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2012年4月

2012年4月30日 (月)

渋谷克美「オッカム哲学の基底」(3)

第2章 スコトゥスの共通本性と個体化の理論に対するオッカムの批判

(一)スコトゥスの『命題集註解』における個体化の理論

ソクラテスとプラトンは、ともに人間性という共通本性を持つ点では一致しているが、しかしそれぞれ別な個物であるという点では異なっている。ではソクラテスを、プラトンではなく、まさにソクラテスならしめているものでは一体何であるか。これが、スコトゥスが『命題集註解』で論じている個物の固体化の問題である。ここで、スコトゥスは第1~第6問題まで論じているが、第1~第5問題は当時の固体化の理論の批判であり、第6問題で自説を展開している。

スコトゥスによれば、事物は自らの本性(人間であること)によって個物であるのではなく、その共通本性をこのもの、この個体へと特定化する個体的差異・個的存在性が共通本性に付加されなくはならない。この付加される固体化の原理は、否定的な原理ではなく、肯定的に定立し得るものであり、またそれはある特定の質料や量と言った付帯的な性質ではなく、個物に本質的に内在する実体的原理である。しかしそれは現実存在そのものではあり得ない。従って、スコトゥスの理論では、質料的実体である個体は、種的本質を構成する共通本性と、その共通本性を個へと特定化する個体的差異・個的存在性から成ることになる。スコトゥスは、これら共通本性と個体的差異の関係について、両者は同一のものに属する形相的に区別された二つの存在性であると述べている。さらに、すことぅかの理論の特徴は、実在的に同一のものの内に、更により原初的な区別を措定し、共通本性とそれを特定化する個体的差異との間に、実在的区別ではなく、形相的区別を立てたことである。このような、共通本性の存在性と、それを特定化する個体的差異の存在性の間に、実在的区別ではなく形相的区別を措定される理由を、スコトゥスは次のように説明している。実在的区別が成立するのは、例えばソクラテスとプラトンの場合のように、事物と事物の関係においてである。しかし、共通本性と個体的差異の関係は事物と事物の関係ではなく、同一の事物における二つの存在性の間の関係である。共通本性はいわば可能態が現実態によって現実化され完成されるごとくに、個体的差異によってこのものへと現実化される。

(二)オッカムの批判

1.スコトゥスとオッカムの論争(一)

スコトゥスの議論をオッカムは次のように批判する。たしかに、ソクラテスとプラトンは人間であるという点では一致し、他方それぞれが別な個物(あの事物とこの事物)であるという点では異なっている。しかしこの理由から、スコトゥスのように、形相的に異なる二つの存在性を同一の事物の内に措定する必要はない。むしろ、スコトゥスの議論の前提‘同じものによって、事物Aと事物Bと実在的に一致し、同時にまた実在的に異なるというということは不可能である’が間違っている。二つの別々の存在性によってではなく、各々が有する同じ一つの存在によって、ソクラテスはプラトンと種において一致し、数において異なる。即ち、オッカムによれば事物はすべて自己自身によって個体である。それゆえ、スコトゥスのように固体化の原理として個体的差異・このもの性を措定する必要はないし、同一の事物の内に、形相的に異なる二つの別々の存在性、共通本性と個体的差異・このもの性、を措定すべきではない。事物は、各々が有する自己に固有な同一の存在によって、他の事物と種において一致し、数において異なるのである。

2.スコトゥスとオッカムの論争(二)

スコトゥスによれば、ソクラテスとプラトンは、人間性という共通本性を持つことにおいて、一つのグループにまとめられる。あるいは、ソクラテスとプラトンとサルとロバは、動物性という本性を持つことにおいて、一つのグループにまとめられる。こうした共通本性を持つ一は、このものやあのものといった「数的な一」とは別であると考えられる。なぜなら、ソクラテスとプラトンとサルとロバは、このものとあのものといった数的な一においては、等しく異なっているが、しかし、ソクラテスとプラトンは、数的な一とは別なある一を有し、それによって一つのグループにまとめられるからである。スコトゥスは、このような共通本性の持つ一つを、数的な一よりも「より小さい実在的な一」と呼んでいる。つまり、ソクラテスとプラトンは、人間であることにおいて一致し類似している。それゆえ、この実在的な類似関係を成立させている根拠として、ソクラテスとプラトンの他に、これら数的に一なる個別的なものとは別に、これらに共通な、より小さい実在的な一である人間の共通本性が、心の外に存在していなくてはならない。

これに対して、オッカムは、その推論は妥当でないと主張する。ソクラテスとプラトンは、人間であることにおいて一致するのでも、ある事物において一致するのでもなく、ある事物であることによって一致するのだからである。なぜなら、ソクラテスとプラトンは、人間であることによって、即ち自らによって一致しているのだからである。それゆえ、このような論法に対しては、ソクラテスとロバよりも、ソクラテスとプラトンの方が、彼等自身によって、実在的に一致しているのであって、ある実在的な第三の存在において、ソクラテスとプラトンの方が実在的に一致しているのではない。

このようにオッカムによれば、ソクラテスとプラトンの類似を第三の存在である共通本性(例えば人間の共通本性)との間の三項関係として解すべきではない。ソクラテスとプラトンが彼らとは別な第三の存在において類似していると考えるのはおかしい。なぜなら、ソクラテスとプラトンの存在が措定されるならば、自ずと彼等の間に実在的な類似の関係が成立するからである。彼らの存在のみで十分であり、彼等以外の如何なる存在も必要でない。ソクラテスとプラトンは、彼等自身の存在によって一致しているのである。

オッカムの第二の重要な論点は、‘ソクラテスとプラトンは、スコトゥスの言うように、心の外の、多くの個物に内在する、人間という共通本性において一致するのではなく、心の中の、多くの個物を表示し、それらに述語づけられる「人間」という共通な普遍的概念において一致する’という主張である。ここにおいて、オッカムは共通本性を否定し、①普遍を心の外から心の内へ、②多くの個物に内在する普遍から、多くの個物に述語づけられる普遍へと移行させている。

つまり、個物A(例えばソクラテス)とB(例えばプラトン)との間に成立している一致や類似の関係を根拠づけているものは、数的に一である個物Aと個物Bそのものであって、それ以外の何物でもない。個物Aの存在が、自己のBに対する一致・類似の関係(1)を根拠づけ、個物Aの存在が、自己のAに対する一致・類似の関係(2)を根拠づける。個物Aと個物Bのみが存在するならば、自ずと、両者の間に一致し類似する関係が成立するのであり、それ以外の如何なる根拠も必要とされない。従ってスコトゥスの言うように、数的な一以外の<一>の存在を、一致し類似する関係を根拠づけるものとして措定する必要はない。

2012年4月29日 (日)

渋谷克美「オッカム哲学の基底」(2)

第1部 存在について

第1節 14世紀におけるesseessentiaに関する議論

(一)エギディウス・ロマヌスの説

『存在(エッセ)と本質(エッセンチア)の諸定理』の第5定理の中で、エギディウス・ロマヌスは述べている。

まず、エギディウスは、可感的なものから可知的なものへ、質量的な事物から非質量的なものに向かい、人間にふさわしい探求の仕方に従い考察を進める。第一に質料的な事物の生成において質量と形相の複合が認められ、両者が実在的に異なるのと丁度同じように、質料的な事物の創造においても本質(エッセンチア)と存在(エッセ)の複合が認められ、両者が実在的に異なる。さらに非質料的分離実体(天使)においてもエッセンチアとエッセの複合が認められ、両者が実在的に同一でないことを主張する。創造において被造物は全て、他者から存在を受け取るのだから。存在の原因である神においてのみが、存在と本質は同一である。すなわち、形相と質料の現実態であり完成態であるのと同様に、エッセはエッセンチアの現実態であり完成態である。創造は、創造者である神によって、存在(エッセ)という現実態と完成態が。被造物のエッセンチアに刻印づけられることによって行われる。従って、実在的に区別された形相と質料の複合を認めなければ生成という事を説明できないのと同じように、実在的に区別されたエッセとエッセンチアの複合を認めなければ創造ということを説明できない。ただし、エッセとエッセンチアが実在的に区別されるからといって、エッセがエッセンチアなしに自存することはあり得ないし、またその逆もあり得ない。

被造物の本性は自らの存在(エッセ)ではなく、自らのエッセと実在的に異なり区別されたものであることは三つの道によって示されることができる。第一の道は、被造物の本性は存在することも、存在しないことも可能であるのであるのだから、エッセに対して可能態においてある。それゆえ、被造物の本質(エッセンチア)と存在(エッセ)は実在的に区別される。第二の道は、もし、仮に非質料的分離実体(天使)の本性・本質(エッセンチア)が存在(エッセ)そのものであるとしたら、分離実体は質料という下位のものからも、エッセという上位のものからの制限を受けないものであることになるであろう。その場合には、分離実体のエッセは他から受け取られたものでも、分有されたものでもないことになるからである。しかし、このことは被造物の本性に反することである。それゆえ、分離実体(天使)の本性・本質(エッセンチア)は存在(エッセ)と同一であることはありえない。物体的事物の場合も同様である。第三の道は、もし仮に被造物の本性・本質(エッセンチア)が自らの存在(エッセ)であるとしたら、被造物のエッセンチアは何ものも分有せず、全く単純なものであることになるであろう。このことは、被造物に反する。それ故、分離実体(天使)のエッセンチアはエッセと同一であることはあり得ない。従って、エギディウス・ロマヌスの説によれば、エッセンチアとエッセの実在的区別を否定することは創造という事実を否定することであり、もし創造という事を認めるならば、すべての被造物は、実在的に異なるエッセンチアとエッセという二つのものの複合体であることを認めなければならない。

(二)エギディウス・ロマヌスの説に対するオッカムの批判

1.存在(エッセ)と本質(エッセンチア)の複合に関して

エギディウス・ロマヌスは、事物の内に二通りの複合を認める。一つは、事物の生成において見出される形相と質料の複合であり、ここにおいて質料は形相に対して、可能態が現実態に対するごとき関係にある。いま一つの複合は、事物の創造において見出される、被造物の本質(エッセンチア)と存在(エッセ)の複合であり、ここにおいては、エッセを受け取るエッセンチアはエッセに対して、可能態が現実態に対する如き関係にある。

このようなエギディウス・ロマヌスが措定する、エッセンチアとエッセの複合に対して批判を加える。オッカムは、外界に独立して存在するものとしては性質と実体(形相と質料と両者の複合体である事物)しか認めない。それゆえ、もしエギディウス・ロマヌスの説のように、もし存在(エッセ)と本質(エッセンチア)が異なった二つのものであり、エッセンチアが存在(エッセ)に対して、可能態─現実態という関係にあり、それらが複合して自体的に一なる事物を形成するとすれば、エッセンチアは質料であり、エッセは形相であることになるであろうが、これは馬鹿げている、あるいは、エッセンチアとエッセが複合して付帯的に一なる事物を形成するとすれば、エッセはエッセンチアに外部からつけ加わる付帯的性質であることになるであろう。これは不合理である。

2.存在(エッセ)と本質(エッセンチア)との間に実在的区別を措定すべき理油に関して

なぜ、エギディウス・ロマヌスは、被造物における存在(エッセ)と本質(エッセンチア)との間に実在的区別を主張したのだろうか。その理由は、①神が被造物を創造したのであるから、神は第一の原因であり、これに対して被造物は他者によって原因され、第一原因に依存し従属するものである。②被造物の本質は可能態においてあり、神からエッセが流入し、エッセンチアに刻印付けられるという仕方で、被造物はエッセを分有し、他者である神からエッセを受け取るから、それゆえに「神においてはエッセンチアとエッセは実在的に同じものであるが、被造物においてはエッセンチアとエッセは実在的に同じものではない」と主張した。

これに対して、オッカムは①の主張は認めるものの、主張②を否認する。それは、存在が存在するものに述語づけられ、それが他のものに依存していることを表示しない場合は、存在は単一な第一の原因を意味表示する。しかし、存在が第一の原因以外のものに述語付けられる場合には、第一の原因に依存し、従属して存在するものを意味表示する。そのため、エッセとエッセンチアとの間の実在的区別を否定することは可能であると説明する。

3.‘それによってものが在るところのもの’と‘在るところのもの’との区別

トマス・アクィナスは、この両者を区別することによって存在(エッセ)と存在を受け取ることによって存在する実体の相違を説明しようとする。トマスは、これを二つの論拠から説明しようとする。①‘在るところのもの’は、存在することの基体であるが、存在そのものは存在することの基体ではない。②存在(エッセ)という現実態を分有することによって、‘在るところのもの’は現実的に存在する。それゆえ、‘それによってものが在るところのもの’であるエッセと‘在るところのもの’は区別されねばならない。さらにトマスは、両者の区別は、単一なもの(神)の場合には概念における相違であるが、形相と質料から成る複合実体の場合には実在的な相違であることを指摘している。

これに対して、オッカムは‘それによってものが在るところのもの’と‘在るところのもの’との区別を、トマスとは別の仕方で解釈すべきと提示する。すなわち、両者の区別はトマスのように、存在(エッセ)と、それによって存在するところの被造物との実在的な区別として解されるべきではない。むしろ、‘それによってものが在るところのもの’とはエッセではなく、神である。それゆえ、‘それによってものが在るところのもの’と‘在るところのもの’との実在的区別は、神と、神によって存在する被造物との実在的区別であると理解されるべきである。

4.言葉の側の区分と、心の外のものの側の区分について

エギディウス・ロマヌスは、‘被造物の本性は存在することも、存在しないことも可能であるのだから、本性は存在(エッセ)に対して可能態においてあり、被造物の本性とエッセは実在的に異なる。’と主張する。すなわち、被造物のエッセンチアは存在することも、存在しないことも可能であり、エッセや非存在に対して中立である。然るに、AがBであることも、ないことも可能であるということは、A≠Bということである。何物も自分自身に対して可能態において在ることはないからである。それゆえ、エッセンチアとエッセは実在的に区別される。

これに対して、オッカムは①エッセンチアとエッセは実在的に異なる二つのものではなく、ものとしては同一であり、従って「エッセンチア」「エッセ」という二つの語は全く同一のものを表示している。②ただし、「エッセンチア」と「エッセ」とでは表示の仕方が異なることを主張する。ここにおいて、オッカムは心の外のものの側の区分を、言葉の側の区分の問題に転換させようとしている。

ここで、走るもの─走行─走るという例をもちいて、トマスとオッカムの違いを考える。トマスは「走ること」と「走行」は形相を表示し、それぞれが異なるものを表示するとしている。それゆえ、「走ることは走る」とか「走行は走る」と言う事はできないのである。トマスのように考えれば、そのように言うことができない原因は、心の外のものの側にあることなる。「走ること」「走行」と「走るもの」は実在的に異なった二つのものを表示しているからである。つまり、一つの事物の内に、存在(エッセ)と本質(エッセンチア)という実在的に相互に区別された二つのものがある。存在は神から与えられる存在するという現実態を表示しているのに対して、本質、あるところのもの、は存在するという現実態を受け取り分有する基体を表示しており、それぞれ異なるものを表示する。それゆえ我々は、存在することは存在するとは言うことができない。

これに対して、オッカムは実在的な区別を否定し、走るもの─走行─走るという具象語と抽象語は同義語であって、同一のものを表示すると主張する。この場合、「走ることは走る」とか「走行は走る」と言う事はできないのは、心の外のものに原因があるのではない。「はしること」、「走行」と「走るもの」は全く同一のものを表示しているのだからである。ではなぜ、そういうことができないかといえば、「走るもの」という具象語と、「走ること」という抽象語は同一のものを表示するが、その表示の仕方が異なるからである。存在するもの─本質(エッセンチア)─存在(エッセ)においても同様である。エッセンチアとエッセは心の外の相互に区別された二つのものではなく、一つのものであり、本質と存在はその文法的論理的表示の働きが異なるが、同一のものを表示する同義語なのである。

