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2012年2月12日 (日)

あるIR担当者の雑感(60)~IRの目的って?イデオロギー装置としてのIR再考

トロイカ体制という言葉を聞いたことがあるでしょうか。数年前に民主党が政権を取るときに、小沢、鳩山、管の3人が手を取り合ったのをそう新聞が書き立てたことはありました。ロシアの3頭立ての馬車に見立ててのことだというものでした。実は、このずっと以前に政治の世界で、トロイカ体制という言葉が使われたことがありました。それは1960年代初めのソ連で、当時の権力の座にあったフルチショフが失脚し、第一書記の座を解任されたのをうけて、代わって指導者の立場となったのはブレジネフでした。当時のブレジネフは無名に近い存在で、彼一人だけではとうていソ連という大国をリードできないとして、彼以外にグロムイコ、スースロフの2人が同格の扱いで三頭体制で運営を行いました。これがトロイカ体制と呼ばれたのでした。この時、ブレジネフは書記長として共産党を押さえ、グロムイコは実務畑の人で軍事と外交を掌握しました。残ったスースロフは何を押さえたかというと、イデオロギー、思想の関係でした。

また、話は変わりますが、「水戸黄門」という時代劇をご存知でしょうか。“この紋所が目に入らぬか”と印籠をかざしてメデタシメデタシとなるやつです。このとき“前の副将軍、中納言”という口上が述べられます。御三家といわれる中で、尾張も紀州も大納言です。それが水戸だけは中納言です。どうしてでしょうか。また、徳川15代の将軍中で、御三家から将軍になったのは紀州からの吉宗で、このとき尾張と跡継ぎ争いに勝ってのことでした。しかし、水戸はそこに参加しませんでした。さらに水戸から将軍になった人はいなくて、15代慶喜はわざわざご三卿の一ツ橋家の養子となり、一ツ橋家から将軍になったのでした。こういう事績を踏まえて、徳川御三家には実は水戸は入っておらず、尾張、紀伊と徳川宗家で御三家という説を唱える人もいるほどです。その時、水戸が外れたのは『大日本史』を編纂したのは水戸家独自のことではなく徳川政権の維持に必要なものだったからということが根拠の一つとして考えられています。

IRとは関係なさそうな話を、最初聞かされて面食らった方もいるかもしれません。とりあえず、話のマクラとでも考えておいて下さい。それは、前回の雑感(59)で、株価を適正にするということがたとえないのにしても、IRとしてやるべきこと、できることはあると言いました。そのことについて、私の勤め先の場合、決算説明会が終わった後、その模様を動画にとってホームページで公開し、あわせて資料をダウンロードできるようにしています。まあ、多くの企業のIRでも同じようにことはしていると思いますが。このページへのアクセスを調べてみると、一番アクセスが多いのは、社内からでタントツだったのです。これは、社内で社員がこれを見ているということで、とくに社内で説明会の模様をアップしていると告知もしておらず、見て下さいと社内に知らせたこともありません。ということは、社員は誰に言われなくても、自ら興味をもち会社のホームページ開けて説明会の動画や資料を見ているというわけです。

説明会では、ここでも何度も書いてきたように、会社のことをよく知らない投資家のためにこの会社の業績の理由はこうで、この結果を踏まえて、これからこうしようとしている、ということを社長の口から語っています。私の勤め先では、社内に向けては、決算説明会のように丁寧な説明は行っていないのです。その穴を埋めるように、社員は説明を動画で聞いている。このような事態は、私の勤め先だけのことでしょうか。すごく無責任の問いかけかもしれませんが。

私は、ここにIRという業務の新たな(?)方向性があると思うのです。社外だけでなく社内に向けてのIRということです。実際の行為としてはそうです。それが会社にとって貢献することができることなのか、というときに長々とお話ししたマクラが関連しているのです。最近では、イデオロギーという言葉が使われることはなくなり、死語となっているようですが、この言葉で意味されている機能をIRが担うことはできないか、と思うのです。例えば、今期の目標はこうだから達成に向けてがんばれという指示は上からは当然現場の社員に来ます。そのために、何々をしなさいという指示も来るでしょう。しかし、どうしてこうことをやるのかとか、示された目標というのは、どのような考え方のもとで決められたのか、もっというと会社はこういう方向に向けるのだという方向性があって、今期の目標はその一環として決められているとしたら、そのことが丁寧に説明されていないのです。もっと大雑把にいうと、今現場の社員がやっていることは、それでいいのだと社員がそれぞれに納得し背中を押してあげるような意思表示とか説明が十分に行われていない場合が多いと言えます。これは経営者がまめに説いて回り、現場の管理職がさらに補うというのが組織論の正論ですが、実際に経営者で十分それをやっている人は甚だ尠い(名経営者と言われる人はやっているのですね、共通して!!)、さらに管理職でも自分の業務に忙しいのか、本当は説明できるほど分っていないのか、それを実践しているケースはさらに尠い。というわけで、これに代わるものとしてIRを機能させることはできないか、それが、私が今、大きな課題として考えていることです。

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