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2012年2月15日 (水)

東浩紀「一般意志2.0」(2)

第一章

本書では夢を語ると筆者は宣言する。そしてその夢は二つの異なった知的欲望、知的文脈で成立している。その一つがルソーの『社会契約論』であり、もう一つは情報技術革命である。

まずは、ルソーの方から始められる。「一般意志」とは、人民の総意を意味するルソーの造語である。ルソーという人は多彩な人物で、彼が生きていた時代では『社会契約論』の著者としてよりは『新エロイーズ』の作者としてロマンティックな恋愛小説の書き手として知られていた。このようにルソーは多様な業績を残した人物で、言い換えれば、後世の解釈者によって見え方が異なる、ときに鋭い矛盾を孕む複数の顔がそこに刻まれているということでもある。今、ルソーを読み直すと一方では極端な個人主義者であるかのように、他方では極端な全体主義者であるかのように見えてしまう矛盾すら感じられる。例えば、『学問芸術論』と『人間不平等起源論』では自然状態にいる「野生の人」の自由と幸福を謳い上げ、『エミール』では子供内発性社会の悪から守ることを理想の教育として、個人の自由、感情の無制約な発露を賞揚するものとして知られている。また、他方で『新エロイーズ』では近代的な恋愛を、『告白』で近代的な「私」を創出し、悟性に対して感情の価値を、社会に対して個人の価値を、権力に対して自由の価値を訴え続けた。しかし、そのような理解のもとで『社会契約論』を読むと、全く違うルソーの顔が見える。

ルソーは『社会契約論』では、個人の自由を賞揚する代わりに、個人(特殊意志)の全体(一般意志)への絶対の服従を強調している。国家の意志は市民の意志の統一そのものであり、その定義上決して誤りに陥ることがない。したがって、『社会契約論』ではこの点では、個人主義どころか、ラディカルな全体主義の、そしてナショナリズムの起源の諸として読むことができるのである。要約すると、ルソーは個人の社会的制約からの解放、孤独と自由の価値を訴えた思想家だった。しかし彼はまた同時に、個人と国家の絶対的融合、個人の全体への無条件の包含を主張した思想家でもあった。この二つの特徴は、常識的に考えるかぎりは全く両立しない。ここにルソーの、そして民主主義の謎がある。

ここで筆者は情報技術革命が生み出した技術とアイディアを用いてルソーの矛盾の解きほぐしを試みる。そこで導入するのが「集合知」あるいは「群れの知恵(wisdom of crowds)」という概念だ。集合知は、分散し独立した判断を下す多様な個人の意見を、適切なメカニズムで集約することで得られるものである。集合知の手法の擁護者によれば、特定の要件さえ満たすならば、専門的な判断が要求される問題に関しても、少数の専門家よりも多数のアマチュアの方が原理的に正しい判断を下すことができる。集合知は、参加した個人の能力を超えた結果を生み出すことができる。情報技術の革新は、集約的意見の数を飛躍的に増やし、集約のメカニズムを急速に洗練させた。千人単位、万人単位の他者とモニタ越しに関心を共有することができ、同じ話題を追いかけて意見を集約することができる。従って集合知の異なる規模、異なる可能性のもとで再検討する必要がある。その際見当はいくつもの成果を上げている。

スコット・ペイジは、シミュレーションとゲーム理論の手法を用いて、集合知を支える二つの定理を導き出している。ひとつが「多様性予測定理」といい、構成員個人の予測の多様性が増せば増すほど群衆の予測がせいかくになるというもので、もうひとつが「群衆は平均値を超える法則」といい、群衆の予測が構成員平均的な予測よりも必ず正確になることを証明するものだ。つまり、凡人が集まるとス賢くなるというのは、数学的な真理なのだと現代の学問は主張し始めている。

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http://czt.b.la9.jp/

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