょうけれど、IRという業務では、より経営と密接に関わりあう可能性があることを逆に利用し、また、株式市場という外部環境との関係との間に立っているという立場から、可能性があるのではないかと思います。ただし、それは可能性があるということだけで、しかも、それを目的として行おうというのではないです。それは、手段として必要性を感じていることにより、仕方なくということです。では、何のために、どのようにしようとしているのか。

ソニーやインテルの例は、開発や製品事業といった実際に製品を作り上げることに関わることでした。その製品が最終的には企業のビジネスモデルを大きく変えてしまうほどの業績面の大きなインパクトを経営に与えたということです。しかし、事務管理系では自ら製品による実績を生み出すことはありません。そこで、できるのはさきの例が業績を上げることを通して間接的に、結果としてビジネスモデルの転換を促したのに対して、直接ビジネスモデルの転換を迫るという方法を採るということです。また、今まで経理や経営企画などの事務関係の人材で、人口に膾炙されるような例が出てきていないのは、製品という実態があれば、その推進者はそれを進めて企業を自らリードできるし、その結果として見合う報酬や地位で報われることになるでしょうが、事務関係では自らが経営をリードすることはできない、あるいは経営者の助言者という位置で、結局は経営者の手柄となってしまう、という現実があるかもしれません。

3月期決算の企業の第2四半期の決算が続々と発表さましたが、その内容は、決算短信や四半期報告書で見ることができます。現在の日本の企業を取り巻く状況は、東日本大震災の爪痕やら、欧州の信用不安や欧米経済に元気のないこと等による歴史的な円高とか、さらにはタイの大洪水で主たるメーカーの生産が打撃を受ける等々、困難が後から後から起こっていると言っていい状況です。そこで、各社の決算短信や四半期報告書を、とくに文章による説明を見てみると、(頑張ったのだけけれど)そういう厳しい状況の説明があり、だから業績や今後の展望は厳しいと書かれているのがほとんどです。多分、これから発表されるニレコのも、そうなるでしょう。でも、これは投資家が本当に知りたいことではないことは、明らかです。それは、各企業でこの文章を作成する担当者は気づいていないか、気づいていてもそれを書くことができないか、経営者がそういうことを書かれることを恐れているのか、いずれかだと思います。IRということだけに限って言っても、これで果たして投資家の共感を得たり、経営者に投資したいという気にさせることができるのでしょうか。

見も蓋もない言い方ですが、かつての30年前の昭和の高度成長期のような全体のとしての経済が右肩上がりで、産業がいわゆる「護送船団方式」で政府によって保護されていた時代なら、一時的な不景気でも、会社が一丸となって耐えて頑張っていれば、景気は持ち直し企業は再び成長軌道に乗ることもできました。しかし、現在では景気が持ち直す保証はないし、グローバル化による世界的な競争の中でたとえ景気がよくなっても、その果実を新興国のライバルに横取りされてしまう危険がかなり高いのです。そのような中で、旧態依然のことを繰り返してきたから、取り残されてしまったのが日本の企業の現状ではないかと思います。ニレコもそうなっているのか、そうなりつつあるのか、いずれにせよ他人事では済まされない状態あることは間違いないです。そんなことは、投資家ももちろん分っていることです。その時に、決算短信で「頑張っているけれど、状況が悪い」と言われても、昔と同じように一丸となって頑張って耐えるというのは、今の状況では時代に取り残されてしまう、経営が何もやっていないと同じだと思われても仕方のないことです。

IRの業務から言って、このような時に何をすればいいのか、投資家はこのような時期の決算で企業の何を知りたいのかというのを考えてみれば、端的に言って環境が悪いからという弁解ではなく、このような環境でも生き残る、或いは成長するために何をやってきたのか、何をやろうとしているかではないかと思います。そこでは、いろいろ検討し結果、今まで通りのやり方が実はベストだったでもいいはずです。実際には、決算短信等は大企業の場合は経理部あたりが作成するので、そういうことは分からない、あるいは、他社で書かないから自社だけがそういうことはできない、ということになるのではないか。また、経営者の側でも、実際にそういう経営をしていない、あるいはそれを明らかにして投資家などから、あとで進捗状況をチェックされたり、できなかったときに何か言われるのが嫌で敢えて書かせない(露悪的な書き方です)ということがあるのではないでしょうか。全部の企業がそうだとは言いませんが。逆に、全部の企業がそんなことはなくて、意欲的であれば日本企業の今のような状況はなかったかもしれないのではないか。これは、あたかも客観的であるかのように、自分の責任とは関係ないところで発言する評論家や学者といった「専門家」の発言としてではなく、企業の内部にいて、危機感と焦りと不安の中にいる一従業員の自責を兼ねた推測です。だから、何かしなければならない。

そして、今の自分の立場でできることは、微力かもしれませんが、今まで例として挙げてきた決算短信の文章、それができないなら、対象は限られますが決算説明会に際して、経営者にそのことを考えざるを得ないような状況を迫る、あるいはそれを考えているなら、それをうまく引き出すようなことをしていく、ということではないかと思います。それを具体的にどうするか、それが悩ましい。

今、具体的に何ができるか、いくつかの可能性が考えられると思います。一つは、経営者の身になって、日ごろの経営者とのコミュニケーションから、こうしたいのだろうな、ということを、こちらが忖度して明確な形にして提示するということです。このためには、経営者と同化するほどに、思いを共有しなくてはならないと思います。しかし、別の考えからすれば、社員という立場で経営者に対して距離をもちながら、経営者の行動を絶えず見ている、しかも同じ企業という運命共同体にいるわけですから、そこで、経営者の思いを客観性を保ちながら(良い意味での批評的態度を保ちながら)外形を与えることができるかもしれません。そのためには、企業の市場にある程度精通していることは絶対条件であろうと思います。どちらにせよ、経営者に代わって思いを形にして、それによってシナリオをつくり、IRの決算説明会でアナリストや機関投資家の前で、語るようにしてしまう。

もう一つは、議論を起こすことです。上の例と途中まで一緒ですが、経営者に代わって思いを形にするというようなことは、本人ではないのですから、無理なことだとして、ある程度のものを作って、それを経営者に突き付けてしまう。それは、IRの決算説明会で説明しなければならないことだからとして、そして、突き付けられたものに対して、考えてもらって、こちらがつくったものを手直しして、説明会で表明してもらうように持っていく。

何か、このようなことを書いていると、裏で経営者を操作しようとする影の黒幕を目指しているように見えそうですが。ある会社のIR担当者が、社長から、説明会で自分が喋ることをIR担当者が考えている、と言われたということを聞いたことがあります。それは担当者と社長との強い信頼関係をものがたるものだと思います。

少しく偽悪的に経営者を陰で操る黒幕云々のことを申しましたが、例えば、江戸自体の大店の店主は番頭に仕事を預けたら口出しすることはできなかったといいます。それが、当時の商売では能力のある人に最大限に生かす、有効な方法だったのかもしれません。だからというわけではありませんが、会社が生き残り、成長していくことを第一に考えれば、経営者がやらないのであれば、これに代わって実行する、あるいは実行させることを考えるということも、あってもいいと思います。これは、会社が生き残ることはもちろん、今現在でも、会社という立場が以前のような保証されたポジションではなくなってきていることから、自分のためでもあるわけです。

多分、人生のハウツー本やサラリーマン向けの自己啓発の本なんかには、定番で書かれていることだと思いますが、言われた仕事をそれだけこなしているというのは、その人でなければできないというということにはならないので、いくら効率的でも、質の高い仕事でも、企業としては低コストでできてしまうのが、一番ありがたいことになるのではないかと思います。これは、専門技術を要するような仕事でも変わらないでしょう。例えば、コンピュータ技術とか会計知識とか製図ができるとか、仕事自体に専門性は必要ですが、専門知識があれば誰でもできるわけで、専門知識を持っているだけの人は沢山いるわけだから、代替可能なわけです。では、その人でなければならない、とするためには、言われた仕事に付加価値を加えてあげなければならない。ここで付加価値とは、いわれたことの質を高めるというような、それ自体の価値がそのままというのではなくて、新たな価値を付加するといった一種の転換を伴うものであることです。例えば、IRの仕事であれば、単に説明会を開くということではない。また、IRの目標として、株価を上げるというようなことが言われますが、それは何のためなのか、行き着くところは、企業が生き残り、成長していくためです。そのために何が役立つのか、何ができるのか、いうなれば、サラリーマンといえど、経営者や株主と同じ目線に立つことをして、根本から起こして行かないと、企業にとっての価値あること、ということを考えられない。そして、それができる社員の多い会社は成長する会社ではないかと、反対に、それができない会社は低コストの価格競争の対象、つまり、年齢の言った賃金の高い人よりも若い派遣社員にやらせた方がコストがかからないからリストラの対象にしよう、ということになる可能性が出て来るのではないか。このことは、何か、新興国とのあいだで、ものづくりの価格競争に巻き込まれて、高コスト故に敗退を重ねている日本のメーカーの状況そのものではありませんか。

自分のことを棚上げして、大言壮語しているかもしれません。ただ、私の周囲には、また、私も含めて、言われた仕事を愚直に一所懸命にやっている人がたくさんいます。しかし、それだから企業の成長に直接結びついているかという、そうではない。これは日本の企業そのものにも言えることです。日本の企業で経営者以下、どこの会社も懸命に過酷な状況にたえ、努力しています。その割には、業績とか景気がこのような状態なのは何故か。おそらく、誰もが、何となく気が付いているはずです。しかし、それを行うということは、現在の状態を変えていくことにもあるので、なかなか踏ん切りがつかない。だれかが、茹でガエルの例をあげていましたが、カエルをみずにいれたまま、徐々に火にかけていくと、少しずつ水温が上がっても気が付かず逃げようとしないで、いつの間にか水温が上がり逃げられなくなり、最後に茹でガエルになってしまう。会社の場合も同じで、経営者が踏ん切りがつかないのか、気が付かないのなら、背中を押してあげるか、気が付かせることをIRという業務では、できる可能性がある。IRの仕事を一定期間続け、アナリストやファンドマネジャーと真剣勝負を何回も斬り結ぶことを繰り返していれば、よほどの愚か者でない限り気が付くことです。決算説明会とか投資家とのミーティングとか、その資料作成とか、IRの業務はこういうものとされていますが、ベースのところで、そういうものに繋がっていないと、何のためのものかがない、根無し草のようになってしまうのではないか。とくに、時に会社の経営を語るようなことがIRということであるならば、それはIRという業務の自己否定になってしまうのではないか。(別にIRに限らず、会社の仕事は、どれもそうなのですが。)と言うように、大袈裟ではなく、この仕事に携わっていれば、当然のこと、と言えるかもしれない。ん、我ながら、かなり肩に力が入りました。

2011年11月26日 (土)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(5)

現代コンサート界の重要なお目付け役が、批評家である。批評家と言う職業が出現したのは19世紀の゜ことで、これは、人々が入場料を払ってコンサートを聴きに行くコンサート・ホールの発展と、公共の場でのパフォーマンスがアマチュアからプロのミュージシャンに取って代わられるようになったのと、機を一にしている。パブリックな場で音楽制作に積極的に参加するアマチュア音楽家が減少するにつれて、多くの人々とは自らの音楽的鑑賞眼に自信を失っていたのである。今日では、あまりにも多くのヴィルトゥオーゾも作曲家、オーケストラ、指揮者が世間の注目をひきつけようと、競ってパフォーマンスと言う商品を提供している。だから人々が、何が良くて何が悪いのか、何が目下流行中で何が時代遅れなのか、つまりは何を買うべきなのか、を教えてくれる「お買い物ガイド」を必要とするのも当然だ。それなしには、選択の権利に自信をもてなくなってしまう。しかし、ここで我々が思い出さなければならないのは、人々が音楽パフォーマンスに十全に参加するところでは、もしくは、ミュージッキングがもっと大きな社会的、宗教的、政治的儀礼の一部である場合は、批評など全く必要ないということだ。

音楽が一音も鳴らないうちから、コンサート・ホールという建物と組織のあり方は、すでにある一連の関係、つまり建物の外側にある産業社会の関係の小宇宙、を創りだしている。すでに見たように、コンサート・ホールにおけるすべての関係は、金のやり取りによって媒介されている。簡単に言えば、入場料を払いさえすれば誰でも入場してその出来事に参加できるが、入場料を払わなければそれができない。また、そこで代金を受け取る人々だけがその重要な出来事を実現させられるのであって、代金を支払う側はその資格をもたない。もちろん、このこと自体は私たちの社会と変わるところがないから、何ら特筆すべきところはない。だが注目すべきは、そこに払われる膨大な労力、経営管理と会計処理の機能を覆い隠さんとする労力であり、この魔法の世界を実現する巨大な建物の中では誰も報酬を受け取っていないかのように見せかけ、すべてが自然に起こっているかのようなイリュージョンを創り出さんとする労力である。演奏家の出演料は聴衆には全く関わりないことだし、実際、指揮者やソリストともなれば、ギャラの金額を知ることは極端に難しい。

