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2011年11月 6日 (日)

古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(1)

日本の世代間格差について取材していたアメリカのジャーナリストの「日本の若者はこんな不幸な状況に置かれているのに、何故たちあがらないのか」という問いに対して、筆者は「日本の若者は幸せだから」と答える。本書は、この回答をテーマとして語られる。若者は広まっているのは、身近な人々との関係や、小さな幸せを大切にする価値観である。「今日より明日が良くなる」なんて思わない。日本経済の再生なんて願わない。革命を望むわけではない。将来への希望のようなものを切り捨てるという成熟した現代の社会にふさわしい生き方と言ってもいい。だからといって、だから若者は幸せだと単純に言い切ってしまえるほど事態は簡単ではない。いくら現代日本の若者が、「幸せ」だと思っていたとしても、その「幸せ」を支える生活の基盤自体が徐々に腐り始めている。そして、このようなある意味歪な社会構造の中で、当の若者が自分たちのことを幸せだと考える奇妙な安易が生まれている、と筆者はいう。果たして、20年後、30年後の日本はどうなっていくのか。その時もまだ若者たちは幸せなのか。

第1章 「若者」の誕生と終焉

「近頃の若者は…」という小言は大人が古来からよく口にすることだと言われているが、ここで言われる「若者」という概念について、現代の日本では多くの場合20代くらいの世代全体をさす用語として使われる。つまり、日本人で20代くらいの人は何らかの共通の特徴を持った集団であることが前提となっている。これに比べて、例えば江戸時代以前では、20歳の農民と20歳の武士を同列に語ることはできない。このように、現代の「若者論」や「若者語り」ができるためには、いくつかの条件が整わなくてはならないのだ。

「若者」という言葉が一般的になったのは1960年代後半から70年代のことだという。それ以前は「青年」という言葉が一般に使われていた。この言葉、明治の初め、文明開化に乗り遅れた「天保老人」をバカにする意味を込めて雑誌『国民之友』などで使われたのが、広まるキッカケとされている。当時の「青年」は新日本を担う青年自身による「自分語り」というものだった。そして、大人による若者バッシングのような語りは明治末に目立ってくる。ただし、内容は「青年」そのものというよりは「青年」というメタファーを使った「これからの日本論」という内容のものだった。そして、1930年代後半から、世代として「青年」を語るのが本格的に流行し始める。この時期は、1937年に日中戦争が本格化し、日本が急速に戦争に巻き込まれていく時代であった。戦争というのは、人々にある種の平等をもたらす。お金持ちであっても、貧乏人であっても、親が政治家であっても、犯罪者であっても、建前上は誰もが「お国のため」に戦わなければならない。そして、実際に戦地に赴き、命さえ犠牲にする可能性があるのが20歳前後の青年たちである。だから、この時代の若者論というのは、もっぱら「皇軍兵士」となるべき青年たちを語ることであった。若者論は、語る人が「若い世代には共通の特徴がある」と思っていないと成立しない。戦争を前にした時、誰もが平等に徴兵の対象者として国民になる。どんな生まれの人であっても、平等に国民のための兵士としてかたることができることになった。つまり、戦争のもたらしたある種の平等幻想が、戦時下の若者論を準備したのである。この時の若者論は「近頃の若者は分らん」と一方的に断じるのではなく、「日本の未来は若者にかかっている」という論法で若者に期待をかけている。論者たちが期待する若者たちは、大日本帝国のために命を犠牲にして戦ってくれる貴重な存在であった。

このころまでに、現代に通ずる若者バッシングの基本的なパターンは登場している。基本的にバッシングは二つのパターンで、一つ目は自分や自分たちの時代と比べて、今の若者はダメだというパターン。二つ目は、若者が羨ましくて、今の若者はダメだというパターン。両者に共通するのは「若者」は自分とは違う「異質な他者」と断じていることだ。自分たちとは違う他者であるからいくらでも批判できるし、彼らを批判することで自分たちの優位性を高めることができる。ここで、政治家たちが物わかりのいい大人を装い、若者は希望だと言っていた理由も明らかになる。物わかりのいい大人たちは実在する若者の話をしているのではなく、理想の若者の話をしていたのである。理想の若者像だから、自分と比べる必要もないし、羨ましがる必要もない。むしろ、彼らが所属する大日本帝国のために命まで捧げてくれる予定なのだから、それは異質な他者というよりは、都合のいい協力者なのである。都合のいい協力者、それは名目上こちら側に属する人々である。だから、彼らが死ねば靖国神社にも国を挙げて奉るし、英雄の身分さえ約束する。ただし、実質上のこちら側ではない。若者は希望だという政治家本人は戦地に行くわけではないし、希望であるはずの若者に権利を与えるわけではない。このロジックは何も戦時中に限ったことではない。このような「若者は希望だ」論は、1990年代の起業家政策とよく似ている。バブル崩壊後、日本は起業数の増加を目指し様々な政策を打ち出してきた。政財界から発信されるメッセージを見てみると、起業家という存在は日本経済の救世主であり、雇用創出も担いながら、「公」や倫理観を大切にしつつ、失敗した場合は自己責任を負う存在として規定されてきた。まさに起業家は「都合のいい協力者」である。

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