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2012年2月29日 (水)

没後25年 有元利夫展「天空の音楽」(2)~「私にとってのピエロ・デ・ラ・フランチェスカ」

Arimotosotugyo1 有元利夫の卒業制作で10点の連作だそうです。これを見ると、展覧会ポスターのような有元の完成されたパターンとは違う要素があるというのか、手法が洗練される前の夾雑物が多数みられるというのでしょうか、ちょっと違い印象を受けます。

■幻想画に通じる雄弁さ

先ず第一に、ポスターの絵とは違って画面に様々な要素が放り込まれて騒々しい感じがします。この赤い階段のある作品など、ピエロ・デ・ラ・フランチェスカのような中世を彷彿とさせるというよりも、デ・キリコのような幻想の世界に近いものを感じます。また、なわとびの作品の場合には、人物がバランスを欠いているようなイメージに筆が追い付いていない感じがします。このような点から、実はイメージを追いかけるようなところが実は、この画家にあるのではないか、という感じがしました。後年の金太郎飴のようなワンパターンの作品からは直接には感じられない、豊饒で溢れんばかりのイメージ、というよりキリコで言われるような幻視という方が近いでしょうか。ただ、そのイメージにピタリとはまる画面が見つからず、落ち着きがない感じがします。静謐とか、素朴とかいうイメージで後年の有元の作品は見られることが多いようですが、展覧会カタログ等を見てみると、有元という画家自身は自作について饒舌とは言わないまでも、寡黙には程遠いほど雄弁に語っています。それだけ、画家自身は方法に自覚的であるということだと思います。方法に自覚的で、それだけの語る言葉を持っているということは、画家が方法を獲得するまで苦労しているからではないか、と思います。というのも、最初から描けてしまえば、方法など自覚する必要しないし、従って語る言葉など持ち合わせていないはずです。

Arimotosotugyo2 ■何となくちぐはぐな画面は画家のイメージの先走りでないか

そして、この卒業制作と、後の展覧会ポスターとなったような作品との大きな違いは、後年の作品比べて画面の中の人物や個々のパーツがそれらしさ持って描かれていないことです。例えば、赤い階段の作品では赤い階段自体が十分に描かれ切っていないように感じられるし、画面にハマった感じがなくて、何となく画面での存在が浮いているような感じがします。また、人物も白色と塗られているからかもしれませんが、人物として画面中に存在しているのか、画面の中での存在感が中途半端な気がします。これは、画面イメージが先行し、それに描写が追い付いていない証拠のように、私には見えます。また、縄跳びの作品では、人物の頭と胴体のバランスが釣り合った感じがしないし、頭の位置が不自然に見えます。バックの村の光景や樹の描き方を見ても、実際のスケッチを描いたというよりは、樹に見えるものを配置したという感じです。取り敢えず、見る方は樹なのだろうというようなもので、実際の樹というものではないです。だから、有元利夫の絵というのは、写実から出発しているのではなくて、画家の画面のイメージというようなものがあって、それを再現するような描かれ方をしているのではないか、と思うのです。ですから、形態は具象ですが、本質は抽象あるいは幻想画であるように思います。

Arimotosotugyo3 ■本当にピエロ・デ・ラ・フランチェスカに通じているの

この卒業制作は10点あるのだそうですが、題名の「私にとってのピエロ・デ・ラ・フランチェスカ」とあるのに対して、実際のピエロ・デ・ラ・フランチェスカの作品に似ているところを、私は見つけられませんでした。たとえば、乗馬姿の作品とピエロ・デ・ラ・フランチェスカの有名な肖像画『ウルビーノ公夫妻の肖像』を比べてみると、同じ横顔の人物がですが、私には、単に横顔が共通しているだけで、方向性は正反対に見えるのです。ピエロ・デ・ラ・フランチェスカの場合は、それまでの中世のイコンのような様式的な画風から、リアルな人物を描く方向に行こうとして、細部を描き込んだり、人物のふくよかな質感を追求したりとか、リアルさを志向しようとしているのに対して、有元の方は却って様式的な人物の形を志向しているように見えます。細部は省略し、実体的な立体ではなくて、平面的で、姿勢もパターン的なポーズで動きを止められているようです。有元本人は、“その宗教的静謐と平面性、装飾性、絵画的空間など”と書いていますが、私には、ピエロ・デ・ラ・フランチェスカにとっては、それらは抜け出そうとしている制約に感じられていたのではないかと、思えます。たまたま、当時の絵画に求められていたものと、そこからピエロ・デ・ラ・フランチェスカが新しい方向に行こうとして、たまたま、現われた作品の形態が有元のイメージに使えると、審美的に利用したというのに近いのではないか、と思えるのです。