もし、シンフォニー・コンサートという崇高なセレモニーと、産業社会の実際的な価値観との結びつきがこじつけのように見えるだとすれば、次のように考えてみてほしい。他に先駆けて産業化を果たした欧米諸国以外の国でも西洋クラシック音楽スタイルのミュージッキングが採用される場合があるが、それはしばしば、産業社会の哲学とそれに基づく社会関係への転換が実現し内面化されたことを示す初期のシグナルでもある。産業社会的な人間同士の関係が伝統的なそれに取って代わり、産業から生み出された富によって裕福な中産階級が発達すると、主要都市ではプロのシンフォニー・オーケストラとその演奏拠点(パフォーミング・アーツ・センター)も発達する。伝統社会の音楽文化とは違って、西洋のクラシックの音楽学校は万人に開かれているから、神童ヴィルトゥオーゾ(彼らはたいてい新興の富裕中産層の子供だ)が、旧い音楽文化の聴衆に衝撃を与えるようになるだろう。そこでは、彼らと西洋クラシック音楽文化との新鮮な出会いが反映させられているかのような斬新なアプローチが、見せつけられるのかもしれない。だが、それと同時に進む別の動きもある。西洋スタイルのポピュラー音楽が、クラシック音楽とは別の関係の理念とアイデンティティを探求し、確認し、祝うというのがそれで、産業社会のプロレタリアートが神鋼中産階級的なミュージッキングから自分たちを切り離そうとするのが、その典型的な動きである。低く見られがちなこの種の音楽は、国家の正当性から顧みられない分、ミュージッキングの伝統の重要な要素を吸収できる。先進国の文化に肩を並べたいと切望している新興の中産階級は、この種の音楽を口先でほめることはあっても、基本的には軽蔑している。当然のことだが、このような状況は、シンフォニー・オーケストラとコンサート・ホールが富裕な社会でしか維持できないくらいに費用がかかる、という事実と関係がある。ここでいう富裕な社会とは、世界の産業化によって富がもたらされている社会のことだ。だが、西洋のコンサート文化を打ち立てるには、経済的な余裕以上の何か、つまり、富を他のタイプのミュージッキングや音楽に無関係な事柄に使うのではなく、他ならぬクラシックのコンサートのために使うのだ、という欲望と意志とが必要なはずだ。この欲望と意志は、産業的発展を背後から支えている、ある哲学とも関係しているに違いない。

下巻財のシンフォニー・コンサートは、そこで演奏される作品が初演された頃とは、かなり異なったものになっているということだ。だから、現在のコンサート・ホールをディズニーランドを原型とする現代的なテーマパークに喩えたところで、まったく見当違いなことではないだろう。どちらにも、人工的な環境を創り出すための最新の技術がさりげなく注ぎ込まれている。そして、そこを訪れる消費者は、彼らの体験が遥か昔から当然ものとして行われてきたことの再現なのだと思い込まされる。さらにそこでは、汚物や悪臭が排除されているが、それがかえって本物らしさを増している。どちらも徹底して、現代的な世界の関係を祝うという、現代的な出来事に他ならない。いま私たちがコンサート・ホールで耳にするのは、過去の理想的な関係の再現だ。だが、それは過去に存在した関係そのものではない。そんなことはいずれ不可能なことだ。我々が経験するのは、今夜のパフォーマンスに関わる人々が理想的だと感じられるように、現代的にアレンジされた関係である。そして、めったに語られないことだが、その再現には、現代的なテクノロジーによって創り出される別の関係も、重要な役割を果たしている。

2011年11月25日 (金)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(4)

第2章 コンサートとは現代的な出来事である

シンフォニー・コンサートの現場では、何かが自発的に起こるということは、めったにない。ホールで行われるどんなイヴェントにも、その内外に、綿密な計画と組織が不可欠なのだ。その多くは私たち聴衆には見えないかもしれないが、イヴェントを開催するためには、しっかりとしたインフラ基盤が欠かせない。まず第一に、プログラムの計画とアーティストとの契約が、コンサートの開催に十分先立って行われる必要がある。というのも、近年の実力があるアーティストには世界各地を飛び回るジェット機族も珍しくないから、彼らに仕事を頼もうと思えば、何年も前から契約を結ぶ必要があるのだ。

真に人を惹きつける力を持ったアーティストは、ダイヤモンドのように稀少でランを育てるように難しい。本当の問題はスター不足とは正反対で、それほどまでに溢れんばかりの才能と技能を持つ音楽家、それに見合うだけの有利な仕事を見つけられないという、厳しい現実がある。超絶技巧演奏家と、その労働から利益を得ている人々が、ヴィルトゥオーゾの数を制限することで儲けを手にしてことは、明らかだ。これは、ダイヤモンドやランの価値がその稀少性によって保証されているのと、同じ原理である。「芸術家」や「ヴイルトゥオーゾ」という肩書を持つとは言っても、ある種の資格がその職業的地位を保っているという点、同業者の人数に制限を設けることでサービスの対価を安定させているという点に関しては、ほかのどんな職業とも変わらないのである。

一流のコンサート・ツアーの入り口に辿り着くまでには、いくつものハードルを乗り越えなければならない。コンペティションもその一つだ。コンペティションの数には限りがあるし、勝者の数に限りがある。コンペティションとは、敗者が不可欠なゼロサム・ゲームなのだ。敗者は、奇跡的な幸運にめぐり合わない限り、マイナーなツアーの世界に追いやられる。コンペティションを勝ち抜き若くしてメジャーな世界の仲間入りを果たしたとしても、そこには同じくらいの才能の持ち主が最低でも十人やそこらはいるはずだ。その中で生き残っていこうとするなら、その状態が一生続くことになる。また、コンペティションは、本来的に、極端に競争的な状況下で本領を発揮するアーティストに有利なようにできている。ヴィルトゥオーゾ市場ではメジャー・エージェントの市場操作が働いている。一握りのエージェントが、世界的な有名なオーケストラやオペラ・ハウスを支配するに至っているのだ。これはライブ・パフォーマンスだけでなく、録音や録画の世界でも起こっている。「市場価値」最優先の現代世界の基準からいくと、これも完全にビジネスの手段なのだ。この事実は、コンサート・ホールも市場主義的な世界秩序の一部であり、そこから独立することなど不可能だということを、強烈に印象付ける。現在、コンサート・ホールの世界で人間同士の関係を媒介するのは、金の流れなのだ。

シンフォニー・コンサートで演奏される曲目を、シーズンを通してみると、そこに多くの制限を見つけることができる。これは、第一に、今日の大半のコンサート・アーティストの指先や声帯、そして指揮棒が、比較的少数のレパートリーのためだけにしかスタンバイされていないという現状がある。それに、コンサートで演奏される曲目を決めるのは、音楽を雇っている経営者と言う場合が多い。経営者が求めるのは集客力なのだから、選曲はどうしても保守的にならざるを得ない。第二に、現在十分な集客力があるとされるレパートリー自体が、第一次世界大戦の頃から凍りついたままだという問題がある。その時期以降の作品には、一般聴衆にアピールするだけのものはほとんどない。だから、ヴィルトゥオーソとオーケストラ団員に共有されているレパートに限りかでてくる。第三に、総譜とパート譜が入手できるかどうかの問題がある。定番曲ならば問題はない。これらすべては、一つ一つのコンサートで誰が何を演奏するのかということが、いくつもの交渉の結果だということ、そして、そこで実際にお金を払ってコンサートを聴きに行く人々の意見が反映される余地がほとんどないということを意味している。

パブリシティにも疑問点がある。潜在的な聴衆は、コンサートの曲目や出演者のことさえ知らされていれば良いのではない。コンサートに行きたいと思わせなければならないのだ。この点では、コンサート・ホールにしてもオーケストラにしても、他のどんなビジネスと変わりはない。そして、どんな商売にも商品があるように、オーケストラには演奏と言う商品がある。重要なのは、とにかく座席を埋めることなのだ。コンサート・ホールとオーケストラが聴衆との間にとりもつ関係は、生産者と消費者のそれにすぎない。だから、あらゆる生産者と同じく、消費者が好むと思われるものを生産する。そして、他のどんな商品とも同じく、宣伝とマーケティングの技術を駆使して、できる限り消費者の好みを操作しようとする。音楽家もその演奏も、現代社会の商業的な営みから逃れられないという印象を、その意味ではポピュラー音楽とも、香水とも変わらないという印象を強く受ける。その一方でクラシック音楽の世界には、演奏家は音楽への純粋な愛のために演奏しているのであって、(ロック。ミュージシャンなどとは反対に)世俗的な名声や金もうけなど目指していない、という見せかけがある。この矛盾に、偽善的な匂いを嗅ぎ取る人もいるかもしれない。

2011年11月23日 (水)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(3)

第1章 聴くための場所

近代的なコンサート・ホールの設計には、その細部に至るまで、音楽の演奏、しかも特定のタイプの音楽の演奏に特化したデザインが採用されている。建築家も、建築家にデザインを委託する市民の代表者も、その大半が、そこで行われるシンフォニー・コンサートに参加するタイプの社会集団に属している。コンサート・ホールでの正しい振る舞いに精通したかれらが、その正しい行動を動機付けるようデザインに工夫を凝らすのは、当然のことだ。だが同時に、かれらは、自分たちの想定と異なる振る舞いの可能性の芽を、摘んでいるのだ。

この建築物に関する最も興味深い事柄はつぎの事実に尽きる。ミュージッキングには、これほどまでに壮麗な建物は必要ない、ということだ。たしかにかつてのヨーロッパで演奏が行われていた大聖堂や宮殿は、壮大かつ豪華絢爛だったかもしれない。しかし、これらの建物は音楽の演奏のためだけにあったわけではない。今日のコンサート・ホールが醸し出しているのは、それとは異なる種類の栄光だ。ホールで行われる演奏が、別の儀式や出来事に従属しているのではないということ、演奏と言う活動自体が社会的に重要なのだということを、誇示しているのである。コンサートというひとつの出来事を、演奏と社会的機能を全く持たずに、完全に音楽の演奏のみで成り立つべきだと考える理想を近代的呼ぶならば、その出来事を収容するべく建てられて、その理想を高らかに宣言している建築物もまた、近代の産物に違いない。巨大な特注品としてのコンサート・ホールは、それ自体が19世紀の発明である。

ホール正面の入り口は、圧倒的なまでに豪勢な造りで、この建物に足を踏み入れること自体が、貴重な体験なのだと感じさせられる。入り口からホールまでの間にロビーがあるが、ここは演奏のための空間ではなく、外側の日常世界から内側の演奏の世界に進むための、移行の空間なのだ。単なる移行空間に過ぎないはずのロビーがどうしてここまで巨大で荘重なのか、初めは分らないかもしれない。シンフォニー・コンサートの場合と言う儀式の場合、社交することと演奏を聴くことが完全に切り離されていて、それぞれに別々の場所が用意されている、ロビーはその社交の場として機能している。さらに、ロビーで一息つくことには、我々がこの場にいかに相応しいかということを自分に向けで納得させる、という意味もある。

ロビーへの入場が感動的だとするなら、見事としか言いようのない聴衆席への入場はドラマティックですらある。キラキラした照明がついた高い天井。通路で仕切られた座席の列は緩やかな階段状にせりあがって、その上にバルコニーにも座席が並んでいる。すべての座席が同じ方向を向いていて、その床の傾斜の先に舞台がある。舞台の上にも段があって、そこにある椅子も聴衆の方を、より正しくは舞台中央にある小さな演壇の方を、向いている。演壇の向こう側にある腰の高さほどの机の上には、今夜の最初の曲の総譜が置かれていて、そこに書いてある音楽を演奏する指揮者と演奏家を待っているこの演壇と机こそがこの広い空間の焦点なのだ。

席に客がいっぱいに座れば、演奏中はあちこち動き回ったりせずに、席に着いていなければならない。座席は全て同じ方向を向いているので、話ができるとしても、両隣とせいぜい前後の人といったところ。そう、ロビーが社交の場だとすれば、ここは厳密に観て、聴いて、注意を向ける場所というわけだ。聴衆席というくらいだから、ここは何をおいても、まさに聴くための場所なのだ。事実ここでは、「演奏」は聴くためだけに行われるものと想定されている。近代的なコンサート・ホールは、音楽のパフォーマンスと言うものが一方向のコミュニケーション・システム、つまり作曲家が演奏家を介して聴き手へと伝えられるコミュニケーション、だという想定のもとに建てられている。だから聴衆席は、演奏される音が可能な限り力強く、かつ明瞭に聴き取られるようにデザインされている。すべての配慮が、音の広がり方と聴こえ方のために傾注されている。音楽を聴いている最中、聴衆が別の聴衆に邪魔されないようにするためにも、特別の注意が払われている。聴衆席が傾斜しているは視界に邪魔されないためだし、聴衆の方でも自分たちが着席して静かにしているべきだということを重々承知している。聴衆席は、人々が互いにコミュニケートしにくいようにデザインされているだけではない。聴衆は、ここがもっぱら聴くための場所であって、口答えをするための場所ではないことを、いわば教えられている。演奏だけがただじっと凝視されるスペクタクルなのであって、聴衆はその成り行きに何の貢献もできない。ホールはまた、演奏家と聴き手を堂々と接触させないようにも、デザインされている。実際、ホールは両者を明らかに隔離している。コンサート・ホールが決して出会うことのない二つの集団を収容する場所だということだ。コンサート・ホールの建設技術は音の響きの上で透明性を獲得したが、その透明性は社交性の犠牲のうえに、成り立っているのだ。何を得るにも代償がある、それが技術と言うものである。そして現代のクラシック音楽文化は、この達成には犠牲を払うだけの価値があったと感じているらしい。この巨大な建築物は、次のような特定タイプの関係を劇的に示している。すなわち、まず人々を日常生活から切り離してホールの中に隔離し、次に一部の人々を一つの集団にまとめ上げ、その他の人々を各々孤立させたままにする。そして、全社に支配的な身分を、後者には従属的な身分を割り振る。そうして、一方向のコミュニケーションを促進するのである。この関係は天与のものではないが、かといってそれを生み出した当の人間にもはっきりとは意識されていない。しかし、私の考えでは、この場こそ、そこに参加する人々が抱く理想的な人間同士の関係のモデルが示されている。もちろん、コンサート・ホールという建築物によって具現化される関係は、そこで行われる出来事の意味のすべてではなく、パフォーマンスというとてつもなく複雑な関係の網目の一筋に過ぎない。しかしコンサート・ホールと言う建物自体が、音楽パフォーマンスの場で生み出しうる関係に、箍をはめているのだ。

著者は18世紀ロンドンのプレジャー・ガーデンと比較している。ここでは大広間のようなところで壁の一か所だけがオーケストラ用の天蓋付ステージが取り付けられている。そこでの人々は現代の聴衆のように大人しく座ってはいないで、歩き回ったり、何人かで集まって話したり、単に部屋を横切ったりしている。この建物は、現代のホールのように、社交の空間と音楽を楽しむ空間を分けて隔てていないで、聴衆の方も社交と音楽を聴くことの両方を、同時にこなしている。いかに人々がここで寛いでいたかが分る。そこで奏でられていた音のパターンは、我々が今日のコンサートやレコードで聴くものとほとんど同じはずだ。しかし、経験として何かが違う。良いか悪いかは別として、違うのだ。彼らは自分たちの好きなように演奏を受け取ったし、我々は我々の好きなように演奏を受け取っている。どんな建物とも同じように、コンサート・ホールも社交的な構築物である。社会的存在として望ましいとされる人間行動とその関係の想定のもと、デザインされ建設されている。そうした前提の数々は、ホールと言う特定の建築物で行われることだけに影響を与えるのではない。人間同士の関係され自体の本質にまで、影響を与えるのだ。

