リチャード・セネット「不安な経済/漂流する個人」(1)
半世紀前までは官僚制による多国籍業や国家社会主義により人々の生活が断片化され、その解体が叫ばれた。その結果、組織は解体されたが、共同体は回復しなかった。このような不安定で断片された社会で、人々の連帯を支える価値や習慣は何かといった文化的な視点をみる。このような社会で成功できる人間は限定され、三つの条件がある。一つは時間に関わる点で、職から職へ、場所を移動しながら短期的関係や自分自身を律していかなければならない。組織が長期的な枠組みを提供しなくなったら、個人は自らの人生の物語を即興で紡ぎ出すか、あるいは一貫した自己感覚抜きの状態に甘んじなければならない。二つ目は才能に関わる点だ。現実が変化を要求する中で、技術の有効期限の多くは、実際、長いとは言えない。新たに台頭した社会秩序は一芸に秀でるという職人的理想に否定的影響を及ぼした。現代の文化は、職人技に代わって過去の業績より潜在的能力を高く評価する能力主義という考えを発達させた。三つ目は二つ目に由来し諦めに関わる。いかに過去と決別するかだ。職場で過去にどんな業績を上げていたとしても、それは必ず地位の保証にはならない。これは、人間が積んできた経験を過小評価できることで、こうした特質は、持ち物を重宝する所有者ではなく、新品を買いたいがために使えるのに古い製品を簡単に捨ててしまう消費者のそれに類似している。
いわゆる1990年代以降の新資本主義では、短期的にものを考え、何事にも後悔しない新しい人間でなければ富は得られない。そうした人間以外に見られたのは、自分たちを人生の漂流者だと感じる中産階級の大集団だった。
著者は、ここで組織はいかに変わったか、余剰人員として解雇されたりする不安と「スキル社会」における才能はいかに関わっているか、消費行動は政治的態度といかに関わるか、を主題として扱う。新たな資本主義の使徒たちは、三つの要素─仕事、才能、消費─が彼らの望むかたちに変化すれば、現代社会はより自由になるという。著者と彼らの意見は相違するがもそれは、組織も技能も消費パターンも変化しているが、こうした変化によって人々が解放されたわけではないと主張しているからだ。
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