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2012年1月28日 (土)

リチャード・セネット「不安な経済/漂流する個人」(3)

檻から解放されて

このようなウェーバー型のピラミッドは20世紀になると大組織を支配する構造的現実となった。心理面から言えば、この組織は自己保存や自己安定を志向するようになる。しかし、効率主義的な、つまり機械的な分業はその通りにはいかなかった。それは、上からの命令が組織構造を下るに従い、様々に協議され、解釈される、つまり指示が歪められていった。このような教義や解釈を通して、企業内の人物は主体性を実感する。そこで、組織に対する不満と組織に対する帰属心は両立する。全体に不満があっても、物ごとを自らの責任において理解する余地が残っている限り、人は組織を離れることができない。結果として、ウェーバー的な組織は、巧みな時間操作を実現させた。あらゆる社会関係は発達に時間を要する。個人と他者の相互関連からなる人生と言う物語を語るには、少なくとも人の一生の長さは続く組織が不可欠になる。その中で、やる気のある個人が出世願望に狂うこともなく、野心と言う獣を手なずけるため、官僚構造には権力を解釈し、現場で権力を理解する機会が含まれているから、変革に一縷の望みをかけて、その職にとどまっている。一種の幻想を作り出している。

しかし、この幻想は脆いもので、20世紀末には崩れ始める。まずは大企業では、ブレトンウッズ体制の崩壊によりグローバルな投資マネーの支配を受けるようになる。それは、以前のような受動的で馴染みの投資家というものではなく、能動的審判者となった。つまり、経営者たちは企業の独占的な権力のトップではなくなった。このような投資家は短期的な利益を求める。このような投資家たちにとって魅力的な形に組織は変容し始めた。それは、外に向かって内部的変化や柔軟性の兆しを明らかにし、ダイナミックな会社であると人に印象付けるもののことをいうのだ。反対に、組織の安定性は企業の刷新力、新しい機会を見逃さない積極性、変化を促すエネルギーの欠如と見られ、弱点と見なされることになった。そして第三に通信や生産の技術革新によって情報革命がおこり、新しい形の機能集中による指令の仲介、解釈の消滅が起こった。さらに組織はルーチン作業を機械化することで大きな基礎を必要としなくなり、大衆労働者を締め出し始めた。つまり、ビスマルクが意図した混乱や不安の除去といった側面が切り捨てられることになった。

このような変化は、今のところ一部の巨大な組織にのみ当てはまり、大多数の組織である中小規模のローカルな会社ではウェーバー型組織である。

組織の構造

新資本主義による新たな組織の特徴はピラミッドのような伝統的建築物から現代的機械に換わった。「柔軟」な組織は短期的な課題に対して多様な機能の一部のみがいつでも選択・活用できるように、労働は課題に応じるだけの短期的なものに限定され、組織はアウトソーシングを活用し課題が変化するたびに膨らんだり縮んだり、社員は増えたり減ったりするのだ。雇用は短期化され、臨時雇用化、縮層化、非線的進行過程の三つの礎石の組み合わせの上で、組織の時間フレームは縮小し続ける。すぐにできる小さな課題だけが注目される。

短期的課題に合わせた労働は労働の社会的な質までも変化させる。命令系統のピラミッドの中では、まず、自らの義務を全うし、自らの機能を果たした後、労働者は業績、年功により決まった地位に準じた報酬を受ける。つまり企業構造自体は明確である。しかし、短期的課題をこなす労働では、このような明確さはなく企業はしっかりした構造を持たず、未来もまた不透明で予測できない。こうした環境にうまく対応するためには不確実性に対する許容範囲が広くなくてはならない。「柔軟」な組織が人間関係の技術の向上を訴え、協調性の育成を実施するのは単なる偶然ではない。心理的外皮を剥いでしまえば、残っているのは確固たる欲求だけなのだから。こうした環境で不透明な状況に遭遇した場合には、前向きであることが要求される。

「柔軟」な組織では権力が中枢に集中する。それは組織の中枢が業務内容を規定し、結果を判定し、会社を伸縮させることになるからである。しかし、業務担当者に短期間で柔軟な結果を出させるには、一定程度の権限を与えることで、彼らの自主的努力への動機付けを行おうとする。そのために企業は内部競争を行わせ、最良の結果をできるだけ早く道引き出すことに努める。こうした制度が社員の間に高レベルのストレスと不安を生み出している。報酬は勝者総取りで、勝者の報酬は巨額にのぼる。このような中でストレスを抑えられるのは、特定の会社に帰属意識を持たない人たちだ。ピラミッド型企業と現代的企業は、不安と怖れの感情的相違の検討を通して比較できる。不安は起こるかもしれないことと結びついている。恐れは起こっていること結びついている。不安は不確実な状況において起こり、怖れは苦痛や不運が確実な時に起こる。ピラミッド型組織の欠陥は怖れを起こすことにあり、現代的組織の欠陥は不安をもたらすことにある。企業改革が行われるとき、従業員には何が起こるのが予想できない。この不確実性は不安となって蔓延するが、確実なのは不平等の更なる拡大だけだ。

命令の権威は系統を下がっていく過程でさまざまに解釈され、情報は上に昇るに従って歪んでゆくが、再編の激震に揺れる官僚制度においては、制度の中間層が抹消されたことによって、そうした命令系統も分断されることになった。再編を終えた「柔軟」な企業は、連続性を失い、中心は周辺を特殊な形で支配する。周辺の人々は命令系統における上下のいずれとも接触を持たず、労働においては殆ど独立した存在である。この両者の接点は結果にしかない。この繋がりの喪失は距離を生み、距離が離れれば離れるほど不平等は拡大する。

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