こうしたオッカムの主張が、序論で述べた‘言葉の側のことと、心の外のものを明確に区別する’という彼の哲学的意図によるものである。オッカムによれば、人々は走るもの─走行─走る、存在するもの─本質(エッセンチア)─存在(エッセ)という具象語と抽象語を現実に有していることから、これら具象語と抽象語に対応し、これら二通りの語の成立を根拠づける何らかの実在的に異なる二通りのものが外界の事物の側にあると考えられることによって誤りを犯しているという。

このように本質(エッセンチア)と存在(エッセ)は実在的に異なる二つのものではなく、ものとしては同一であり「本質」「存在」という二つの語は全く同一のものを表示している。とオッカムは言う。そしてさらに主張する。本質(エッセンチア)と存在(エッセ)は同一のものであるのだから、本質が存在する時には存在もあり、本質が存在しない時に存在もないのであり、エッセンチアがエッセや非存在に対して中立であることはない。

2012年4月28日 (土)

渋谷克美「オッカム哲学の基底」(1)

412kpfg4nl__sl500_aa300_ 序論 心のうちの言葉と、心の外のものとの区別

(一)オッカムの哲学的意図

ウィリアム・オッカムの『大論理学』は明確な神学的、哲学的意図をもって書かれた論理学書である。そのように明確な哲学的意図があると考えられる理由として、筆者は二つの理由をあげる。

一つは、『大論理学』の中で、同一のテーマを繰り返し論じている点である。そこで論じられているテーマは、ドンス・スコトゥスの共通本性と個体化の理論に対する批判、エギディゥス・ロマヌス等の「量は実体や性質から独立しそれらと実在的に別なものとして存在する」とする量独立説に対する批判、述語づけの表示態と述語づけの遂行態についての議論、そして存在と本質についての議論である。この四つのテーマは大きなテーゼにまとめることができる。ここでオッカムは一貫して<心の内の言葉と、心の外のものとの区別>という同一のテーゼを提出して従来の存在論を退けている。すなわち、人々には、心の内の普遍概念に対応するものが、心の外にも存在すると考える傾向があり、オッカムは<心の内の言葉と、心の外のものとの区別>というテーゼを提出することによって、このような立場を斥ける。

もう一つの理由は、『大論理学』の構成に見出すことができる。中世論理学の主要な分野として、代示の理論と討論における拘束の術、そして解決困難な命題いわゆる嘘つきのパラドックスについての理論の三つがある。ここでオッカムは代示の理論を重要視し、『大論理学』の議論全体において多用する。それ以外の二つの理論は重要でないとして扱いはかなり見劣りがする。これは、討論における拘束の術と嘘つきのパラドックスについての理論が論理的に重要なものではない、ということではない。しかし、<心の内の言葉と、心の外のものとの区別>というオッカムの哲学的意図からはずれており、代示の理論は大変役に立つと考えられるからである。

(二)オッカムの哲学の基本的な立場

「外界における事物はすべて個物であって、普遍であるのは人為的に制定された言語、更により本来的には、我々の心の持つ言葉・概念のみである。概念は、外界の多くの事物を表示し、代示する記号であり、それゆえ、普遍という性格を持つ」というのが、オッカムの哲学の基本的に立場である。オッカムはボエティウスに従い、語を書かれた語と話された語と知性の中に懐抱された概念である語に分類し、心の中の概念を第一義的に自然本性的とし、人為的に制定された書かれた、話された言語は第二義的にとして、知性の中に懐抱された概念のことを「心の内の言葉」と呼んでいる。ここで注意すべきは、オッカムが概念をトマス・アクィナスの形象説による「事物の似姿・類似物」としてではなく、「事物の記号」として定義している。この定義、オッカム以前の存在論の否定を含意している。オッカムは、概念が外界の事物を表示し、代示する記号であることを強調し、形象を不要であると排除することによって存在を捨て去ってしまう。例えば、足跡が人間を表示する記号であるという時、足跡と人間の間に、トマスが言うような記号であるという時、足跡と人間の間に、トマスが言うような意味での類似は存在しない。同様に、概念が外界の事物を表示し、代示する記号であるという時、概念が外界の普遍的な本性・形相の認識である必要もない。オッカムが保証するのは、我々の心の抱く概念が何らかの仕方で心の外の事物に対応し、それを表示し、それを代示するという事だけである。我々は、外界の世界の構造の本質そのものを充分に認識することはできない。オッカムは、外界の事物の本性とか、形相といった存在論について語ろうとしない。オッカムによれば、外界の事物は、概念という記号によって表示されたもの、代示されたものとしてのみ措定される。

2012年4月25日 (水)

湯之上隆「イノベーションのジレンマ 日本の『半導体』敗戦」(3)

第5章 装置メーカーとの共退化現象

日本の半導体シェアと製造装置のシェアはや同じ傾向を示している。これを共進化という概念で説明できる。例えば、リソグラフィ装置の1つで最も高価な露光装置メーカーと、半導体メーカーは、密接に協力して、装置及び要素技術を開発していた。1990年半ば以降、露光装置では長らくトップシェアを誇っていたニコンは2001年にオランダのASMLに追い落とされてしまった。AMSLはサムスン電子や台湾TSMCと共進化できる装置を開発したことによる。そこには、日本の半導体メーカーと韓国や台湾のメーカーとの違いが原因している。日本の半導体メーカーは微細加工性精度を強調するのに対して、韓国や台湾のメーカーはスループットと稼働率を強調する。ASMLの露光装置の特徴は最初に露光装置を設計する際に10年以上通用するプラットフォームを構築したことによる。このことによってASMLの露光装置は装置ごとの差(機差)が小さい。これに対して日本の装置は機差が大きい。この差は実際に半導体の工程に当て嵌めた場合、機差が大きいと工程ごとに専用装置化する。その結果、装置の稼働率は低くなる。一方機差が少ないとどの工程のロットでも、どの装置に処理させても構わないため使いまわしが利き、稼働率が高くなる。ニコンは日本の半導体メーカーの要求に応えるため、このような対応が出来なくなっていた。

2012年4月24日 (火)

湯之上隆「イノベーションのジレンマ 日本の『半導体』敗戦」(2)

第3章 海外高収益メーカーとの違い

日本の半導体メーカーには過剰技術で過剰品質を作る病気がある。特注仕様にするために装置単価は高い。また、スループットが悪いため装置台数が多い。その上、マスク枚数及び工程数が多く、諸外国のように、歩留まりの向上が徹底されていなかった。つまり、1980年代に形成された性能及び品質の極限を追求する技術文化は、何も変わっていない。2004~2005年の営業利益率は外国企業が20%を超えているのに対して、日本のメーカーの営業利益率は明らかに低い。これは今に始まったことではなく、1980年代から続いている。

最先端の半導体デバイスにおいては、製造原価の60%が製造装置で占められている。したがって、装置コストをどう抑えるかが安く作るための鍵を握る。装置の台数や仕様は工程フローを基に決定される。この工程フローはプロセス開発の初期段階で作られ、量産工場で大幅な変更は難しい。つまり、製造原価に決定的な影響を与える装置台数や仕様はプロセスの初期段階で決まってしまう。ということは、半導体デバイスの製造コストについては、量産する前に、プロセス開発の初期過程で、収益力の勝負がほぼついている。

これについて、日本の半導体メーカーは、工程フロー構築の際、半導体デバイスの性能を最優先していた。というより性能のことしか考えなかった。その際にコストに対する考慮は全くなされない。その結果、工程フローは長くなり、各工程のプロセスは複雑になりスループットが悪くなる。こうしてできた工程フローが量産工場に移され、多数の製造装置、複雑なプロセスに対応させるための特注の装置が導入される。

これに対して、インテルのような外国メーカーでは、最終製品から逆算して、利益が出るように工程フローを組んでいた。先ず、価格を設定し、そこから原価を決めこま原価を実現する歩留まりを決める。それに応じた工程フローを構築するのである。その際最優先されるのはコストである。したがって、極力短い工程フローを組もうとする。極力各工程をシンプルにしてスループットをあげる努力をする。

このような日本のメーカーとインテルとの違いはどこから来るのか。日本のメーカーでは開発部隊と量産舞台は、組織的に明確に分離される。開発部隊は開発にしか興味がなく、コスト意識は希薄であり、「コストは工場の仕事」と考えている。日本のメーカーは、組織の分業化、縦割り化が進み、更には階級意識があり、コストまで含めた全体最適化ができない組織構造になっている。これに対して、インテルでは、社内評価は最終製品の利益で決まるため、開発段階で低コスト化を目指すインセンティブになっている。

サムスン電子も、儲ける工程フローを構築するために、組織に工夫している。開発から量産へ横割りの複数のチームを編成し、チーム同士で競争させる。その時に工程フローを構築する際に、最初から量産立ち上げを視野に入れ歩留まりを向上しやすい工程フローを作成するなど全体最適を常に心がけなくては社内競争に負けてしまう。さらにサムスン電子の組織的な特徴としてマーケティングに力を入れていて、マーケティング部門に多くの人材を割いている。それが1990年代のコンピュータ業界の変化の予兆を的確に捉えることに繋がった。

第4章 自ら陥った4つのジレンマ

1990年代以降、日本の半導体産業は凋落の一途を辿った。それに対して様々な対策を講じたが、競争力向上に寄与せず、むしろ、足を引っ張り、策を講じれば講じるほど、競争力が低下する悪循環に陥った。その原因は、日本半導体産業に関して、正しい診断ができていなかったことによる。そのため、あらゆる処方箋が空回りした。日本半導体産業が自ら陥ったジレンマは、次の4つである。(1)コンソーシアムのジレンマ、(2)合弁会社のジレンマ、(3)組織のジレンマ、(4)特許のジレンマ、である。

(1)コンソーシアムのジレンマ

1990年代以降、日本では数のコンソーシアムが国家プロジェクトとして立ち上げられた。実際のところ、コンソーシアムを作れば、半導体メーカーは技術者を数十人規模で出向させる。その結果、メーカー本体は技術者が減少しやせ細る。また、半導体メーカーの組織内に形成されている暗黙知は。徐々に削り取られていく。一方、これだけ負担をかけたコンソーシアムの成果を取り入れようと考えているメーカーは少ない。そのため、各社ともエース級の技術者は参加させなかった。

(2)合弁会社のジレンマ

多数のコンソーシアムや国家プロジェクトと同時に、2社合併によりエルピーダメモリやルネサステクノロジが設立された。このような2社統合は、規模の拡大とカラーの異なる2社が融合することによるシナジー効果が期待された。しかし、2社が経営統合して合弁会社を設立した場合、①短期間で2社の設計技術を融合することはできない、②2社のデバイス・プロセスの“良いところ取り”をすることも難しい、③片方1社のインフラを基に構築した半導体デバイスの工程フローを、同時に2社の量産工場に移管するのは困難である。このような技術的問題を2重組織による体制が、より深刻化された。その結果各処で指導権争いが生じ、両社の思惑が絡まり合い、事態は2社同号前よりも悪化してしまった。

(3)日本の組織のジレンマ

日本の半導体メーカーのマスク枚数は韓国や米国のメーカーと比較して10枚以上多かった。従って工程数は30%以上多くなっていた。その結果装置が多くなり原価高となって行った。この元となる工程フローを作ったインテグレーション技術者は全体を理解できていなかった。それは、功績をあげた有能な技術者が課長、部長といった管理職に昇進すると技術から遠ざかり、最先端の技術が分らなくなり、功績もあげられなかったものが技術の現場に残されることになる。その結果、最も技術的に能力が低い者が加速度的に難しさを増す技術開発を行わなければならなり、新しい工程フローを作成する際に、以前のフローを踏襲するという安易な方法が取られ、工程数が増えてしまった。

(4)日本メーカーの特許のジレンマ

1987年、日本の半導体メーカーが世界をリードしていた時、テキサスインスツルメンツ社が、DRAMの基本特許侵害を理由に日本の半導体メーカーを提訴した。それを契機に、日本特許出願数とシェアは減少に転じた。一方特許利用料の収入は逆に増大した。それは、韓国や台湾のメーカーが使用料を払ってDRAMの量産を続けたためである。つまり、日本の特許がライバルを育成したことになる。しかし、かつてのテキサスインスツルメンツ社のように日本メーカーは韓国や台湾メーカーを提訴しなかった。その理由は特許使用料収入を失うことを恐れてのことだった。つまり、日本メーカーは特許本来の機能を活かしきれず、凋落を防ぐことはできなかった。

2012年4月23日 (月)

湯之上隆「イノベーションのジレンマ 日本の『半導体』敗戦」(1)

51kieu1uiul__ss500_ 第1章 過剰技術、過剰品質

一般的に「なぜ、日本の半導体産業は凋落したのか?」と聞かれると、多くの人はコスト競争力、さらに経営の問題を大きな原因として指摘する。そして、日本の技術力に対して、諸外国に比べて負けていないと考えている。つまり、競争力低下の問題は経営、戦略、コスト競争力にあり、技術力には全く問題がないという。また、業界関係者は韓国、台湾等の台頭を、装置メーカーの成長により、DRAMは装置を買えば誰でも作れる状況になり、これを韓国はうまく利用し売れ筋の装置を揃えることに成功した。台湾のファンドリーメーカーは、デバイスの開発費がいらず、他社に先駆けて先端の装置を揃える必要がないため、製造コストを低く抑えることができた。

筆者は、このような見解は技術力とコスト競争力は別物であるという定説が前提にあるという。そして、この定説は誤りであると主張する。

半導体に関する技術には3つの階層がある。①要素技術、②インテグレーション技術、③生産技術、である。

この3段階の技術に関して日本の現状を見てみると、日本半導体産業の要素技術力及びその開発力は高い。また、高品質な半導体ズバイスを作るためのインテグレーション技術力及び生産技術力も高い。しかし、要素技術は過剰な技術力であり、高いインテグレーション技術力と生産技術力によって作られる半導体デバイスは過剰性能、過剰品質となっている。一方、コストの点から言えば、要素技術、インテグレーション技術、及び生産技術のすべてに大きな問題がある。装置は特注し、スループットが悪いため製造装置台数は多い。その上マスク枚数及び工程数が多く、アジア諸国ほど、歩留まりが徹底されていない。このような分析から、技術力を測るためには、2つの評価軸が必要で、1つの軸は、高性能・高品質な半導体デバイス生産するための技術力であり、もう1つの軸は低コストで半導体デバイスを生産する技術力である。この軸で見てみると、日本の問題点は、高性能・高品質な半導体デバイスを作る技術力には優れているが、安く作るための技術力が劣っている。ハッキリ言えば、過剰技術で過剰性能・過剰品質の半導体デバイスを製造している。その結果、製造コストが高騰する。