2011年11月21日 (月)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(2)

以上のような命題のおかげで、我々は実際の演奏行為の意味を把握できないでいるのだ。しかも、これから明らかにしていくが、このような誤解が演奏家と聴き手の双方に与える影響のために、パフォーマンス経験は、(豊かにされるというよりは)むしろ貧しくされているのだ。というのも、本来パフォーマンスは音楽作品を知らしめるために存在するのではないのであって、むしろ、音楽作品の方がパフォーマーに表現のための素材を提供しているからである。だとすると、音楽パフォーマンスとは、音楽作品及び作品が聴き手個人に与える影響にばかり関心を寄せている人々が考えているよりも、ずっと豊かで複雑な出来事だということになる。もし我々がパフォーマンスを構成するすべての音や人間の関係にまで注意を広げるなら、音楽の根本的な意味が、個人的なものにはとどまらない、社会的なものでもあることが分かるだろう。

音楽の本質とその根本的な意味とは、対象、即ち音楽作品の中にあるのではまったくなく、人々の行為の方にある。人々が音楽的な行為に参入する時に何をしているのか、それを理解することによってのみ、人間の生における音楽の本質と機能を知り得るのだ。この機能が何であれ、私にはある確信がある。第一に、音楽の行為に参入することは私たちが人間であることの重要な部分をなすということだ。第二に、健常な人間なら誰でも温雅の才能に恵まれているということだ。もしこの確信が正しいのならば、ほんの一握りの音楽の才能に恵まれている人々がその他大勢の無能な人々に音楽を聴かせることを可能にしている今日の音楽環境は、虚偽に基づいているということになる。というわけで、この本は音楽についてと言うよりは、人間─つまり、演奏したり、歌ったり、聴いたり、作曲したり、そして踊ったりする人間─についての本である。

ここで、著者はミュージッキング(musicking)という言葉を提出する。これは、音楽する(to music)の動名詞になり、音楽する(to music)とは、どんな立場からであれ音楽的なパフォーマンスに参加することであり、これは演奏することも聴くことも、リハーサルや練習も、パフォーマンスのための素材を提供すること(つまり作曲)も、ダンスも含まれる。この「音楽する」にはどんな種類の音楽パフォーマンスも含まれるということである。さらに、「音楽する」という同氏は価値判断とは無縁だ、ということだ。これ記述のための言葉であって規範的な言葉ではない。だから価値判断を含まず、すべての音楽パフォーマンスをカバーしている。また、パフォーマーとその他の人々のしていることに区別を設けないことで、ミュージッキングとは、その場にいるすべての人々が巻き込まれて、何らかの責任を分かち持っているのだということを、思い出させる。だとすると、「音楽作品の本質と意味とは何か?」という問いが不十分なことは明らかだ。この問いは近代西欧コンサートの文化的な前提に囚われたもので、ミュージッキングの広がりを考えれば、あまりに視野が狭い。これを「この人々が、いま、ここで、こういうパフォーマンスをすることには、いったいどんな意味があるのだろうか?」と置き換えることができる。

本書の目的は、すべてのミュージッキングを人間の活動として理解するための枠組みを提示すること、すなわち(いかにだけでなく)なぜ、私たちが個人として、社会的・政治的な存在として、これほど複雑な仕方で音楽パフォーマンスに参入するかについての理解を、最終的な目標にしている。音楽の意味が、音楽作品ではなく、音楽パフォーマンス全体の方にあるのなら、我々はその意味の理解に必要な洞察を得るために、どこから始めるべきだろうか?この疑問に対する私の答えはこうだ。ミュージッキングと言う行為は一連の「関係性」のなかで達成されるものであって、行為の意味はそれらいくつもの関係のなかにある。ミュージッキングの意味は、一般に思われているように組織化された音の中だけにではなく、あらゆる立場でパフォーマンスに参加している人々同士の関係の中にも見つけられるはずだ。こうして、パフォーマンスで実現される関係こそが、ミュージッキングへの参加者の思い描く理想の関係のモデルとなり、メタファーとなるだろう。それらは人と人との結びつき、個人と社会との結びつき、人間と自然界、さらには超自然的世界との結びつきについてのものである。これはおそらく人間の生にとって最も重要な問題だろう。そしてこの本はといえば、ミュージッキングを通じてそれらについて学ぶために書かれている。

しかし、パフォーマンスの場で生み出される関係を探り当てるためには、聴くと同時に見なければならない。そこで著者は、音楽パフォーマンスに対する探究がどんなものでありうるかを示すために、西洋音楽文化におけるシンフォニー・コンサートを例として、注意深く検討する。これには三つの理由がある。第一の理由は、読者が何らかの形でシンフォニー・コンサートを経験したことがあるから、読者自身の経験と本書のそれとを比べることが可能であること。第二の理由は、西洋音楽文化シンフォニー・コンサートは、聖なる出来事と言いうるからだ。ここで「聖なる」というのは、その性質が疑問の余地がないほど所与とされていることを指す。第三の理由は著者の個人的な事情とも密接にかかわっている。著者は西洋クラシック音楽の環境の中で育ち、それにもかかわらずコンサート・ホールに体現される社会的な関係に居心地の悪さを感じ続けてきた。この相反する感情を詳しく診察してみることだ。

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(1)

516hvrndcrl__ss500_ 多種多様な状況と行為、それに音を有意義に組織させる様々なやり方の全てが、音楽と名付けられている。世界中の人々が満足感を覚え、人生、お金、時間をこれほどまでにつぎ込んでいる音楽とは、一体何なのだろうか?この問いは「音楽の意味とは何か?」と「人間の生における音楽の機能とは何か?」という問いに集約されるが、満足な答えが得られたためしがない。それは、この問いそのものが間違っているからだ。

音楽とはモノではなく人が行う何ものか、すなわち活動なのだ。一見疑いなくそこにあるように見える「音楽」という概念は実は作り物であって、これは音楽を生み出すあらゆる活動や行為の抽象概念でしかない。その証拠に、抽象概念としての「音楽」にじっと自ら目を凝らしてみると、そこにあったはずのリアリティはすぐさま消えてなくなってしまうだろう。もし音楽というモノがないなら、「音楽の意味とは何か?」という問いに答えなどあるわけがない。

西洋音楽を研究する学者たちは、このことを直感的に理解していたらしい、しかし彼らは音楽と呼ぶ行為とその意味に注意を払うのではなく、その部分を静かに削除して、「西洋的伝統の音楽作品群」に音楽の意味をあてがってしまった。これなら少なくとも、実際に抽象概念としての「音楽」があるように見える。そもそも西洋クラシック音楽だけを他の音楽から区別して特権化するのは、甚だ奇怪で矛盾した現象だ。「音楽」という使われ方でも、大学の音楽学部や新聞の音楽批評では、じっさいにそれはクラシック音楽のことを言っている。音楽学者にも様々な意見や立場の違いがあるに決まっているのだが、次のただ一点に関しては、おおよそ議論と疑問の余地のない満場一致が得られるだろう。それは、音楽の本質及びその考え得るあらゆる意味は、音楽作品(「西洋クラシック音楽」の作品を指す)と呼ばれるモノの中に見出されるということだ。音楽作品の「モノ性」の仮定は、当然のことながら、芸術一般における近代哲学の偏見のごく一部に過ぎない。価値があるのは創り上げられた対象それ自体であって、芸術の行為や創造の行為に価値が見出されることはなく、芸術を知覚し芸術に何らかの反応を示すという行為はなおさら無意味と思われている。つまり、「芸術に何らかの意味があるとして、それを知覚する者の意見など関係ない。その意味は全て対象の中に独立して存在する」というわけだ。意味は、さきに作品が生み出されてからこのかたすっと変わらずそこにあって、あたかも理想的な受け手の出現によって発見されるのを待っているかのようである。ここで前提とされているのが、絵画や文学そして彫刻が持っている意味が、不変かつ内在的だというものである。

音楽の意味は、対象化された音楽の中だけに存在する、というこの前提からもいくつかの命題を見出すことができる。

第一の命題は、音楽パフォーマンスとは、孤立して自己充足的な作品が聴き手というゴールに到達するための単なるは媒介でしかなく、創造的な過程に何の寄与もしない、というものだ。音楽に関する文献がパフォーマンスをほとんど扱わないこと、あったとしてもせいぜい作曲家が残したものを従順に音に実現すべき、という限定的意見しかないことからして、この命題が演奏家などの媒介者を、透明であればある程良いと結論付けていると、考えるほかない。さらには、パフォーマンスが作品の不完全な、もしくは近似的な表象に過ぎないという決めつけから、音楽の内なる意味はパフォーマンスでは正しく生じえないのだとまで信じる人たちまでいて、音楽の正しい意味は楽譜を研究することでしか発見されない、ところまで行き着く。したがって、演奏家が音楽的な意味の創造に関わっている、などとはお世辞にも思われていない。

第二の命題は、音楽パフォーマンスとは、作曲家から個人の聴き手に演奏家を介して届けられる、一方的なコミュニケーションである、というものだ。これはほぼ第一の命題の言い換えだが、強調点に違いがある。というのも、ここに至って聴き手の役割は、単に作品を鑑賞することに限られるからだ。かれらの作品を理解して反応しようとするが、音楽活動の意味それ自体には何の貢献もしない。なぜなら音楽の意味とは作曲家の手に完全に委ねられているからである。この命題はまた、音楽とはそもそも個人的な問題なのだということも暗示している。つまり、作曲、演奏、そして聴くことは、社会的な真空で行われるというのだ。その他大勢の聴き手の存在は、よくて無関係、悪くすると音楽作品の演奏に向き合って鑑賞する際の邪魔者でしかない。この時想定される音楽のパフォーマンスは、作曲家から演奏家に向けられた一本の矢印し、演奏家から個々の聴き手に無方多数の矢印というフローチャートに喩えることができる。ただし、このフローチャートではどの矢印も反対の方向を向いていない。それにここには、ある聴き手からまた別の聴き手への矢印もない。つまり、このフローチャート全体に、ただの一つの相互作用も仮定されていないのだ。

第三の命題は、作品に優るパフォーマンスはありえない、ということだ。作品そのものの質は考え得る限り最上級の演奏でしか実現されないから、粗悪な音楽作品が良い演奏を生じされるなどということはありえない。

第四の命題は、各々の音楽作品が自律しているということ、言い換えると、作品はそれらが演奏される状況や儀式、さらには、宗教的、政治的、社会的信念に関わらず存在し、意味を持ちうるということだ。この命題によると、作品はそれ自体に内在する質、カントが「公平無私な黙考」と呼んだところのもののために純粋に存在するということになる。たとえある作品が元は神話や儀礼の実行に不可欠なものとして始まったとしても、現代の聴き手にとっての「音楽としての質」が大切であり、元の信仰などとは縁もゆかりもないということだ。その音楽の質とは何のための質なのだろうかということは、問われることがない。音楽の意味が対象化された音楽に内在するという理念も、そこから導き出されるいくつかの命題も、世界中の人類の音楽実践とは何も関係もない。世界中の大半のミュージシャンは楽譜など必要ともしなければ、作品を後生大事に抱え込むような態度とも無縁で、ただ単純に演奏し、そのなかで創造力を発揮している。

2011年11月19日 (土)

あるIR担当者の雑感(54)~単元未満株、本気でやってるのか?

以前にも紹介したことがありますが、株懇といって上場企業の株主総会や会社法の担当者が集まり勉強会や情報交換、法改正の際に法務省に実務面での指針を示すようなことをやっている団体があって、11月の勉強会での話です。出席しているのは様々な業種の上場会社の担当者40名ほど、今月のテーマの所有株式が単元未満のために株主が証券会社の口座に登録していないで発行会社が管理している特別口座株式です。この中には、株主の所在不明となっている株式も含まれています。企業にとっては特別口座の管理料金を負担しなければならず、また株主の所在が不明となっている株式は実質的な休眠状態にあり、これが復活すれば株式の流動性に寄与する可能性があります。とくに、歴史の古い企業では所在不明の株主が多く一万人を超えるケースもあるようです。近年の法改正で、一定の条件を満たした株主の所在不明な株式を企業が一方的に買い取ることが可能となりました。このような状況で、「このような株式にどう対処するか」をテーマとして扱ったわけです。

出席した各企業の担当者から発言がありましたが、その内容は、ほぼ一律で、単元未満株式を企業に対して買取請求等の手続きをお願いするリーフレットを株主通信に同封して送る。というものでした。そのバリエーションとして、株主通信に同封すると見てくれないので、リーフレットだけ別にして送付する。リーフレットに手続き書類や返信用の封筒を同封する。などで、その結果もほとんど一様で、最初に送付した時は多少の効果があったが、2回目以降は効果が目に見えて落ちた。その後どうしたか、というと、これまたほとんど一律で、リーフレットを相変わらず送付する。せいぜいが、リーフレットのレイアウトとか書類をつけるとか末端のどうでもいいような工夫をして、効果がないということでした。

皆さん、一流企業の社員で立派な学校を出て、真面目に取り組んでいるようなのですが、私個人は、その場で、呆れていました。その場、それはおかしいのではないかと、言うべきだったのでしょうが、その時の雰囲気は、本当に皆、真面目だったので、口を出す勇気がありませんでした。

というのも、多分、各会社とも、ここで話しているような株式を減らしたいということだと思います。こう言う場合、普通は、まず、どれだけ減らすか、あるいは減らせるかという目標を立てて、そのためにどうするかと対策を立てていきます。できなければ、どうしてできないか、方法が間違っていれば、違う方法を探す等して、目標達成に向かうはずです。営業等は常にそうしているはずです。ここでの発表のように、漫然とやっていて、しかも一回効果がなかった方法を性懲りもなく繰り返して、それでしょうがないと平気でいる。こういうのを、例えば、営業の人から見れば、本気を疑われることになると思います。

