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2011年12月 4日 (日)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(12)

第4章 切り離された世界

ステージでは、列をなしてオーケストラの団員が全身黒づくめの服装で現われる。彼らの立ち居振る舞いは、抑制されているがくだけていて、入場してから各々の席に着くまでの間も、互いにお喋りなどをしている。音楽家たちは、兆州が自分たちを見ていることに、あたかも気づいていないかのように、あたかも聴衆からは切り離された世界に住んでいるかのように、振る舞っている。聴衆の方も、まるでステージの縁に目に見えない壁が立ちはだかっているかのように音楽家を眺めていて、そして数分後にはまさにそんな様子で演奏に耳を傾けるのだ。

どんな何気ない振る舞いも、それが人目につくものである限り、関係についての何らかのメッセージを読み取ることができる。私には、このステージ上の音楽家たちの振る舞いは、自分たちが聴衆とは別の世界に住んでいること、二つの世界が音楽的能力の有無によって隔てられていることを告げる、専門家に特有の排他的なメッセージに思える。この排他性は、音楽家が聴衆にはアクセスできない専用の出入り口からホールに入ってきて、演奏が始まるまでの間も専用の控室から出てこない、という事実に明白に表われている。我々は、その演奏を通じて彼らの儀礼的な声を聴くことはあっても普通の声を聞くことはないのだ。

オーケストラ団員が来ている画一的な服装も、聴衆との分離を表している。制服は、着る人の個性を狭めて、個人のアイデンティティを集団のそれに従属させる。制服を着る者は自分自身としてではなく、制服が表象する組織の一員として振る舞うのだ。そして、その行動に対する責任は、彼ら自身ではなく、彼らが属する組織にある。ミュージシャンに制服をあてがうという慣習が始まった当初、その服装は、有力な一族の召使いという低い身分を象徴していた。しかし、今夜の音楽家が着ている制服の性格と意味合いは、当時ほど単純ではない。彼らの服装は、彼らを社会階級的な中間地帯に位置づけている。一方で聴衆との平等を宣言しつつ、他方では上流階級向けのサービス提供者という身分を示唆しているのだ。こう考えてみると、今夜、我々が目の当たりにしている音楽家か、いかにその卓越した技術と個性を集団的なパフォーマンスの下に覆い隠すことが期待されているかが、よく分かる。しかも、彼らが従っているのは、彼らに権威を及ぼすたった一人の人間の意思なのだ。

オーケストラの団員は矛盾に満ちた世界の住人だ。彼らは、一方では一人残らず相当な訓練を積んだヴィルトゥオーソでありながら、他方では不運や性格のため、もしくは楽器の選択を誤ったために、ソロとしてのキャリアを断念した人々である。彼らは、猛烈な練習量、技術、オーケストラ団員として選ばれたことに、正当な誇りを持っている。そして、自分たちのことを偉大な伝統の後継者であり守衛である感じている。しかし、オーケストラ団員の大半は、そうした自分の気持ちを深く掘り下げはしない。私自身の経験から言うと、それほどの技術をもって取り組みながらも、彼らと芸術について話し合うことは難しい。オーケストラ団員の態度は、自律的な芸術家というよりは職人のそれに近い。彼らは、十分に良くできた曲であれば、作曲家と指揮者に演奏の全責任を預けるし、与えられたどんな曲も疑問なく受け入れる。彼らの責任は一人ひとりの担当する楽器の演奏にあるが、そんなことは彼らの能力からすれば造作もない。演奏家の仕事とは作曲家が用意したものを演奏することであり、作曲家の仕事とは演奏家が演奏するものを用意することなのである。即興性に溢れた17世紀のオーケストラ団員たちは、作曲家がすべての演奏パートを書き込むことを、自分たちの技術に対する侮辱と受け取っていたが、現在の状況は、それとは全く違ってしまっているらしい。同様にオーケストラのメンバーは、指揮者の仕事を、自分たちの総譜を媒介すること、演奏中に自分たち一人ひとりが、どのように作曲家や作品に音の次元で関わるべきかを示すことだと考えている。だが演奏家は、なぜ自分たちが楽譜通りに演奏しなければならないのか、とか、自分たちと作品との間を誰かに媒介してもらう必要が本当にあるのか、と問い直すことはめったにない。

このことがおよそ疑問抜きに受け入れられるのは、この〔作曲家─指揮者─演奏家という〕関係が権威主義的で序列的でしかるべきと信じられているからだろう。現代のプロのシンフォニー・オーケストラは、実際、産業社会における会社をモデルとしていると言える。一般的な会社であれば、一兵卒の平社員が、会社からどんな製品を作るかについて相談されることなどまずない。同様に、オーケストラの場合、演奏する曲目について団員が相談を受けることは決してない。彼らに要求されるのは、運営上の方針に従って選曲された曲目を、彼らの目の前に差し出された音符に従って演奏することだけだ。オーケストラという組織の内部には厳密な分業が存在していて、ほとんどの演奏者は唯ひとつの楽器のエキスパートでしかない。これもパフォーマンスを効率よく生産するためのものだが、高度に発達したアンサンブルの縁さうにこうした分業がどうしても必要というわけでもない。

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