第2章 イノベーションのジレンマ

1980年代、日本の半導体は世界を制した。それは大型コンピュータ用DRAMで、コンピュータメーカーから25年保証の高品質の要求に応えるものを日本企業が作ってしまった。その結果、DRAMのシェアで米国を抜き去った。これを可能にしたのは、極限性能を追求する微細加工技術と、高品質を追求するインテグレーション技術及び生産技術であったと言える。微細加工技術においては、日本は、多数の革新滝技術を開発した。ステッパやスキャナ等のリソグラフィ技術や、リアクティブ・イオン・エッチングと呼ばれるドライエッチング技術等である。日本半導体メーカーの技術者たちは、常にこれらの装置の極限性能を引き出そうとした。その性能に満足できなくなると、自ら装置を開発した。つぎにインテグレーションの際には工程フローに多くの工夫を盛り込んだ。その結果マスク枚数や工程数は増大していった。これは、高品質DRAMの工程フローを構築するためには必要不可欠だった。量産工場においては極限性能を追求した装置を使い、高性能・高品質を実現するための工夫を盛り込んだ工程フローに従って、高品質なDRAMの大量生産を目指した。このようにして、25年保証の高品質DRAMの量産にいったん成功すると、それが量産工場の基準となった。高品質DRAMを生産することが当たり前になり、さらに、より高性能、高品質を目指すことになった。その結果、日本の半導体メーカーの技術者が要素技術の極限性能を追求し、高品質DRAMの生産を目指す技術文化は、ごく常識的なにこととして定着していった。現在の過剰技術と過剰品質の半導体デバイスを生産する病気の根源は、25年前に胚胎する。

1990年代になると、大型コンピュータに代わって、PCの出荷額が急速に増加した。この動きに合わせてDRAMについても韓国がシェアを伸ばし、日本を追い抜いた。このキャッチアップは次のように説明できる。コンピュータ市場の物品構成の変化はDRAM需要の変化を引き起こし、韓国はPC用のDRAMを大量生産することで日本を逆転した。この時、PC用のDRAMに要求されたのは低コストと数量であった。これに基づき韓国は安価なDRAMを大量生産した。

これに対して、日本は過去の成功体験によって窮地に追い込まれることになる。1990年代以降、高い要素技術力も、高品質DRAMを生産する技術も、需要の大半を占めるPC用DRAMの競争力とはなり得ないからだ。むしろ低コストが重要なPC用DRAMにとってはマイナスの作用を及ぼす。つまり、1990年以降の日本の半導体メーカーの技術は的外れを続けている。第2に、コスト競争力は規模の経済とそれを実現するための投資に起因するものと考えられている。しかし、半導体生産に関する技術もコストに大きく影響している。どのような技術を選択したかによってコストはおのずと決まってしまうからである。コスト低減を目指した技術を日本メーカーは低級な技術と見なした。

1980年代、大型コンピュータ用の高品質DRAMを生産することにより、世界を制し、その際に、極限技術および高品質を追求する技術文化が日本半導体メーカーに形成された。ところが1990年代に入って、PC用のDRAMを低コストで生産することが重要となった時、日本は相変わらず高品質DRAMを生産し続けてしまった。それは、日本半導体メーカーにとって、あくまで、主要顧客は大型コンピュータ・メーカだったからである。したがって大型コンピュータ用に製造した25年保証の高品質DRAMを、PC用にも転売した。そのDRAMは、PC用に対して、明らかに過剰品質であった。その結果PC用に低コストDRAMを大量生産した韓国ビジネスに抜かれ、競争力を喪失し、撤退を余儀なくされることになった。

2012年4月22日 (日)

吉岡英美「韓国工業化と半導体産業 世界市場におけるサムスン電子の発展」(6)

第5章 標準化活動を通じた先行優位の確立

第1節 DRAMの開発競争の展開

1990年代以降のDRAM分野では、所与のルール(標準)のもとで外部にブラックボックスになっているDRAM内部の工程技術革新(微細化を通じた高集積化)に加えて、インターフェイスのルールそのものの変更を迫る製品技術革新が新たな利益の源泉となった。他方、DRAMの高集積化製品では次世代製品が旧来の製品に置き換わる世代交代があるが、高速化製品でも世代交代が起こる。ただし、高速化製品の世代交代は、次世代製品が可視的な高集積化とは異なり、次に進むべき製品が開発段階で定まっているわけではない。そこで、将来について予測不可能な製品開発競争が現れたことは、DRAM市場における企業間競争に対して、1990年代以降にDRAM市場で先行主利益を獲得するには、予測不可能な状況の中で次世代製品として主流を占めそうなDRAMアーキテクチャに照準を定め、いち早くその市場を押さえることが決定的な鍵を握るようになった。

第2節 標準化活動を通じた先行者利益の獲得

汎用品であるDRAMは、供給企業が違っても代替可能な互換性が保証された製品である。ゆえに、新しいDRAMアーキテクチャが提案されると、それが製品化され市場に導入される3~4年ほど前の段階で、技術仕様に関して業界標準が確立される。この業界標準が決定される過程ではコンピュータの他の部品の供給企業との間で仕様を摺り合わせることが必要で、その合意形成はJEDECという業界団体で行われる。サムスン電子は1990年代以降、JEDECの標準化活動の場で積極的に発言するようになった。そこで、当初は自社の支持した方式を業界標準にすることはできなかったが、JEDECの審議で標準仕様に関する技術の方向を掴むことができるようになり、製品開発面でのキャッチアップに貢献した。そして、1990年代後半、次世代DRAMのアーキテクチャとして、サムスン電子の推していたDDRが標準仕様となり、2000年以降シェアを急拡大させることができた。

JEDECで標準仕様が最終的に決定するまでには、半年から1年以上の時間を要する。このことを前提として自社の提案した技術が標準になることを想定して製品設計に着手し、その技術が業界標準になれば、半年ほど他社に先行することができる。この半年の差によって大手のユーザー企業に最も早く次世代製品を出荷することで競合他社との競争で決定的に有利になる。

サムスン電子が日本企業との競争に勝ってDDRを標準仕様にすることができた原因を考えてみる。当時の日本企業は、次世代DRAMはコンピュータの上位機種で最初に採用された後、下位のパソコンで採用されるという展開を踏まえて開発を進めていた。そのため、重視した主要ユーザーは汎用コンピュータやサーバー企業だった。さらに日本企業は自社でもサーバー部門を抱えていたため、自社サーバーに適合しやすいものを開発していた。これに対して、サムスン電子は、そのいう社内事情の制約はなく、インテルの動向を注視し、インテル製MPUのバージョンアップに合わせた目標を設定していた。つまり、販売数量の多いパソコン向けに照準を定めて開発を進めていた。このように、サムスン電子は日本企業とは異なるユーザーをターゲットにすることにより、自らの技術をDDR標準とすることに成功した。

このようにサムスン電子の成長は、単に大きなリスクを厭わない拡張志向のみに性格づけられるものではなく、むしろ不確定な状況にあって投入資源を確実に経済成果に結び付けるための行動に支えられたものと理解される。

2012年4月21日 (土)

吉岡英美「韓国工業化と半導体産業 世界市場におけるサムスン電子の発展」(5)

第4章 先端技術の獲得

第1節 技術能力の評価基準

第2節 模倣から技術革新への飛躍

キャッチアップ期のサムスン電子は、先行企業より一世代遅れた旧世代品の量産に取り組んでいたため、先行企業で開発された完成度の高い既存の製造装置を利用することができた。しかし、それによって生産に必要なすべての技術情報を入手できたわけではなく、半導体企業の側でもある程度製造装置を使いこなすノウハウを確立していなければならず、そのために、日本人技術顧問の指導の下で韓国人エンジニアの指導育成を進めた。この時期には組立技術を中心だったといえる。

そして、サムスン電子が先行企業に追いついたとされる16M世代以降、プロセス技術に関しては、量産を通じて蓄積した技術と経験に基づいて独自開発を進めていった。一方、デバイス技術に関しては2000年以降まで待たなくてはならなかった。

半導体産業の場合、製造装置の輸入依存はただちに技術蓄積の欠如を意味するものではないことが、サムスン電子をみると分かる。サムスン電子はシングル・サプライヤーにしないという調達方針を徹底しているのに加えて、世界で最も優れたサプライヤーと取引するグローバル調達という方針を前面に打ち出している。例えば、外観検査装置についてサムスン電子は韓国内のP社と共同で開発したが、調達はP社だけに限ったわけではなく、ヨーロッパのC社からも調達して、P社とC社を競争させている。これは供給途絶のリスクを軽減するだけでなく、サプライヤーに対する価格交渉力を保持することで投入要素価格の上昇を抑え、コスト競争力を保持するためであるとみられる。

また、グローバル調達という戦略は、すでに有用に技術をもつ韓国系製造装置企業との共同開発や取引を妨げるものではないが、外国系製造装置企業を含む複数のサプライヤーと手を組むことができる。このように、製造装置の開発・販売が国境を越えて行われると、半導体企業の技術発展に国内の周辺企業の発展が不可欠の条件ではなくなりつつあることを示している。ここから、米国や日本のような一国の自己完結的な発展とは異なる韓国の特異な発展の構図が浮かび上がってくると言える。

第3節 技術発展の要因

後発企業はたとえキャッチアップに成功したとしても先行企業を追い越そうとすれば、それまで先行企業の開発成果を学習・模倣することによって回避できた不確実性の問題に直面する。すなわち、技術の方向を正確に予測するのが困難な状況で、中長期的な視点からどの技術が将来的に有望であるかを判断し、どの技術分野にどれだけの開発資源を投下するかを自ら決断しなければならなくなる。製造業の中でも巨額の開発費と設備投資が必要とされる半導体産業の場合、先行投資に伴うリスクはそれだけ大きくなる。

サムスン電子がこのような事態にどのように対処したかを考える上で注目すべきは、1990年代に入って形成された国際半導体技術ロードマップ(ITRS)の役割である。これは、米国、欧州、日本、韓国、台湾の業界団体及び技術者の連携により作成・公表される半導体関連の技術開発の工程表である。ここでは、向こう15年間でいつまでにどのくらいのレベルの微細加工技術が必要になるかが表記されているだけでなく、そのための技術的課題が抽出されると共に、これを克服するための候補技術と現時点での達成の難易度まで明示されている。サムスン電子のようなキャッチアップを完了したばかりの後発企業にとって、ITRSは独自に技術開発を推進していくための指針として最大限に活用できた。このことは、問題を発見・定式化し、この解決策を探求し適切な解決策を選択するという研究開発過程のうち、上流の多くが世界的に共有されていたことを示している。この場合、この場合、半導体企業の開発課題は、将来技術の候補として列挙されている複数の新製法や新材料を試してどれが量産に適した技術かをいち早く見極めることに重点が置かれことになる。この成否は開発資源の動員力・組織力に規定される部分が大きく、巨額の資金を投入できる企業に潜在的な優位があることになる。

一方、先行企業一世代遅れの製品に注力する後発企業は、先行企業でデバッグがなされた完成度の高い製造装置を利用することができた。キャッチアップ期には、それによりノウハウの学習が加速された。これが革新段階にどのように移行するさいに事由ようなのは、基本的な技術体系のもとでの反復的な学習を通じて、新しい技術的知識を創出し実用化する際に欠かせない「思考の習慣」が養われることである。サムスン電子の特徴としては、できる限り旧来技術の延命を図って前世代で学習した技術的知識をより徹底的に活用するという技術戦略を採ってきたことだ。このような技術戦略によって効率的な学習が支えられ、この学習経験が独自開発につながる基礎を形作ったといえる。

次に、急速な学習及び技術革新への移行を促した組織に注目すると、技術を製品化する過程では部署間(とくに開発部門と量産部門)の有機的な結合と情報の共有が欠かせない。半導体企業では、一般的に研究所で開発された技術は量産技術を確立する技術センターを経て量産工場に移管される流れになっており、これら部署間の情報交流・共有が、製品開発から量産ラインの立あげまでを円滑に進めるための鍵を握っている。この点で、サムスン電子では、開発・量産立ち上げ作業に各部署のエンジニアを直接関与させることによって、部署間の情報交流が徹底して行われる仕組みが築かれていた。これらの組織的な仕組みに加えて、サムスン電子において部署間の円滑な情報交流・共有を図るうえで積極的な役割を果たしているのが、専務・常務クラスのエンジニアである。研究所の専務や常務会議に出席したり、あるいは技術センターの専務や常務が研究所の会議に参加したりすることにより、専務や常務に他の部署の情報が集約され、開発部門と量産部門との間で双方向のフィーバックが働くようになっている。サムスン電子と対照的に、日本企業では、開発部門のエンジニアは自らが担当する開発作業に専念し、開発された技術が量産部門に移管されると仕事が完了するというように、同じ世代内でも異なる世代間でも部署間でも情報のフィードバックを働かせる組織的な仕組みは殆どなかった。

吉岡英美「韓国工業化と半導体産業 世界市場におけるサムスン電子の発展」(4)

第5節 キャッチアップ過程におけるコスト優位の形成

1990年代では、韓国製DRAMのコストは日本のそれより13%も低く、その内訳をみると、人件費を除いて研究開発費と減価償却費において大きな差が出ている。このうち研究開発費は、必要な要素技術が基本的に既存の製造装置の購入により獲得できたため。減価償却費の差に関しては、積極的な設備投資による経済、すなわち、大口径ウェハに対応した最新鋭の製造装置を備えた大規模生産体制をタイミングよく構築することで、日本企業よりも投資効率を高めて拡大成長の好循環を築いたことである。DRAM市場には4年を周期とするシリコンサイクルがあることと、工場の量産体制が軌道に乗るまでに半年から1年程度の時間がかかることを前提に、シリコンサイクルの好況期に拡大する需要を十分に吸収しようとすれば、直前の不況期に設備投資を実施するのが適切なタイミングで、サムスン電子はそれを一気に行ったのに対して、日本企業はそれに遅れて景気回復期に段階的に行い、なおかつ規模の点でもサムスン電子に及ばなかった。

このように、日本企業は消極的な設備投資によりサムスン電子のキャッチアップの余地を与えたのが知られているが、それだけではない。それは、1990年代以降、製品寿命の短いパソコンがDRAMの応用製品の大半を占めるようになったにもかかわらず、日本企業は依然として10年以上の信頼性を保証するほどの高い品質に照準を定めた工程フローをDRAMの量産に適用したことである。日本企業はパソコンの特性に見合った必要最低限の品質の目標値を定めるべきところを、現実にはそれに対応せず、製造装置の調達コストを引き上げてしまった。このとき、日本企業はパソコンの特性に見合った必要最小限の品質の実現には2つの課題があった。一つ目はターゲットとする応用製品市場と品質目標を変更しなければならないが、縦割りの組織がそれを困難にしたことと、もう一つは一つ目の課題をクリアできたとしても実際の製品でそれを実現するために開発から量産に至るまで過程そのものを根本的に見直すことが、それ以上に困難だったということだ。これに対して、サムスン電子はキャッチアップ過程にあったため、求められる必要最小限の品質を確保するために努力すればよかったという、日本企業に比べて取り組みやすい状態にあった。

1990年代初め、サムスン電子はパターン欠陥検査装置を日本企業に先駆けてラインの要所要所に設置した。こうして早い時期からパターン欠陥検査装置を活用したサムソン電子は各工程での欠陥の把握が可能となり、良品率向上のための改善作業を効果的に進めることができた。これに対して日本企業は工程すべてを総花的に管理せざるを得ず、効率面で大きな差が開いた。このことは、日本企業の競争力の源泉の一つとされてきた品質管理において、サムスン電子の後塵を拝するようになったことを示唆している。日本企業がサムスン電子のような行動をとれなかった理由の一つの資金的問題に求められる。

一方サムスン電子はシリコンサイクルの不況期でも積極的な設備投資を行っていたが、不況期の投資は好況期よりも低いコストで製造装置を調達できるというメリットがある。不況期には製造装置企業は1台数億円製造装置を割引販売するためだ。また、製造装置の調達方法についても日本企業とは違った選択方法をとった。製造装置の標準仕様を原則に工程を組んだ。つまり、日本企業の場合、個別の工程で最高の処理結果を得るために特別仕様を附加する傾向があるのに対して、サムスン電子は最終製品の良品率を上げるために特別仕様が必要かどうかを徹底的に検証し。良品率に違いがないならば標準仕様を選択した。