仮に、その対象となっている株式はどういう人たちなのか、そのことくらいは調べることから始めないと、それによって、一律ではなくて対象別の数通りの方法が出てくるはずです。例えば、対象となっている株主の中に社員がいれば、直接、電話でもメールでも依頼ができるはずです。また、社員のOBならば人事部と協力して連絡をとれる。そのような人たちは、連絡さえ取れれば、すぐに手続きをしてくれるはずです。後は、人海戦術で、株主一人ひとりに電話をかけてみる。このようなひと手間をかけることを、何故やろうとしないか。リーフレットを送るというのは、机に座って、パソコンを叩き、エージェントに依頼することだけでできることです。メンバーの中にはそのような枠の中で考え、活動することが仕事という前提があるようでした。中には、自分の会社では、このようなこと以上に重要な問題があって、こんなことは後回しでいいと考え放ってあるという発言があってもいいと思うのです。そういう判断も、担当者として、しない、できない、というのを目の当たりにして、とても寂しい気持ちになりました。

2011年11月18日 (金)

瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」(7)

第7章 実はクレイジーなリーダーたち

人間をマネジメントするスキルに必要なこととして、世の中に傑出した人物などほとんどいない。世のほとんどの人は凡人なのだから、その凡人をうまく使うスキルを学ぶことが大切なのである。リーダーにはも優秀だが我が儘な人をマネージするスキルも大切だが、優秀ではない人をマネージする人をマネージするスキルの方が重要なのである。ダメなところが多々ある人材に、あまり高い給料を払わずとも、モチベーション高く仕事をしてもらうように持っていくのが本当のマネジメント力なのだ。

第8章 投資家として生きる本当の意味

資本主義社会では、究極的には全ての人間は、投資家になるか、投資家に雇われるか、どちらかの道を選ばざるを得ないからだ。株を自ら所有するしないにかかわらず、私たちの社会は株主(資本家)なしには存続できない。我々が普段食べる食事も、移動するために乗る自動車も、毎日を過ごす家も、そのほとんどが民間企業、つまり株式会社が提供している。また自分が勤める職場も株式会社であるならば、その時点で自分という労働力を株主に提供することで、その見返りに報酬を得ているということになる。資本主義の国で生きる以上、株主(投資家)に意思のもとに生きざるを得ない、ということなのだ。それならば、自分自身が投資家として積極的にこの資本主義に参加したほうがいい。投資家に振り回されるのではなく、投資家たちの考えを読み、自らが投資家として振る舞うのである。そうすると、この世界が違って見える。

投資家として生きる上で必要なのが、「リスク」と「リターン」をきちんと把握することである。成功している投資家でも、すべての投資が成功しているわけではない。しかし、失敗が少ないのも、投資家のリスクの採り方としては、好ましくない。例えば、シリコンバレーの投資家たちはリスクを回避することよりも、リスクを見込んでも投資機会を増やすことを重視する。それはなぜか、投資という行為には、何よりも「分母」が大切だからだ。一つの案件にだけ投資するのは、カジノのルーレットで1か所だけにチップを置くようなもので、重要なのは、できるだけたくさん張ることなのだ。トータルで成績をあげたいと思えば、リスクを恐れずに積極的に投資機会を持たねばならない。失敗を怖がって、確実に儲かる案件だけに投資することは、結果的に自分が得られたかもしれない利益を遺失することにつながるのである。つまり、投資家として生きるならば、人生のあらゆる局面において、「ハイリスク・ハイリターン」の投資機会をなるべくたくさん持つことが重要となる。

そのような投資家的な生き方をするうえでは、投資の機会はできる限り増やすのが望ましい。ただし注意すべき点がある。それは「自分で管理できる範囲でリスクを取れ」ということだ。投資家がリスクを取るときは、必ず計算管理可能なリスクの範囲内で投資を行う。その観点からは、就職して一生サラリーマンの道を選ぶというのはハイリスクな選択である。サラリーマンは、他人にリスクを預けて管理されている存在なのだ。つまり、自分でリスクを管理できない状態にある。大学を出て新卒で会社に入り、定年の60歳まで働いたとすると38年間を会社で過ごすことになる。しかし、近年では会社の寿命はどんどん短くなってきている。だからこそ、一つの会社に自分人生の全てを委託するのは非常に高リスクなのである。

このあとで、第9章 ゲリラ戦の始まり、が最終章になりますが、ここまで書かれてきたことの復習のようなものなので、ここまでとします。個別のエピソードはそれなりに読ませるのですが、整理されていないというのか、言いたいことが、うまくまとめきれていないため、全体としての考えとなっておらず、小手先のテクニックの印象でした。著者は、そのことに気づいていないようで、そのあたりが、上手く世の中を渡ろうとする、経験(体験)主義者の域を一歩も出ていないようにも見えました。

瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」(6)

第6章 イノベーター=起業家をめざせ

日本はこれまで人口は増える一方で、経済自体の規模が膨張していく時代が長く続いていた。成長のベクトルは常に上を向いており、あらゆる業種、業界に目指すべき成功のゴールが存在していた。がむしゃらに、愚直に、ひとつのことだけをやっていれば、幸せになれる時代があった。松下幸之助の言葉にあるような「成功するまで続ければ誰でも成功することができる」ということが現実にあった。しかし、現代では新興国をはじめとして世界中のあらゆるところでものづくりが行われており、高コストの日本の企業が愚直に生産を続ければ、それは「死への行進」に他ならない。

もし、日々行っている業務が「死の行進」だと感じたならば、とりあえず死の行進を続ける振りをして、自社の弱点を冷静に分析することをすすめる。自分が働いている業界について、どんな構造でビジネスが働いており、カネとモノの流れがどうなっていて、キーパーソンが誰で、何が効率化を妨げているのか、徹底的に研究するのである。そうして自分が働く業界について表も裏も知り尽くすことが、自分の唯一性を高め、スペシャリティへの道を開いていく。そして常日頃から意識して、業界のあらゆる動向に気を配ることで、「イノベーション」を生み出すきっかけと出会うことができる。

イノベーター的な観点からすれば、「落ち込んでいる業界にこそ、イノベーションのチャンスが眠っている」と考えていい。また、起業家が新しいビジネスを見つける時の視点として、「しょぼい競合がいるマーケットを狙え」という鉄則がある。今現在、凋落しつつある大手企業の周辺には、たくさんのビジネスチャンスが眠っている。イノベーター的な視点から学生に就職先をアドバイスするならば、「今落ち込んでいる業界の周辺企業で、将来的にナンバーワンのポジションを取れそうな会社を狙え」ということになるだろう。そのようにイノベーター的な考え方をすると、潰れそうな会社に入ることにも大きな意味がある。例えば、今はなんとか持っていても、将来の先行きはないだろうと思われる会社に入り、その会社を徹底的に研究する。そして、その会社が潰れる前に退職し、その会社を叩き潰す会社を作るのである。

イノベーションを生み出す発想力、特殊な才能の持ち主のみが持っている限られたものではない。イノベーションは、日本では技術革新と訳されるが、実は新結合という言葉が一番この言葉の本質を捉えた訳語だと考えている。既存のものを、今までとは違う組み合わせ方で提示すること。それがイノベーションの本質だ。社会にインパクトを与える商品やサービスを生み出したい、と考えたとしてもまったく新しい製品を作る必要はない。今既にあるものの組み合わせを変える、見方を変えることによってイノベーションを起こすことができる。

だからイノベーター型の起業家を目指すのであれば、特定分野の専門家になるよりも、色々な専門技術を知ってその組み合わせを考えられる人間になることの方が大切なのである。他の業界、他の国、他の時代に行われていることで、「これはよい」というアイディアは徹底的にパクればよいのである。イノベーションをある業界で起こすための発想術は、実はそれほど難しいことではない。その業界で「常識」とされてきたことを書き出し、悉くその反対のことを検討してみればよい。

2011年11月17日 (木)

瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」(5)

第5章 企業の浮沈のカギを握る「マーケター」という働き方

これかに生き残るビジネスパーソンのタイプは、マーケター、イノベーター、リーダー、投資家の4種類だ。ただし、便宜上4つのタイプに分類しているが、ここでは一つのタイプを突き詰めるのではなくて、望ましいのは、人釣りのビジネスパーソンが状況に応じて、この4つの顔を使い分け、仕事に応じて、時にはマーケターとして振る舞い、ある機会には投資家として活動していく。そのような働き方が、これからのビジネスパーソンに求められる。

まず、マーケターとは端的、顧客の需要を満たすことができる人のことだ。大切なのは、顧客自体を再定義するということである。つまり、人々の新しいライフスタイルや、新たに生まれてきた文化的な潮流を見つけられる人のことを指す。自分自身で何か画期的なアイディアを持っている必要はない。重要なのは、世の中で新たに始まりつつある、微かな動きを感じ取る感度のよさと、何故そういう動きが生じてきたのかを正確に推理できる、分析力である。さらに売るものは同じでも、「ストーリー」や「ブランド」といった一見捉えどころのない、ふわふわした付加価値や違いを作れることだ。そもそも資本主義社会では、仕組みとしてあらゆる商品がコモディテイ化していくことが宿命づけられている。ある企業が何か革新的な商品を開発しても、すぐに別の会社がより安いコストで同じような商品を開発しても、すぐ別の会社がより安いコストで同じような商品を作り出し、市場に投入して来る。資本主義社会の中では、常に市場の中で競争が行われ続け、コモディテイ化した商品はどんどん価格が下がっていき、やがて市場から淘汰されていく。陳腐化した商品しか作れない会社もまた勢いが衰え、市場からの退場を余儀なくされる。その繰り返しで、戦後の日本も発展してきたのである。ということは、企業が衰退を避けるには、イノベーションを繰り返して、商品の差異を作り続けなければいけない、ということだ。あらゆる業種、業態の企業が、その前向きな努力をすることで、全体としての社会が進歩していくのが、資本主義社会の基本的なメカニズムなのである。しかし、インターネットが登場してきた以降の現代では、情報の流通コストがほぼゼロとなった。そのため「差異」は生まれた瞬間から、世界中に拡散し、模倣され、同質化していくこととなった。この十数年、企業の栄枯盛衰のサイクルが、かつてないほど速まっているのは、それが大きな利用である。この流れに巻き込まれているのは、大企業と言えども例外ではない。企業のコモディテイ化が進む中で、唯一富を生み出す時代のキーワードは、「差異」である。「差異」とは、デザインやブランドや会社や商品が持つ「ストーリー」と言い換えてもいい。わずかな「差異」がとてつもない違いを生む時代となったのだ。マーケターとは、「差異」=「ストーリー」を生み出し、あるいは発見して、もっとも適切な市場を選んで商品を売る戦略を考えられる人間だと言える。

2011年11月16日 (水)

瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」(4)

第4章 日本人で生き残る4つのタイプと、生き残れない2つのタイプ

資本主義社会の中で安い値段でこき使われず(コモディテイにならず)に、主体的に稼ぐ人間になるためには、次の6つのタイプのいずれかの人種になるのがもっとも近道となる。

1.商品を遠くに運んで売ることができる人(トレーダー)

2.自分の専門性を高めて、高いスキルによって仕事をする人(エキスパート)

3.商品に付加価値を付けて、市場に合わせて売ることができる人(マーケター)

4.まったく新しい仕組みをイノベーションできる人(イノベーター)

5.自分が起業家となり、みんなをマネージ(管理)してリーダーとして行動する人(リーダー)

6.投資家として市場に参加している人(インベスター)

だが、この6タイプの中でも、今後生き残っていくのが難しくなるタイプがいる。それは、最初のトレーダーとエキスパートだ。コモデイテイ化が進む現在の社会では、これまでならば、様々な職場で求められ活躍できたタイプの人種が、どんどん必要とされなくなっていく。

トレーダーとは、単にモノを右から左に移動させることで利益を得てきた人のことを指す。会社から与えられた商品を、額に汗かいて販売している多くの営業マンがここに分類される。これまで個々の営業マン人間的能力と労力で培われてきた購買行動が、ネットにより瞬時に検索により、すべてのメーカーの同一ジャンルの製品が一覧で、スペックから価格まで比較検討できるようになった。消費者はその中から最も安いものを選んで買えばいい。企業においてもトレーダー的な業種、商社をはじめ広告代理店や旅行代理店のような商品を右から左に流すことで稼いでいた企業は経営が苦しくなってきている。

生き残りが難しくなってきているもう一つのタイプは、エキスパートだ。エキスパートとは専門家のことを指す。一つのジャンルに特化して、専門知識を積み重ねてきた人は、これまであらゆるジャンルで尊敬の対象だった。しかし、ここ10年間の産業のスピードの変化がこれまでと比較にならないほど早まってきて、産業構造の変化があまりに激しいために、せっかく積み重ねてきたスキルや知識自体が、あっという間に過去のものとなり、必要性がなくなってしまうのである。ある時期に特定の専門知識を身につけても、その先にあるニーズが社会変化に伴い消えると、知識の必要性が一気に消滅してしまうのである。

トレーダーとエキスパート、これまでのビジネスにおいて重要とされてきた「営業力」と「専門性」、その2つが実は風前の灯となっている。何かの分野でエキスパートであることや、モノを動かしてサヤを抜くという仕事は、かつての生産性革命の時代や、国家間での貿易で儲けていた時代にはヒーローでいられた。しかし、今現在の「付加価値を生む差異があっという間に差異でなくなり、コモディテイ化した人材の値段がどんどん安くなっている時代」には、時代遅れの人々にならざるを得ないのである。

2011年11月14日 (月)

瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」(3)

第3章 学校では教えてくれない資本主義の現在

起業については、卒業したての学生が起業するときに、一番よくある失敗は、コモディテイ会社を作ってしまうことだ。学生ベンチャーが業界に新規参入し、たまたまある時期成功したとしても、それは学生の労働力が社会人に比べれば圧倒的に安く済み、またヒマであるがゆえに仕事が速いと言った理由で、一時的に競争力があったに過ぎない。だからこそ学生は、卒業後すぐな起業するのではなく、一度就職して、社会の仕組みを理解した上で、コモディテイ化から抜け出すための出口を考えながら仕事をしなければならない。そうして出口を考えながら好機を待っていた人が、30前後で満を持して起業し、成功するパターンがベンチャーには多く見られる。

