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2012年2月10日 (金)

リチャード・セネット「不安な経済/漂流する個人」(10)

第4章 われらが時代の社会主義

大きな官僚制度は抑圧と同時に結束を促す。軍隊化されて資本主義の秘訣は時間─人々が組織の中で生涯にわたる物語と社会関係を形成できるように構造化された時間─の構成にあった。組織化された時間と引き換えに個人が支払う代償は自由、あるいは個性であった。「鉄の檻」は牢獄であり故郷でもあった。

そして、官僚制度は先進経済部門で自己変革を遂げた。しかし、新たな組織は小さくなっていないし、より民主的になってもいない。権力は中央に収斂されて構造を変え、権威からは権力は奪い取られた。参画と指令の仲介の機会は減少し、低レベルの個人的相互信頼と不要とされることへの高レベルの不安が生まれた。こうした社会的崩壊の核心にあるのが、組織における時間尺度の短縮である。先端は表面的人間関係を利用する。短縮された時間尺度は人生設計を戦略的に行おうと努力する個人を混乱させ、満足先送りの原則に基づいていた古き労働倫理の制約力をかすませてしまうのだ。このような否定的側面に対して、肯定的側面として、組織生活がより浅薄になるなかで、個人的活躍を促す自己の特質の向上がある。特質とは依存の拒絶や潜在能力の発展や所有への執着を超越する能力のことである。こうした特質は生産能力の領域に限らず、社会福祉、教育、消費の分野でも重要視されるようになっている。

これに対して、ニューレフトの人々は、物質的生活を文化的標準に従って改善しようとした。必要なのは、精神的、感情的な錨であり、職場での変化、特権、権力を測る価値観なのだ。最後に、この文化的な錨になるであろう三つの批評的価値、物語性、有用性、職人性について考えてみる。

物語

時間的尺度が短く、また、不規則な組織は人々から物語的展開の概念を奪う。物語的展開とは、単純に言えば、出来事を時間の中で結びつけること、経験を積み上げていくことである。これに対して、この10年間で三つの革新的試みに強い印象を受けている。第一は、短期的で「柔軟」な組織に欠落する継続性と持続性を労働者に提供するために、「並行組織」を形成しようとした試みである。第二はジョブ・シェアリングである。第三は、金持ちと貧乏人の区別なく全員に最低所得援助を行い、個人の望む通り使うことのできる制度に、北ヨーロッパの社会福祉の仕組みを転換しようという「基本所得」計画である。こうした三つの努力は、厳しい現実の反映である。不安定さは新しい組織モデルに最初から組み込まれていたもので、それに対抗するための試みだ。

政治は物語自体にかかわる文化軸を中心に展開される。良く練られたプロットでも虚構の中で時代遅れとなれば、通常の生活でも稀少なものとなる。自我はしばしば、表面下に隠れたものを見ようとして、一見、論理的に見える話をバラバラに解体しつつ、出来事を語り変え、そして、再構成しようとする。この自我は経験と積極的に格闘し、それを解釈する語り手「物語的主体」である。しかし、新たな組織の人間は、しはしば自らのうちに「物語的主体」の欠落を感じることがある。即ち起こったことを解釈する力が自分たちにはないと思うことがある。この三つの試みは、自らの長期にわたる時間経験を解釈する主体を、人々に回復するための文化的実験である。

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