リチャード・セネット「不安な経済/漂流する個人」(5)
自己理解
ピラミッドは相対的に安定したアイデンティティの源泉であり、労働者の自己理解にとってこれほど重要なものはなかった。好調な企業は誇りを実感として与え、不調な会社でさえ、少なくとも、方向感覚は提供する。自分の外側に存在する固定された現実のなかでは体験する欲求不満や怒りとの関係で、人は自らを理解するからである。労働の価値が家族や共同体による認知にあることは、前世代も今も変わらない。
最先端業種の特殊環境が文化に乱れをもたらしたとすれば、それは職業的安定の道徳的価値に対してだ。つまり、安定性に道徳的価値がなくなってきたのだ。その結果サービス業の中でも手を使う職種、看護師、運転手、管理人といったものは、仕事自体の文化的内容より安定性と報酬を重視する移民労働者によって担われる傾向が強くなってきている。さらに中産階級での傾向が顕著だ。公的部門が採用の危機に瀕している。文化的変容は若者から公的職業に対する信奉心、官僚として働けば社会から尊敬を得られるという信念を奪った。
先端的労働の道徳的価値は成功にあったといえるが、エリートになれない人々にとって、一生涯、成功を追求するのは容易なことではない。この点でウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と衝突することとなる。長期的目標を視野に据え、いま可能な欲求充足を先延ばしにすることが、プロテスタンティズムの倫理を支える時間的原動力であった。労苦はいつか報われると信じるから、人々は同じ組織の中に幽閉されることも甘受する。自己抑制は欲求充足の先送りによって可能となる。仕事に対するこうした個人的価値づけには、ある種、信頼に足る組織の存在が不可欠だと言える。その組織は、将来、報いをもたらすべき安定性を有していなければならず、経営者は社員の努力の証人としていなければならない。
しかし、新たなパラダイムにより自己抑制原理としての欲求充足の先送りは意義を喪失してしまった。このように組織状況が失われたからだ。これは階級の視点から説明できる。特権階級の人々は家族的背景や教育を通じて築き上げられたネットワークが縁故関係と帰属意識をつくっているからエリートには長期的戦略の必要性はなく、欲求充足先送りの倫理は用をなさない。しかし、大衆はこのようなネットワークを持たないから、セーフティネットがなく、組織を頼りにせざるを得ない。ピラミッドの下の方ではネットワークは粗く、その網目が粗いほど、生き延びるための本格的な戦略的思考方法が必要で、その戦略的思考方法には買い得可能な社会的地図が必須なのである。
社会的資本主義の後退は新たな不平等を生み出した。「柔軟」な組織では、中間的官僚層を徹底的に省き、中心が組織の周辺的権力を支配すると言う権力の新たな構図が現れた。この新しい形の権力は組織としての権威を持たず、社会資本も乏しい。これがもたらしたのは、帰属心、インフォーマルな相互信頼、及び組織に対する蓄積された知識の欠如であった。個人から見れば、仕事の道徳的価値は大きく様変わりし、先端的労働は欲求充足の先送りと、将来を見据えた戦略的思考というふたつの所要要素を破壊した。社会的なものは収縮し、不平等と孤立はますます強く結びついた。
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