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2012年2月23日 (木)

東浩紀「一般意志2.0」(10)

第九章

熟議とデータベースが抗争する場はどのように設計されるべきだろうか。そこで重要になるのが、可視化された無意識=一般意志を「モノ」として捉えるという視点である。

我々の政府の動きは様々な制約のもとに置かれている。そのうち大衆の欲望のまた制約条件として受け容れている。皆が反対することは、それがどれほど「よいこと」であっても実行することができない。この制約は、一般には、制約条件と言うよりは意志と意志の衝突の問題と見なされている。つまり、選良と大衆という対立の構図に置き換えられてしまっている。政府の選良が優れた政策を提出しても、大衆の支持が得られないといった話だ。選良主義者は、民主主義における大衆の欲望はポピュリズムに繋がる。そもそも大衆は何が自分たちの欲望か分っておらず、従って優れた指導者こそ不可欠なのだと主張する。しかし、このような、選良の優れた意志が大衆の愚かな意志と衝突する、というこの見立てそのものが妥当でないとしたらどうか。

現代社会はあまりに複雑で、すべてを見渡せる視線はもはや存在しない。選良と呼ばれる人々は、現実に特定の業界の専門家でしかない。彼らはその業界を離れれば、平凡な消費者、無見識な大衆の一員にすぎない。つまりは、現代においては、選良と大衆という人間集団の対立があるというよりは、一人の人間が、あるときは選良として、またあるときは大衆として社会と関わっている。「大衆の欲望」は、その各人の大衆的な部分の集合として形作られている。

それに加えて、選良が大衆を指導する、啓蒙するという構図そのものに問題がある。フロイトが言うように、欲望はそもそも理性で押さえつけられるものではない。欲望が、たとえそれが不合理なものでも、主体の中核に位置している。それを消し去るのは並大抵のことではない。このような場合、必要とされるのは、(理性の)言葉による説得ではなく、沸き上がる衝動とどのように折り合いをつけるか、その実践的な処方箋である。欲望は独特の物質性を帯びているのであり、理性や言葉だけでは、その力をなかったことにすることはできない。政府と一般意志の関係は、選良と大衆という異なった人間集団の意志の衝突として捉えるべきでなく、「大衆の欲望」即ち一般意志は、国民全体の発言や行動の履歴から統計的に現われて来るものであり、「大衆」という特定の集団がその担い手になっているわけではない。またそれは、啓蒙によってたやすく制御できるものではない。従って、筆者は、一般意志を、説得すべき大衆の意志というよりも、むしろ匿名的で集団的な「モノ」として、物理環境や財政と同じような物質的な制約条件として捉えるほうがよいと主張する。

例えば、と筆者は提案する。2009年の民主党政権による事業仕分けをネットで中継し、それを見た聴衆がツイッター上に意見や感想を数多く投稿して注目された。ここで高度な情報の集約ができていたら、仮に形態素解析やネットワーク分析の手法を用いて無数の「呟き」に高頻度で現われる単語の傾向や相互関連をリアルタイムで抽出し、分りやすいダイアグラムに変換して会場に映写できたとしたら、何十万、何百万もの「呟き」から抽出される聴衆の感情の集積は、会議に出席する政治家や専門家にとって、無形のプレッシャーとなったはずである。彼らは必ずしも大衆の意向に従う必要はないが、あまりに離れることはできないし、無視することもできないだろう。

しかし、社会の見通しが悪くなり、大きな公共が壊れ、政策課題ごとに専門家や「当事者」が集まっては「小さな公共」を立ち上げて議論を深めるほかない、我々はそのような時代に生きている。しかし、専門家や当事者の議論はしばしば暴走する。問題意識や専門知識を共有する参加者の議論はどうしても内向きになるし、ときに既得権益も発生する。結果として、政策課題それぞれについて、それが国家全体の施策の中でどのような優先順位を与えられるべきものなのか、大局的な判断ができないまま非現実的な議論ばかりが行われることになる。そのような状況にあって、乱立する小さな公共たちをまとめ上げる大きな公共の再興が無理なのであれば、せめて「大きな無意識」の、つまりは一般意志の可視化を利用するとよいのではないか。

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