無料ブログはココログ

« 東浩紀「一般意志2.0」(6) | トップページ | 東浩紀「一般意志2.0」(8) »

2012年2月19日 (日)

東浩紀「一般意志2.0」(7)

第六章

ルソーは、政府は一般意志の公僕であるべきだと記した。政府は主権を持たない。民意を代表することもない。主権はあくまでも人民の一般意志に宿るのである。政府はその僕に過ぎない。もしこの主張を現代に適用するならば、来るべき政府、政府2.0は、先ずは一般意志2.0の僕として構想されることになる。この政府2.0は、市民の明示的な意志表示(全体意志)ではなく、情報環境に刻まれた行為と欲望の集積、人々の集合的無意識=一般意志にこそ忠実でなければならないことになる。無意識に導かれる政治。それこそが、二世紀半前にルソーが幻視し、今ネットワークを基盤として立ち上がりつつある新しい政治の姿なのだ。

この政府2.0という言葉アメリカの一部業界で流行語となっている。例えば、ティム・オライリーは、未来の政府は、国民を抑圧したり監視したりするパターナリスティツクな存在ではなく、多様な市民生活や企業活動を支援する、検索サービスやソーシャルメディアのようなプラットフォームになるべきであるという。具体的なイメージとして、Amazon.comのように消費者の購買履歴から関連書籍を自動的に推薦してくれるように、市民一人ひとりの個人情報を可能な限り保存し、教育や医療や就職支援などそれぞれのニーズに合わせてカスタマイズした選択肢を提供する巨大なサービス産業としての政府像である。

しかし、国民の多くは、このようなものを政府ではなく、良くできたサービス業としか感じないのではないか。我々は政治について、一定の先入観をもっており、その中核が一般意志2.0や政府2.0の思想とどうしても衝突してしまう。この議論を前に進めるためには、これを乗り越える必要がある。従来の社会思想は、政治とは何よりもまずコミュニケーション、とくに言語を介した意識的なコミュニケーションだと考えてきた。その前提の上で、現代社会が直面している政治の危機も民主主義の危機について多くの議論が積み重ねられてきている。現代人は政治に関心を持っていない。政治そのものに関心を持とうとせず、社会全体を見渡そうという意欲が衰え、私的な関心に閉じ籠もってしまっているため、健全な政治や高教研が成立しない。つまり、思想家たちが前提としている政治的コミュニケーションが成立していない。

この点について従来の社会思想の枠内にいる人たちは、カントの目の前の他者に対する特殊な(私的な)共感は、理性によって乗り越えられるべきであり、その乗り越えの果てにこそ普遍的な(公的な)道徳が確立されるという主張から抜け切れない。現実に、このような乗り越えのプログラムが破綻し、理性は共感を乗り越えないし、不変性は特殊性を乗り越えない。彼らは一方で私的な共感しか残されていないことを認めつつ、他方でそこにこそ公的で普遍的な倫理の可能性を探るという苦しい議論を模索している。

そこで、筆者は、私的/公的、非他者/他者を分割する抽象的な枠組みを捨てて、もっと具体的に議論を進めることを提案する。現代社会ではコミュニケーションが麻痺している。そうなった理由は、現代社会があまりに複雑で、人間の主体的な判断を麻痺させてしまうことにある。その状況に、技術やメディアは、情報そのものではなく、むしろ情報の減少を付加価値としてユーザーに提供し始めている。例えば、グーグルの検索エンジンは、新しい情報を生み出すものではなく、すでにある情報について画面に表示されるサイトの数を限定すること、すなわち情報量の減少をするものなのだ。現代人は、複雑なものにはお金を払わない。むしろ複雑さを減らしてくれるものにこそ、お金を払う。従って、政治の再生、さらにはコミュニケーションの再生を構想するのであれば、世界の複雑さを縮減し、政治的なコミュニケーションを可能にする制度設計の技術ということになる。情報機械を介したコミュニケーションではインタへフェイスやソフトウェアの設計思想が、そのままコミュニケーションの量や形式、ときに内容に決定的な影響を与えることになる。このような情報環境のもつ力が「アーキテクチャ」というキーワードのもとで焦点化されている。「アーキテクチャ」とは仮想的な情報環境の設計を意味する言葉だ。そこで、その前提の上で、私的なコミュニケーションを公的な場に繋げ、普遍的な問題意識に開いていくようなアーキテクチャを設計するという技術的な挑戦によって進められるべきだと主張する。社会思想が高度な逆説としてしか認識できなかった問題を、情報技術の現実に照らしてじつに世俗的で具体的な課題に変えてしまうこと。それが筆者の主張しようとしていることだ。

インターネットに対する従来の議論では、悲観的な議論が多い。ネットは、アクセスしたい情報にはアクセスできるが、自分にとって不快で無意味な情報は遮断できる。いわゆる「島宇宙」を強化し、同質な者によるタコツボと化す。筆者は、これに対して、設計を変えることにより改善の可能性はあると言う。インターネットでは他者に出会わないと大雑把に捉えるのではなく、どのようなタイプのネットワークであれば人は閉じ籠もり、逆にどのようなタイプであれば他者に出会うことができるか、その差異を見極めることだと言う。

« 東浩紀「一般意志2.0」(6) | トップページ | 東浩紀「一般意志2.0」(8) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東浩紀「一般意志2.0」(7):

« 東浩紀「一般意志2.0」(6) | トップページ | 東浩紀「一般意志2.0」(8) »