他方では、良品率の改善コストの面でも、標準仕様の製造装置であれば製造装置企業は、装置内のゴミや汚染を一定以下に抑える責任を負う。これを可能にしたのはパターン欠陥装置の積極的な導入だったと言える。欠陥検査装置を使って各工程の加工処理結果を正確に把握できたため、欠陥が発見された工程の限り特殊仕様の製造装置を導入すればよかった。この結果、8インチウェハを月産2万枚処理する工場への総投資額を基準にすると、サムスン電子の投資額は670億円に収まったのに対して、日本企業は900~1000億円と、効率面で大きな差となって現れた。

2012年4月20日 (金)

吉岡英美「韓国工業化と半導体産業 世界市場におけるサムスン電子の発展」(3)

第3章 技術キャッチアップのメカニズム

第1節 半導体技術の分類

第2節 半導体企業と製造装置企業の分業関係の進展

1970年代までの半導体企業はプロセス技術の開発に関わる全ての領域を完全に掌握していた。要素技術は製造装置により具体化されるため、その開発は製造装置開発と密接に結びついている。1980年代初めまでは、専ら半導体企業が要素技術の原理となる物理・化学モデルのアイデアを出していたため、要素技術の開発はもちろん製造装置の設計まで半導体企業の側で行われていた。新しい要素技術を開発し、それを装置化しても、その装置を用いて量産を始めるためには製造装置を使いこなすノウハウが必要で、このノウハウとは端的に言えば、最適にプロセス条件の設定である。このプロセス条件は歩留まりや品質に直接かかわるものであり、いわば半導体企業の競争力を決定づける要素である。従って、1970年代まで半導体企業の競争力は自社の持つ要素技術やノウハウの社外流出を回避するため、製造装置企業には装置搬入以外のことに一切触れさせなかった。

ところが1980年代以降、DRAMの世代で言えば64K/256K世代から、半導体企業と共同で製造装置の評価や研究開発を行うという形で、製造装置企業が要素技術の開発に関わり始めた。さらに、1990年代に入ると最先端の製造装置も製造装置企業がある程度までプロセス条件を最適化して一定水準の処理結果(プロセス性)を保証したうえで、つまり製造装置を使いこなすための基本的なノウハウを含めて製造装置を販売するようになった、一方、1990年代以降、半導体企業から製造装置企業へのプロセス・エンジニアや装置設計エンジニアの転職が増えており、エンジニアの移動によっても要素技術のシフトが進んだ。

その結果、2000年代以降、製造装置企業が要素技術を組み合わせてモジュールの形で製造装置を提供する方向に向かいつつある。このように要素技術開発における製造装置企業の役割がますます大きくなるにつれて、半導体企業の側では極端な場合、個別の要素技術やプロセス条件の最適化は製造装置企業に任せて、自らは個別の製造装置を組み合わせる際の最適化、すなわちインテグレーション技術に注力するも可能と言われるようになった。

第3節 半導体企業から製造装置企業への要素技術のシフト

半導体の製造技術の面では1960年代までに基本的な技術体系が確立し、その後も微細化を推進するために個々の要素技術では大きな変革が求められた。ところが1980年代初めには個別の要素技術に、現在でも根幹となる基本的な技術方式が登場して以来、利用される物理学の法則・化学的現象という点で根本的な変化は起こっていない。そのため、個々の要素技術のレベルアップを図り製造装置を進化させることが要素技術の開発課題となった。半導体企業では他社に先駆けて次世代製品を開発し市場に投入することが、より重要になり、製品開発のスピードアップが不可欠になり、開発過程を迅速化する手段として、製造装置の評価を手始めに製造装置企業に関与させ、共同作業を通じて要素技術に関する情報が伝えられるようになった。製造装置企業は、半導体企業と共同で製造装置の改造を繰り返す中で、プロセス条件に関する情報を入手し要素技術の原理を理解するとともに、次第に改善の提案さえ行うようになった。ただし、このような製造装置企業は一部の大手に限られていた。その結果、個別の製造装置市場では寡占化が進んだ。そして、1990年代に入ると半導体企業は基本的なプロセス条件の最適化さえも製造装置企業に依拠できるようになった。

このような半導体企業が、要素技術の開発に製造装置企業を関与させるようになった他の理由は、半導体企業が設計技術やインテグレーション技術の開発に注力しようとしたためである。この背景には、1980年代半ば以降の電子機器部門と半導体部門の生き残り戦略が関係していた。電子機器部門は、当時の円高不況の中で、海外企業との差別化を図るため、電子機器の心臓部である半導体に赤価値を凝縮しようとした。これを契機に半導体部門はでは電は機器部門から要求される品種が膨大になった。一方半導体部門ではDRAMに偏重からDRAMを中心に据えながらもマイコンやASICにも事業を広げようとしていた。このように他の開発領域に経営資源を振り向けることが戦略的にとられていた。

さらに、DRAMの景気対策として、潜在的な余剰人員を抱え込まないために製造装置の自動化を志向した。人間がマニュアルを見ながら行っていた操作を製造装置に自動化させるには、開発段階からの製造装置企業との協力が不可欠であった。こうした自動化の過程でエンジニアやオペレータに体化されていたノウハウの装置化が進んだ。自動化なより製造装置が高度化・複雑化すると、半導体企業の側だけで製造装置のメンテナンスを行うことが困難になり、製造装置企業がメンテナンスやサポートも提供するようになった。

第4節 DRAM市場の競争に与えた影響

1980年代までの半導体企業は、チップの高集積化に必要な要素技術を開発し、それが体化された製造装置を使いこなすためのノウハウを確立するという一連の過程を自ら行うことなくして半導体製品を開発・生産することはできなかった。しかし。1980年代以降、半導体企業の要請を受けて製造装置企業が要素技術開発に加わることとなった結果、基本的なプロセス技術に関する情報が、参考資料と言う形で製造装置企業から流れる結果となった。

このことは、国内の技術基盤のないままに参入しようとする後発企業にとっては、自ら要素技術のアイディアを創出せずとも既存の製造装置を調達すれば製造に必要な技術・ノウハウの多くを獲得できるようになったことを意味している。そのうえ、個別の製造装置市場で寡占化が進んだということは、調達すべき製造装置の選択肢がかなりの程度まで絞り込まれていることを示している。ただし、共同開発された製造装置は、通常、他の半導体企業へのマーケティングが一定期間制限されるため、後発企業には一世代遅れの陳腐化した製造装置が販売されるのが一般的であった・それでも一世代前の製造装置はデバッグを経て製造装置の完成度がかなり高まっていることから、先行企業で同じ製造装置が導入された時点と比べて量産ラインの立ち上げ期間が短縮された。この結果、独自技術を持たない後発企業でも旧世代品を中心にDRAM市場に参入できるようになった。

さらに、1990年代になると、最先端の製造装置でも後発企業は、それを使いこなすノウハウを含めて入手することが可能になった。これは半導体不況とバブル崩壊の影響で半導体企業が製造装置企業のマーケティング活動を制約できなくなったことが原因といえる。

一方では、DRAM市場における競争の焦点も、需要の牽引役が汎用コンピュータからパソコンに交代することにより、寡占構造が崩れ品質データを基準にDRAM供給者が少数のDRAM需要者に絞り込まれる状況が一変し、それまで日本企業の成長を支えてきた前提条件が揺らぐこととなった。このような中で、製造装置企業が要素技術を保有することになり、半導体企業は必要な要素技術のすべてを社内で一から開発するよりも、製造装置企業が既に持っている要素技術を利用できるなら既存の製造装置を購入した方が得策だということなる。そのため、半導体企業の間での技術能力の差が縮小し、日本企業の差別化が図れなくなっていた。さらに、製造装置企業が基本的なプロセス条件を提示してくれるようになったため、半導体企業の競争においてノウハウの高さが決め手でなくなり、性能と生産性の高い製造装置をタイミングよく導入することがより重要になっていった。こうしてDRAM市場では、1990年代以降、コスト競争が前面に現われることとなった。

2012年4月19日 (木)

吉岡英美「韓国工業化と半導体産業 世界市場におけるサムスン電子の発展」(2)

第2章 DRAM市場におけるキャッチアップのメカニズム

第1節 DRAM需要の牽引役の交代

DRAMの応用製品として何と言ってもコンピュータが中心である。しかし、そのコンピュータと一口に言っても様々な種類の製品が含まれている。そこでコンピュータ向けに消費されるDRAMについての製品別の内訳の推移を見てみる。1970年代から80年代初めまでは、汎用コンピュータが過半数と、圧倒的な割合を占めていたが、1980年代に入ってからパソコンの生産が急増し、1988年に目覚ましい増加を記録して以来パソコンが中心に取って代わった。このことがDRAMの調達・供給に大きな変化を及ぼした。一つは、DRAMの出荷数量の増加である。つまり、パソコンの生産が急増した1980年代半ば以降、DRAMの世代では64K世代以降からSRAMの出荷数量が激増している。もう一つの変化は、DRAMのライフサイクルの長期化である。世代の製品市場が立ち上がってから衰退するまでの期間、つまり製品寿命が延びてきている。

ここで注目すべきは、DRAM需要の牽引役が汎用コンピュータからパソコンにシフトしたことが国によって若干の時間的ズレを伴っていることだった。米国では1980年代後半おきたダウンサイジングは、日本では1990年代にはいってからであり、半導体世代で言えば、米国市場とアジア・太平洋地区では256K/1M世代だったのに対して、日本では1M/1M世代からだった。そのため、汎用コンピュータとパソコンの両方を社内で生産している日本企業の場合、1M世代からDRAM需要の中心がパソコン向けにシフトし始め、4M世代になってから完全にパソコン向けが中心となった。このことと関連して注目すべきは、DRAM需要の牽引役の交代とDRAM市場におけるサムソン電子の急成長が同じ時期に起こっているということだ。つまり、サムソン電子の市場参入とDRAM需要の牽引役の交代という二つの現象に密接な関係がみられる。このようなことから、サムスン電子と日本企業が同じくDRAM市場で先行企業に追いついたといっても、それはそれぞれ全く異なる状況の中で実現されていたことが明らかになる。サムスン電子は1980年代以降、パソコン向けDRAM需要の増大に後押しされる形で日本企業にキャッチアップしたのに対して、日本企業は1970年代から80年代前半に汎用コンピュータ向けDRAM需要の下で米国企業に追いついたということである。

第2節 後発企業への参入障壁

1980年代初めまでは、DRAMの主な消費先は汎用コンピュータであり、その時に日本企業は米国企業にキャッチアップした。この要因は、日本企業が米国企業よりも高いレベルの品質を実現したことである。品質には設計品質と製造品質に大別されるが、日本企業は製品の不良率の低さや信頼性の高さという製造品質の面で米国企業の製品よりも優れていたことによって優位に立てた。

一般に企業の競争力の要因としての品質を考える場合、設計品質し製造品質との間の適合性、すなわち総合製品品質を見る。本来なら、設計品質で市場のニーズと適合していることが求められ、高い製造品質は総合製品品質の必要条件であっても十分条件ではない。ところがDRAMでは、製造品質が競争力の必要十分条件となっていた。その要因を考える。

その一つは汎用コンピュータでは価格以上に品質を重視する傾向があることだ。汎用コンピュータの使用期間は5~10年と長期で、その間コンピュータ企業は顧客に正常な動作を保証する。さらには汎用コンピュータは大容量のデータを高速で処理する高い性能が重視されるが当時のDRAM1個当たりの記憶容量は遥かに小さいものだったため数千個単位でDRAMを搭載していた。もし、そのうち1個でも故障したとしたら、その中から故障品を探し当てることは不可能だった。こうした製品特性から、欠陥ゼロや不良率ゼロが求められていた。

さらに、汎用コンピュータ市場において寡占構造が形成されていて、この時期のコンピュータ企業は内部に半導体製造部門を有する垂直統合型組織が一般的であった。そのため、需要者がDRAM供給者を絞り込むことが可能な状況にあり、そのふるい落としの基準として各社の品質データが重視された。さらに、DRAMの品質検査には多大なコストがかかるために供給者を絞り込み、とくに社内にコンピュータ部門をもつ半導体企業との取引が選好された。当時のDRAMは実際にカスタム品に近い性質を持っており、半導体企業の側にコンピュータ・システムの特性を十分に理解していることが求められたためである。

これらの需要者の調達皇道派、半導体企業間の競争にとっては、第一優先購入先のポジションを獲得している少数の企業の有利さとなって現れた。次世代製品の供給先を決める場合には、前世代の第一優先購入先とは、コンピュータ企業はコンピュータの製品開発とその構成部品の製品開発うまく連動させることを目的に定期的な会合の場を設けて、技術やマーケティングおよび将来の製品開発に関する情報交換を行っていたためである。このことは、それまでの第一優先購入先が、次世代でも再びそうなる可能性が高いことを示している。そうなると後発の半導体企業にとっては参入に際しての障壁となっていたと考えられる。

第3節 後発企業の参入

1980年代後半以降はパソコン部門やパソコン専門企業が主なDRAM購入先として台頭してくる。これに伴いパソコン企業の調達行動がSRAM市場全体の需要動向を大きく規定し直すこととなった。汎用コンピュータの分野では、DRAM需要者が認定の段階で供給者を絞り込んで主な購入先を決めていたのに対し、パソコンの分野でのDRAM需要者は、供給者間で見積もりを競争させるべく購入先の枠を広く取ったうえで、その中で価格と供給能力を基準にメインの供給者を決定するように調達行動をとる。

この要因は、ます、パソコンは製品サイクルが相対的に短く、構成部品の信頼性の面では、汎用コンピュータ向けに匹敵するほどの厳しい基準は課されない。この背景には、パソコン市場を拡大してきたインテルの戦略がうかがえる。インテルによるパソコン市場の掌握は、IBMパソコンに同社のマイクロプロセッサが採用されたことを契機として、その後、中核部品の供給において独占的な地位を形成・維持するために、2~4年という短いサイクル性能を高めた新製品を次々と市場に投入していった。これによりパソコンが3~4年度買い換えられる製品になった。これに伴い、パソコンの生産が増大しDRAMの消費量が急増した。そのため、パソコン企業にとってDRAMの供給企業を確保すること自体が重要になった。さらに汎用コンピュータに比べてユーザーに対する保証期間が短いため、生産経験のある半導体企業のDRAMならいずれも需要側の求める品質基準をクリアできるレベルにあり、需要者にとって供給企業の選択が容易になった。

これに加えて、汎用コンピュータ市場とは異なり、パソコン市場では同程度のシェアを持つ多くの企業が参入・競争しており競争的な指示用が形成された。IBM互換機を生産するパソコン企業はいずれもOSとMPUという中核部品を外部から調達するため、基本的に製品差別化を図ることが難しく、OSとMPUのバージョンアップや構成部品の部分的変更を通じたコスト削減が製品開発の中心にならざるを得ないからである。パソコン企業にとってはDRAMの調達コストをいかに低く抑えるかが重要な課題となる。このようにパソコン向けDRAMでは、メインの供給者を決定する際に価格が重要な課題となる。こうしてパソコン向けDRAMでは、メインの供給者を決定する際に価格が重要な選定基準になった。

このような変化の過程で、後発の半導体企業にも販路を獲得・拡大する機会が増えた。サムスン電子にとって絶好の機会であった。この時パソコン企業がサムスン電子からDRAMを調達する決め手になったのは価格メリットだったという。ただし、そのような価格メリットは取引開始当初の第一世代に過ぎない。また、パソコン木々用からすると、大量のDRAMを安定的に調達する必要があるため、安定供給を見込める生産規模の大きな企業帆メインにしようとした。それゆえサムスン電子の積極的な設備投資は供給者としての地位向上に貢献した。

