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2011年11月 6日 (日)

古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」(2)

そして、戦争後1950年代に入ると、マーケットやメディアが消費主体としてティーン・エイジャーを発見する。「ティーン・エイジャー」と総称される人々の特徴とされる行為がほぼ消費と結びついている。彼らの楽しみにはお金が必要で、「若者はお客様」論はここに誕生する。企業の側では一番人口が多い年代をお客様とするのは当然だ。かれらは、大人からも期待され、羨ましがられる存在といえた。戦争後はある種、若者バッシングが一番難しかった時代とも言える。敗戦によって、日本はそれまでの価値観を廃棄せざるを得なくなったため、若者を既存の価値観で叩けなくなった。さらにティーン・エイジャーはお客様であり、そして、日本人が否定すべき戦前の価値観に染まっていない。だから、ティーン・エイジャーを批判するためには何らかのロジックを考えなくてはならない。

しかし、ティーン・エイジャーとしてのライフスタイルを享受できたのは、都会の一部の若者に過ぎなかった。当時の多くの若者は貧しさの中にいた。若者たちに中上流階級の生活に対する欲望が生まれていたのは当然だろう。そして、1960年代には高度経済成長が始まる。産業構造が大きく変化し、農村から多くの若者が高賃金と都市文化を求めて都会へ出た。そしてメディア環境が拡充し、情報が溢れだした。つまり、二重の意味で、世代共通文化、世代共通体験が生まれる素地が整ったのが1960年代前半といえる。一つ目は人口動態として都市部に人が集まりつつあったこと。二つ目はメディアを通じた共通体験がそれまで以上に容易になったことだ。そして、これから1970年代まで若者論がブームのように数多く出現する。ここで注目すべきは、その内容よりも当時の大人たちが世代として「若者」を何とか捉えようとしていることだ。だから、かなり意図的にある種の類型としてシンプルに若者たちを描こうとしている。そして、この時期に、それまで若者語りに一般的だった「青年」から「若者」が好んで使われるようになるという変化が起きている。この時期の日本社会に「中流意識」の浸透という大きな変化が起こっている。経済格差がなくなったわけではなくて、多くの人が「自分は中流だ」と思うようになっていたということだ。「若者」という世代論が流行するのは、階級論がリアリティを失くしていった時という。世代論というのは、そもそもかなり強引で、階級、人種、ジェンダー、地域などすべて無視して、ただ年齢が近いだけで「若者」とひとまとめにしてしまうのだから。すべての階級が総中流になったという、階級の消滅幻想が一億総中流である。これとパラレルに若者論が流行していった。つまり、「青年」から「若者」への言葉の変化には、ただの用語の変化以上の意味を見出すことができる。実際には、まだ格差が残されていたにもかかわらず、人々が自らを「中流」と名乗り、そして日本を「一億総中流」と認識したように、「若者」を語る際に、もはや「若者」であること以外の差異は問題にされなくなったのだ。ここで、若者論のネタは出尽くしてしまう。

しかし、1990年代後半から始まった中流崩壊論と格差社会で、「一億総中流」とは言っていられなくなる。世代内の格差がないという前提で若者と総称できたのだから。さらに、ティーン・エイジャー以来の消費主体として発見されたはずの若者がモノを買わなくなってきてしまう。このような若者論の土台が崩れていっても、若者論は依然として続いている。その理由の一つは、社会学でいう「加齢効果」と「世代効果」の混同だ。つまり、自分が年をとって世の中に追い付いていけなくなっただけなのに、それを世代の変化や時代の変化と勘違いしてしまうのである。さらに若者論は自己の確認作業である。「今の若者はけしからん」と苦言を呈するとき、それを発言する人は自分がもう「若者」ではないという立場に立っている。そして同時に、自分は「けしからん」異質な若者とは別の場所、すなわち「まっとうな」社会の住民であることを確認しているのだろう。つまり、「若者はけしからん」と、若者を「異質な他者」と看做す言い方は、もう若者ではなくなった中高齢者にとっての自己肯定であり、自分探しなのである。自分が「異質」だと感じたものを素直に認めてしまうと、自分が社会にとって「異質」な存在であるということになってしまう。逆に自分にとって「異質」なものを「異質」だと断じてしまうことで、自分は「異質」ではないことになる。しかし、「若者」は、完全な「異質な他者」ではない。確かに、かつて自分も若かった者が、自分と同じ国に住む若者を完全なる「異質な他者」と看做すことにとは、少なくとも日本ではまだ一般的ではない。だから排除することもできず、「若者」批判をする。

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