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2012年2月26日 (日)

東浩紀「一般意志2.0」(14)

第十三章

アメリカの哲学者リチャード・ローティは、大陸哲学と分析哲学という二つの全く異なる潮流を、実用的にはそれぞれ役立つ側面があるからと、極端に相対主義的な議論を展開した。その著書『偶然性・アイロニー・連帯』では、現代社会では「アイロニー」が倫理の基盤になるべきだという。彼によれば、アイロニストとは「自分にとって最も重要な信念や欲求の偶然性に直面する類の人物」と定義している。つまり、何かが真実であることや普遍的であることを信じていながら、しかし同時に、その信念がたまたま自分が信じているものでしかなく、従って他人がそれを共有しない可能性もあるという、そのような「たまたま」の感覚を持つ人のことだ。つまり、あることの普遍性を信じていながら、同時にその信念そのものが特殊であることも認める、そのような自己矛盾を抱えた人のことだ。

この自己矛盾そのものは相対主義の論理的帰結である。相対主義を基盤とするのであればその実践は必ず自己矛盾を伴う。そして、ローティはその自己矛盾を公的領域と私的領域の分割に重ねて論じている。「公共的なものと私的なものとを統一する理論への要求を捨て去り、自己創造の要求と人間の連帯の要求とを、互いに同等であるが永遠に共約不可能なものとみなすことに満足する」のかせアイロニーの実践であると説く。この提案はじつは、公と私の関係を逆転することを意味している。

今までは、人は私的な領域では自分のことだけを考えて行動し、公的な領域では普遍的な行動指針に従い倫理的に生きるべきとしてきた。しかし、ローティは普遍性を目指す動きは全て私的なもの見なされるべきだという。ローティは政治の場での何らかの普遍性を目指す信念、つまりは主義が衝突するがそのような争いには結論が出ないという。すべての真理は相対的で偶然的だからだ。だから公的な場からは、逆に理念的な議論は原則排除されねばならない。あらゆるイデオロギーは私的にのみ信じられなければならない。それゆう、公的領域は、徹底した相対主義のもと、あらゆるタイプの正しさや美しさを受け入れる価値中立的で脱理念的なものであるべきだと論じた。

本書の主題である一般意志2.0の構想は、このようなローティの思想に照らすと全く異なった深みを帯びてくる。

さらに、ローティは異質な人間集団を結びつける公的な原理、「連帯」の原理は理性とは別のもの、つまり「想像力」によって基礎づけられなければならないと考えていた。人間は、決して見知らぬ他人への偏見をなくすことはできない。また、あらゆる人間に共通する本質を発見し、それを根拠に基礎づけることはできない。けれども、人間の持つ想像力は、目の前の他者の苦しみへの共感を生み出し、様々な場面で「彼ら」を「我々」に変える役割を果たす。人々は信念や生活様式を共有できなくても、具体的な苦悩を通じ、互いに感情移入し合うことで生きていくことができる。人間は理性によって連帯できないが、想像力によっては連帯できる。

このようにローティの思想においては、従来は私的領域で処理されていた動物的で身体的な問題こそが公共性の基礎となり、逆に今までは公的であった精神的な自己完成や自己陶冶こそが私的領域に閉じ込められるという興味深い逆転が起きている。ローティは感情こそが、理性の限界を揺るがし連帯を生み出すと考えていたのである。

一般意志2.0の構想は、このようなローティの思想と深く繋がっている。熟議民主主義のモデルは、大衆に開かれているように見えて実は閉ざされている。一般意志2.0の構想はその限界を超えるものだ。現代社会の市民は、公的な責任ある主体としては少数の熟議に参加することしかできない。しかし、視聴者として私的に無責任に、身体的で感情的な反応をもとに呟くのであれば、ネットワークの力を借りて実に多くの熟議に参加することができる。したがって、それら私的な呟きを集積し、熟議の場に差し戻すことで、公的な熟議の閉鎖性を壊すことができるのではないか。これは明らかにローティの思想と通じ合っている。ローティの思想と一般意志2.0の思想に共通するのは、人間の動物性こそを、社会の、公共性の、そして連帯の基礎に据える世界観である。

一般意志2.0の構想はルソーの思想の上につくられていた。そして、ルソーは理性を信じず、むしろ身体や感情の盲目的な力をこそ評価した思想家だった。人間が社会を作り他者と共に生きているのは、ホッブズやロックのように人々が理性の力で自然状態を脱し社会を形成したとは考えず、単純に「憐れみ」の感情が人間を突き動かしたと考えた。これは、ローティが「想像力」と呼ぶものがルソーの「憐れみ」に近いものであることは明らかだと思われる。

近代の社会思想では一般に、成員の情緒的な一体感は共同体を閉じるので、論理的な思考こそがその限界を超えて普遍的な社会を作り出すと、そのような理路が説かれることが多かった。しかし、今やそれは必ずしも真実ではない。人間は論理で世界全体を捉えるほどには賢くない。論理こそが共同体を閉じる時がある。だから我々は、その外部を捉える別の原理を必要としている。その探求の果てに我々が辿り着いたのは、熟議が閉じる島宇宙の外部に憐みの海が拡がり、ネットワーク動物性を介してランダムな共感があちこちで発火している、そのようなモデルである。

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