2012年4月17日 (火)

吉岡英美「韓国工業化と半導体産業 世界市場におけるサムスン電子の発展」(1)

L16354 第1章 DRAM市場におけるサムスン電子の成長

第1節 後発企業から先行企業への変貌

サムスン電子はDRAMの世界市場において、1986年には3.3%に過ぎなかったシェアを、1992年には13.5%にまで伸ばし世界トップになると、その後ものばし、2008年では30%となっている。この中でとくに、2002年を境に下位企業とのシェアの差が急速に拡大している。さらに2000年以降営業利益率でも他社に対して高い成果を上げている。半導体産業は、基本的には需給市場の動向により決定される価格に従わなければならないと言われ、顧客にとってどの半導体企業からDRAMを調達しても違いがない中で、サムスン電子への集中度が急に高くなっている。

製品開発の側面では、1984年に64K世代からDRAM市場に参入し、16M世代で日本企業と並び、64M世代から製品開発を先導する立場に立った。DRAMの場合、次世代製品開発に先立って、そこに組み込まれるプロセス技術の選好開発が必要な場合があるが、サムスン電子が自ら、このプロセス技術開発に本格的に着手したのは64M世代の後期とされている。だが、半導体製品の開発には様々な段階があり、一般的には①半導体の国際学会での発表②エンジニアリングサンプル(第一次試作品)③コマーシャル・サンプル(第二次試作品)④量産工場の立ち上げ、と言う段階を経る。ところで64M世代の開発で先行したのは日本企業であり、サムスン電子が先行したのは③④の段階になってからだという。学会やエンジニアリングサンプルの開発では日本企業に遅れを取っても、その後の量産ラインの立ち上げに至るまでの期間を短縮することによって日本企業への追い上げを加速した。

サムスン電子と言えば、大規模で集中的な設備投資が良く言われるが、キャッチアップ過程では前年の売上高を上回る設備投資を行っていた。この時には財閥という組織構造のメリットを最大限に活用していた。オーナー個人が大規模な設備投資に伴うリスクを負担していた。しかし、1990年代半ばからは、平均して売上の30%程度の設備投資で、他社と変わらないレベルになっている。キャッチアップ完了後は資金面から見ても、事業活動から得られた内部資金を持って拡大成長をはかるという自律的な発展を実現している。半導体企業は基本的に需給バランスにより決まる市場価格に従わなくてはならないため、次世代開発で他社に先行しても、他社が追い付き供給が増えれば価格は半分以下に低下する。そのような条件のもとで半導体企業が相応の利益を得るには、次世代製品の先行開発を通じて高価格を享受するとともに、その後の価格の急落に備えてコスト競争力を強化することが重要な課題となる。サムスン電子の場合、次世代製品開発と市場投入で日本企業に遅れをとってキャッチアップ段階では、専らコスト引き下げを徹底してシェアと利益を確保することに努めた。しかし、規模の経済だけではない新たな優位の源を獲得したことにより、いっそうのコスト競争力を発揮するとともに、次世代製品の早期投入を通じた先行者利益の享受が可能になった。

第2節 DRAMの販売市場の確保

サムスン電子の半導体部門の売上高に占める内需の比率は、1986年に6.3%、2008年でも5.8%に過ぎず、DRAM事業の開始当初から輸出を通じて急成長を遂げてきた。輸出先を国別に見てみると、北米が50%近くを占めているが、世界需要構成と比べてみると、北米市場とアジア・太平洋市場向けに偏った出荷構成となっている。1990年までには、北米とアジア・太平洋及び欧州で中心的な存在となっている。そして192年以降には日本市場にも本格的進出を果たしている。とくに日本市場は、供給面から見れば社内あるいは国内で必要なDRAMを調達できるのに、日本の需要者はあえてサムスン電子から調達するようになっている。

第3節 製造装置の調達源

製造装置の調達は、組立用装置は相対的に国内調達が進んでいるとはいえ、米国と日本からの輸入が大半を占めている。

「難波田史男の15年」展(6)~失われた太陽

Nambatataiyousanka ここからは、難波田史男の様々な要素をそれぞれ展示していたようで、1968年に集中的に描かれた「太陽」をモチーフにしたシリーズが展示されていました。といっても、作品を見ただけでは、太陽というモチーフが、私には分りません。タイトルの一部に太陽の語があるので、かろうじてそうと分かる程度のものです。それは、しかし、あまりこだわる必要はないと思います。「太陽の讃歌」は原色の鮮やかさが一連の難波田の作品とは異質に見えます。

一般に抽象絵画というのは難解なもの、考えてしまうものというようなイメージが未だに残っていると思います。しかし、難波田史男の作品にはそういう感じがしません。水彩画というせいもあるのでしょうが、難波田史男の作品は、敢えてそう断らなければ、とりたてて抽象画であるとして鑑賞するということは、しないのではないかと思います。そういえば、何だか現実にはないようなフニャフニャした不思議な形がフワフワ画面を漂っているというような捉え方になるのでしょうか。それにしても、子供が描いたような無垢で素朴な、どこか懐かしいような、今風で言えば癒されるような感じを抱く、という、敢えて言えば‘下手うま’のイラストに近い捉え方をされるのではないか、と思います。それは、父親の難波田龍起もそうですが、抽象画と言えばすぐに思い出すような代表的な画家たち、カンディンスキー、クレー、モンドリアン、ポロックと言った人たちの画面は厳密に構成された人工的につくられたもので、緊張感の高いところから、どこか襟を正して勉強するというようなところが、どうしてもあります。これに対して、難波田史男の作品からはそういう作為が感じにくく、厳密なバランスとか緊張感のようなものは感じられません。自然体という事が似合うようなリラックスした感じが漂っているように感じられるのです。(ただし、そこには劇的な緊張感があるのですが)また、サイズが大きくなく、水彩画の淡い色彩ということもあるでしょう。難波田の作品を、普通の一般的な家庭の居間や玄関に飾ってあっても、違和感を起こさせるような強い主張もなく、そこにさりげなく収まってしまうのではないかと思います。むしろ、美術館で改まって向き合うというよりは、部屋に飾って時折眺めるというような方が、似合うような印象を受けます。もっと具体的な特徴を色々細かく見ていきたいと思っていたのですが、難波田史男の作品は、そういう対象ではないようなきがしてきました。

ただ、難波田史男の作品は、単に親しみ易いというだけのものにと止まらず、親しみ易いという、そのすぐ近くに先が見通せないほどの深淵が顔をのぞかせていて、通り一遍に見るだけでは味わえ尽くせないものを秘めていることも確かです。

というわけで、このあとの6~9については、ひとつひとつ書いていくのは、どうかと思います。後日、気が向いたら、追加で書き加えることがあるかもしれません。

2012年4月16日 (月)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(23)

10.自由の持続性

ここまで、適応度、遺伝子、脳状態といった三つの生命科学的な様相によって「自由」の問題を論じる道筋を簡単に追いかけた。次に、この道筋に対して、先に筆者が提示した二つの戦略を突き合わせてみる。

まず、リベットの実験について検討する。リベットは、重要な点で見落としをしているが、次の二つの点で異論が生じる。一つは、行為というものを一定の時間的幅を持つものとして解すると、実験で準備電位が発生する原因というのは、実験の指示に従おうとする意図なのだと捉えることができる。その場合、意図や自由意志が運動活動を起動することはない、という帰結を導く必然性はなくなることになる。もう一つは、リベットの言うように意図とか意志というものを瞬間的なものと捉えたとして、準備電位が「無からの創造」のように突然現れるわけではなく、何か原因があるはずで、その原因は本人の意図や意志し考えられないはずだ、というものだ。

11.倒錯か洞察か

筆者のリベットの実験に対する立場はこうだ。リベットの実験が問題にしている自由は純然たる記述的事実にのっとったものであり、したがって事実に関わらないf-自由には定義的に関わりようがないことが言える。ではp-自由を適切に扱っているのか。しかし、p-自由は何か価値的な問題性あるいは逸脱が生じて、責任帰属が問題となるときに現われる責任連関型の自由である。これに対してリベットの扱っている自由は、手首や指を曲げるという行為の自由というものであり、それが責任と連関するとは言えない。つまり、リベットが扱っているのはp-自由ですらない。

そもそも自由というのは、束縛がないという一般的な意義において理解されるにしても、実際は無機的な物質には適用されず、濃密に人間的な概念であって、そうした人間的側面は規範的なありようとして機能している。したがって、そうした自由に対して、リベットのように、単に記述的事実を以て対処しようとしても、壮大な的外れに終わる危険がある。

次に言えるのは、リベットの議論は自由度の概念に対する親近性を一切持たない。彼の議論は、運動行為の起動点が意志ではなく準備電位にあるということを示唆するだけで、準備電位とが当該行為を引き起こす確率といった発想はない。その意味で、自由という問題を基本的に取り違えた倒錯ではないかという疑いを生じさせる。

リベットの自由を経験科学的にのみ解明しようとする立論は、哲学の伝統的自由論の末路であり、そこに至る倒錯の顕現であるといえる。

12.不確実性と規範性

適応度や遺伝子の様相のもとで検討を続ける。これらはリベットの場合と比べて、適応度の場合は適応度差というように確率論的なものであると捉えられる。適応度の様相の議論は遺伝子の様相の議論にも当てはまるが、それがどのように自由度に結びつくのかは明らかではない。

つまり、時制による区別に関しては、脳状態の様相と両者とも同じように純然たる記述的事実を記しているだけであり定義上f-自由には関わりえない。また、p-自由は過去の事実だけにとどまらず、責任帰属という規範的な側面も持つハイブリッドの概念である。しかし、両者には生命科学的な提示があるだけで、規範的な含意はない。従って、自由という問題、自由という語法に対しては真に届いていないと考えられる。他方で、このような議論は、生命現象に基づいて自由を論じる時には、自由にまつわる規範性が落とされてしまうという懸念であった。しかし、事実/規範という対比を厳として議論を一刀両断できるか。という議論を提起する。

つまり、事実と規範という区別は厳として存在することは確かだとしても、両者を区分ける境界線は必ずしも明瞭ではないという議論だ。事実/規範という対比は、ある種のゆらぎのもとにあると言うべきなのではないか。自由の度合いという不確実性に対して、さらにこうした事実/規範の対比それ自体にまつわる高階の不確実性にも考慮を払わなくてはならないのではないか。

そこで、章題「自由は生命現象か」に対しては、確かに自由は生命現象であるという側面を持つ、しかし、そうした側面は、つねに自由に宿る規範性を考慮しながら探求されなければならない、と。ことの本質は、生命現象にもまとわりついている、不確実性にある。そのリアリティを正面から見据えること、それが我々には求められている。

「難波田史男の15年」展(5)~線と色彩の融合

Nambata1968_2  ここで展示されている作品は、前章のコスモスとも言うべき整然とされた画面から、滲みという手法を活用することによって、あらたなステージに入ったことを示しています。まず、「ある日の幻想」では明確な輪郭を備え、強靭に存在を主張していた線はインクを滲ませることで、線の輪郭がぼやけ、極端な場合は流れて拡散してしまいます。さらには、水彩絵の具による彩色に線のインクが溶けて滲んで黒い靄のような状態でなります。また、彩色のされ方も「ある日の幻想」のときのような輪郭に沿ったものから、輪郭線とは関係なく画面のある面を彩色するようになってきます。その彩色の水で溶いて色をうすめ筆により濃淡があらわれる水彩の特徴を活用していくものになって行きます。そして、彩色の水彩と輪郭のインクの両方が滲んで、時には溶け合う、融合するような渾然一体となるような効果を産み出すようになりました。また、水彩絵の具にインクがにじんで混じり合うと、インクの強い黒が混じることになるので、どうしても全体の色調は黒が入りグレーの要素が強くなります。これ以降の難波田の作品の色調はグレーを基調としたものが多くなります。しかし、もともと、この人は20代前半では暗い色調のドローイングを多数描いていた人でもあり、根底には、グレーという色調への嗜好があったのではないか、それを方法的に意識的に用いることができるようになったのか、この時期以降ではないか、と思います。というのも、ここで展示されている作品は、色調こそ暗いものの、かつての陰惨な感じはしなくなっているからです。そして、これ以降、不定形さが歪みではなくて、不思議な揺らぎを感じさせる、まるで海の底を漂っているような、横波にユラユラ揺れるような動きを秘めたダイナミクス(といっても激しいものではないのですが)を獲得していったように思います。そして、難波田史男の作品の基本的なパターンというのは、ここで固まったのではないかと思います。

   て言っても、この人の作品を見ていると、デッサンの勉強のような基礎訓練をあまりやっていないような気がします。というのも、例えば、彼の作品を見ていると奥行ということが全く考えられていないで、徹頭徹尾平面的な思考がなされているような点が指摘できます。抽象画だから奥行は関係ないと言われるかもしれませんが、画面の構成という事は抽象でも具象でもないわけではありません。その際に、難波田の画面というのは、平面的でしかも横方向の拡がりしかない。このような構成のあり方と言うのは、幼稚園のお絵かきの時間に幼児が描くものに通じているように見えるのです。この場合、一般論として考えられるのは、目の前の事物を写実するということはあまりなくて、日曜日にお父さんとお母さんと遊園地に行ったことを描くというような、イメージを頭の中で構成し、それを描いていくと、それは写真のような写実的なイメージとは程遠くて、画面もどちらかというと平面的なケースがあって、いくつかの項目が時間系列や画面上の主従が考慮されず並列的に羅列されるというものでしょうか。それは、まるで難波田の作品の特徴を言っているようなものです。基本的には、難波田の作品から感じられるのはそういうものです。だから、展覧会パンフレットでも無垢といった形容が為されるのではないでしょうか。勿論、彼の作品はそんな単純なものではないですが、それをもとに洗練させていったのが彼の作品のエッセンスにあるといっても、あながち的外れではないと思います。

そこで、前にも少し触れましたが、彼と作品との間に亀裂がないという幸福な作家であったように思います。難波田は高校卒業後、深刻な悩みを作品にぶつけたりしていますが、素直に作品に悩みをぶつけられるほど、描くという行為自体に対する懐疑は感じたことはないのではないか。その意味で、描くという行為との関係はとても幸福であった。例えば、前々回に触れた実存主義という思想は、社会や文化というような色々なものをまとってしまったものを全て脱ぎ捨てて裸の自分というものが、ここにある、ということから始めるというようなものでしたが、その後、構造主義という運動の中で、そういう裸の自分という考え方自体の中に文化とか社会とかいった脱ぎ捨てたものの影響があるので、ありのままの自分という考え方そのものは実はフィクションに過ぎないと批判します。

例えば、絵画を描きそれを作品として売るというこの商業性について、アンディ・ウォーホルはキャンベルのスープ缶をコピーしたものを大量に作品として世に出して、作品を描くという行為に疑問を投げかけてみせました。だいたいが描くということに自分をぶつけるということは近代になって絵画が王侯貴族の装飾や寺院の装置としての役割から脱したことではじめて獲得したことです。だから、たかだか1世紀程度まえに始まったものです。しかし、難波田史男は、そういうことにお構いなく、営々と大量の作品を描き続けることができた。その意味で、難波田の作品には、描く楽しさというのが、どの作品からも感じられるのではないでしょうか。それが難波田の作品の親しみ易さとなって大きな魅力の一つとなっているように思います。

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(22)

5.「自由度」の概念

筆者が自由を論じるに当たっての第二の方針として、自由という概念は、自由か自由でないかという二者択一的な思考には決して馴染むものではなく、「どのくらい自由か」という意味での程度を許容する点である。すなわち、筆者は自由の程度説を受け入れるべきと考える。