(専業主婦とは、夫に自分の人生のすべてをかけるということである。死ぬまで健康な男はいない。絶対に潰れない会社も存在しない。他人に自分の人生のリスクを100%委ねることほど、危険なことはない)

就職活動を控えた学生に、混乱をもたらしている原因のひとつとして、企業側が学生に求める資質の変化も挙げられるだろう。ほんの少し前までは、企業側は学生に対して即戦力であることを求めておらず、むしろ「真っ白な状態で入社したものを、一から鍛えたい」と考える企業が多かった。しかし現在では、どこの企業も入社後すぐに戦力として使える人材を求めている。1990年代までの日本は、高い最終学歴を獲得すれば、良い就職先に入ることができ、その後の人生における収入と社会的地位を確固とすることができた。学歴主義には弊害もあったが、少なくとも努力をして学校で成績を上げることが、社会的地位の向上につながるという、分りやすい価値観を社会と個人にもたらした。そのため、「良い暮らしができないのは個人の努力が足りないからだ」と、社会的にも見なされ、「なぜ私は不遇なのか→それは努力が足りなかった」という具合に、不公平感を抑えることができていた。その後、90年代後半、目に見える「テストの結果」や「学歴」に加え、「意欲」や「コミュニケイション力」などの定義があいまいで、個人の人格にまで関わるような能力が、評価の対象になり始めた。その結果、評価される側が、「何をどう努力していいか分らない」と混乱する結果を招いている。このような客観的に数値化できない、性格的特性を重視する傾向が広まることで、若者の無気力や諦め、社会へ出ることへの不安を助長してしまう可能性がある。

現在の日本で、安定した職場というはない。例えば1971年の就職人気企業を見ていると、潰れた会社、今青色吐息の会社が半数以上を占める。この40年間で日本を覆った規制緩和とグローバリゼーションの波に耐えられなかった会社は軒並み倒産するか、ビジネスそのものがコモディテイ化して苦境にあえいでいる。1971年の人気企業で現在生き残っているのは、グローバルブランド化した企業だ。

「世の中でこれが流行っているから」と現時点で話題になっている業界の会社に就職するのも、危険な選択と言える。更に言えば、現在絶好調な会社に就職することは、言葉を変えると、数年後にはほぼ間違いなく輝きを失っている会社に就職することとほとんど同義と言える。どんな素晴らしい企業も、未来永劫その価値を維持し続けることはできない。現代において、働く個人が常に経済的、社会的に高いポジションを維持するためには、次のどのビジネスモデルが成功するか潮流を見極めながら、転職を繰り返すことが必然の行動であることが分かる。投資の世界では「高すぎる株は買ってはいけない」というのが常識である。会社選びも同じだ。就職・転職希望者には、自分が就職を検討している会社が「高すぎる状態」になっていないか、よく考えてみるべきだ。

就職希望者に「これから伸びる産業はどこか」という質問を受けるが、すでに多くの人に注目されてしまっている分野には行かない方がいい、ということだ。就職先を考える上でのポイントは、「業界全体で何万人の雇用が生み出されるか」という大きな視点で考えるのではなくて、「今はニッチな市場だが、現時点では自分が飛び込めば、数年後に10倍か20倍の規模になっているかもしれない」というミクロな視点で考えることだ。まだ世間の人が気づいていない市場にいち早く気付くことなのだ。

2011年11月13日 (日)

瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」(2)

第2章 「本物の資本主義」が日本にやってきた

戦後の日本は奇跡の復興とも呼ばれた経済成長を遂げた。そのころの日本企業を支えてきたのは、いわゆる「護送船団方式」と言われる政府の手厚い保護政策であった。事業の許認可や輸入品に対する厳しい規制を設けることで新規参入を妨げ、競争はあってもそれに敗れた大手企業からできるだけ落伍者を出さないよう、あらゆる分野で政府がコントロールしていた。しかし、1990年代のバブル崩壊と時を同じくして終焉する。経済のグローバル化に伴って規制で守られてきた産業は次々に競争力を失い、また、中国や台湾、シンガポールなどをはじめとした新興国の産業化が次々に進み、安い労働力で日本の産業から仕事を奪っていくようになった。世界中の人々と市場で競争を迫られる「本物の資本主義」の社会へと否応なく足を踏み出さねばならなくなったのが現在の日本なのだ。

国内需要の低迷で何とかしなければならなくなったとき、全社一丸となって踏ん張ればまた上向くということは、もはや絶対に期待できない。部品メーカーも販売店もしのぎを削って、より効率を高めた企業がそうでない企業を呑み込んでいく、あるいは日本から海外への進出に対応できた事業者だけが生き残っていく、そういう時代なのだ。資本主義を支える根本的な原理が「より良いものが、より多く欲しい」「同じものなら、安いものの方がいい」という、人間の普遍的な欲望に基づいているからである。

現代の日本の産業界で労働者の賃金が下がってきているのは、産業界が派遣という働き方を導入したのが本質的な原因ではなく、技術革新が進んだことが本当の理由だからだ。自動車産業に代表される工場のラインがオートメーション化され、コモディテイ化した労働者がそこに入っても、高品質の製品が作れるようになったことが、賃金下落の本当の原因なのである。つまり、賃金下落は産業の発展段階の問題なのである。産業の成熟化が進み、熟練労働者が必要なくなれば、労働者は必然的に買い叩かれる存在となってしまうのである。

日本経済が疲弊化していった理由はほかにもある。国レベルで見ても、日本のビジネスモデルというのは、すでに陳腐化している。かつて日本が強かったのは「摺り合わせ製造業」という分野だった。しかし、時代が変わり、すさまじい工作機械の進歩により、中国では人海戦術で多品種の製品を作るようになり、差をつけることが難しくなってしまったのである。現在でも日本の企業の作る品質は高い。しかし、中国の企業の製品の品質との差は微妙で、ユーザーにとっては殆ど関係がない。ユーザーにとっては「分らない差異は、差異ではない」のである。それより、色やデザイン、価格といったはっきり自分でわかる差異の方が大事なのである。

待っていても状況は悪くなる一方なのだ。今後は、個人レベルでビジネスモデルを変える、または新たなビジネスモデルを作り出す、ということに挑戦しなければ、多くのビジネスマンが生き残ることができなくなっていく。

2011年11月12日 (土)

瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」(1)

41orzvru9l__ss400_ 第1章 勉強できてもコモディテイ

医師、弁護士、公認会計士といったような高学歴の・高スキルの人材が、世界中の先進国でニートやワーキングプアになってしまう潮流押し寄せている。これまで、大学が伝統的に提供してきた、「知識をたくさん頭脳につめこんで専門家になれば、良い会社に入れて良い生活を送ることが可能となり、それで一生が安泰に過ごせる」というストーリーが世界規模で急激に崩れ去っている。

しかし、最近の日本では「勉強して努力すれば必ず幸せになれる」という考え方がメディア等で盛んに流布されている。自己啓発書が相次いで出版され、朝活などというものが盛んに開かれている。そうした努力神話を信じて、英語やITや会計を勉強した人のうち、実際に年収が増えた人はほとんどいない。これは、学歴信仰が壊れ、経済のグローバル化が急ピッチで進み、日本人同士のみならず外国人との間でも職の奪い合い始まっている今日の日本は、明治維新以来の不安定な時代となっている。そういう時代だからこそ、ますます安定した道を求める真理も昂じて、「資格を取れば安心できる」とか勉強しなくてはならないといったストーリーに乗ることを欲したのだろう。それに乗じたかたちで勉強ブームといえる現象が起きていると言える。

いまの世の中、つまり高度に発達した資本主義の下では、必死に勉強して「高度なスキル」を身につけてもワーキングプアになってしまう。それは、かつて高収入を得られた付加価値の高い職業が、もはや付加価値のない職業へと変わりつつあることに起因している。弁護士にしても、英会話が堪能にしても、MBA取得でも、需要と供給のバランスが崩れ、スキルや資格を持った者が余っている状態になってしまっている。

こうした急激な社会変化が、あらゆるところで起こっているのが現代の社会である。今まで、うまくいっていたやり方が通用しなくなり、これまでと同じ方向性で頑張っても、豊かな生活を営むのは難しくなってしまった。物心両面ともに幸福で充実した人生を過ごすには、これまでとはまったく違う要素が必要なのではないか。そのことにみな気づき始めているのだが、かといってどうすればいいのか分らない。それが今の時代を覆っている閉塞感の大きな一因だと私は考えている。留めることができない変化は、一部の例外を除いて、どんどん賃金の最低金額が下がっていく、ということだ。

ここで「コモディテイ」という概念が紹介される。市場に回っている商品が、個性を失ってしまい、消費者にとってみればどのメーカーのどの商品を買っても大差がない状態。それを「コモディテイ化」と呼ぶ。経済学の定義によれば、コモディテイとはスペックが明確に定義できるもののことを指す。材質、重さ、大きさ、数量など、数値や言葉ではっきりと定義できるものは、すべてコモディテイだ。つまり、個性のないものはすべてコモディテイなのである。

一定のレベルを満たしていれば、製品の品質は関係ない。例えば、日本の自動車部品メーカーが作る製品の質は、非常に高いレベルにある。しかし、グローバル化して少しでも安い部品を調達したい自動車会社から見れば一定のスペックを満たしていれば、それらの部品はすべて同じだと判断される。だとすれば、少しでも価格の安い方から買いたい。だから、今の自動車業界、とくに部品を供給するビジネスは、どれほど品質が高くても買い叩かれる構造となっている。コモディテイ化した市場で商売をすることの最大の弊害は徹底的に買い叩かれるにある。

さて、ここで著者は主張する。コモディテイ化するのは商品だけでなく、労働市場における人材の評価においても、同じことが起きている。これまでの人材マーケットでは、資格とかTOEICの点数といった、客観的に数値で測定できる指標が重視されてきた。だが、そうした数値は、極端に言えば工業製品のスペックと何ら変わりがない。同じ数値であれば、企業側は安く使える方を採用するにきまっている。TOEIC900点以上ならだれでも同じということになっている。だから、コモディテイ化した人材市場でも、応募者の間で、どれだけ安い給料で働けるかという給料の値下げ競争が始まる。こうしたコモディテイ化の潮流が、世界中のあらゆる産業で同時に進行している。その流れから逃れることは、現代社会に生きる限り、誰にもできない。これからの時代、すべての企業、個人にとって重要なのは、コモディテイにならないようにすることなのだ。

労働者の給料がどんどん安くなってきているもう一つの大きな理由は、最低賃金の募集でも喜んで働く人がどんどん増えているということだ。このように、これからの日本では、単なる炉動力として働く限り、コモディテイ化することは避けられない。

それでは、どうすればコモディテイ化の潮流から、逃れることができるのだろうか。人より勉強するとか、スキルや資格を身につけると言った努力は意味をなさない。答えは、スペシャリティになることだ。スベャリティとは、要するに「他の人には代えられない唯一の人物(とその仕事)」のことである。あらゆる業界、あらゆる商品、あらゆる働き方においてスペシャリティは存在する。しかし、その地位は決して永続的なものではない。ある時期にスペシャリティであったとしても、時間の経過に伴い必ずその価値は減じていき、コモディテイへと転落していく。スペシャリティになるために必要なのは、これまでの枠組みの中で努力するのではなく、まず最初に資本主義の仕組みをよく理解して、どんな要素がコモディティとスペシャリティを分けるのか、それを熟知することだ。

2011年11月11日 (金)

古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(6)

3.僕たちはどこへ向かうのか?

ミクロな視点で考えると、いくら世代間格差が深刻であっても、それはかならずしも「不幸な」社会を意味しない。客観的には絶望的な状況であろうが、当人たちがれでも幸福だと考えることは、往々にしてあるからだ。いっそ日本が今以上に超格差社会、または格差が固定された社会階級社会になってしまえば、幸せな若者はもっと増えてしまうかもしれない。

例えば、中国では、都市部に「農民工」という農村出身者の低賃金労働者が多く働いている。彼らは都市に居住できないことになっていて社会保障は受けられない。当の彼らの生活満足度は、もともと都市部に住んでいる人々よりも高い。彼らにとっては農村の生活水準よりもマシだからだ。また、どうせ戸籍が違うからというあきらめが、彼らの生活満足度を押し上げている可能性かある。都市部に暮らす人の華やかな暮らしを、自分とは違う世界の話と看做す限り、それは幸せを測る基準にはならない。この農民交と対照的なのは「蟻族」と呼ばれる中国版高学歴ワーキングプアだ。「大学まで出たのにブルーカラーなんかできるか」と政府の創出した雇用が知的労働ではないからと、満足していない。彼らの上昇志向やエリート志向が、おそらく彼らを不幸にしている。

客観的には劣悪な環境で暮らす幸せな農民工と、自己実現欲求や上昇志向を捨てられないがゆえに不幸せな蟻族は、日本の幸せを考える上で象徴的だ。現実に、20代の生活満足度が上昇しているという事実は、すでに日本の若者が半ば「農民工」化していることを示している。経済成長の恩恵を受けられた世代を「自分とは違う」と見なし、勝手に自分たちで身の丈に合った幸せを見つけ、仲間たちと村々している。何かを勝ち得て自分を着飾るような時代と見切りをつけて、小さなコミュニティ内のささやかな相互承認とともに生きていく。それは時代に適合した賢明な生き方でもある。いくら親切な大人たちが「若者の貧困」を社会問題化したり、「若者はかわいそう」と叫んだところで、若者たち自身はそれにリアリティを感じられない。それは、どんな場所に生まれても、とどんな家に生まれても「ナンバーワン」を目指すことができる「近代」という時代が、いよいよ臨界点に達したことの象徴なのかもしれない。

