あるIR担当者の雑感(55)~イデオロギー装置としてのIR?説明会でビジョンをかたる?
私の勤め先の第2四半期決算説明会が、迫ってきました。性格的に天邪鬼なところがあるため、本番が近づくと、プレッシャーから逃げ出したくなり、他のことを考えようとして、妄想にふけるのが常で、つばらくアト・ランダムな形で投稿していこうと思います。
今のところ、すでに発表されている他社の決算短信や開催された決算説明会では、今後の展望について、今期の残りだったり、それを含めたもう少し中期的なものであったり、具体的な数字に結実したような詰めたものではなくて、今後の方向性のようなものを、出してきている会社が比較的見られるのではないか、ということを聞きました。今のような環境変化が著しく、先行きの不透明感が強いときなので、今後のことは言いにくいと思っていました。しかし、このような状況で、敢えて確実性は低いかもしれないが、語ろうとする会社が結構あるということを聞いて、各社の姿勢に感心した次第です。私の勤め先の説明会では、中長期的な方向性だけでも、場合によっては、会社の将来への思いのようなものでもいいから、明確に語れないか、暗中模索しています。実際、シナリオや資料を考えても雲をつかむような作業でできるかどうか…
野村総研の行った調査では、一部上場企業の経営者や経営企画の責任者が抱いている経営課題のトップは既存事業をどうしていくかという戦略的課題だそうです。つまり、今、現に行っている企業の事業について、これから如何して行こうか、ということで迷っているということです。しょうがないと言えば、しょうがないのでいしょうけれど。このような経営陣の会社では、社員はどうしたらいいのでしょうか。とりあえず、今まで通り仕事をしていればいいいということなのか。今の時代、先行きに対する不透明感が強く、社員も立場でも、ある程度会社に対してコミットメントの意識の高い人は、このままでいいのだろうか、というような不安のようなものを漠然と抱いているのではないかと思います。そういう人は、社内でも良質の社員ではないか。そのときに、トップが迷って方向性を出せないでいるというのが、アンケートでは全体の7割になるということです。そして、私の勤め先であるニレコも、その7割に入ると思います。
この現状をIRという業務を通じて、何らかの打開のきっかけにすることはできないか。私の野心です。
企業がこれからどのような方向に行こうとしているのか。これことを気にしているのは、何も社員だけではありません。投資家や株主にも、そういう人はいます。株式投資とは、その会社の将来に対しての現在価値を計り、それに対して投資を決めていくという王道のような方式があるのですから。だから、企業のIR活動の実際的な対象となっている証券アナリストや機関投資家は、企業がどのような方向に行こうと考えているのかを知りたいでしょうし、それに対する可否や是非を投資家という立場で判断しようとしているわけです。ただ、客観的に突き放して分析判断に徹するのかというと、そういう人もいますが、投資している企業には、できれば成長してもらいたい(投資家や市場が企業を育てるということもあるわけで)と思っている人もいるわけです。後者のような投資家は、企業がこうして行くと表明した際に、何らかの意見や質問などのやり取りをすることで、情報を提供したり、より良い方向に進んでいくように手助けをしようとする傾向にあります。そこで、これを積極的に企業の経営にフィードバックさせる、というよりも、むしろ、それによって時には経営をリードすることはできないか、ということです。例えば、以前のソニーの久夛良木氏が、当時のソニー本流に逆らうようにしてプレイステーションを開発して、結果的にその後のソニーという企業の方向性を変えていってしまったという話は、他の会社でも例があると思います。インテルのCPUも、そういう例でしょう。経営トップでなくても、一社員だって、それが結果的に企業の発展にとって資することであれば、時に反逆的に当時の会社の本流的な流れに逆らう、あるいはそれとは離れたことを行うということは、成功した例であったり、失敗した例であったり、技術者や営業、事業推進では例がある。多分、事務部門では、そういう例はないでしょうけれど、IRという業務では、より経営と密接に関わりあう可能性があることを逆に利用し、また、株式市場という外部環境との関係との間に立っているという立場から、可能性があるのではないかと思います。ただし、それは可能性があるということだけで、しかも、それを目的として行おうというのではないです。それは、手段として必要性を感じていることにより、仕方なくということです。では、何のために、どのようにしようとしているのか。
ソニーやインテルの例は、開発や製品事業といった実際に製品を作り上げることに関わることでした。その製品が最終的には企業のビジネスモデルを大きく変えてしまうほどの業績面の大きなインパクトを経営に与えたということです。しかし、事務管理系では自ら製品による実績を生み出すことはありません。そこで、できるのはさきの例が業績を上げることを通して間接的に、結果としてビジネスモデルの転換を促したのに対して、直接ビジネスモデルの転換を迫るという方法を採るということです。また、今まで経理や経営企画などの事務関係の人材で、人口に膾炙されるような例が出てきていないのは、製品という実態があれば、その推進者はそれを進めて企業を自らリードできるし、その結果として見合う報酬や地位で報われることになるでしょうが、事務関係では自らが経営をリードすることはできない、あるいは経営者の助言者という位置で、結局は経営者の手柄となってしまう、という現実があるかもしれません。