また、“平面性、装飾性”あるいはダイナミックな躍動感がないということなら、ピエロ・デ・ラ・フランチェスカだけではなくて、例えば日本画だってそうです。実際にも岩絵の具を使用しているらしいということなので、されならば、尚更、なぜと思います。それがなぜ、ピエロ・デ・ラ・フランチェスカなのか

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コメント

興味深く読ませて頂きました。

しかし、肖像画は肖像画として描かれるのです。ましてや、ウルビーノ公夫妻に献上するのですから、公のお気に召す様描かねばなりません。あの絵とて、全てが真実ではない可能性があるかもしれない。我々後世の人間には、確かめ様がない事です。様々な想像を巡らし思索するのは悪い事ではありませんが、比較する対象が間違っているのではありませんか?。なぜ、モデルが特定される絵と、初めから写実に重点を置いて描かれていない「わたしにとっての・・・」を比較検討なさるのでしょう?。

「なんとなくちぐはぐな画面は画家のイメージの先走り」と書いておられますが、その批判は、たとえばアンリ・ルソーの絵が稚拙でデッサンがなってない、美術教育的にはでたらめだから価値の無いものだと、未だに19世紀のアカデミー的価値判断で斬って捨てるかのようです。その、批判なさっておられる「ちぐはぐ」=稚拙さこそが有元絵画の目指したコンセプトなのですから。

そもそも、なぜ「私にとっての」と言う画家自身の言葉=コンセプトが添えられているのに、わざわざPiero della Francesca(日本語で発音表記なさるなら、“デッラ”では?)との表面的な、テクニック的な相似点を、観る我々が検証して、ここが違うだのおかしいだの書き連ねる必要があるのでしょう?。例えばそれは、写実のクールベと想像の神秘を描くギュスターヴ・モローの絵を比較して、そのどちらがより真実か、などと較べるのに等しく無意味な事に私には思えます。正確な遠近法などを駆使し技巧を極めようとしたピエロ・デッラ・フランチェスカと、シエナ派や仏画の非テクニック的な絵の素朴さを、望ましい「稚拙」として追った有元とは目指した場所がそもそも違うと考えます。その相反の上で尚、なぜ「私にとってのピエロ・・・」だったのか、は検証するに面白いテーマだとは思えますが。

読み人さん。コメントありがとうございました。この記事を、かなり読み込んでいただいたようで、長文のコメントを寄せていただき、うれしい限りです。いただいた内容は、この記事について表現が不十分なところ、あるいは私の認識が曖昧な点をご指摘いただいたと思っています。コメントをいただいて、私自身そのことに気づかされただけでなく、曖昧だった認識をハッキリさせることができました。本当にありがとうございました。
多分、私は絵画をというものを、そこにあるものを目で見ていると思います。写実でも幻想でも抽象でも、その画面にある、いうなれば表面的なものを見ています。その意味で、ここでの有元をちぐはぐと言ったのは、ここでも書いたようにハマッていないからです。素朴を目指したものが素朴に見えないことです。また、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品に表面的に、つまり描かれたものに共通点が見えないのを正直に見えないといいました。有元は「私にとっての」と前置きしていますが、でもあえて「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」の名前を明言しています。そこには、何がしかの意図があるはずですが、それが描かれたものからは見えてこない。それが見えないのは、私の目が悪いのか、あるいは当時の有元が下手だったからのどちらかと思いました。そして、有元が素朴さを追ったのは、そこに彼の戦略があって意図的なことではないか、というのが私の有元の印象です。その意味で、ここでの作品は私には下手という認識です。そして、これは、あくまで、作品の表面を見た主観的な感想です。ただし、このような視点でみるて、ある程度の論理的整合性はあると思っています。

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