近代化というのは、村の外側を想像することもなく一生を終えていた村人たちを、「国民」や「個人」という自立した存在として引き上げようとしたプロジェクトだった。神様に頼らずに、伝統に支配されずに、自分の人生を自分の決断によって決めていく近代人、日本の社会は作り出そうとしてきた。そして、江戸時代の階級制度は撤廃され、段階的に全国民に対して参政権が付与されてきた。近代人としての国民が主権を持つ近代民主主義国家日本の誕生だ。しかし、日本の近代化は19世紀後半にヨーロッパの産業革命を目撃し、それを日本に移転しようとしたことから始まった。その結果、日本は経済発展を果たしたが、民主主義という制度の構築に果たして成功したと言えるのだろうか。多分、民主主義とそのベースとなる市民革命より産業革命の方がパクりやすかった。また民主主義の価値を軽んずることで、民衆の利害をいったんは無視して、国家としての経済成長を優先することができた。しかし、その仕組みにも陰りが見え始める。経済成長さえすれば何とかなるとやってきた国で、経済成長化止まってしまったのだ。しかも民主主義という伝統がない国で、そこで立ちすくんでいるように見える。

国民の平等を謳いながらも、あらゆる近代社会は「二級市民」を必要としてきた。すでに日本の若者たちの「二級市民」化は進んできている。夢とかやりがいという言葉で適当に誤魔化しておけば、若者が安くて、クビにしやすい労働力だということは周知の事実だ。このままでいくと、日本は緩やかな階級社会へと姿を変えていくだろう。「一級市民」と「二級市民」の差は少しずつ広がっていく。一部の「一級市民」が国や企業の意思決定に奔走する一方で、多くの「二級市民」はのほほんとその日暮らしを送る、という構図だ。それは、人々にとって、必ずしも不幸な社会を意味しない。

今、我々が生きているのは、一億総若者化の時代だ。世代ごとの意識の差は減少し続けているし、今後ますます多くの若者が「正社員」や「専業主婦」という既存の社会が前提とした「大人」になりきれないのだとしたら、かれらは年齢に関係なく「若者」であり続けるしかない。だから、本書は「若者」を積極的に定義するのを渋ってきた。中流の夢が崩壊し始めた時代において、「若者」は増加しつつある。

第3章~第5章は割愛しました。最後の第6章でまとめをしていますが、著者は現状についての解釈をしてみせ、もはや後戻りはできない、といいながら著者自身の処方箋を示そうとはしていません。劣悪な環境でも上昇志向を捨てれば、その場では幸せでいられる。社会が階級社会化していくことに対して著者は、価値判断は留保しているようです。一概に、どうだといえないとか、研究者としての姿勢から価値判断は控えているのかもしれないけれど、文章での書き方や、この著作の文脈での取り上げ方、あるいは一種の日本社会批判の文脈の中で取り上げているのだから、ここで価値判断を明確にしていないのは、私には逃げに映りました。分析そのものは、議論を起こすようなポレーミクなもので、面白さを感じるものではあるのですが、その取り上げ方は何らかのアクションを起こすことを含みこんだ問題提起のような体裁をとっているので、最後のところで、選択肢を単に並列的に列挙しただけで終わってしまうことには、食い足りなさというのか、中途半端な印象を強く感じました。

2011年11月10日 (木)

古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(5)

2.なんとなく幸せな社会

幸せの条件は、経済的な問題と承認の問題の二つから考えてみる。若者が厳しい社会的状態に置かれていることは、様々にしてきされる。しかし、日本で若者の貧困問題を語るとき、リアリティが感じられないのだ。現在の日本は一見あまりにも豊かだ。若者の貧困問題が見えにくい理由、それは若者にとって「貧困」が現在の問題というよりも、これからの未来の問題だからだ。たとえば、若年層ほど世代内格差は少ない。正社員とフリーターでは20代の給与格差はあまり大きくない。しかし、両者の違いは「何か」があった時に明らかになる。例えば病気になった時、結婚や子育てを考えた時、親の介護が必要になった時。社会保険に入っていたか、貯金があったか等によって、取れる選択肢は変わってくる。また、日本において、若者の貧困が顕在化しない大きな理由の一つに「家族福祉」があると言われている。若者自身の収入がどんなに低くても、労働形態がどんなに不安定でも、ある程度裕福な親と同居していれば何の問題もないからだ。ただし、今は「子供」として家族福祉の恩恵を受けている若者たちも、20年後から30年後にかけて、親世代の介護問題に直面することになる。さらにその頃には、持ち家だった場合もメンテナンスが必要になってくる。「若者の貧困」問題が、本当に問題になるときは、10年後や20年後で、若者が若者でなくなった時なのだ。つまり、いまの若者たちが、今アンダークラスにいるとその後もそのまま滞留してしまうのだ。日本では一度「いい学校、いい会社」というトラックから降りてしまうと、再びそこに戻ることは難しいるいわゆるキャリアラダーがないのだ。ここに現在の「若者の貧困」問題と、かつての「若者の貧困」問題との違いがある。だから「若者の貧困」は切実な問題としてはなかなか顕在化しないのである。

多くの若者にとって未来の問題である経済的な貧困と違って、承認に関わる問題は比較的分りやすい形で姿を現す。未来の貧しさよりも、今現在の寂しさの方が多くの若者にとっては切実な問題だからだ。承認欲求を最もシンプルに満たすためには恋人がいればいい、恋人同様に承認の問題を考える上でなくてはならなのが友人だ。若者にとって「ないと不幸なもの」の一位は友人という調査もある。現代日本には、恋人や友人に依存しない形で承認欲求をみたしてくれる資源が無数に用意されている。ツィッターやニコニコ動画などのコンテンツがそうだ。貧困は未来の問題だから見えにくい。承認欲求を満たしてくれるツールは無数に用意されている。だから、多くの若者が生活に満足してしまうのも頷ける。幸せを感じるのに大事なのは実際の所得水準よりも、社会問題を「認識」しているかどうかだから、「今ここ」を生きている若者ほど幸せなのは当たり前である。

2011年11月 9日 (水)

古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(4)

第3から第5まではとばします。

第6章 絶望の国の幸福な若者たち

1.絶望の国を生きるということ

日本の未来への不安材料を若者の視点で考えるならば「世代間格差」と言える。人口構成が高齢化の進行により、減益に対する高齢者の比率は上昇し続ける。その結果、現在の高齢者は自分が若いころ支払った何倍もの社会保障給付を受け、一方で若者ほど損をするという事態が起こる。若者は社会保障だけでなく雇用の面でも損をしている。日本型の雇用システムは、一度正社員として雇うと解雇することができない終身雇用制、若いうちは給料以上に働かされ、将来の埋め合わせを期待する年功序列制といったような高度成長期には効率的に機能した。しかし、景気低迷によって、正社員は首にできないため、新卒採用を縮小し非正規の雇用を拡大し、若手の昇進はかつてよりずっと狭き門になった。

しかし、そもそも「若者」というカテゴリーを設定しても、当の若い人たちが世代間格差を問題だと感じるかは微妙だ。例えば、社会保障費もとにいくら若者が損をしているからと言って、それはあくまでも金銭的な話だ。実際にどれくらいの損があるかは、もう少し主観的な話になってしまう。現在の若者が利用しているインフラやテクノロジーは、先行世代が作り上げて来たものだからだ。また、先行世代か作り上げた大企業や、日本型経営と呼ばれる仕組みに参加できないことは本当に「世代間格差」なのか、議論が分かれるのではないか。(バブル崩壊前でも、そもそも福利厚生の整った他姓企業の正社員になれる人は、ほんの一部でしかなかった。歴史ある大企業ほど、年配者はもともと多かった)そもそも、かつての日本型経営を支えた人は、ある種の息苦しさの中にいたし、過労死もある過酷な世界とも言えた。

また、世代間格差の被害者は若者だけではない、雇用に関して若者に魅力的でない制度を維持している一番困るのは企業のほうだ。さらには国家全体だ。そして、高齢者にしても、高齢世代ほど世代内格差は大きい。貧困世帯数も、自殺者数もわりあいとしては高齢者の方が多い。

このように考えると、若者に限らず悲惨だ。こんな状態なのに、若者は幸せでいるという。

2011年11月 7日 (月)

古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(3)

第2章 ムラムラする若者たち

若者たちが「内向き」になっているというのは、新聞の言説などでよく入ってくる。内向きには色々な意味があると思うが、新聞各紙が描く若者像は、次のようなものになるだろう。

彼らは時代の閉塞感を敏感に受け止めて来たから、安全で確実な道を選んで生きる。インターネットを使って世界中と繋がる可能性こそは持っているものの、英語力が足りないため自由な交流ができているわけでもない。留学生も減っているし、青年海外協力隊への参加者も減っている。他人を押しのけてまでも成功を求めずに、むしろ身近な仲間たちを大切にする。社会を変えようともしないし、投票にも行かない。

しかし、内閣府が実施している「社会意識に対する世論調査」の結果を見ると、個人志向の若者より社会志向の若者が多い。過去に比べても社会志向の若者の割合は増加傾向にあり、また、他の年代よりも割合は多い。さらに社会貢献したいと思う若者が増えているという結果が見えてくる。しかしながら、実際に社会貢献活動に参加している若者は増えていないのだ。

若者の海外離れという点から見てみると、例えば海外留学について、留学生のピークはバブル時代ではなく2000年代中頃で、若者人口減少とあいまって留学者率でみると過去最高になっている。つまり、不況だ、格差だと叫ばれている最近のほうが、バブル時代よりもよっぽど留学している。アメリカ一辺倒だった留学生が、中国などに目を向け始めて行先が分散化したため、留学生が減ったような印象を受けてしまうのだろう。

また、若者がモノを買わなくなったという言説も多くなった。よくよくデータを分析してみると、若者は決してモノを買わなくなったわけではなく、買うモノとそのスケールが変わっただけの話なのだ。昔ほど自動車は買わない。お酒も飲まない。海外旅行も行かない。しかし、「衣・食・住」などの生活に関わるモノは買うし、通信費など人間関係の維持に必要なコストはかけている。ただし、若者の人口減少のスピードが急激なため、若者が自動車を買わなくなったなどの事実が過剰にインパクトを持ってしまったのだろう。さらに、若者が流行を作り出すトレンドセッターという切り口は1980年代に作られたフィクションであり、当時の若者は人口ボリュームが大きく、若者の側にも流行発信源の自負があったためだ。だから、いつの間にか消費者を躍らせるはずだったマーケターや広告会社たちが、かつて自分たちの作り出したフィクションに踊らされ、という皮肉な構図が「若者がモノを買わない」議論の真相に近い。

2005年ごろから、様々なメディアで「不幸な若者」や「可哀そうな若者」がクローズアップされることが多くなりました。だが、国民生活に関する世論調査等によれば、今の若者たちは生活に満足していると答えた人の割合が高く、増加傾向にあるらしい。しかし、日常生活に悩みや不安を抱えている若者は多いことは同じ調査からも分る。生活に満足していながらも不安を抱えている。一見矛盾するようだが、こう考えられる。「今は不幸だ」「生活に満足していない」と人が言えるのは、「今は不幸だけれど、将来は、より幸せになれるだろう」と考えられる時だ。将来の可能性が残されている人や、これからの人生に希望がある人にとって、「今は不幸だ」といっても、自分を否定したことにはならない。逆に言えば、もはやこれ以上幸せになれると思えない時、人は「今が幸せだ」と答えるしかない。事実、多くの調査で共通して、高齢者は幸福度や生活満足度が高い。高齢者にはもう、いまよりもずっと幸福な将来を想定できないからだ。このような幸せな若者のことを「コンサマトリー」という用語で説明できる。コンサマトリーというのは自己充足的という意味で、「今、ここ」の身近な幸せを大事にする感性のことだ。何らかの目的のために邁進するのではなくて、仲間たちとのんびりと自分の生活を楽しむ生き方と言い換えてもいい。つまり「より幸せ」なことを想定した未来のために生きるのではなくて、「今、とても幸せ」と感じられる若者の増加が、幸せな若者の正体と言えそうだ。

このような現代の若者が幸せな理由として、若者たちに友人や仲間の存在感が増してきたと言われている。もはや「若者文化」と呼ばれるものがない時代で「一人じゃない」ことを確認するためには、物理的に「仲間」と一緒にいるのが一番手っ取り早い。この「仲間」などの身近な関係を大切にする姿勢は、その集団の外から見れば「内向き」に見えるのかもしれない。事実、自分の所属する仲間たちのコミュニティを大切にする若者たちは、「ムラ社会」の住人のようである。このような、まるでムラに住む人のように、「仲間」がいる小さな世界で日常を送る若者たち。これこそが、現代に生きる若者たちが幸せな理由の本質である。社会学では「相対的剥奪」というが、人は自分の所属している集団を基準に幸せを考えることが多い。例えば、コンビニで時給900円のバイトをしている人は、同じ職場で980円の時給の人には競争心や嫉妬を抱くが、年収数十億のセレブに憧れることはあっても、本気で比べることはない。それは、コンビニで働く自分にとってセレブは違う世界の人だからだ。同じ理由でも景気後退期ほど生活満足度は上昇する傾向にある。国全体の景気が悪い時は、みんなが困っているので剥奪感は感じない。しかし景気が訳なると徐々に格差がひろがり、将来の期待も高まるので、自分の収入が多少増えたとしても剥奪感を感じてしまうのだ。だから、若者たちが「今、ここにある小さな世界」に生きているならば、いくら世の中で貧困が問題になろうと、世代間格差が深刻な問題であろうと、彼らの幸せには影響を及ぼさないことになる。彼らが自分たちの幸せを測る物差しにするのが、自分と同じ「小さな世界」に属する「仲間」だとすれば、「仲間」以外の世界がどんな状態になっていようと関係がない。それは、「世間」の崩壊が原因ともなっている。世間という準拠集団がなくなった時代では「島宇宙」という「小さな世界」がすべてなのだ。しかし、そのような状態は延々と続くものではない。なぜなら、仲間や友達というのは壊れやすいものだからだ。そして、変わらない仲間と過ごす日々は、長く続きすぎると若者たちに閉塞感をもたらす。そこでは、日常の閉塞感を打ち破る出口を一方では求める。例えば、震災ボランティアのような自分のつまらない日常を変えてくれるくらいの「非日常」が到来し、そして「非日常」と日常をつなぐ経路が確保されたのならば、「内向き」のはずの若者も動き出すのである。若者たちは「何かしたい」というムラムラする気持ちを抱えながら、実際には変わらないメンバーと同じような話を繰り返して「村々」している。そして、「村々」を打破してくれるような「非日常」があれば、「ムラムラ」してそれに飛び込んでいく。しかし、「ムラムラ」した状態は長くは続かない。どんな非日常も、やがては日常になっていくからだ。「非日常」というのは、村々する若者たちにとっての村祭りのようなものだ。