例えば日常的な事例で言えば、運転免許証を持っている人の方が、そうでない人に比べて職業選択の自由の度合いが違う。これは内容的にはf-自由だが、同じ論点はp-自由にも当てはまる。例えば船が転覆し、緊急避難の状態で、ボートに乗るために他人を押しのけてしまったとしても、その場合、自由に行動を選択できる度合いが少ないので、その責任も少ないものになる。こうした議論の道筋から見えてくるのは、自由度の概念と、責任の程度、つまり、責任度とは一部重ね合わせて理解できるということだ。ただし、このような対応関係は、あくまで回顧的な自由度と責任度の間に成り立つに過ぎないのであり、展望的な自由度については成り立たない。責任は回顧的なものだからである。

こうした自由度の概念は、行為者に内在的に、正当性を跡付けることができる。すなわち、行為者の精神的なありように沿って自由の程度が語られることの日常性を容易に指摘できる。一般に責任能力という概念のもとで問題となる心神喪失や心神耗弱に関する程度が当然ある。この点からして、自由度の概念を導入する正当性が確証できる。こうした様々な自由度はp-自由に関してだけでなく、f-自由に関しても当てはまる。

自由の問題を論じるに当たって、自由度という程度を必ず考慮していくべきだというのが、筆者の第二の戦略といえる。最初の自由の多義性は、自由に程度があるという、この事情にも誘引されて生ずる。

6.決定論の拒絶

こうした観点に立つならば、手戦闘的な自由論の問題の立て方、すなわち自由と必然は両立するか、あるいは自由と決定論は両立するか、という問いかけはミスリーディングであると言わなければならない。というのも、こうした問いかけは、自由か自由でないかといった二者択一的な立場を導入しているからである。こうした問題の立て方は自由度という概念には馴染まない。

筆者が決定論を拒絶するのは、それが自由度を扱う態勢になっていないからだけでない。決定論という概念それ自体、字義通りに受け取った場合、「すべては因果的に決定されている」とする考え方で、「すべては」という以上、未来に生じる事象も含めて丸ごと「決定されている」ということになる。こうした理解不能の断定を含意しているからだ。ここには、過去の事象がすでに確定しているという過去理解から、すべてが「決定されている」という無時制的な主張へと、不注意かつ無自覚的にジャンプしてしまう事態が潜んでいる。これが決定論的誤謬だ。

7.犯罪行動学の生命科学的条件

自由の問題、ひいては責任の問題を、生命現象を媒介して理解していこうとする観点、すわわち、適応度、遺伝子、脳状態などによって「自由」な状態を判別したり、分析したり、といった発想で見ていく。

一つには、進化論的観点がある。コンラート・ローレンツは、進化理論的観点から、人間同士が攻撃し合ったり闘争し合ったりすることが、自然の条件の下で、淘汰を促進し、その淘汰のおかげで人間という種が保たれてきたという趣旨の議論を展開している。簡単に言ってしまえば、人間がいわば自由意思によって他者に危害を与えた時、場合によっては殺害に及んだ時、そうした自由意思をさらに根底から突き動かす原因となっているのは、進化理論的な意味での適応度なのだ、ということである。

こうした生命科学的条件に犯罪行動の原因を位置づけようとする捉え方は、現代まで綿々と続いている。精緻な議論が展開されてはいるが、生命科学的な条件に暴力行動の原因を求めるという発想の点では変わりない。こうした方向性の見方に従うと、本人の自由意思によって犯罪などを犯しても、その根底には、意志に先立ってすでに成立していた生物的な条件が因果的に作用していたのだという理解が姿を現してくる。

8.リベットの実験

9.拒否する自由

リベットは実験から、「自発的な行為につながるプロセスは、行為を促す意識を伴った意志が現れるずっと前に脳で無意識的に起動する。これは、自由意思というものがあるとしても、自由意思が自発的な行為を起動しているのではないことを意味する」こうした結論は、我々の自由の観念に対する常識に著しく反する。我々は通常、自由に身体を動かしたり行動したりできると見なしているし、そうした行動は自分の意志によって起動されていると常識的に捉えている。しかし、リベットはそうした常識は脳状態についての事実に反すると論じている。リベットは、自由意思の意義を、意志プロセスの起動ではなく、行為遂行の誘導とか、行為遂行の拒否・中断というところに求める。

2012年4月15日 (日)

「難波田史男の15年」展(4)~コスモスへの旅

Nambataaruhi  個人的なことですが、若いころにまんが家になりたいと思っていました。それなりに、作品の真似事を書いて見たりしたこともありました。しかし、そういうことをしているうちに、同じような志向の人たちと付き合うようになりました。その中には、絵を描くことが日常になっているような人がいて、日常のごく普通の所作として、まるで会話をするように手近の紙片にペンや鉛筆で何の気負いもなくサッと描いてしまうのです。本人は特に意識しているわけではなく。私が、何を描いたのかと尋ねると、はじめて本人が描いていることに気づくというようなことがありました。それを見て、勝てないと思いました。そうことや、いろいろあって、現在はしがないサラリーマンですが。

難波田史男の作品を見ていると、そういう、まるで息をするように、自然と描いてしまうような、絵といつも一緒のような人であるような感じがします。それは、これだけの多数の作品を制作し得たということが何より、その現れであると思います。そして、高校を卒業して受けた美術教育に馴染めず悩んだようなことや不安をそのまき反映したドローイングを多数残しているというように、悩んでいたり不安でいたりすることをそのまま描くというこことに結びついているのです。その間に断絶はなく、懐疑的に陥ることはなかったのではないか、と思います。というのも、本人が気が付いているのかどうか分かりませんが、そういうドローイングや作品を見ていると、だんだん上手くなっているのが、追いかけられるのです。それが、よく分かるのが、ここで展示されている「ある日の幻想」(上図)という作品ではないでしょうか。

Nambatakure 全体の色調は決して明るくはないのだけど、本当に極細であるのに輪郭のはっきりした強靭な線が、細密に描き込まれたのが(ナスカの地上絵のような構図)がダイナミックな動きを生んでいる。このような線の描き方は、この前に展示されていた作品には、あまり見られなかったもので、まずはその線の濃淡や細太でさまざまにバリエーションづけされ、極細の線が稠密にひかれたところもあれば、太い線が単独でひかれ強調されたり、それらが時に交錯し、動きを生んでいる。その上に赤い細かな点が点描のように濃淡をつけてアクセントのように散りばめられている。それが時に鈍い赤の靄のようになって、画面全体が横にひろがり、そこに浮遊しているようだ。誰かが、パウル・クレーの「ゴルゴタへの序幕」(左図)を思い起こさせると仰っていましたが、靄が広がるバックに細かな線が交錯している様は似ていると思います。しかし、クレーには、難波田の作品あるような浮遊感とか横への空間的に拡がりは感じられません。難波田の作品の方が開いた感じがします。この作品は難波田の方法がだんだん手馴れて上手くなって行くのと同時に、ある客観性を獲得していった結果だと思います。それが、見ようによっては、この展示タイトルようにコスモス(宇宙)を感じさせるのかもしれません。

そして、横長の「不詳」という10点(一部を右図)を横につなげた作品は、さらに赤を基調とした色調で、「ある日の幻想」で縦横に交錯した様々な線が、ここでは線だけとどまらず、幾何学的な図形モチーフを作り出している。それらが、さまざまなに着色され、画面を浮遊している、時に黒く着色されたモチーフが画面にアクセントを与えているが、それらは緻密に構成されたというのではなくて、そういう緊張感は感じられないが、その緩やかな感じが、逆に作者が即興的に描いたことを想像させます。そして、「ある日の幻想」で効果的に用いられた赤の点描的な靄がここではポイントをしぼって効果的に用いられています。決して明るい色調ではないのですが、即興的な感じと共に愉悦感というのか、楽しげな感じ印象を受けるものとなっています。カンディンスキーのある種の幾何学的モチーフを配置した動きを感じさせる作品を思わせるものとなっています。しかし、独特の軽さとか愉悦感は難波田の作品の方により感じられるものになっています。

Nambatafusyou10_3 ここでの展示タイトル「コスモス」は宇宙的ということだけでなく、秩序という意味もあります。これらの作品を見ていると、その前の展示作品にあった要素が整理されて、客観性を獲得したことで、画面に一種の秩序のようなものを感じられるようになっています。秩序というとモノモノしいです。古代ギリシャでは宇宙をコスモスといいましたが、その反対の意味として、混沌の意味でカオスという言葉と対比的な用い方をしていました。これは、いろいろなことに応用されました。野蛮に対する文明とか、雑音に対して調律された音楽を指したりとか、さらには人体そのものを秩序みてミクロ・コスモスと呼んだりしました。そういう意味で、難波田史男の作品はコスモスを獲得したものとなっていると思います。しかし、それは決して安定した固まったものではないのです。「不詳」の10点の連作も決して、手放しで明るいという作品ではないのです。さきほど、古代ギリシャのコスモスの話をしましたが、ニーチェは『悲劇の誕生』の中で、そのようなギリシャの明るい明晰な古典的秩序の世界をアポロン的と称しましたが、その背後には暗くカオスに満ちたディオニソス的と称する深淵が隠されていて、ギリシャ的コスモスには、カオスとの鬩ぎ合いがその背後で為されていることを指摘しました。難波田の一見、軽快で愉悦感のある世界にも同じようなせめぎ合いのドラマが隠されているのです。

2012年4月14日 (土)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(21)

第5章 自由は生命現象か─時間差と自由度の導入

1.自由をめぐる錯綜

自由というものは恐ろしく多義的であり、自由を論じる領域の両義性をももたらしている。

前章末でも述べたとおり、自由とは大まかに言って「束縛されていない」ということだ、というように要約することできる。このような要約は、束縛という概念が因果性を暗示する点からして、自由の概念と因果性の問題との深いつながりを示唆するする意味で、大いに意義はある。さらに言えば、自由は、定義的に、記述的な意義だけでは尽くせない、規範的含意を有しているとも要約することができる。

しかし、そのように自由を大まかに要約できると言っても、まず、どういう意味で束縛されていないのかはっきりしない。規範性についても同様だ。

2.p-自由とf-自由

このような状況に対して筆者は二つの方針をもって臨むとしている。第一は、自由について論じる時、過去時制における自由の記述にまつわる問題圏(p-自由)と、現在時制そして未来時制における自由の記述にまつわる問題圏(f-自由)を区別する、要するに、自由という現象に対して時制差による二種を区別する、という方針である。

こうした時制差による二区分を設けることの根拠の一つは、p-自由は責任の概念あるいは少なくとも行為帰属の働きと本質的に結びついていて、そこには事実問題と規範との両方が要素として絡み合っているのに対して、f-自由は、責任概念との結合はなく、本当に事実問題としてのf-自由が成り立っていることは不可知で、基本的に規範の問題という対比が認められる。

また、それぞれの自由はパラドキシカルな特性を持つ。p-自由は定義的に過去の行為や出来事に関わっているが故に、当然ながら、事実として現時点においてはp-自由が帰属される事柄を操作することはできない。また、f-自由については、事実問題として、それが成り立っているかどうかは定義的に検証不能である。

3.二つの条件文

この根源的な問いに対して、筆者は二つのタイプの解答を提示する。

第一に、自由の問題は、事実記述的な側面だけではなく、規範的な側面を導入することによって再構成すべき問題である。したがって仮に事実として自由が成立していないという論点を認めたてしても、それだけでは自由は幻想であるであることは導けない。

第二に、p-自由とf-自由のいずれに関しても、それらは、現実世界の事実事象にシンプルに対応するだけの条件なし文ではなく、条件文の形式で定式化されなければならない、したがって、現実世界の事実に対応していないことが自由の不成立の根拠にはならない。

こうした検討を通じて、p-自由とf-自由の区別のもう一つの重要な根拠が露わとなってくる。さきのp-自由は責任帰属に関わるがf-自由はそうでないという差異から、二つの自由の区分は「反事実的条件文」と「直説法条件文」との相違にも対応している。

4.遺脱・責任そして権利

p-自由は、定義的に「あなたがこれこれの行為をなしたとき、あなたは自由だった」というような自由のことであることから、当該行為に関して何らかの価値的な問題性が発生したので、それが自由かどうかが問われている、という背景事情を含意している。いってみるならば、p-自由は「逸脱起因性」を持っているのである。すなわち、p-自由は、日常的であって価値的な問題性が発生しないような行為、たとえば日常のありふれた行為は、自由という問題を論じる対象にはならない。ここには、確かに、どこがp-自由を適用できるのかどうかの境界線となるのか、という点で曖昧性がある。けれども、逸脱起因性の構造には紛れがない。そうした価値的問題性と絡むことが、p-自由が規範的な文脈の中で立ち現れて来るという事情と即応している。同時に、p-自由は、同時に、すでに事実として生じた行為や出来事に関わるという意味で、事実やデータを素材として持ってもいる。つまり、p-自由は、事実的な側面と規範的な側面とのハイブリッドとして成り立っている自由なのである。

これに対して、f-自由とは、「あなたは自由にどこにでも行けます」と言われるときに現われる自由であり、事実として本当になしうるのかどうかは分からない。このf-自由は、p-自由とは根本的に違って、責任概念との連関性を持たないし、決着した事実やデータなどをその本体として有してもいない。その際、f-自由の主体は、帰属先は何なりか。p-自由の場合は、帰属の対象としての行為あるいは行為者が自由の帰属主体であった。これに対してf-自由の場合は、許可あるいは可能性という意味での規範性のもとで、そうした規範を実行できる能力を持つ人格が自由の帰属先となる。そうした能力の本体は、権利の概念と融合していくはずだ。つまりは、p-自由がいわゆる責任基底的倫理を志向しているのに対して、f-自由は権利規定的倫理へと融合し、ひいては究極的には徳倫理へと結びつきうる。

2012年4月13日 (金)

「難波田史男の15年」展(3)~無意識の深みから

Nambatafusyou しかし、展示ストーリー通りにはいかず、これに前後してドローイングとして続けて描かれたものは、作品として発表されることを前提としていないためか、もっと不安定で、暗く重苦しい、解放とは正反対のものが続けて作られています。画面はグレーの鈍いグラデーションにより暗い画面となり、ペンにより引かれる線が乱雑で、ある種の内面をぶつけるかのようで、線が滲み、時にインクが流れ出してしまいグレーの染みのように拡がってしまうのは、陰惨さすら感じさせます。20世紀ヨーロッパのアンフォルメルが実存がむき出しになるような不安定さを、歪んだ形態や画面に絵の具の塊を塗ったりしたのに近い印象を受けます。例えば、ヴォルスのような。しかし、若い難波田は徹底的の平面の広がりでやろうとしたと思います。そこで実現したのは、アンフォルメルのいかにも、深刻そうで、重苦しく、あまり見ていたくないような作品とは違って、ある種の軽さをもちながらも、その中に深刻なところがあり、二極化した画面に作者のドラマを想像させるものとなっていました。それは、平面の画面に屈折と内容的な深みを与えているように思われます。

Nambatavols ※アンフォルメルというのは、左のヴォルスの作品がそうです。1950年頃のヨーロッパで展開された芸術運動で、英語にすれば、アンチ・フォームと言うのでしょうか、定型的なものを否定するということになるのでしようか。第二次世界大戦で戦場となったヨーロッパで、戦争により破壊され廃墟のようになったところで、旧来の秩序も文化も破壊され、個人が裸の状態でいる、というのを「実存は本質に先立つ」というテーゼを打ち出した実存主義が一世を風靡した時代です。「実存は本質に先立つ」というのは、すべて破壊されてしまった状態で、何も持たない個人は、とこかく、「今」「ここに」「いる」というだけの状態、つまり、現実に存在している(実存)わけです。それから、じゃあ、どう人生を生きるべき(本質)とか、ということは、先ず食べることが、つまり生きることがあって、その後で、考えるということです。これに対して、今の社会ならば、社会とか、家族とか国家、とか色々な秩序があって、その中でどう人生を生きるべきかを考えて、それに従って就職をしたり、結婚を考えたりして人生をそれなりに過ごしていくわけです。この場合は本質が実存に先立つ。しかし、考えてみれば、これは制約の多い、人によっては息の詰まるような環境かもしれません。

