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2012年1月21日 (土)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(34)

第4節 未完の背後に潜むハイデッガー哲学の特質

1.ハイデッガー哲学の性格

これまで見たように、ハイデッガーし、『存在と時間』で、現存在分析を試み、そこから引き続いて、存在そのものの学的対象化を成就しようと、当初、意図していたが、事実上成就し得たのは現存在分析のみであり、存在そのものの解明ではなかった。彼は、『存在と時間』の第二篇を書き終えたところで、愈々存在そのものを解き明かそうとするとき、挫折するのである。そこには、存在そのものを、現象学的な基礎存在論との連続的な線上で対象化することは本来できないものであるという自覚が芽生え、存在を解き明かすには、主題的に、現存在から存在へという方向だけでなく、現存在の底の存在から現存在を見透し返すという転回がなければならず、そのためには、方法的に、現象学的対象化の態度を捨てて、存在についての概念構成の拡大による形而上学的展開を止め、むしろ端的に、存在からの啓示に開かれて立つ聴衆の態度が採られねばならず、そして、哲学的中心問題の面で、時間の地平を通して存在の意味を概念的体系の形で捉えるのではなく、むしろ時間性という地平そのものの中に立って、そこに顕わとなってくる存在の声に言葉を齎すという変貌が、成し遂げられねばならなかった。現存在分析という準備的な段階から、更に引き続いて、存在そのものの啓示の学的展開を行うその連続性について、種々の点から疑念が持たれ、遂にそり試みは中途挫折したのである。

そればかりではない、ハイデッガーは、後に、そのような挫折を通して次第に明らかになってきた存在そのものについて、それは、自らを現わすとともに退けるもの、言い換えれば、永遠に匿れるという仕方でしか現れ得ないもの、という思想に到達する。存在は存在者と密接に関係しているが、その根底にあるものであり、両者の間には存在論的差異があり、しかも存在は、己を現わすときには常に存在者の形を採って現われ、だからこそ存在そのものは存在者の蔭に匿れて見えなくなってしまい、それ故にそれは無化的なものであり、かかる顕現する秘匿、明らめる無化というところに存在の真理がある、というのである。このことを、ハイデッガーは「単純なものである」という言い方によって、繰り返し述べる。存在は、ひそやかに、匿れ、ほの見え、秘密に充てるもの、それ故にこそ、積極的には、ただ詩作的思索がそれを言葉に齎し、うたう以外にないもの、そうしたものと看做されてゆくのである。

ということは、『存在と時間』における存在探究と連続的に存在の思索がなされ得ないというだけでなく、そのような挫折の中に朧ろに自覚化されて来た存在そのものの真理によって、学的対象化の方法が、決定的に適用不可能とされたということである。存在は匿れるという仕方でしか顕現しえないが故に、これは遂に、決定的に学的対象化の不可能なものだったのである。単に連続的に実存から存在への追究が中途挫折しただけでなく、挫折の只中で見届けられた存在の真理によって、存在は秘匿的性格をもつ単純なるが故に、学的対象として扱い得ないことが、結論的に明らかになってゆくのである。かくして、このような意味で、哲学は、学としては、ただ地平を展開するところにのみ止まるべきもの、またそこまでしか達し得られないものであり、後は、地平の中にまさしく実存として立つことそのこと以外にはない、というのが、ハイデッガー哲学の確信をなしていると言うべきであろう。哲学は、学としては、地平を示す点にのみ成立し、地平に立って存在を想うことは、ただ実存的主体として自ら立ち、各自が絶対的なその自己存在の事実性の中でひたすら存在に聴従すると言う態度においてしかなし得ないという、このような哲学のあり方についての確信は、およそ、人間と存在を問題にする哲学の究極の限界を自覚化した見解であろう。存在の内容は、ただ直観的な詩作的思索の中で、論理を超えた仕方で、実存することと一体をなして、啓示され、語られるに過ぎないものであるということ、合理的論理的な仕方で示され得るのは、たかだか、存在を問う条件についての分析のみであるということ、ここに、ハイデッガーの哲学的態度のもつ極めて実存主義的な特質がある、と言わねばならないのである。

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