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2011年11月30日 (水)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(8)

インターリュード1 身ぶりの言語

ここまで、ミュージッキングのことのことを、我々が理想とする世界の結びつきを生み出す活動なのではないかという仮説を、そしてミュージッキングを通じて我々がしていることは、それらの結びつきを学んで探求し、我々自身を含むそこに注意を払う全ての人に対してその結びつきを確認し、我々がその全体を祝うことなのではないか、と言う仮説を立てた。もしこの仮説が正しいのなら、ミュージッキングとはまさに我々が住むこの世界について知るための、ひとつの方法だということになる。(もちろん、ここでいう「世界」とは、人間の経験から切り離され、近代科学によって知り得るとされる、あらかじめ出来上がった物理的な世界のことではなく、関係性の複雑な網目からなる経験的な世界のことだ)そして、これを知ることによってこそ、我々はこの世界でよりよく生きることを学習するのだ。

このような考えのきっかけは、グレゴリー・ベイトソンの科学的で客観的な世界の知り方と、(一見その対極にある)人間の倫理や価値、神についての知識を統合するような「ものの知り方」を進化させることに努めた。この「ものの知り方」が目指すのは、科学的知識がそうするように世界を支配することではなく、よりよく生きるということに尽きる。ベイトソンの根本的な直観の一つはデカルト的な二元論として知られる世界観、世界が分割可能で、質量、次元、空間的位置づけのある物質と、分割不可能で、質量、次元、空間的位置づけのない精神/心という、互いに相容れない二つの異なる実体から成り立つとする世界観も否定だった。このデカルト的な分離した宇宙で、物質と精神とがどのように互いに振る舞い合うかは、デカルト依頼解決不能な問題として、人間を引き裂かれた存在にしてしまった。一方には、空間的な広がりがあって、物理学的、化学的法則に従属する有形の身体があり、他方には、身体の内側にはあるけれど、姿かたちがないからその一部とも言えない、どんな科学的法則にも従属していない無形の心がある、という生き物に。このようなデカルトが西洋的な思考に残した遺産は、心の動きに身体が何の影響も及ぼさないと言う仮定である。身体の働きは、せいぜい感覚器官を通じて情報を感知するくらいのものとされている。この前提に従うと、知識とはそれが誰の知識かに関わらず「そこにある」のであり、誰にも知られていなかった時から誰もが忘れ去ってしまった後まで、ずっと「そこにある」、ということになる。同じことが理性的判断についても言える。その判断を行うのが誰であれ、いくつもの前提が絶対的な結論を導くというわれだ。だが、心の働きが身体から独立しているというこの考え方がここまで広く普及しているのは、本当に意味することが理解されていないからに他ならない。いわば、全く吟味されないままの仮説でしかないのだ。

ベイトソンは、これに対して、我々が心の動きとして感知する如何なる現象も、あらゆるすべての生き物にそなわった昨日の一部分なのだと捉えた。彼は心のことを、極めてシンプルに情報をやりとりする能力と定義する。そして、我々が生きると呼ぶパターンが組織化されるところでは、どこにでもこれと同じ特徴が見出せるのだという。彼は、生き物の世界は心の過程に満たされていて、生命があるところには必ず心があるというのだ。例えば、植物というものが、光の強さや持続時間の変化、気温の変化、近くにある別の植物の存在といった周囲の環境の情報に単に反応するだけでなく、その植物自体も、色や育ち具合、開花の状態によって周囲に情報を与えることで、自らの成長と再生産に好ましいように環境を変化させる、ということに驚いたことがあるはずだ。さらには、植物、微生物、虫、その他の動物、そして人間との間の限りなく複雑に見える相互作用は、生物圏そのものが、我々が心と呼ぶものにベイトソンが与えた定義、情報をやりとりする巨大で入り組んだネットワーク、と一致することを示唆する。環境と関わり合う心とは、「そこにある」情報を単に受動的に受け取るだけでなく、環境と斬り結ぼうとする能動的な過程なのである。生物とは、環境によって形作られるのと同じくらいに環境を作り出す、と言うこともできるかもしれない。

我々一人ひとりの心、つまり一個の生命全体の中にある情報をやり取りする一連の過程は、それ自体としては単純でも複雑でもあり得るが、それが同時に、更に大きくて複雑なネットワークを構成している。ベイトソンは、この巨大なネットワークを「結び合わせるパターン」と呼んだ。このバターンを一つにまとめ上げているもの、つまり有機体がその外部たる世界と絶え間なく相互作用することで有機体の境界内に世界を存在させるものこそ、情報のやり取りなのである。心には、内側へと向かう通路だけでなく、外へと向かってのびる通路もあるということだ。

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