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2011年11月 2日 (水)

小林英夫「日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ」(7)

第4章 見果てぬ夢

1941年日本が太平洋戦争に突入するとで、中国戦線の状況は一変する。日本軍の基本的な思想はこの太平洋戦争においても、殲滅戦略型だった。とにかく南太平洋の英米蘭の陸海軍主力を粉砕すれば、短期和平に持ち込めるという発想だった。緒戦は圧勝だった。しかし、短期間に広範囲な地域を占領できたのは、日本軍が対峙した軍隊が植民地軍主体で、士気が低く、装備も劣っていたからにすぎなかった。しかも緒戦では。日本のビルマ攻略にビルマ独立義勇軍が加わったように、侵攻する日本軍を欧米の植民地支配からの「解放者」として迎え、支援する動きさえ見られた。さらには、緒戦の段階ではまだヨーロッパ戦線を重視していた英米の指導者たちが、アジア戦線に本格的な支援を送っていなかったことも幸いした。つまり、日本軍の快進撃は僥倖に過ぎなかったのである。しかし、日中戦争と同様に、日本の殲滅戦略型戦争は半年で破綻し、物量で勝る英米によって、じりじりと消耗戦略型戦争へと引きずり込まれていった。

この日中戦争の第三期は、それ以前とはいくつかの点で大きな相違がある。一つは、太平洋戦争の開戦によって主戦場が中国戦線と太平洋戦線に分断され、中国戦線での戦闘は一部の時期と地域を除くと対峙状況のみで推移することである。二つには、英米の蒋介石政権への支援が明確となり、中国軍の軍事力が急速に強化されることである。つまり、日本側がそれまで展開してきた殲滅戦略型戦争は、蒋介石の消耗戦略型戦争の前に完全に封殺され、蒋介石側は。持ち前の外交力による日本包囲網の完成と、英米の支援によって近代的兵器で武装し訓練を受けた兵士に象徴される軍事力とで、大きく田戦いを有利に展開することが可能となったのである。三つには、日本が同盟関係を持っていたドイツとイタリアはいずれも連合国の攻勢の前に敗退を続け、次々と降伏し、日本は戦線の後退を続け。戦線が寸断される状態に陥ったことである。そのため、中国戦線から日本軍が次々と南方戦線に抽出された結果、蒋介石政権とは逆に、日本は軍事・産業力も外交力もすべて失って、敗退への道を歩むことになる。

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