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2011年12月25日 (日)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(31)

ふつう、シンフォニーコンサートという概念が意味するのは、入場料を払う準備のある人々にシンフォニー音楽作品を提供するための演奏会、というところだろう。演奏される即品は、過去の偉大な作曲家によって我々の時代まで伝えられたと考えられていて、考えうるどんなパフォーマンスをも超越した、永遠の意味と価値観を持つ存在だと考えられている。この作品を演奏したり聴いたりするために、音楽家と聴衆は巨大なホールに一同に会する。シンフォニーの演奏は、人々を元気づけたりその精神を育んだりすることで、聴衆が作品を楽しむために行われるということになっている。しかし、そうした理解は、複雑な関係の豊かな手触りを貧しくするだけだ。この理解は、コンサート・ホールでシンフォニーが演奏されるときに実現される意味だけではなく、あらゆる音楽パフォーマンスの意味を貧しくしてしまう。それに対して私がここで提示する見方とは、これらの人々は自分たちの価値観、つまり何が正しくて適切なのかと言う感情を、確認し、探求し、祝うための儀式に参加しようと集まっている、というものである。儀式の中心には、しかるべきレパートリーから選ばれて、その場で演奏される正典がある。しかし、楽曲が儀式の全体を構成するわけではない。そこで起こることのすべて、そこで生み出される身ぶりのすべてが、この出来事に貢献している。入場料を支払うというごく平凡な行為でさえも、単にサービスの代価を支払うという以上の、隠喩的な意味を帯びている。作品を提示するためにコンサートという出来事が行われるというよりは、出来事の中心となる演奏を可能にするために、作品が存在するのだ。音楽家が演奏し聴衆が聴く作品が、特定のレパートリーからのみ選ばれるという事実もこの上なく重要なことだが、儀式の中心にある要素は作品そのものではなく、演奏と言う行為である。

シンフォニー・コンサートやそこで演奏される作品の儀式は、大人に対するお休み前のお話しみたいなものだ。この二つには共通する特徴がある。第一に、どちらも、強力なメタ物語の一部としてストーリーが語られる。第二に、ストーリーがあまりに何度も繰り返されることで、ストーリー自体がかつてもっていた、我々を不安にさせるほどの力が失われ、完全に親しみ易いものになる。第三に、どちらの場合も、テクストに従った一連の行為の完璧な反復が求められる。

西洋コンサート文化の作品は、常に同時的(=和声的)かつ連続的(=旋律的及びリズミック)に組み合わされ、音のパターンの演奏で成り立っている。それらの音の組み合わせは、過去4世紀ほどの間に発達した記号システムを通じて、隠喩的な意味を作り出してきた。それらが寄せ集められて、人間同士の関係が、そして特定の規範と手本を提示するストーリーが伝えられる。その物語では、秩序の確立、魅力的で魅惑的な要素が秩序を不安に陥れる様子、そして最後に、秩序を取り戻すための闘争が語られる。秩序そのものにはこぢんまりした些細なものもあれば、ベートーヴェンのシンフォニーのように文化の全体を巻き込むほどに大規模なものもある。いかに上手に語られたとしても、そこで語られるストーリー自体に何かしら共感できたりさせられたりする部分がなくては、どんな反応も得られないはずだ。あるストーリーが共感を引き出すかどうかは、(それが言葉にされたり意識されたりするかに関わらず)そこで目指される願望や価値観による。ところで、シンフォニー等の芸術作品に見出される願望や価値観は、時と共に変化することもありうる。だからそれらの演奏を聴く人々は、時代や状況によって異なる満足を聴き取るはずである。それでは、これらの作品が、現代の西洋式産業社会の中産階級と上流階級の人々に共感され続けているのはなぜだろう。これを理解するためには、単にシンフォニー作品が、主人公と敵対者の闘争、主人公による征服、勝利の祝賀を表していることを知るだけでは不十分だ。征服する力の源が、論理、明晰さ、合理性だという事実こそが重要である。これら啓蒙期のヨーロッパに源流を持つ価値観の興隆は、シンフォニーの発達、ブルジョワジーの勃興と同時代的だった。そして、それらの概念を先導していたのが、シンフォニー作品の中心的な推進力である男性性なのだ。

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