3月期決算の企業の第2四半期の決算が続々と発表さましたが、その内容は、決算短信や四半期報告書で見ることができます。現在の日本の企業を取り巻く状況は、東日本大震災の爪痕やら、欧州の信用不安や欧米経済に元気のないこと等による歴史的な円高とか、さらにはタイの大洪水で主たるメーカーの生産が打撃を受ける等々、困難が後から後から起こっていると言っていい状況です。そこで、各社の決算短信や四半期報告書を、とくに文章による説明を見てみると、(頑張ったのだけけれど)そういう厳しい状況の説明があり、だから業績や今後の展望は厳しいと書かれているのがほとんどです。多分、これから発表されるニレコのも、そうなるでしょう。でも、これは投資家が本当に知りたいことではないことは、明らかです。それは、各企業でこの文章を作成する担当者は気づいていないか、気づいていてもそれを書くことができないか、経営者がそういうことを書かれることを恐れているのか、いずれかだと思います。IRということだけに限って言っても、これで果たして投資家の共感を得たり、経営者に投資したいという気にさせることができるのでしょうか。
見も蓋もない言い方ですが、かつての30年前の昭和の高度成長期のような全体のとしての経済が右肩上がりで、産業がいわゆる「護送船団方式」で政府によって保護されていた時代なら、一時的な不景気でも、会社が一丸となって耐えて頑張っていれば、景気は持ち直し企業は再び成長軌道に乗ることもできました。しかし、現在では景気が持ち直す保証はないし、グローバル化による世界的な競争の中でたとえ景気がよくなっても、その果実を新興国のライバルに横取りされてしまう危険がかなり高いのです。そのような中で、旧態依然のことを繰り返してきたから、取り残されてしまったのが日本の企業の現状ではないかと思います。ニレコもそうなっているのか、そうなりつつあるのか、いずれにせよ他人事では済まされない状態あることは間違いないです。そんなことは、投資家ももちろん分っていることです。その時に、決算短信で「頑張っているけれど、状況が悪い」と言われても、昔と同じように一丸となって頑張って耐えるというのは、今の状況では時代に取り残されてしまう、経営が何もやっていないと同じだと思われても仕方のないことです。
IRの業務から言って、このような時に何をすればいいのか、投資家はこのような時期の決算で企業の何を知りたいのかというのを考えてみれば、端的に言って環境が悪いからという弁解ではなく、このような環境でも生き残る、或いは成長するために何をやってきたのか、何をやろうとしているかではないかと思います。そこでは、いろいろ検討し結果、今まで通りのやり方が実はベストだったでもいいはずです。実際には、決算短信等は大企業の場合は経理部あたりが作成するので、そういうことは分からない、あるいは、他社で書かないから自社だけがそういうことはできない、ということになるのではないか。また、経営者の側でも、実際にそういう経営をしていない、あるいはそれを明らかにして投資家などから、あとで進捗状況をチェックされたり、できなかったときに何か言われるのが嫌で敢えて書かせない(露悪的な書き方です)ということがあるのではないでしょうか。全部の企業がそうだとは言いませんが。逆に、全部の企業がそんなことはなくて、意欲的であれば日本企業の今のような状況はなかったかもしれないのではないか。これは、あたかも客観的であるかのように、自分の責任とは関係ないところで発言する評論家や学者といった「専門家」の発言としてではなく、企業の内部にいて、危機感と焦りと不安の中にいる一従業員の自責を兼ねた推測です。だから、何かしなければならない。
そして、今の自分の立場でできることは、微力かもしれませんが、今まで例として挙げてきた決算短信の文章、それができないなら、対象は限られますが決算説明会に際して、経営者にそのことを考えざるを得ないような状況を迫る、あるいはそれを考えているなら、それをうまく引き出すようなことをしていく、ということではないかと思います。それを具体的にどうするか、それが悩ましい。
今、具体的に何ができるか、いくつかの可能性が考えられると思います。一つは、経営者の身になって、日ごろの経営者とのコミュニケーションから、こうしたいのだろうな、ということを、こちらが忖度して明確な形にして提示するということです。このためには、経営者と同化するほどに、思いを共有しなくてはならないと思います。しかし、別の考えからすれば、社員という立場で経営者に対して距離をもちながら、経営者の行動を絶えず見ている、しかも同じ企業という運命共同体にいるわけですから、そこで、経営者の思いを客観性を保ちながら(良い意味での批評的態度を保ちながら)外形を与えることができるかもしれません。そのためには、企業の市場にある程度精通していることは絶対条件であろうと思います。どちらにせよ、経営者に代わって思いを形にして、それによってシナリオをつくり、IRの決算説明会でアナリストや機関投資家の前で、語るようにしてしまう。
