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2011年12月 7日 (水)

クリストファー・モール「ミュージッキング~音楽は〈行為〉である」(14)

第5章 うやうやしいお辞儀

音楽はいうまでもなく、この空間にはありとあらゆる芸術が配置されていて、リヒャルト・ワーグナーが夢想しながらもついに実現できなかった、あらゆる芸術が盛り込まれた完全な芸術作品、「総合芸術」を実現されている。しかも、ワーグナーの夢想した総合芸術がステージ上でただ1度きり行われるものだったのに対して、現在の私たちの世界では、毎夜のように催されるコンサートで実現されていて、しかも観ている私たちまでその一部になることができる。もしそのことに気づかないとすれば、それは、私たちがステージ上で生み出される音だけに集中するように教え込まれてきたため、周囲にある音以外の豊かな意味の感触を無視しているから、というだけではない。あらゆるすべての芸術作品が、ほとんど目に見えないほどに見事に継ぎ目なく溶け合っているからでもある。だがいったん注意を向ければ、一人の指揮者の許でシンフォニー作品が上演されるたびに、オーケストラと聴衆とがコンサート・ホールに集まるたびに創り出されるひとつの芸術作品が、いかに完全なものかが分るだろう。実のところ、この芸術作品の体験は、私たちがこの建物に入った瞬間から始まっていたのだ。いや、本当はその更に前から始まっていたのかもしれない。建築家がそこで行われる出来事に相応しい環境を整えようと空間に工夫を凝らして設計を始めた時、オーケストラが曲を練習し始めた時、マネージャーがホールを予約して責任者から清掃員にいたるまでのスタッフを集め始めた時、作曲家がシンフォニーやコンチェルトのアイディアを最初に書き留めた時、このいずれかの瞬間にこそコンサート体験が始まっていた、と言えるかもしれない。もっとも今夜演奏するパフォーマーたちがその才能を認められて音楽大学に入学した時や、洋服屋や仕立屋がステージ衣装を作り始めた時までさかのぼることもできるだろう。さらには、この集団的な演奏を生み出す楽器が進化して発展する少し前の、今から何世紀か前にさかのぼることもできるだろう。総合芸術とは、それほどに複雑な歴史をもつ複雑な出来事なのだし、実際、ワーグナーが心に描いていたよりもずっと興味深くて意義深い芸術の統合なのだ。そしてもちろん、その本当の名前は「儀礼」である。音楽作品の演奏は、明らかにこの出来事の中心ではある。しかし、チケットを買うこと、座席の配置、オーケストラや聴衆の振る舞い方、ロビーで販売している飲み物を飲むこと、プログラムを買うことといった些細な要素も含めて、この広大な場所で起こることに無意味なことなど何ひとつない。すべてはこの出来事にとって本質的な要素であり、それらがこの出来事に独自の形を与えている。仮に、ここで行われる出来事の重要性が音楽作品にしか関連していないとしたら、人々は自宅で寛ぎながらレコードやラジオで作品を聴くのに十分に満足して、とっくの昔にコンサートに行くのをやめていたに違いない。

自宅でレコードを聴くという私的な儀礼は、ドラマ性の面では、ホールで入念に演出された公の出来事とは、比べようもない。たしかに、レコード鑑賞を可能にした記録技術は、シンフォニー・コンサートの文脈自体を変えてしまった。コンサートの記録を映像で観ることまで可能になったおかげで、今や曲を聴くためにコンサート・ホールに足を運ぶ必要がなくなったのだ。しかし近年、コンサート・ホールに行くという行為には、新たに凝縮された儀礼的な意義がつけ加わった。この50年以上のコンサート・ホールの建設が爆発的に増えていることにも表れているように、現在でも多くの人々にとって、コンサートに足を運ぶことは重要な出来事なのだ。

それに、録音技術の発展が日常的な場面でのミュージッキングの儀礼的な意義を弱めた、という想像も間違っている。例えば、エレベータやショッピング・モールのBGMともなると、我々が音楽を聴いているというよりは、音楽が我々の耳に入ってくる。こんな風に音楽と接している現在の我々の状況、たしかに、歴史上かつてないほどに、また世界中のどこよりも、聴くという行為をごく日常的に、かつ非儀礼的にしてしまったように見えるかもしれない。しかし、儀礼的な意義に変化はあったが、矮小化されたわけではない。BGMを特定の空間で聴くことは、資本主義的な価値観を確認して、探求して、祝うという儀礼に他ならない。というのも、この種のBGMは、客を少しでも長い間ショッピング・モールに留まらせて、そこで少しも多くの買い物をさせようと仕向けているからだ。このことは、かつての国王や王子の価値観が、音楽パフォーマンスを通じて確認されていたことと、本質的には違わないように思える。一連の価値観が別の価値観に置き換えられているかもしれないが、誰もがその価値観に従うように呼びかけられている点では、何ら変わりがない。実際、どんな場所でも何気なく音楽に出会えるような音楽に状況にあっても、ミュージッキングは常に何らかの目的をもって行われている。

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