2011年11月 6日 (日)

古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(2)

そして、戦争後1950年代に入ると、マーケットやメディアが消費主体としてティーン・エイジャーを発見する。「ティーン・エイジャー」と総称される人々の特徴とされる行為がほぼ消費と結びついている。彼らの楽しみにはお金が必要で、「若者はお客様」論はここに誕生する。企業の側では一番人口が多い年代をお客様とするのは当然だ。かれらは、大人からも期待され、羨ましがられる存在といえた。戦争後はある種、若者バッシングが一番難しかった時代とも言える。敗戦によって、日本はそれまでの価値観を廃棄せざるを得なくなったため、若者を既存の価値観で叩けなくなった。さらにティーン・エイジャーはお客様であり、そして、日本人が否定すべき戦前の価値観に染まっていない。だから、ティーン・エイジャーを批判するためには何らかのロジックを考えなくてはならない。

しかし、ティーン・エイジャーとしてのライフスタイルを享受できたのは、都会の一部の若者に過ぎなかった。当時の多くの若者は貧しさの中にいた。若者たちに中上流階級の生活に対する欲望が生まれていたのは当然だろう。そして、1960年代には高度経済成長が始まる。産業構造が大きく変化し、農村から多くの若者が高賃金と都市文化を求めて都会へ出た。そしてメディア環境が拡充し、情報が溢れだした。つまり、二重の意味で、世代共通文化、世代共通体験が生まれる素地が整ったのが1960年代前半といえる。一つ目は人口動態として都市部に人が集まりつつあったこと。二つ目はメディアを通じた共通体験がそれまで以上に容易になったことだ。そして、これから1970年代まで若者論がブームのように数多く出現する。ここで注目すべきは、その内容よりも当時の大人たちが世代として「若者」を何とか捉えようとしていることだ。だから、かなり意図的にある種の類型としてシンプルに若者たちを描こうとしている。そして、この時期に、それまで若者語りに一般的だった「青年」から「若者」が好んで使われるようになるという変化が起きている。この時期の日本社会に「中流意識」の浸透という大きな変化が起こっている。経済格差がなくなったわけではなくて、多くの人が「自分は中流だ」と思うようになっていたということだ。「若者」という世代論が流行するのは、階級論がリアリティを失くしていった時という。世代論というのは、そもそもかなり強引で、階級、人種、ジェンダー、地域などすべて無視して、ただ年齢が近いだけで「若者」とひとまとめにしてしまうのだから。すべての階級が総中流になったという、階級の消滅幻想が一億総中流である。これとパラレルに若者論が流行していった。つまり、「青年」から「若者」への言葉の変化には、ただの用語の変化以上の意味を見出すことができる。実際には、まだ格差が残されていたにもかかわらず、人々が自らを「中流」と名乗り、そして日本を「一億総中流」と認識したように、「若者」を語る際に、もはや「若者」であること以外の差異は問題にされなくなったのだ。ここで、若者論のネタは出尽くしてしまう。

しかし、1990年代後半から始まった中流崩壊論と格差社会で、「一億総中流」とは言っていられなくなる。世代内の格差がないという前提で若者と総称できたのだから。さらに、ティーン・エイジャー以来の消費主体として発見されたはずの若者がモノを買わなくなってきてしまう。このような若者論の土台が崩れていっても、若者論は依然として続いている。その理由の一つは、社会学でいう「加齢効果」と「世代効果」の混同だ。つまり、自分が年をとって世の中に追い付いていけなくなっただけなのに、それを世代の変化や時代の変化と勘違いしてしまうのである。さらに若者論は自己の確認作業である。「今の若者はけしからん」と苦言を呈するとき、それを発言する人は自分がもう「若者」ではないという立場に立っている。そして同時に、自分は「けしからん」異質な若者とは別の場所、すなわち「まっとうな」社会の住民であることを確認しているのだろう。つまり、「若者はけしからん」と、若者を「異質な他者」と看做す言い方は、もう若者ではなくなった中高齢者にとっての自己肯定であり、自分探しなのである。自分が「異質」だと感じたものを素直に認めてしまうと、自分が社会にとって「異質」な存在であるということになってしまう。逆に自分にとって「異質」なものを「異質」だと断じてしまうことで、自分は「異質」ではないことになる。しかし、「若者」は、完全な「異質な他者」ではない。確かに、かつて自分も若かった者が、自分と同じ国に住む若者を完全なる「異質な他者」と看做すことにとは、少なくとも日本ではまだ一般的ではない。だから排除することもできず、「若者」批判をする。

古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(1)

日本の世代間格差について取材していたアメリカのジャーナリストの「日本の若者はこんな不幸な状況に置かれているのに、何故たちあがらないのか」という問いに対して、筆者は「日本の若者は幸せだから」と答える。本書は、この回答をテーマとして語られる。若者は広まっているのは、身近な人々との関係や、小さな幸せを大切にする価値観である。「今日より明日が良くなる」なんて思わない。日本経済の再生なんて願わない。革命を望むわけではない。将来への希望のようなものを切り捨てるという成熟した現代の社会にふさわしい生き方と言ってもいい。だからといって、だから若者は幸せだと単純に言い切ってしまえるほど事態は簡単ではない。いくら現代日本の若者が、「幸せ」だと思っていたとしても、その「幸せ」を支える生活の基盤自体が徐々に腐り始めている。そして、このようなある意味歪な社会構造の中で、当の若者が自分たちのことを幸せだと考える奇妙な安易が生まれている、と筆者はいう。果たして、20年後、30年後の日本はどうなっていくのか。その時もまだ若者たちは幸せなのか。

第1章 「若者」の誕生と終焉

「近頃の若者は…」という小言は大人が古来からよく口にすることだと言われているが、ここで言われる「若者」という概念について、現代の日本では多くの場合20代くらいの世代全体をさす用語として使われる。つまり、日本人で20代くらいの人は何らかの共通の特徴を持った集団であることが前提となっている。これに比べて、例えば江戸時代以前では、20歳の農民と20歳の武士を同列に語ることはできない。このように、現代の「若者論」や「若者語り」ができるためには、いくつかの条件が整わなくてはならないのだ。

「若者」という言葉が一般的になったのは1960年代後半から70年代のことだという。それ以前は「青年」という言葉が一般に使われていた。この言葉、明治の初め、文明開化に乗り遅れた「天保老人」をバカにする意味を込めて雑誌『国民之友』などで使われたのが、広まるキッカケとされている。当時の「青年」は新日本を担う青年自身による「自分語り」というものだった。そして、大人による若者バッシングのような語りは明治末に目立ってくる。ただし、内容は「青年」そのものというよりは「青年」というメタファーを使った「これからの日本論」という内容のものだった。そして、1930年代後半から、世代として「青年」を語るのが本格的に流行し始める。この時期は、1937年に日中戦争が本格化し、日本が急速に戦争に巻き込まれていく時代であった。戦争というのは、人々にある種の平等をもたらす。お金持ちであっても、貧乏人であっても、親が政治家であっても、犯罪者であっても、建前上は誰もが「お国のため」に戦わなければならない。そして、実際に戦地に赴き、命さえ犠牲にする可能性があるのが20歳前後の青年たちである。だから、この時代の若者論というのは、もっぱら「皇軍兵士」となるべき青年たちを語ることであった。若者論は、語る人が「若い世代には共通の特徴がある」と思っていないと成立しない。戦争を前にした時、誰もが平等に徴兵の対象者として国民になる。どんな生まれの人であっても、平等に国民のための兵士としてかたることができることになった。つまり、戦争のもたらしたある種の平等幻想が、戦時下の若者論を準備したのである。この時の若者論は「近頃の若者は分らん」と一方的に断じるのではなく、「日本の未来は若者にかかっている」という論法で若者に期待をかけている。論者たちが期待する若者たちは、大日本帝国のために命を犠牲にして戦ってくれる貴重な存在であった。

このころまでに、現代に通ずる若者バッシングの基本的なパターンは登場している。基本的にバッシングは二つのパターンで、一つ目は自分や自分たちの時代と比べて、今の若者はダメだというパターン。二つ目は、若者が羨ましくて、今の若者はダメだというパターン。両者に共通するのは「若者」は自分とは違う「異質な他者」と断じていることだ。自分たちとは違う他者であるからいくらでも批判できるし、彼らを批判することで自分たちの優位性を高めることができる。ここで、政治家たちが物わかりのいい大人を装い、若者は希望だと言っていた理由も明らかになる。物わかりのいい大人たちは実在する若者の話をしているのではなく、理想の若者の話をしていたのである。理想の若者像だから、自分と比べる必要もないし、羨ましがる必要もない。むしろ、彼らが所属する大日本帝国のために命まで捧げてくれる予定なのだから、それは異質な他者というよりは、都合のいい協力者なのである。都合のいい協力者、それは名目上こちら側に属する人々である。だから、彼らが死ねば靖国神社にも国を挙げて奉るし、英雄の身分さえ約束する。ただし、実質上のこちら側ではない。若者は希望だという政治家本人は戦地に行くわけではないし、希望であるはずの若者に権利を与えるわけではない。このロジックは何も戦時中に限ったことではない。このような「若者は希望だ」論は、1990年代の起業家政策とよく似ている。バブル崩壊後、日本は起業数の増加を目指し様々な政策を打ち出してきた。政財界から発信されるメッセージを見てみると、起業家という存在は日本経済の救世主であり、雇用創出も担いながら、「公」や倫理観を大切にしつつ、失敗した場合は自己責任を負う存在として規定されてきた。まさに起業家は「都合のいい協力者」である。

2011年11月 4日 (金)

小林英夫「日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ」(9)

1945年8月、日中戦争は日本の敗北をもって終わりを告げた。当初、得意の殲滅戦略によって一挙に勝敗を決しようとした日本は、消耗戦略で応戦することを戦前から決意していた蒋介石政権の前に所期目的をくじかれ、かつて経験のない消耗戦を戦わざるをえなくなった。しかし、殲滅戦略思想から脱却できない日本は、膠着状態の打開を図って南京に汪兆銘傀儡政権を樹立するなど、外交の名に値しない謀略を展開して国際的な非難を浴びた。また、未経験の長期戦は次第に軍の規律を失わせ、中国人に対して数々の非人道的な行為を働いて、より一層世界から孤立する結果を招いた。

一方、国民政府の蒋介石は、開戦が近づくと彼我の長所と短所を分析したうえで長期消耗戦略を選択した。緒戦は敗退を繰り返したが、その間も、やがて外交・文化という自国の長所を生かして反撃するための布石を怠らなかった。

本書の視点に立てば、日中戦争とは、ハードパワーに絶対の自信を持ちながらソフトパワーを減退させ続けた日本を、ハードパワーでは大きく後れを取りながらも豊かなソフトパワーを生かす戦略をもちいた中国が打ち破った戦いだった。日中戦争の行き詰まりを打開すべく開戦した太平洋戦争でも、日本は同じ過ちを繰り返した。殲滅戦略のもと、アメリカに真珠湾攻撃を仕掛けたものの、先制の利を生かせず苦手な消耗戦に持ち込まれ、にもかかわらず殲滅戦略的な戦争指導に終始し、さらには東南アジア占領地域で暴虐を重ねてソフトパワーを完全に枯渇させ、ついに一国が滅亡しかねないほどの打撃を受けて敗れたのである。

戦後の日本は、そのことを十分に反省しただろうか。すべてを失った日本は驚異的な努力によって復興を遂げ、再びハードパワーを取り戻した。たしかに軍事力による戦いは放棄したものの、今度は産業力によって世界に戦いを挑んだのである。その威力は、近代日本軍に勝るとも劣らないすさまじさだった。典型は自動車産業である。なぜ日本車に人気があるのかといえば、主体が小型車で燃費性能がよく、したがって安い割には性能がよく原油高に強く、そして環境に優しいからである。また日本の国内の産業システムが、精巧で効率よくできていて、よい車を早く安く作る基盤が整備されているからである。つまりは、強いハードパワーを持っているからである。しかし、日本の産業基盤は強靭なのかといえば、決してそうではない。いま戦後の企業経営の問題点をあげれば、まず中期はともなく長期的見通しを持ちにくい。よいものを作れば必ず売れるという信念にも似た思い込みから海外市場のニーズの検討が弱く、その嗜好を反映していないため、機能はともなくデザインや好感度で実力相応の評価が得られにくい。また、日本の伝統的文化と産業力との結合がうまくいっておらず、ブランドがすでに確立した欧米市場はともかく、これから日本製品のシェアを拡大せねばならないBRICS市場でのブランド確立に必ずしも成功していない。韓流の波に乗りBRIICS市場に食い込みをかける韓国と比較すると、日本企業の立ち遅れは明らかである。これらの問題はすべて、戦後の日本がハードパワーまかせの殲滅戦略思考のみで突っ走り、ソフトパワーを重視した消耗戦略的な思考を欠いていた結果であろう。なんのことはない、日本は日中戦争における失敗をまたも繰り返しているのである。日本人は戦前の過ちを繰り返すまいと様々な点を反省し、改善にとりくんできた。その努力は決して否定されるべきでものではない。しかし、ソフトパワーを軽視しがちであるという近代化以来の体質については、いまだに十分な反省が為されていないのではないだろうか。速戦即決、すぐに効果が目に見えることばかりを重視する殲滅戦略的な考え方から、いまだに脱却できてはいないのではないだろうか。