もう一つは、議論を起こすことです。上の例と途中まで一緒ですが、経営者に代わって思いを形にするというようなことは、本人ではないのですから、無理なことだとして、ある程度のものを作って、それを経営者に突き付けてしまう。それは、IRの決算説明会で説明しなければならないことだからとして、そして、突き付けられたものに対して、考えてもらって、こちらがつくったものを手直しして、説明会で表明してもらうように持っていく。
何か、このようなことを書いていると、裏で経営者を操作しようとする影の黒幕を目指しているように見えそうですが。ある会社のIR担当者が、社長から、説明会で自分が喋ることをIR担当者が考えている、と言われたということを聞いたことがあります。それは担当者と社長との強い信頼関係をものがたるものだと思います。
少しく偽悪的に経営者を陰で操る黒幕云々のことを申しましたが、例えば、江戸自体の大店の店主は番頭に仕事を預けたら口出しすることはできなかったといいます。それが、当時の商売では能力のある人に最大限に生かす、有効な方法だったのかもしれません。だからというわけではありませんが、会社が生き残り、成長していくことを第一に考えれば、経営者がやらないのであれば、これに代わって実行する、あるいは実行させることを考えるということも、あってもいいと思います。これは、会社が生き残ることはもちろん、今現在でも、会社という立場が以前のような保証されたポジションではなくなってきていることから、自分のためでもあるわけです。
多分、人生のハウツー本やサラリーマン向けの自己啓発の本なんかには、定番で書かれていることだと思いますが、言われた仕事をそれだけこなしているというのは、その人でなければできないというということにはならないので、いくら効率的でも、質の高い仕事でも、企業としては低コストでできてしまうのが、一番ありがたいことになるのではないかと思います。これは、専門技術を要するような仕事でも変わらないでしょう。例えば、コンピュータ技術とか会計知識とか製図ができるとか、仕事自体に専門性は必要ですが、専門知識があれば誰でもできるわけで、専門知識を持っているだけの人は沢山いるわけだから、代替可能なわけです。では、その人でなければならない、とするためには、言われた仕事に付加価値を加えてあげなければならない。ここで付加価値とは、いわれたことの質を高めるというような、それ自体の価値がそのままというのではなくて、新たな価値を付加するといった一種の転換を伴うものであることです。例えば、IRの仕事であれば、単に説明会を開くということではない。また、IRの目標として、株価を上げるというようなことが言われますが、それは何のためなのか、行き着くところは、企業が生き残り、成長していくためです。そのために何が役立つのか、何ができるのか、いうなれば、サラリーマンといえど、経営者や株主と同じ目線に立つことをして、根本から起こして行かないと、企業にとっての価値あること、ということを考えられない。そして、それができる社員の多い会社は成長する会社ではないかと、反対に、それができない会社は低コストの価格競争の対象、つまり、年齢の言った賃金の高い人よりも若い派遣社員にやらせた方がコストがかからないからリストラの対象にしよう、ということになる可能性が出て来るのではないか。このことは、何か、新興国とのあいだで、ものづくりの価格競争に巻き込まれて、高コスト故に敗退を重ねている日本のメーカーの状況そのものではありませんか。
自分のことを棚上げして、大言壮語しているかもしれません。ただ、私の周囲には、また、私も含めて、言われた仕事を愚直に一所懸命にやっている人がたくさんいます。しかし、それだから企業の成長に直接結びついているかという、そうではない。これは日本の企業そのものにも言えることです。日本の企業で経営者以下、どこの会社も懸命に過酷な状況にたえ、努力しています。その割には、業績とか景気がこのような状態なのは何故か。おそらく、誰もが、何となく気が付いているはずです。しかし、それを行うということは、現在の状態を変えていくことにもあるので、なかなか踏ん切りがつかない。だれかが、茹でガエルの例をあげていましたが、カエルをみずにいれたまま、徐々に火にかけていくと、少しずつ水温が上がっても気が付かず逃げようとしないで、いつの間にか水温が上がり逃げられなくなり、最後に茹でガエルになってしまう。会社の場合も同じで、経営者が踏ん切りがつかないのか、気が付かないのなら、背中を押してあげるか、気が付かせることをIRという業務では、できる可能性がある。IRの仕事を一定期間続け、アナリストやファンドマネジャーと真剣勝負を何回も斬り結ぶことを繰り返していれば、よほどの愚か者でない限り気が付くことです。決算説明会とか投資家とのミーティングとか、その資料作成とか、IRの業務はこういうものとされていますが、ベースのところで、そういうものに繋がっていないと、何のためのものかがない、根無し草のようになってしまうのではないか。とくに、時に会社の経営を語るようなことがIRということであるならば、それはIRという業務の自己否定になってしまうのではないか。(別にIRに限らず、会社の仕事は、どれもそうなのですが。)と言うように、大袈裟ではなく、この仕事に携わっていれば、当然のこと、と言えるかもしれない。ん、我ながら、かなり肩に力が入りました。
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