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2012年1月21日 (土)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(35)

2.他の哲学との比較

如何なる哲学においても、或る究極の問題へと辿り着こうとする準備的な思索の部分と、その究極の問題を展開した部分とがあると考えられる。そして、どのような哲学においても、少なくとも究極的には、存在という事実をどう受け止めるかという存在の真相を明らかにする最終目標があったとも考えられる。表面上そうした所謂形而上学的問題には手を触れまいとしていつ哲学説にあっても、何らかの意味で存在の真相が問題にされていたと言っても過言ではないであろう。言うならば、存在の問題をどう扱うかということが、すべての哲学説の核心的問題をなしている。

ところで、この問題に関しては、いろいろな考え方があるが、先ず第一に思い浮かぶのは、この存在の真相がある種の高次の知性の中で合理的に展開され得ると考える哲学態度であろう。まさしく、ハイデッガー哲学は、この点で、こうした哲学とは対蹠的である。彼においては、準備的地点にまでしか学としての哲学は到達できない。無限知性の次元に飛翔して、存在の啓示を展開する究極の第三篇は、書かれなかったのである。その点に関しては、ただ合理主義的知性を全く排棄して、自らのおかれた歴史的異境を振り返りつつ、貧しい素朴なしかも沈黙せる存在への実存的聴従があるのみであり、そこで秘かに各自に啓示される神秘的に存在の秘義しか、人間にとっては認められないのである。しかも存在は、遂に、現われながら消えゆくものでしかない。ハイデッガーにあっては、独断的形而上学の合理主義的存在啓示の態度は、到底採り得ない。現代におけるハイデッガーには、存在の啓示を学的に展開する概念詩は夢の如きものでしかなく、彼には、有限的な自己存在のみが確かなものとして確信され得るのであり、その自己の実存から存在へと、完結的な意味捕捉の不可能を知りつつ、なおも癒しを求めてそこへとかかわろうと希求する、存在への諦観と婦入に溢れた態度しか、採り得ないのだと言わなくてはならない。

ところで、また、このようなスピノザと相似た哲学的態度を採るものとして、当然のことながらヘーゲルを挙げていいであろう。そして、そうしたヘーゲルの哲学的態度とハイデッガーのそれとは、ハイデッガー自身によっても、また幾人かの人にやっても現にいろいろ比較され、その異同が指摘されてもいるのである。ヘーゲルの『精神現象学』は、一般的に言って、存在の開示に到るまでの意識の経験の深化の過程を提示したものであり、初めは分裂した主客が最後的には合致する絶対知の立場にまで意識を高めていく弁証法的運動を展開し、しかもそこで考察される意識と考察を行うWirとしての哲学者とが究極的に合致し、一切は絶対知の世界に止揚されるのだが、この書は、そうした哲学の究極の立場を準備することを目指したものと言ってよく、次いでそこから、今や自己自身を捉える自覚的な精神の立場に立って、絶対者の自己開示の学的展開を示すものが、『論理学』であり、この二つの部分を併せ持つところにヘーゲル哲学の体系があると言ってよいであろう。ここからして、『精神現象学』はいわば『存在と時間』に当たり、『論理学』は存在の啓示の展開を目指したものと見得る。ハイデッガーとヘーゲルとの間には、深く共通の問題設定がありながら、いわばヘーゲルでは合理的知性の中で存在の啓示がなされるに対し、ハイデッガーではそれが不可能であったところに、両者の鋭い対立がある。両者の間には、有限性を重んずるが故に、存在啓示の合理的体系化を拒否する態度と、無限性の段階に飛翔して存在を形而上学的に展開しようとする思弁的態度との差異が横たわっている、と言わねばならない。確かに、『精神現象学』と『存在と時間』は、存在に到る準備的な地平を拓こうとする根本志向において同じであるが、ヘーゲルでは、意識の弁証法的運動を辿り終えたところで、精神が絶対者の顕示の場として現われ、そこで全面的に存在の世界が開示されるのに対し、ハイデッガーでは、あくまで地平としての現存在は有限であり、しかも意識ではなく実存的なものであり、究極に目指された根底の存在は、朧にしか捉えられないのであり、即ち、ヘーゲル的な絶対知の世界は拒まれる。言うなればハイデッガーには『論理学』に当たる『存在と時間』第三篇は書き得ないのであった。ハイデッガーは、ヘーゲルの『精神現象学』は存在論であり、存在論の終わったところで、存在の啓示を学的に示すいわば神学としての『論理学』が始まり、ヘーゲル形而上学は、徹頭徹尾、存在神学的である、と言う。いわば、ハイデッガーには、この神学を展開することはできないのであった。

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