リチャード・セネット「不安な経済/漂流する個人」(4)
権威と支配
権威とは依存関係から生まれる複雑な社会的プロセスのことである。人は権威的人物には自発的に服従する。権威的人物に統治される人間は、彼あるいは彼女の権威を疑わない。それがカリスマ的であろうが官僚的であろうが、下の者は自らに欠けているもの、不可能なものの責任を取ってくれるものと信ずる。軍隊は、その両方の支配を備えている。これに対して現代資本主義的組織はカリスマ的指導者を信奉しても、組織的権威は歓迎しない。それは、組織に帰属心を示し、問題解決の経験に長け、下で働く労働者の理解者たらんとする人物がトップから消えるからである。あるいは、特定の人物、限定された集団が中心において責任を果たしているという実感が、中心と周辺の完全な分離が起こると、周辺ではもちえなくなるからでもある。このような責任の回避は、組織が従業員に依存のない自己管理を求めるようになる。中枢から与えられる目標や命令を業績評価を最高の形で受け取るのに、自らの力量意外に頼るものはないからだ。反面、企業は支配する人間に対する責任を、反省的に捉えられなくなってきている。しかし、一部の人々にとって、中央支配の強化と権威の縮小の組み合わせほど好都合なものはない。最先端企業は起業家精神旺盛な若者を惹きつけてやまない。こうした職場は権威的人物として働きたいという希望をほとんど持たない人間にとっては、年齢を問わずうってつけのはずだ。こうして職場を心地良く感ずるのは、高度な技術を備えた人間である。彼らは職場に不満があれば自らの特殊技術とともに職場を変えることも可能なのだ。彼らは職場への帰属意識は希薄と言える。これに対して一般には、権威が重視されない企業では居心地の良さは長続きしない。新たな経済組織が、官僚制解体に関わった構造変化は、三つの社会的損失をもたらした。
三つの社会的損失
構造変化に伴う三つの損失とは、組織への「帰属心」の低下、労働者間のインフォーマルな相互信頼の消滅、組織についての知識の減少である。それらは一般労働者の生活にきわめて明白に見出すことができる。彼らはある種の抽象的、知的道具としてお互いに関わり合っている。それを社会資本と呼んでいる。
帰属心はこの社会資本を測るための主たる基準となり得る。軍事組織の社会資本が大きいのは人々が帰属心から、組織のため、あるいは、軍隊内の兵士のネットワークのために命をも投げうつという事実からも明らかだ。先端組織はその対極にある。そこには非常に低水準の帰属心しか見られない。景気が好調な場合なら、条件に良い供給業者や下請をインターネットを利用し、容易に見つけることができ、それらと長期的関係ではなく、短期的取引相手として使う。しかし、景気が失速すると企業は彼らに支払い猶予の延長を求めたり、帳簿上で負債の肩代わりを求め始める。しかし、彼らには他人の問題を背負い込む義理はない。また、企業が労働者に、給与削減などの自己犠牲を促しはじめているが、これに対して労働者たちは会社の浮沈などどうでもよく、会社を救う積極的努力をほとんど何も行おうとしなかった。このように帰属心は景気循環を生き延びるのに不可欠な要素でもある。奮闘する企業にとって、社会資本の大きさの現実的重要性は真に大きいと言わざるを得ない。労働者自身にとっても。帰属心の欠如はストレスを、とりわけ長時間労働から来るストレスをさらに増大させる。
第二の社会的損失はインフォーマルな信頼の消滅である。信頼には二つの形、すなわち、フォーマルなものとインフォーマルなものがある。フォーマルな信頼とはある者、ある集団が他の者、他の集団と接触した時、後者は前者の提出した条件を尊重してくれるであろうと信じることを意味する。インフォーマルな信頼とは、とりわけある集団にプレッシャーがかかった場合に、頼れる人物が誰か了解できているという類のことを意味する。インフォーマルな信頼の発達には時間がかかる。集団やネットワークにおいては、態度や特性を知るための小さな手がかりは段階的にしか現れない。普段我々が他者に見せている仮面は危機に際して我々がどれほど頼りになるかを覆い隠している。短期間の官僚的組織には、こうした他者理解を発達させる時間的余裕はない。変化の激しい現代的企業において、従業員同士、お互いを真に知り得ないとすれば、不安は増大するしかない。お互いを知悉した者どうしが長くキャリアを積み重ねてゆく組織に比べれば、変動の激しい企業はいくら強調の表面的効果を強調してみたところで、所詮、冷たく不透明な組織にしか過ぎない。結果として現われるのは簡単に切断されるネットワークに過ぎない。
第三の社会的損失は組織についての知識の弱体化である。官僚制的ピラミッド欠点の一つは、その硬直性、役割の非流動性などだが、長所は組織を機能させる知識の膨大な蓄積にあって規則の例外や裏ルートの調整など暗黙知が自明になっていることだ。このような組織に関する最大の知識を受け継ぐ者はアシスタントなどの地位の低い職員で、この種の知識はインフォーマルな信頼の補足となる。官僚ピラミッドの改革で先ず切り捨てられるのは、このように地位の低い職員である。経営陣はコンピュータ化された技術がこうした職員の代役を果たしてくれるはずだと期待するが、実際、大部分のソフトウェアは決められたことを実行するだけで、選択までは行ってくれない。
問題の根源は所有と支配の分離にある。経営者は会社に対して長期的、効果的責任を取ることが許されず、権力を握っているのは短気な投資家だからだ。企業内に帰属心と信頼と組織的知識を熟成しようとすれば時間がかかる。このような社会的資本はボムアップでなされるからだ。現代的企業での上からの命令は素早く、そして絶え間ない。下部にとっては解釈の余地が減り、組織を理解する過程かなくなっていくのだ。
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