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2012年3月31日 (土)

ジャクソン・ポロック展(2)~初期 自己を捜し求めて

Pollockwoman これから展覧会の展示の章立てに随って、印象を書いていきたいと思います。

ポロックは最初から抽象的な絵画を描いていたわけではなく、そこに至るまで様々な試行錯誤を経ているというので、初期の作品からも展示されていて、どのようにポロックが有名なドリッピングまで辿り着いたかを追えるように展示されていました。実際に展示されている作品を見て、正直に思うものは下手糞で他人に見てもらえるような代物ではないというものでした。あの、ポロックの初期作品だから、とりあえず眺めますが、単独に作品だけを見せられても、見向きもしないと思います。

Woman」という作品は、ポロックが家族を描いた作品だそうで、彼にとって抑圧的だった母親が中心に陣取るという象徴的、内面的イメージが投影されていると説明されていましたが、ちゃんと仕上がっていないという印象です。というよりも、私には、説明で言われているような家族への思いを描こうとしたのか、その割には描かれている家族の存在感が感じられないのです。それよりも、この絵を見ていて私に見えるのは、中心に描かれている人物を真ん中に三角形に左右に三人ずつシンメトリーに人物を配置させた構成です。私には、人物とか、家族の肖像という題材を描くことよりも、こういう構成で描くので、無家族という題材を当てはめたように、どうしても見えてしまうのでした。それは、各人物の形態がしっかり描かれていないことにもいえると思います。

Pollockwata 「綿を摘む人々」という作品は、当時のルーズベルト大統領がニューディール政策の一環として、雇用の拡大と政策のPRのために連邦美術計画という若い芸術家の動員を行ったときに、ポロックもそこで雇われて描いた作品です。政府の経済政策で働きを得た人々を描くという、いうなれば宣伝絵画でしょう。しかし、どう見ても、そういうものとしては見えてきません。それよりも、前景の二人のかがんでいる人物は向き合い、その奥の背中を見せている人物は互いに背中を向いている、さらに後景の森の茂みが両端に配置されているという全体のシンメトリーを少し崩したような構成が見えてきます。また、農夫たちが引きずっている白い袋と農夫の背中との波打つ曲線が前景から奥にかけてつながっていくように描かれ、同じような波線が農地の草の描き方や空の雲の線にも反映しているという波形のリズムが画面全体に見られるところです。

Pollockkamen さらに「無題 蛇の仮面のある構成」という作品は、メキシコの壁画やネイティブ・アメリカン文化の影響をうけたころのものだそうで、説明ではポロックのシャーマニズムや仮面の力への関心を強調していたようでした。それよりも、私には正方形の画面の四辺の線に沿って雑多なものを詰め込んで、構成させてみたという印象が強かったのでした。

これらの例は私が恣意的にピックアップしているかもしれません。その点は、注意して読んでいただきたいのですが、ポロックという画家は、展覧会全体について書いたところでも少し触れましたが、何かを描くという“WHAT”の要素がかなり希薄なのではないか、思えるのです。題材に対しての、こだわりのようなものは感じられません。とりあえず、無節操に何でも描いていて、これを描きたいというのはないのではないか。それよりも、構成のような画面をどのように形作ってくかということ、つまりいかに描くかという“HOW”の要素の比重がかなり大きい性格の画家だったように思えます。いわゆる近代絵画では、描くべき何かが、つまり“WHAT”の要素が目的としてあって、それをうまく表現するために方法論、つまり“HOW”の要素が手段として必要になってくる、という作られ方をしていたと思います。こういうパターンとして、典型的にあてはまるのは、ヴァン・ゴッホの作品がそうでしょう。シャガールもセザンヌも、また抽象的な作品を作り出したカンディンスキーやクレーもそうでしょう。しかし、ポロックの作品を見ていると、目的と方法の主従関係が逆転しているように見えます。極端なことをいうと、悲しんでいることを分かってもらうために泣く、というのが近代絵画なら、ポロックの場合は泣くというのがまずあって、だとしたら悲しいのかもしれない、となっているのです。

それが、後年のポロックの抽象的な絵画作品に通じているかも知れない、とこじつけかもしれませんが、思いました。

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