瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」(7)
第7章 実はクレイジーなリーダーたち
人間をマネジメントするスキルに必要なこととして、世の中に傑出した人物などほとんどいない。世のほとんどの人は凡人なのだから、その凡人をうまく使うスキルを学ぶことが大切なのである。リーダーにはも優秀だが我が儘な人をマネージするスキルも大切だが、優秀ではない人をマネージする人をマネージするスキルの方が重要なのである。ダメなところが多々ある人材に、あまり高い給料を払わずとも、モチベーション高く仕事をしてもらうように持っていくのが本当のマネジメント力なのだ。
第8章 投資家として生きる本当の意味
資本主義社会では、究極的には全ての人間は、投資家になるか、投資家に雇われるか、どちらかの道を選ばざるを得ないからだ。株を自ら所有するしないにかかわらず、私たちの社会は株主(資本家)なしには存続できない。我々が普段食べる食事も、移動するために乗る自動車も、毎日を過ごす家も、そのほとんどが民間企業、つまり株式会社が提供している。また自分が勤める職場も株式会社であるならば、その時点で自分という労働力を株主に提供することで、その見返りに報酬を得ているということになる。資本主義の国で生きる以上、株主(投資家)に意思のもとに生きざるを得ない、ということなのだ。それならば、自分自身が投資家として積極的にこの資本主義に参加したほうがいい。投資家に振り回されるのではなく、投資家たちの考えを読み、自らが投資家として振る舞うのである。そうすると、この世界が違って見える。
投資家として生きる上で必要なのが、「リスク」と「リターン」をきちんと把握することである。成功している投資家でも、すべての投資が成功しているわけではない。しかし、失敗が少ないのも、投資家のリスクの採り方としては、好ましくない。例えば、シリコンバレーの投資家たちはリスクを回避することよりも、リスクを見込んでも投資機会を増やすことを重視する。それはなぜか、投資という行為には、何よりも「分母」が大切だからだ。一つの案件にだけ投資するのは、カジノのルーレットで1か所だけにチップを置くようなもので、重要なのは、できるだけたくさん張ることなのだ。トータルで成績をあげたいと思えば、リスクを恐れずに積極的に投資機会を持たねばならない。失敗を怖がって、確実に儲かる案件だけに投資することは、結果的に自分が得られたかもしれない利益を遺失することにつながるのである。つまり、投資家として生きるならば、人生のあらゆる局面において、「ハイリスク・ハイリターン」の投資機会をなるべくたくさん持つことが重要となる。
そのような投資家的な生き方をするうえでは、投資の機会はできる限り増やすのが望ましい。ただし注意すべき点がある。それは「自分で管理できる範囲でリスクを取れ」ということだ。投資家がリスクを取るときは、必ず計算管理可能なリスクの範囲内で投資を行う。その観点からは、就職して一生サラリーマンの道を選ぶというのはハイリスクな選択である。サラリーマンは、他人にリスクを預けて管理されている存在なのだ。つまり、自分でリスクを管理できない状態にある。大学を出て新卒で会社に入り、定年の60歳まで働いたとすると38年間を会社で過ごすことになる。しかし、近年では会社の寿命はどんどん短くなってきている。だからこそ、一つの会社に自分人生の全てを委託するのは非常に高リスクなのである。
このあとで、第9章 ゲリラ戦の始まり、が最終章になりますが、ここまで書かれてきたことの復習のようなものなので、ここまでとします。個別のエピソードはそれなりに読ませるのですが、整理されていないというのか、言いたいことが、うまくまとめきれていないため、全体としての考えとなっておらず、小手先のテクニックの印象でした。著者は、そのことに気づいていないようで、そのあたりが、上手く世の中を渡ろうとする、経験(体験)主義者の域を一歩も出ていないようにも見えました。
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