さて、そういう実存主義と同じような土壌でアンフォルメルは、絵画はどうあるべきかとかいう「本質」よりも、既にそこで描いてしまう「実存」が先のあるというようなあり方をやったわけです。だから、こう描くべきというような約束事は無視した。結果として、画面に絵の具を厚く塗り固めたような物体が「存在」するような作品ができた。実存主義、本質に先立ち、まず存在しているというのは、制約はないかもしれませんが、個人を守ってくれるものは何もなく、不安を起こさせるところもあります。つまり、そういう人間の状態をそのまま画面にぶつけるような歪んだ、何だかわからないような形を画面に描くような作品が多く作られたというわけです。代表的な画家として、ヴォルス、デビュッフェ、フォートリエといった人々がいます。

Nambatasaiseki ちょうど、難波田史男がこのようなドローイングを描いていたころ、実存主義の旗手であるサルトルの著作が日本で翻訳されて紹介され、実存主義の小説家カミュがノーベル賞をもらったりして、日本でも実存主義が流行していたときです。難波田史男自身もカミュを読んでいたようで、あながち、関係ないとも言えないのかもしれません。

そして、この若書きの作品は、描かれた形態や画面の構成といった、題材の面では、後年の充実した作品と、巧拙の違いはあるものの、あまり変わっていないのです。難波田の15年は一貫しています。本人は、どう思っているか分かりませんが、私が見る分には、難波田史男という画家は、同じ題材をさまざまなアプローチや手法で、繰り返しチャレンジすることで、作品世界を広げていったと思えます。その根底には、画家と絵というものの幸福なつながりがあったのではないか、と思えるのです。その関係は終生変わることはなかった。ただし、画家本人にとっては、幸福と感じられたか、足枷のように逃げられない束縛と映ったかは分かりません。間をおかず見た、ジャクソン・ポロックや野田裕示といった人々の作品を見ていると、絵というものに対して懐疑的になって、距離の置き方で迷っているのが実感されたからです。それに比べて、難波田史男には、そういう迷いがない。だから、難波田の20歳前後のドローイングには懊悩や不安が投影されているような感がありますが、ストレートに絵画というものにでてくる。そこで、絵画との関係が疑われるなら、別のルートが試されるだろうし、全く違った作品が試みられるだろうと思いますが、展示されている作品を見る分には、そういう軸のブレは一切感じられませんでした。

この時期の「彩色画7」という作品では、繊細な線が画面に現われ始め、明るい色彩の選択や全体としてポップに描かれているように見えて、全体の印象は重苦しいものになっています。

2012年4月12日 (木)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(20)

17.存在論的な矛盾

「真理値グラット」とは「真でも偽でもある」という事態を認めるということであり、それはすなわち矛盾を認めるということだ。この矛盾に関して二つの方向から重大な疑問が生じる。第一に、「真理値グラット」の例は、単に異なる観点や時点捉えた時に、相反する真理値をもつということであって、それはまるで、いま空腹でありかつ30分後に空腹でない、ということを矛盾だと言い立てているようなものだというものだ。この問題は矛盾とは何かということ関わるものだ。従来、矛盾は構文論的に「一つの文とその否定との連言」としてあるいは意味論的に「真であり同時に偽である」として理解されてきた。さらに一つの状態が両立不可能な性質を持つことという存在論的な矛盾もあるが、そうした状態が世界に存立している実在的事実ならば、ここでの矛盾した性質は文字通りには両立不能のはずがない。真に両立不能ならば、事実として存立しているはずがないからである。よって、存在論的矛盾とは、ある種の衝突や対立であると考えられる。こうした意味での矛盾が、曖昧な対象について「真理値グラット」の考え方を導入した時に発生している矛盾と捉えられる。同じことは、言語的な「ソライティーズ」にも当てはまる。

このような仕方で矛盾を意義付けたとしても、それを言語表現として扱うときに字雄大な第二の疑問が出てくる。いったん「p&~q」という恒偽式を前提として認めると、それを前件にした条件文もすべて真なるものとなり、よって前件肯定式により、いかなる命題も真なるものとして正当に帰結されてしまうことになるからである。

これに対しては、言語的なあるいは意味論的な曖昧性、そしてそこから発生する「ソライティーズ・パラドックス」を、判断主体の傾向性と捉え返して、その確率を問題にして矛盾の実在を許容することにより、存在論的な曖昧性と連続させること、それが「確率評価論」の道筋であった。そして、こうした「真理値グラット」に訴える道筋が、反対方向であるエバンズの議論から顕わとなった存在論的な曖昧性の問題からも導かれてきたのであった。

ここまでの議論では、矛盾が実在するという論点が、言語的であれ、存在論的であれ、曖昧性という問題の核心をなしていることになる。

18.確率と自由度

筆者の考えのラフなスケッチとしては、曖昧な対象をめぐって生じる「多数問題」やエバンズの議論などのパズルは、そして実は言語的な「ソライティーズ・パラドックス」についても、それを推論したり判断したりする主体のあり方としての「傾向性」というポパー的確率の問題として捉え返すことができ、そうした確率概念の導入こそが「真理値グラッド」の立場に整合するのであり、そのように捉えることによって曖昧な道徳的概念を用いた判断や推論などに「程度」が導入されて新しい眺望が開けるだろう。

確率とは、判断内容について肯定と否定の両方が現に実際に発生しているという状態、即ちある種の実在的矛盾を許容する文法なのであり、そういう意味で「真理値ギャップ」とではなく、「真理値グラット」と整合的なのである。また、排中律に対する態度を考えてみると、確率概念そしてぃつばん的な「真理値グラット」の立場に関してはそれは恒真と認められるが、「真理値ギャップ」つまり多値論理的な立場ではそうは認められない。その点でも、確率の文法は「真理値ギャップ」ではなく、「真理値グラット」に整合するのである。しかも、単に「真理値グラット」と整合的というだけでなく、程度も考慮でき、よりきめの細かい分析のツールとなりうる。

以上のような着想に従うと、「自由」というメタフィジックスの核心的主題への適用である。「自由」概念の中心的な意義は、自発性の自由であれ、拘束からの自由であれ、「他のものに強制や束縛をされていない状態」ということだと思われる。しかし、これは曖昧な状態である。よって、ある人が自由な状態にあるかどうかは、そうであるともないとも確定できない事例を許す。このひとの自由な状態についての問いを、これについて判断する人のあり方、すなわち「自由な状態にある」という主張に対して肯定する人の「傾向性」へと集約させる。この「傾向性」は確率であり、その意味で「真理値グラット」に対応しながら、度合いを有する。このアイディアに従うと、ある人の自由という状態には度合いがあることになる。即ち、自由度である。自由度というのは、日常的には何の違和感もない概念だが、哲学の自由論ではなかなか主題化がされにくかった。こうした「自由の程度説」と呼ぶべき考え方、それがここでは明確なトピックとなって姿を現してくる。

章題の「曖昧性は矛盾を導くか」に対しては、こう答えられる。曖昧性はたしかに矛盾を導く、しかしその矛盾は確率の文法によって対処可能なリアルに発生している因果的効力を有する矛盾である、と。言語的な曖昧性から発した議論は、「ソライティーズ・パラドックス」、そして存在論的な曖昧性へと論が展開し、エバンズり議論の検討を経由して、「真理値グラット」の考え方へと収斂し、それを具現化する傾向性としての確率概念の適用を示唆するに至り、しかもその応用例として「自由」及び「自由度」の問題を射程に収めることにひとまず辿り着いた。

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(19)

13.多数問題と1001匹猫

だとすれば、もともと言語的曖昧性に関して提起されていた「ソライティーズ・パラドックス」が存在的曖昧性に発生して来ることは想像に難くない。けれども、存在的曖昧性、つまりは曖昧な対象の問題は、言語的曖昧性の問題とそっくりまったく同じというわけではない。存在的曖昧性に固有の問題も提起されてきたのである。ここで二つのパズルを取り上げて考える。

一つ目のパズルは、アンガーが提起した「多数問題」である。アンガーは「雲」という曖昧な対象の例からこのパズルを導入する。雲は、遠くから見ると輪郭がはっきりしているように見える場合でも、近づいて見ればそれは小さな水滴の集まりなので、中心から離れてゆくと、それぞれの水滴が雲の内側にあるのか外側にあるのかはっきりしなくなる。それゆえ、ほぼ間違いなく雲の内側にあると言える水滴の集合に、そうしたハッキリしない辺りの水滴のそれぞれを一つずつ加えてできる多数の集合は、みな等しく、まさしくその雲である、と見なされる資格がある。しかるにそうなると、ここには一つの雲ではなく、多数の雲が存在するということになる。他方で、それらの集合のどれか一つを雲ではないと捉えるとすると、他の集合もみな等しく雲ではないと捉えなければならないことになる。ということは雲は存在しないということになる。では、一体果たしてどのように一つの雲が存在するということが言いうるのか。これが「多数問題」である。

これをどう解決するかは、濃密にどのような存在論を採用するかに依存している。しかし、筆者は、範囲を限った「ソライティーズ・パラドックス」の一つのヴァージョンとして構成し直すことができるだろう。

14.エバンズの議論

曖昧な対象についての「多数問題」の射程がすべて「ソライティーズ・パラドックス」に還元されてしまい、問題性という点でも言語的曖昧性と同化してしまうと直ちには言えない。以上の議論の流れから明らかなように、「多数問題」は結果的に対象・現象の同一性という問題系を曖昧性をめぐる論争をもたらしたのであり、それは「ソライティーズ・パラドックス」についての意味論的論争とは差当り異なる系統の問題提起であった。そして、まさしくこうした「同一性」を自覚的に主題化することによって、曖昧な対象の問題に固有な第二のパズルが現れるのである。ギャレス・エバンズにより提出されたそれは、まず、世界そのものが曖昧性という性質を本来的に持ちうること、そして、同一性言明にはそうした世界の曖昧性のゆえに確定的な真理値である「真」や「偽」を持たない言明があること、この二つの論点が仮定的に導入される。そして、それに二つの論点を組み合わせると、世界のなかには同一性が不確定な諸対象が存在するという考え方が導かれるが、それは果たして整合的な考え方なのだろうか、と問題が立てられる。

15.ポスト・エバンズ

エバンズの議論は提出された直後から多様な観点からの反論や問題点の指摘が頻出した。まず確認できるのは、エバンズの議論の結論それ自体が端的に間違っているという反応だ。

16.「真理値グラット」再び

エバンズの議論に対して抱く素朴な疑問の一つは、そもそも果たして(1)と(5)は矛盾しているのか、というものであろう。(1)は要するに「a=bは確定的に真理値を持たない」と読めるので、それは「a=bは真とは言えない」ということを含意していると思われる。しかるに、その含意はまさしく(5)そのものではないか。だとしたら、(5)はむしろ(1)からの自然な帰結であって、両者に矛盾はないとみえるのである。こうした反応を促す背景には「不確定性」というものを「真でも偽でもない」という「真理値ギャップ」として捉えるという考え方が潜在している。こうした傾向は、言語的曖昧性の問題そして「ソライティーズ・パラドックス」に対する対処としてかなり有力だと思われる「重評価論」が「真理値ギャップ」の立場に立っている、という事情にも呼応していると思われる。

エバンズの議論の(1)と(5)とが矛盾していないように感じられるという直観を導く捉え方として、(1)を「a=bは真でもあるし偽でもある」とする捉え方である。このような真理値のあり方は、「真理値ギャップ」に対して「真理値グラット」と呼ばれる。もし、「真理値グラット」の立場を採用するならば、(1)と(5)とは矛盾せずスムーズに整合する。なぜなら、その立場では、(1)が「a=bは真であるし偽でもある」である以上、そこから(5)「a=bは偽である」は自然に導出されるからである。かくして「真理値グラット」の立場が、エバンズの呪縛から脱却する有力な突破口になり得ることが見込まれる。

実際、こうした「真理値グラット」の捉え方は、曖昧な事態の実在性という論点とも符合する。現象や対象の輪郭のぼやけという事態は我々にリアルな因果的影響を及ぼす。しかるに、「真理値ギャップ」の捉え方は「真でもないし偽でもない」というようにネガティブなもので、実在として因果的効力を持つようなポジティブな事態とは結びつかない。これに対して「真理値グラット」の立場ならば「真でもあるし偽でもある」という肯定的な理解仕方なので、実在的な因果的効力を説明し得ることが見込まれる。

このように論を展開して来ると、「多数問題」に対しても一つの解決が生まれてくる。「多数問題」は正確には「多数か無かの問題」と呼ぶべきディレンマのパズルなのであった。けれども、「真理値グラット」の立場を採るならば、これはディレンマではないことが導かれる。例えば「雲」でも、輪郭のぼやけという点で、それらはまさしくいろいろ多数の互いに異なるあり方を同時に持ち合わせている対象なのであって、そうした肯定的な意味で、もともとから「多数」なのである。「多数問題」はこうした迂回した仕方で「真理値グラット」の考え方を志向していたのであり、そこに「多数問題」の意義があったのではなかろうか。

2012年4月11日 (水)

「難波田史男の15年」展(2)~自己とのたたかいの日々

Nambatajikotonotatakai 「自己とのたたかいの日々」は、連作なのでしょうか、5枚が展示されていました。1961年難波田史男が高校を卒業した翌年の作品ということになります。ものものしい題名や展覧会のパンフレットの文章、さらには、“自己との戦い 精神の戦い その中に神をやどすのだ 内部から、ひっぱりだすのだ”という当時の日記の言葉から、重苦しいものになりそうなもの。となりそうなところが、全体的に色鮮やかであることと徹底して平面的であることや、余白が息抜きのような効果をあげていて、息苦しさや重苦しさを表面的には感じさせないものとなっています。

不安定な曲線で囲まれた歪んだ不定形は、強いムラで色が塗られたり、粗っぽい塗り後がそのままに残されていて、画家がぶつけているようにも思えます。しかし、そこに表現の激しさが追及されているにもかかわらず、水彩とインクという材質の効果もあり、油彩のような塗り後が盛り上がった塊として画面上の重く残ることはなく、サラサラと流れてしまっているため、重苦しさや野生的なところは感じさせません。また、塗り残しがあることによって、余白が生まれ、油彩のような画面が厚く塗り固められてしまうことによる息苦しさから免れていて、いい意味での抜けが生まれています。それが、うまく視覚的効果を上げる結果となっています。難波田史男は、それを意識的かどうかは分かりませんが方法として生かしている、と思います。

思春期の青年が内省的な自己との孤独な戦いというと、得てして一方的な思い入れや感傷的な自己陶酔に陥って、見ていられないものになりがちです。しかし、この連作は、平面性に徹することで乾いた軽さを獲得し、作品として鑑賞に堪えるものになっていると思います。

後年の作品のような線の洗練はなく、ぶつけて線を引いているような感があり、描かれた形も後年のハマったような充実した感が未だありません。その一方で、たとえば、ここにある作品では基調となっている青色の滲む感じが鈍色の要素が加わることによって、純粋な青の濃淡で感じられる爽やかさとは異質の重さを醸し出す効果を出しています。さらに、インクの滲みが余白にスポット的に散在している。これが、色鮮やかで平面として画面構成された世界が、単に表面的で明るいキレイキレイした画面世界にとどまらない、奥行きと暗さを与えている。

