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2011年12月10日 (土)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(17)

インターリュード2 すべての芸術の母

人間の音楽パフォーマンスには、どんな意味と意義があるのか、儀礼、神話、メタファー、芸術、そして感情。これらの概念は非常に密接につながり合っている。これらのどの概念も、関係、つまり、我々が一人ひとりのつながり、我々と我々が属する社会集団とのつながり、我々とその他の社会的集団とのつながり、さらには、我々とその他の社会集団とのつながり、さらには、我々と自然界や地用自然的世界とのつながり、と密接にかかわっている。人間の生の中で最も重大な事柄ともいえる関係と、である。

儀礼という言葉には、現在では神話と同じく、あまりにも繰り返されてしまったため過去に持ちえた意義を喪失した行為、という否定的意味合いがある。このような解釈は、儀礼という概念の持つ意味合いをあまりにも狭めてしまっている。だが、一旦言葉の持つ意味が正しく理解されれば、世の中の全ての音楽パフォーマンスが儀礼なのだということが分かるはずだ。儀礼とは、我々人間が身ぶりの言語を駆使して、宇宙の秩序やその一部に存在する諸関係や、我々自身と宇宙秩序の、そして我々人間同士の関係の理想を、確認し、探求し、祝うというも組織化された行動様式のことである。儀礼的な行為を行う人々はその身ぶりを通じて、自分たちがそうあるべきと想像し、考え、感じる世界を模範にしつつ、自分たちがどう結びついているかを表現する。これらの関係、それから関係を祝う行為の儀礼には、インフォーマルで小規模なものもあれば、フォーマルで壮大な規模のものもあるし、もちろんその中間もある。つまれ、求愛や性行為のように一人か二人の人間しか関与しない儀礼もあるし、家族やクラブのようにこじんまりとしていて、見方によれば少々排他的な集団が行う儀礼もある。そこでは、世界に存在する結びつきの構造や、人間同士の理想的なつながりが、身ぶりのパターンよって表現されているのだ。人間相互の望ましい関係を共有することは、同じ共同体に属することと同義なのだから、これら数々の儀礼には、次のような意味合いがある。即ち、第一に「これが私たちなのだ」という共同体意識の確認の行為、第二に自らのアイデンティティを突き止めようとする探究の行為、第三にそのアイデンティティが他者と共有されていることを喜ぶ祝祭の行為、という意味合いである。儀礼が執り行われる間には、強烈な体験が集中する。その濃密な時間のなかで、参加者たちの理想を隠喩的に写し取った関係が、彼らの間で現実のものとなる。こうすることで儀礼への参加者は、理想的な関係について学ぶだけでなく、現に自らの身体でそのつながりを経験するのだ。かれらはそうして関係を探求し、確認し、祝うのだが、その表現に言葉はいらない。参加者は、言葉による概念で経験を把握するのではなく、感情的に巻き込まれるのだ。その経験があまりに強力になると、この世とあの世の超自然的な境目が壊れてしまい、儀礼への参加者は日常的なアイデンティティを離れて、いわゆる憑依状態になることまである。ところでこの感情は、儀礼に参加することで引き起こされるのではない。むしろ感情の高まりは、儀礼がその役割を果たしていること、人々を参加に駆り立てていること、儀礼が創り出したつながりを参加者が一致して感じていることの徴なのである。そしてもちろん、儀礼の場で実現するさまざまな関係に直面して、時に我々は、平静な感情を保てなくなることがある。儀礼には多種多様な形式があるが、儀礼に参加することが、身ぶりの言語を使って理想的なつながり概念を確認し、探求し、祝うという、ひとつの行為への参入だということには、変わりがない。これは儀礼の世俗的な解釈だが、儀礼には聖なる解釈もある。これら二つは互いに排他的ではないし、どちらも妥当なものだ。二つの解釈は同じ経験についての異なった見方であり、これら各々の見解こそが、互いの理解を深め合う。世俗的な解釈は、伝統的な儀礼の可変性や、言語活動における身ぶりの起源とその生存価を説明する。他方の聖なる解釈は、社会の中で不変と思われて疑問視されることのない価値観や、人間性と宗教の根本的なつながりについてのヒントを与えてくれる。そして後者の解釈によると、儀礼に参加することとは、無意識のうちに神話を演じるということなのだ。

近代的な普通の用法では、神話とは自然現象や歴史上の出来事に関するある種の一般的見解を具体化した、まったく架空の物語、もしくは架空又は想像上の人物や出来事を意味する。現代社会において神話という観念が、儀礼という観念に劣らず軽蔑されている。しかし、神話も人間本姓にあまりに深く埋め込まれているために、儀礼と同様、排除することはおそらく不可能だろう。神話とは、世界がいかに現在のようになったかについての物語のことである。それらは典型的な英雄や悪党による、典型的な創造と破壊についての物語で、登場人物がすることは、人間の行動や行動の模範例とパラダイムを提供していて、社会的、文化的な慣習の基盤となっている。神話の登場人物が神話の時空間上で作り上げる関係は、人間同士がどう関わり合うべきか、その他の生き物やモノとどう関わり合うべきかという規範を、我々に与えている。神話の中には、宇宙の全体、もしくはその一部分の由来を知らせてくれるものがあるが、物事の成り立ちを知ることは、そのあるべき姿を知ることに等しい。そもそも、あらゆる物語り行為には、神話の本性に通じるところがある。我々は物語を語り合うことで、自分たちについて、とりわけ自分たちと世界とのつながりについて学んでいる。

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