70年前、国の存亡に瀕した中国がとった消耗戦略には、現代の私たちにも大いに見るべきものがある。彼らは決して目先の利を追わず、じっくりと自国の力を蓄えた。そしてソフトパワーの要となる外交では、海外メディアに積極的に情報を公開して、自国への真の理解が生まれるまで辛抱強く情報の発信を続けた。それが結局は、日本を丸呑みするようなとてつもないパワーを生んだのであった。いま日本が抱えている様々な問題は、一点集中は得意だが国際的に孤立しやすいハードパワー体質からくるところが多い。これを改めてソフトパワーを強化するためには、やはり情報の公開と発信が不可欠である。情報の規制は短期的な効率を高めはするが、その状態が続くほど国の外には不信を、内には退廃を生み出して、結局はその国の力を減退させるのである。われわれにはもう、あのときと同じ轍を踏んでいる余裕はない。

2011年11月 3日 (木)

小林英夫「日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ」(8)

第5章 二つのパワー

この章では、日中戦争を二つのパワーという視点から掘り下げる。すなわち、ハードパワーとソフトパワーの相克という視点である。戦争におけるハードパワーとは、軍事力や産業力のことをさす。一方、ソフトパワーとは、直接の武力によらない政治、経済、外交の他、メディアによる宣伝力、国際世論の支持を集めうるような文化的な魅力など、広範な力が含まれる。

この戦争に置き換えれば、日本の殲滅戦略的な戦争はハードパワーの戦い、中国の消耗戦略的な戦争はソフトパワーの戦いということができる。そして、これまでみてきた日中戦争とは、ハードパワーにものをいわせて戦線を拡大してきた日本が、その力を過信して様々なルール違反を犯し、その結果、様々な反動が生じて破綻するまでの過程もあった。ここで重要なのは、そうした野蛮あるいは卑劣な行為を行うことは、短期の殲滅戦においてはさほど勝利に影響を及ぼすことはないかもしれないかもしれないが、地容器の消耗戦になった場合は、確実に自殺行為になるということである。すぐには目に見えなくても、そうした行為が世界に喧伝されて国際社会から反感を買うことのダメージは計り知れないほど大きい。そのとき自国のソフトパワーは大きく後退し、その分相手国のそれが増大してきているのだ。この出入りはとてつもなく大きい。既に多くの欧米諸国では民主主義が少なからず成熟していて、指導者たちは世論を無視して針路を選択することができなくなっていた。そうした状況で国際社会を味方に付けるためには、外交にとどまらない多様な手段で自国をイメージアップするソフトパワーが最早必須となっていたのである。国際社会の中での自国の位置づけを意識することなく、局地的な殲滅戦争に明け暮れていた日本には、そのことが遂に理解できなかった。

1937年の開戦と同時に日本がハードパワー強化のために着々と手を打った。国家総動員体制である。これを日本のみならず植民地にも適用することで、植民地と本国、すべての人的・物的資源を総動員する体制づくりを推し進めた。これによる施策は、植民地・占領地経済を日本の戦争経済に取り込んだという意味では、たしかに日本のハードパワー増大に寄与したが、反面、朝鮮や中国の企業家、民衆の反発を増加させることにもなった。ソフトパワーという観点から見れば。マイナスの結果であったといえる。

日中戦争の特徴の一つに通貨戦がある。蒋介石の国民政府が重慶に退いて以降は、日本占領地と共産党支配地域との間で激しい物資争奪戦層が展開された。いかに自軍に必要な物資を獲得するか、いかに敵が必要な物資を相手に渡さないか、が戦場の雌雄を決する、物資争奪戦の様相を呈してきたのである。しかし物資は通貨を以って購入するわけだから、物資争奪戦はつまるところ、通貨戦という形を撮って現われる。1938年以降は明らかに、そうした消耗戦略的な戦いに中国戦線は変わっていった。日本にとっての通貨戦はまず、国民政府の法定紙幣である「法幣」の駆逐と、日経通貨の強制流通という形で展開された。日本は少なくとも1940年までは国内でのハードパワーの強靭さに支えられて、通貨価値を維持していた。その手段の是非はともかく、こと「モノ」と「カネ」の戦いにおいては日本のハードパワーは、集中力、迅速さなどどれをとっても中国を上回っていた。

では、ハードパワーにおいてこれほど見事な強みを発揮した日本が、結局敗れた原因は何だったのかを改めて考えてみたい。既に繰り返して述べているように、直接には戦場における殲滅戦略戦争の失敗が敗因と考えられるが、その根底には、さらに広い意味でのソフトパワーの欠如があったとみるのが本書の視点である。国内体制のハードパワー強化が円滑に進む中で、最後まで日本がうまくきのうさせられなかったのが、ソフトパワーの象徴とも言うべき外交だった。日本の外交体制がうまく構築できなかったのは、この戦争を殲滅戦略的発想で進めたことが大きな要因となっている。そして、それは、日中戦争に限らず、近代以来の日本がずっと抱えてきた宿痾のようなものだった。本格的な外交交渉力を必要としない短期局地戦争ばかりを戦ってきた結果、外交軽視の体質が生まれ、蒋介石にその欠点を的確に見透かされることになるのである。

日本とは対照的に、国民政府が展開した外交戦は水際立っていた。二歩の殻の生糸・雑貨輸入と、日本への石油・屑鉄輸出で日本の貿易・産業の命脈を握るアメリカに焦点を合わせ、外交ロビー活動を積極的に展開したのである。アメリカが対日貿易制裁に踏み切れば、外貨獲得と戦略物資供給の両方を遮断できて、日本を兵糧攻めで締め上げることが可能となる。それを見越してアメリカに照準を合わせたのだ。そのため、「宣伝という武器は実に飛行機や戦車と同じ」という主張をいれて、アメリカを中心に国際宣伝活動を展開した。ジャーナリズムまでも巻き込んだ蒋介石の外交戦は、中国のソフトパワー戦略のまさに白眉であった。言論が戦争の勝敗に与える影響など、当時の日本の戦争指導者たちは一顧だにしなかったであろう。これに対して、当時の日本のジャーナリズムが「大本営発表」をただ垂れ流し、中国を悪とする勧善懲悪の講談のような代物に成り下がって国民の戦意発揚に利用されていた。ただ、戦争におけるソフトパワーという視点でみるならば、外交・宣伝・言論を巧みにリンクさせて国際世論を味方につけた中国に比べ、日本はあまりにも国内ばかりを向いた、日本人にしか共有できない閉じた言論に偏していたように思う。戦時下にメディアを利用しようとしたのは、何も日本だけでなく、と背の国の指導者でも考えることである。ただ、その利用の仕方が、自国弱さを逆手にとった中国のしたたかさとは比べようもないほど、日本は稚拙で独善的であった。もしも日本の戦争指導者が本気でジャーナリズムを戦争に利用するのであれば、全世界の人々が共感しうる普遍的な表現で、中国人がいかに暴虐で、日本の正当な権益がいかに侵されているか、この戦争がいかに日本とって大義名分があるものかについて国際的理解を得られるよう、各メディアに発信させるべきだったのではないか。自らも国際社会の一員であり、そこに向かって自らの行動を説明すべきだという意識の欠如にこそ、日本のソフトパワーの弱さが表われているように思える。

一方、中国には多くの欧米ジャーナリストが訪れ、戦時中の国民党・共産党の活動を日本に紹介した。日本のジャーナリズムと中国のそれとの決定的に異なる点はここにある。例えばエドガー・スノーは、日中戦争を取材し、近代兵器で武装した日本軍の野蛮さと残虐さと、これに対して素手に近い形で民族の存亡をかけた戦いを繰り広げる中国軍の姿を描いた。日本は結局、彼らのような国際ジャーナリストや作家な取材されることはなく、彼らの共感を得ることもなかった。彼我のこの差の理由は、ひとつには日本側が外国人従軍記者やカメラマンの同行には拒否、あるいは消極的な姿勢しか見せなかったのに対し、中国側は敢えて歓迎の意を示したこともあるだろう。しかし、誤解してはならないのは、国際世論の支持を得ようとする中国側が、外国人取材者に対していくら自国を美化し、あるいは買収めいた工作をしたところで、良心あるジャーナリストは決してそれを理由に中国に肩入れはしないということだ。中国側は、まやかしでない真実の自分たちの姿を見せて、辛抱強く外国人記者たちに理解されるのを待ち、彼らが彼ら自身の言葉で書いてくれるための努力を続けたのである。結局、外国人ジャーナリストや作家の多くが中国側に共感したのは、中国の指導者や民衆の戦いがヒューマニズムに強く訴えるものであったからである。人間の尊厳をかけた戦いであるがゆえに彼らは感動し、共感を持ち、それを英語という世界言語で宣伝したのである。それは中国のソフトパワーの強烈さの表われにほかならなかった。

2011年11月 2日 (水)

小林英夫「日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ」(7)

第4章 見果てぬ夢

1941年日本が太平洋戦争に突入するとで、中国戦線の状況は一変する。日本軍の基本的な思想はこの太平洋戦争においても、殲滅戦略型だった。とにかく南太平洋の英米蘭の陸海軍主力を粉砕すれば、短期和平に持ち込めるという発想だった。緒戦は圧勝だった。しかし、短期間に広範囲な地域を占領できたのは、日本軍が対峙した軍隊が植民地軍主体で、士気が低く、装備も劣っていたからにすぎなかった。しかも緒戦では。日本のビルマ攻略にビルマ独立義勇軍が加わったように、侵攻する日本軍を欧米の植民地支配からの「解放者」として迎え、支援する動きさえ見られた。さらには、緒戦の段階ではまだヨーロッパ戦線を重視していた英米の指導者たちが、アジア戦線に本格的な支援を送っていなかったことも幸いした。つまり、日本軍の快進撃は僥倖に過ぎなかったのである。しかし、日中戦争と同様に、日本の殲滅戦略型戦争は半年で破綻し、物量で勝る英米によって、じりじりと消耗戦略型戦争へと引きずり込まれていった。

この日中戦争の第三期は、それ以前とはいくつかの点で大きな相違がある。一つは、太平洋戦争の開戦によって主戦場が中国戦線と太平洋戦線に分断され、中国戦線での戦闘は一部の時期と地域を除くと対峙状況のみで推移することである。二つには、英米の蒋介石政権への支援が明確となり、中国軍の軍事力が急速に強化されることである。つまり、日本側がそれまで展開してきた殲滅戦略型戦争は、蒋介石の消耗戦略型戦争の前に完全に封殺され、蒋介石側は。持ち前の外交力による日本包囲網の完成と、英米の支援によって近代的兵器で武装し訓練を受けた兵士に象徴される軍事力とで、大きく田戦いを有利に展開することが可能となったのである。三つには、日本が同盟関係を持っていたドイツとイタリアはいずれも連合国の攻勢の前に敗退を続け、次々と降伏し、日本は戦線の後退を続け。戦線が寸断される状態に陥ったことである。そのため、中国戦線から日本軍が次々と南方戦線に抽出された結果、蒋介石政権とは逆に、日本は軍事・産業力も外交力もすべて失って、敗退への道を歩むことになる。

2011年11月 1日 (火)

小林英夫「日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ」(6)

第3章 傀儡の国

日中戦争第二期は、1938年10月の武漢作戦終了後に戦線が膠着し、殲滅戦略戦争の遂行が不可能となった日本が、謀略によって、重慶へ移った国民政府の分裂を策動した時期以降のことをいう。戦局が消耗戦陸戦争へ傾斜していくのに従い、日本側では蒋介石政権内部の親日派と連合して政権分裂を誘い、局面を打開しようという動きが軍を中心に始まっていた。直接粋な軍事力によらない戦いという意味では外交に近いのかもしれないが、あらかじめその実態を明かせば、交渉相手への信義も敬意もなく自国の利のみ追求する、一過性の謀略というしかないものであった。

日本がターゲットに選んだのは、蒋介石に次ぐ国民政府ナンバー2の汪兆銘だった。日本は和平交渉に応じた汪と偽りの条件で合意を結び、抗戦を続ける蒋介石と汪兆銘の分裂を狙ったのである。汪は日本の策動にはめられ、妻や側近たちと茨の道を踏み出すことになる。外交交渉の相手をだますなどということは、当然、許されることではない。日本の謀略は、のちにそれが露見したあと国際的信用を大きく失墜させる要因となった。だが、こうした詐欺行為も軍事行動の一環だったと解釈すれば、多少の疑問の解消にはなる。彼らが策したことは消耗戦略への転換ではなく、あくまでも殲滅戦略の変形に過ぎなかったのだ。

汪兆銘は重慶を脱出した後、上海に入る。そこで彼を待っていたのは脆弱な寄せ集めの勢力でしかなかった。上海周辺で彼の見方になり得る勢力の多くは、日本の軍事行動により一掃されてしまっていたのだ。

汪兆銘政権は発足したものの、事実上、日本軍の傀儡として発足した。しかし、彼は当初から傀儡になるつもりだったわけではなかった。和平の志を抱き、「日華協議記録」「日華協議記録了解事項」を信じたからこそ、重慶を脱出したのである。だが、その彼を待っていたのは「日華協議記録」締結の十日後に決定された傀儡性の強い「日支新関係調整方針」だった。この「方針」が正式な日本側の意向として伝えられたとき、すでに政治・経済・軍事・外交などの根幹を日本に掌握されていた彼が政権を樹立するには、日本軍の言いなりになる以外になかったのである。しかし、こうした日本軍の外交に名を借りた殲滅戦略的な謀略も、膠着した日中戦線の打開には実効をあげられなかった。それどころか、中国側の謀略の暴露なとによって、国際社会の中でさらに反感を買う結果を招くことになる。それは国民政府の蒋介石が展開する外交戦に有利に作用し、アメリカ、イギリス、オランダなどによる縦日経済制裁を誘発して、日本をますます苦境に陥らせていった。そこへ遠くヨーロッパから舞い込んだのが、ナチス・ドイツ快進撃の報であった。汪兆銘南京政府樹立から半年後、日独伊三国軍事同盟を結んだ日本は英米との対立を深め、太平洋戦争へと突入する。それは、開戦からすでに4年以上に及んだ日中戦争の行き詰まりを、はるかに強大な敵・英米との戦争によって打開しようという狂気の選択に他ならなかった。殲滅戦略的な発想しか持ちえなかった日本は、まさに息の根が止まるまで果し合いを演じるよりほかに、戦争を終結させることができなかったのである。

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