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2011年12月15日 (木)

あるIR担当者の雑感(56)~IRにかかるバイアス?

先日、ブータン王国の国王夫妻が日本を訪れ、盛んにテレビのニュースや新聞の記事で取り上げられていました。国王夫妻の謙虚で気さくな感じは、あくまでも映像イメージとしてですが、かなり好感をもって視聴者には受け取られたようで話題になっていたようでした。それとともにブータンという国の政策が、物質的な豊かさを求めず、幸福度を追求すると言う方向性に対して、報道などでもかなり評価していたようでした。これに対しては、私はかなりの違和感を持ちました。私の性格がひねくれているのかもしれませんが、統治者が素朴なイメージを強調している場合、巧妙なイメージ戦略として行われている場合が多いことは歴史が教えてくれています。とくに隣国で似たような境遇あるネパールが内戦のような混乱状態にあるのを横目に謙遜と気さくさだけで国民の信頼を得て、スムースな統治ができるとは常識では考えられません。

そして、幸福度を追求することを政策の根幹とするということについて、幸福度の尺度というものがどういうものか、物質的な豊かさ(経済成長)を追求しないということと両立するのか、ということが、日本では経済成長に対する諦めのような感覚が競争から逃避するような見方で、一種の桃源郷のような視線で、それを見ているよう感じがしました。それはテレビのニュース報道や新聞記事の論調に明らかに感じられるもので、そこに違和感を持ったものでした。とくに、そのような報道等が自分の尺度というのか視点を何の疑いもなくブータンに対して振り向け、それを評価する。バイアスがかかっていることを自覚することなく勝手にイメージを煽る、そういう無神経さに対して、腹立たしく感じました。

前置きが長くなりましたが、先日、あるSRI(社会責任投資)の調査会社からCSRについての企業アンケートを求められ、これと似たことを、より強く感じました。この調査の結果をもとに、SRIの対象としての企業評価の参考とするということで、日本ではそれなりに権威があるようで、R-BEC001という枠組みを設定し、それに基づいて調査をしているらしい。そして、この枠組みというのが多分海外の例を参考にしたのだろうけれど、それを基に自分たちで考えた尺度を押し付けるようにしてアンケートをして評価を決めて行こうとする姿勢が露骨に見えているので、強い違和感を持ちました。そこに、私がアナリストやファンドマネージャーといった市場関係者と接して、いつも感じている市場の発展とそこに上場している企業の成長を望んでいるというように姿勢は感じられず、あたかも彼らが神となって裁定を下すような感じを強く受けました。その典型と言うのか、象徴的なことはアンケートに露骨に表われている彼らの尺度に対して彼ら自身懐疑を感じている節が見えないところです。彼らの尺度がぴったりと当てはまる企業は慥にあるでしょう。しかし、それは一定程度以上の規模とか、グローバルレベルでの活動の比重が一定程度以上とか、限定されて来ると思います。また、彼らの評価において比較的高い評価を受けていた東京電力が社会的な制裁を受けなければならないところに追い込まれようとしていることについて、彼らの評価について反省が為されたのか、少なくともアンケートの設問の内容からは、何の変化も認められませんでした。

実際の質問項目を見てみると、企業理念についての質問で、経営陣が現場従業員の声を聞くための仕組みについて、回答の選択肢として、1. 従業員の声を経営陣が直接吸い上げる仕組みがある。2.経営陣と現場従業員が直接対話する機会がある。3.従業員の声に対して、経営陣から回答がなされている。4.従業員の声に対して対応できない場合でも、その理由を付して回答されている。5.従業員の声は匿名でも受付けている。6.経営陣に届いた従業員の声とそれに対する経営陣からの回答内容は、原則として社内に開示されている。というようなアンケートになっています。私の勤め先では、制度として選択肢のどれもありません。しかし、これを制度化せざるを得ない規模の大きな会社に比べて実質的に、どれだけ実際の声が経営陣に届いているかということを考えると。この質問は対象が限定されて来るはずです。私の勤め先は従業員数が300名に満たない会社ですから、社長は全従業員の顔と名前が一致しますし、社長も率先して現場で仕事、作業や営業等もこなしていかなければならないため、従業員とは日常の中で普通に会話をしているし、業務についてその都度議論をしています。特に技術的な議論は社長も新入社員も同じ土俵で議論するのが当然のこととなっています。そのような場では社長に対する意見は出てきますし、回答がなければ、日常のなかで「あれはどうした?」と催促されます。これが当たり前だから、あえて従業員の声を取り上げるような制度は作っていないわけです。しかし、アンケートでは制度がないということで、ここではコミュケーションが取られていないことになってしまうわけです。従業員の福祉のためのいわゆるポジティブアクションということについても、有名な大企業は先端的に制度化して従業員を大事にする会社という評価になりますし、アンケートにもそういう質問がありますが、小さな会社の場合、とくに制度がなくても従業員の個人の顔が見れるので、個別対応で運用の柔軟さで実質的なポジティブアクションが出来てしまっているケースが多いのです。家族の介護に対して介護休業制度を利用しなくても、職場の協力で仕事をやっていることにして、早帰りを暗黙に認めてしまうということがずっと行われていれば、介護休業の利用者は出てきません。しかし、アンケートの回答では、制度の利用者がないということになって、介護者への配慮がないという評価になってしまう。

そして、このようなことは当たり前のことだから、敢えて声を大にして言うほどのことではない、また、説明しにくい、ということで、IRの点でもCSR報告などということは全く行っていません。説明すべきを放棄していると思われるでしょうか。これについては、IRの姿勢と言うことで議論が分かれると思います。SRIという投資姿勢は、各投資家がそれぞれの責任によって自らの判断で投資をすることに対して、何の文句もありません。しかし、尺度を勝手に作って、あたかも客観的であるかのように上場会社に序列をつけて評価して見せるというのは、傲慢さというのか自分勝手さを感じざるを得ないと思います。会社四季報と言う本は、全部の上場会社を掲載していますが、すくなくとも担当者は取材をして実際に社長の話を聞いた入り、会社を実際に見たりしています。しかし、この本でも上場会社に序列を付けたりはしません。

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