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2012年1月17日 (火)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(30)

3.時間の問題

『存在と時間』未完の理由は、第一に、この著作の主題設定の底に潜む循環構造から。第二に現象学的な実存分析というその方法的態度から、で、これまでに明らかにしてきた。しかして第三に、最後に、この二つのことから結果するところの、時間の問題を取り上げなければならい。

Ⅰ テンポラリテートの未完

『存在と時間』におけるハイデッガーの目標が、存在一般の意味を解明するための地平を切り拓くひとにあったことは、彼自身が述べる述べもし、我々も繰り返し触れてきたところである。この存在を解明するための地平が即ち現存在の存在意味としての「時間性」であり、この「時間性に基づいて、存在了解の地平としての時間が、根源的に解明」されなければならないのであった。つまり、現存在の存在意味としての時間性を時間性を取出すことで、「存在一般の意味への指導的問いへの答えが、既にもう与えられたというのではない。とはいえ、この答えを得る地盤は用意されてはいる」のであり、ここからさらに、「脱自的な時間性そのものの根源的な時熟の様相が、存在一般の脱自的企投を可能ならしめるものでなければならない」。従って、時間性から更に時間そのものへ、そしてその「時間に基づいての、存在及びその性格、様相の根源的意味規定」、即ち「存在のテンポラールな規定」がなされねばならず、「存在のテンポラリテート」の展開によって、真に「存在の意味への問いの具体的解凍が与えられる」はずなのであった。しかるに、このことを詳論すべき個所は遂に書かれず、だからこそ『存在と時間』という著作は、その存在と時間を真に相聯関するものとして展開と終わらず。未完に終わったのである。ただ、ハイデッガーは、現存在の存在意味を時間性として明らかにすることは、確かに試みた。その意味でのみ、存在と時間は相関係し合っている。しかし究極の目標とした、存在そのものと時間との関係は、遂に未完のままに放置されたのである。

このように、『存在と時間』は、存在のテンポラリテートの解明を究極の目的にしつつも、それを当初の形の通りにはついに試みず、それどころか、それの連続的展開を、はっきり断念するに到っている。このことは、時間という通路を通しての存在の解明の途に、或る種の挫折があったということにほかならない。否、時間の地平による存在の学的捕捉の試図に、或る不適切さが認められるに到ったということが、推定され得るということに他ならない。

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