リチャード・セネット「不安な経済/漂流する個人」(2)
第1章 官僚制度
近代の資本主義の常態は不安定であった。市場の大変動、投資家の興奮、工場の新設、閉鎖、労働者の大移動。さらには、生産、市場、金融の地球規模での拡散や新技術の出現により、現代経済もこうした不安定なエネルギーに満ちている。しかし、組織の面では19世紀末までに企業内の官僚制は固い殻を纏い開かれることはなかった。ここで大きな役割を演じたのは、事業の内側における組織編成の方法であった。事業は軍隊的モデルの組織を資本主義的営為に応用したことがそれだ。
ビスマルク宰相のドイツにおいて軍隊的モデルはビジネスのみならず、市民社会のあらゆる組織にも応用されたが、ビスマルクの眼からすれば、それは平和を守り、革命を防ぐ役割を果たすものでもあった。どんなに貧しかろうが、自分の職は安泰であると悟った労働者は、社会におけるみずからの地位をはっきり想像できない労働者と違い、反逆に及ぶことも少なかろう。これこそ社会資本主義と呼びうるものの基本的政策であった。これは長期的な利益を望む投資家との思惑とも合い、軍隊化された社会資本主義の拡大につれて、経済業績は上昇しはじめた。そのとき、官僚的制度は市場に比べ、はるかに効率的に見えたに違いない。
この軍隊的社会資本主義の柱は時間にある。長期的かつ漸進的で、何よりも、予測可能な時間。時間の合理的思考が可能になった時、人々がみずからの人生を物語として考えることが可能になる。例えば、将来の昇進過程を思い描くことや、一企業に長年勤務すれば所得がどのような弧を描いて上昇するか予測することが可能となる。肉体労働者の多くにとって住宅購入の計画はこのようにして可能になった。商業活動に波乱や運不運がつきものだという現実は、こうした戦略的思考を阻害する。現実世界の流動性、とりわけ、景気循環の流動性のなかでは、もとろん、現実は計画通りには動かない。しかし、将来設計が可能であるという実感は、個人の行動と力の幅が書く出した証とも言える。
社会的資本主義
マックス・ウェバーの分析によれば、このシステムの真髄は命令系統にある。アダム・スミス時代以来、経営者は分業の効用を明確に認識し続けてきた。スミス的分業は複雑な作業を分割して、大量の製品を短時間で作り出すという効率性を求めてのものであった。その真価は市場で、人々が買いたいと考えるものを、競争相手よりも短時間で大量に生産するものであった。軍隊の分業は、競争や効率性の特質は経済のそれとは異なる。時には兵士はせんしすることもある、軍隊における兵士の社会的契約は絶対であり、軍隊の崩壊を防ぐためには、各階級の役割が明確で厳密でなければならない。ウェーバーは軍隊の論理を国の官僚的「職務」の分析に反映させた。職務ということは巨大官僚組織のすべての人間を含む。実際の権力はピラミッド型に配置され、ピラミッドではそれぞれの役割を持つような形で「合理化」されている。命令系統を上に辿っていくと権限を握る者の数は少なくなる。「仕事ができる」とは与えられた仕事以外、決して何も行わないということである。アダム・スミス型モデルでは、期待以上の仕事をこなす人間が報われる仕組みが組み込まれていたのに対して、ここでは定められた一線を越えることは許されない。このウェーバー型モデルでは時間感覚が不可欠である。一度決定された役割は変更されることがない。誰がどんな職務につこうとも組織が安定性を失わないためには、役割を一定にしておく必要がある。このようなピラミッド型構造によってビスマルクはドイツの労働者に社会制度内で何らかの地位を与えることを約束することができた。その反面、組織は肥満体にならざるを得なかった。官僚機構が巨大化する政治的・社会的理由は、効率性よりも人心の安定のための包摂にあった。
ウェーバーはこのような組織が個人に与える影響について懸念を持っていた。官僚的制度は満足の遅延に慣れさす教育を人々に施す。行動の今この時点での意味でなく、命令への服従によって将来もたらされるであろう報いについて考えることを学ばせるのだ。このような遅延の原則を習得した人間は、満足の到着自体を拒絶するようになる、やる気のある人間ほど、今持っているものに満足せず、現在を現在のまま享受しない。欲求充足の遅延は人生の習慣となる。つまり、個人的衝動には組織的文脈が付与され、官僚制度の階段を昇ることはひとつの生き方になった。鉄の折が牢獄であったとしても、それはまた精神的安住の地ともなりうる。
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