この連作は、数枚の作品を後日、父親である画家の難波田龍起によってまとめられたとのことですから、おそらくそこでセレクションがなされ、このようなまとまった形のものになったと思います。結果としてですが、父親の手が加わったことで、難波田史男の処女作品として、他人の鑑賞に堪えうるものとなったのではないかと思います。一般的に言われる処女作というのとは違いますが、ここに難波田史男の作品の特徴が原初的な形で現われています。この展覧会を見ると。難波田史男のこの後の15年間の画業は、この原初的なパターンから遠ざかることなく、このパターンの中での試行錯誤と洗練と充実に費やされたと言っても過言ではないと思います。それだけ、当初のイメージの力が強かったのではないかと思います。

この後「解放された日」と言う作品が続いて展示されています。これは展示ストーリーとして、自己とのたたかいの日々の次に解放された日と順番に展示されていて、何か作っている…という感じがなきにしもあらず、です。そういったストーリーが、納得されてしまうように、一種突き抜けたような印象の作品です。この作品と「自己とのたたかいの日々」の連作との大きな違いは、余白の大胆さにあると思います。余白が大部分を占めるこの作品では、前の連作に比べて物足りない感じがする一方で、大きく開けた、いままで閉じていた空間が一気に開いたような印象をうけます。それだけ浮遊感がより浮き立つようです。多分、展示ストーリーとしては、この作品でこの時期についてひとつの区切りをつけたい、ということなのではないかと思います。「解放された日」はそれに適うだけのエポックメイキングな作品になっていると思います。

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(18)

10.確率評価論─ハイブリッドの試み

「ソライティーズの因果説」が、存在的曖昧性の問題に傾斜しているとはいえ、「真理値グラット」アプローチに合致していくという、これまでの議論の流れをさらに基礎づけるため、そうした事態に見合った「真理」概念の改訂について検討する。この真理概念の描出を、今回主題的に検討した「細評価論」の着想を混ぜ合わせる、つまり「ソライティーズの因果説」と「細評価論」のハイブリッドの試みである。

存在的曖昧性についての因果的・確率的な分析は、意味論的な分析ではないので、「精確化」という場合分けの操作は使えない。しかしながら、境界線事例に対して確率的に接近していくときにも、原理的に、少なくとも二つの場合分けが常に生じてしまっている。この二つの場合分けに沿って真理概念を規定し直してゆけば、確率の文法の中に「真理値グラット」を取り込める、しかも「細評価論」の着想を利用する形で取り込める。もちろんその場合、こうした意味での「本当に真」と「本当に偽」とは、判断主体のうちにある、それぞれ異なる因果的効力をもつ傾向性として解されるわけである。要するに、「精確化」の代わりに、それぞれの「確率分布」に依拠して真理値評価を行うということである。これが筆者の提起する「ソライティーズの因果説」と「細評価論」とのハイブリッドの骨子である。これは「確率評価論」とよぶ。

「確率評価論」では「絶対に偽とは言えない」という限りでの「本当に真」と、「絶対に真とは言えない」という限りでの「本当に偽」とが、判断主体の傾向性として同時に併存している、その意味で矛盾が現実に発生している、しかし、それぞれの傾向性には0.6と0.4という因果的効力差がある、というように捉えていく立場である。この考え方は、真理概念が問題となっている以上、意味論的な含意を当然持っているが、しかし同時に、傾向性という実在的現象についての因果的分析としての認識論的な主張でもある。こうした二義構造は、もちろん、「ソライティーズの因果説」と「細評価論」とのハイブリッドという性質の繁栄にほかならない。

11.輪郭のぼやけ

「確率評価論」の意義を曖昧性という問題の全体像のなかで十全に位置付けるには、「ソライティーズの因果説」を根底から支える把握についてさらに踏み込んで検討しなければならない。それは、存在的な曖昧性の問題それ自体について掘り下げる必要がある。というのも、この存在的曖昧性という領域には、それ固有の問題性がつとに指摘されてきたもので、それへの検討なしに、「ソライティーズの因果説」として「細評価論」はその射程を測りきることはできない。その固有の問題性とは何か。その導入に当たるのが輪郭のぼやけという問題である。

輪郭がぼやけている現象や対象はいたるところに存在している。台風などはその典型だろう。どこから台風の暴風域に入るのか。どこから台風の眼なのか。そもそも台風とは一種の風や雲の集まりなのだから、風も雲もクリアカットな事物などとは到底言えない代物である以上、台風という事物はいわば本来的に輪郭がぼやけているのである。ということは、台風のぼやけた輪郭辺りの所にいる人は、「自分はいま台風の中にいる」と言うべきなのか、「自分は今台風の外にいる」と言うべきなのか迷うことになろう。そして実は、原理的に言って、同じことが通常の物理的現象や物理的対象一般に広く当てはまってしまうのである。こうした状態は、「自分はいま台風の中にいる」という事態と「自分は今台風の外にいる」という事態との、いずれも不成立なわけではない、というように捉えられると思われる。もし、不成立なわけではないということを広義に考えて成立していることと等置してみるならば、この状況はひとつの事態が成立しており、同時に成立していないというあり方をさししめしているのではないか。だとしたら、矛盾が実際の状況として実在しているということにならないか。現に発生している矛盾は、具体的にはこういうことだと言っても良いのではなかろうか。

12.曖昧な対象

そのように捉える時、存在的な曖昧性の問題が純粋に立ち上がってくる。というのも輪郭のぼやけは、境界線が曖昧であるということにほかならず、しかし同時に、その曖昧性は、台風が例となっていたことからも分るように、自然界に存在する現象や対象にダイレクトに関わる形で生じている曖昧性であると思われるからである。今日手背は曖昧性の問題は「言語的曖昧性」と「存在的曖昧性」とに区分されて論じられるのが標準的である。言語的曖昧性が曖昧な述語つまりは意味の曖昧性に関わるのに対して、存在的曖昧性は「曖昧な対象」に関わるということである。

この二つの曖昧性の区分それ自体、決して鮮明ではなくあいまいである。そして、存在的曖昧性が対象の境界や輪郭の曖昧性であり、対象がそもそも我々の言語に規定されたものである以上、言語的曖昧性と存在的曖昧性は混じり合う。

他方、言語的曖昧性の方から見ても同じことが言える。「摂氏21度は暑い」という文を肯定できるかどうか明確でない、つまりは「真」なのか「偽」なのか明確でない、として捉えるとき、そうとらえる判断主体の状態は一つの自然現象である。「ソライティーズの因果説」は、以上のような観点に立って、真理値評価をする主体の状態を傾向性と捉え、そうした傾向性を客観的確率としての傾向性に重ねつつ、ここでの因果性を確率的因果として捉えていくという道筋をてんかいしている。それは結局、言い方を換えれば、言語の意味について生じる曖昧性は、それを判断する主体の傾向性という、自然に存在する現象・輪郭の曖昧さとして捉え返せるということを意味する。つまり、言語的曖昧性もこうした意味で存在的曖昧性の問題と融合して行くはずだということである。

2012年4月10日 (火)

「難波田史男の15年」展(1) 東京オペラシティギャラリー

Nambatapos 2012年3月24日(土)近代美術館でジャクソン・ポロック展を見て帰ろうと思っていたら、ふと気が向いて館内の常設展を覘いてみたら、この展覧会の存在を知り、もう終わりが近いことを知り、衝動的に発台まで足をのばした。土曜日の夕方というわりには、ポロック展に比べれば、来館者も少なく、静かに落ち着いた雰囲気の中で作品を見ることができた。

何で急に思い立ったかといえば、パンフレットの作品の何とも軽やかな浮遊感や明るさ、そして躍動する線、それであるにもかかわらず一種の繊細さ、静謐さに驚いたためです。パンフの文章の“日本の抽象絵画の開拓者である難波田龍起の次男として生まれた彼は、非凡な才能を見せつつも既成の美術教育にはなじまず、文学や音楽を糧としながら独自の表現を求めました。自己の内面を見つめ、また時代や社会の現実にも視線を向けるなかから生まれた作品は、史男の研ぎ澄まされた感性を瑞々しく伝えています。”という説明と、その作品とにギャップを感じ、興味が湧いたためです。展示はその説明文のストーリーに沿ったもので、点数としては、多かったと思います。ただし、大作というものは少なく、ほとんどが水彩やスケッチで比較的規模の小さいものが中心といえました。

難波田史男の作品は、ある意味ではワンパターンで、画用紙にインクと水彩で、シュルレアリスムのオートマティスムによって描かれたようなアンフォルムな形態が、画面に中で浮遊していて、それを繊細で躍動感のある種々の線がとりまき、水彩独特の滲みや余白を活かした画面構成で、一見、明るく、描く楽しさが溢れるような喜悦感ある画面になっています。表面的な画面の印象はヴォルスのようなアンファルマルに通じるところもありますが、油絵の重い質感がないため、画家の実存がストレートに反映されるような重苦しさは感じられません。一時期のカンディンスキーににているところがあると思います。

難波田史男の作品には、それぞれ題名が付けられていて、画面にはそれらしいものが、それらしい外形でそこここに躍動しているように見えます、抽象画に近いものだと思います。印象としては、幼児が描く作品のような写生というようなことに捉われない、自由でプリミティブな「お絵かき」のようなものに見えるのではないでしょうか。そういう外見から、純粋さとかナイーブさといった印象を持ちます。まるで子供が嬉々としてお絵かきをしている楽しさがあふれ出ているような気がして、見ていて幸せな気持ちになることができる。というのが、私が難波田の作品に接した第一印象でした。作品の題名は、最初からこれを描こうとして決められていたというよりは、作品が描かれて、それを見て便宜的につけられたような気がします。その反面、ほとんどが水彩やデッサンという事からかもしれませんが、存在感とか画面の厚みというようなものは相対的にあまり感じられない、リアルの重量感というよりはファンタジーの軽やかさとでもいうのでしょうか、そういった印象でした。

何しろ展示点数が多いので、まとめるようなことは言いにくいのですが、印象に残ったものを中心に、個々の展示されていた作品に沿って、感じたことを述べていきたいと思います。

1.自己とのたたかいの日々

2.無意識の深みから

3.コスモスへの旅

4.線と色彩の融合

5.失われた太陽

6.色彩の深まり

7.幾何学と生命の表現

8.自己と他者の物語

9.生と死の彼方へ

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(17)

6.双対性

「細評価論」が古典論理的な推論を限定的にしか許容しないという性質を持っている。「モードゥス・ポネンス」に対する対応がそれを例証している。「細評価論」では古典論理直ケル妥当な付加が成立しない。

「細評価論」では各々の文の真理値評価はそれぞれの精確化に相対的なので、「A」を真とする精確化と、「B」を真とする精確化とが同一の精確化であるとは限らず、よって「A」と「B」とが真として前提されても、そこから「A&B」を導くことはできない。同じ事情が「モードゥス・ポネンス」の場合にも当てはまっていたのである。「A」と「A⊃B」が真として前提されても、それぞれを真とする精確化が同じとは限らないので、「A⊃B」を真とする精確化が「A」を偽と「B」を偽とする精確化がある場合、「モードゥス・ポネンス」は妥当でなくなる。「モードゥス・ポネンス」が妥当となるのは、あくまでも二つの前提が同一の精確化において真とされている場合だけなのである。古典論理において成り立っているとされる「付加価値」や「モードゥス・ポネンス」などは語義曖昧の誤謬を犯しているのであり、「細評価論」はそうした誤謬に陥ることのない論理システムなのだされる。「細評価論」による「ソライティーズ・パラドックス」の解決も、実のところこうした語義曖昧を暴露し整理する、という仕方で提示されたものに他ならない。

このような「細評価論」が古典論理的な論理的真理を保存しないということは「重評価論」にも当てはまる。双方は、互いに異なる真理概念を提示しているのだが、それはどちらも古典論理からの意味論的逸脱を示している。

7.存在的な曖昧性

こうした「重評価論」と「細評価論」との双対的事態を受けて、「ソライティーズ・パラドックス」に直面し、それを解消する有力な方策として「重評価論」と「細評価論」という二つのどちらを選択すべきか。双対的事態に照らすならば、どちらをよりよい解決策として抜き出すことはできない。そして、こうした事態に陥るのは曖昧性の問題と「ソライティーズ・パラドックス」を意味論的に捉えるという方向性それ自体が間違っていると指摘する議論もある。だとすると、曖昧性の問題は、むしろ世界に属することで当て、言語に属するものではない。存在論的ということになる。

筆者は「重評価論」と「細評価論」には決定的な相違があり、それは行為論的相違と呼ぶ。「重評価論」は行為として遂行し得ない真理値評価に基づく、その意味でもともとから純粋に意味論的な理論にとどまる内在的本性を持っているのに対して、「細評価論」は行為として遂行しうる真理値評価に基づいているという点である。「重評価論」は、すべての精確化を重ね合わせて真理値評価を行う考え方だが、精確化は無限数あり得るので、実際には本当に重評価することはできない。よって、理念的にのみ「超真理」の概念は導入されるに過ぎないのであり、したがってそれは世界の事実とは言いにくい。それに対して、「細評価論」は細分されたどれかの精確化にのみ照らして真理値評価をすればよいのだから、実際に遂行可能であり、少なくともそうした行為出来事として世界の事実に対応する。こうした視点から曖昧性の問題として「ソライティーズ・パラドックス」を考えていくという道筋は、現に矛盾が発生しているということを含意する。これが存在的曖昧性という問題である。

8.「真理値グラット」と確率の文法

存在的曖昧性という問題圏において「真理値グラット」を捉えようとした場合、さしあたり現に矛盾が発生していると認めることから議論を起こすのだとしたら、「真理値グラット」の考え方は少なくとも手懸りとしては本質的だ。「真理値グラット」は定義的に矛盾を認める考え方だからである。

筆者は矛盾とは未決の課題であることから、存在的曖昧性の問題を論じる際に、矛盾を主題的に導き入れることには問題ないと言う。この場合、「ソライティーズ・パラドックス」を実際に発生しているリアリティとして捉えて、そこで現に生じている矛盾を確率の用語に回収する、という方策が「真理値グラッド」の考え方をこの問題に正当に導入するのに有効ではないかと言う。「ソライティーズ・パラドックス」は、自然的及び人為的どちらの意味も含めた意味で、世界の実在的事実であり、その意味で存在的であり、それゆえ意味論的解明のみならず、あるいはそれに先立って、その因果的メカニズムについての記述的解明が為される必要がある。そのように考えた時、境界線はあるけれど気づいていないと論じる戦略や、「真理値ギャップ」アプローチに比べて、「真理値グラッド」アプローチはかなり有効な方策となる。なぜなら、境界線はあるけれど気づいていないとする見方は、文字通り我々の「気づき」の認識の事実には即しておらず、世界の実在的事実の技術的解明には寄与しないし、「真理値ギャップ」もまた、どっちつかずの、いわば懐疑的な未決状態の意であり、そのままでは、因果的効力を持たないのに対して、「真理値グラット」アプローチは、真であると断定し同時に偽であると断定する、という確定状態であり、それは明らかに因果的効力を持つと言えるからである。

こうした「真理値グラット」を、意味論的ではなく存在的に捉える時、確率の考え方は有力な基盤となり得る。なぜなら、確率とはもともともからして、ある主張とその否定との両方にそれなりの可能性を許容するという文法であるとみなせるからである。

9.傾向性確率と矛盾

このような議論はフィールドによって展開されたが、「真理値グラット」が確率と結びつく第一の例は確かになるけれど、同時にそれは、不完全許容性と矛盾許容性との双対関係に基づく議論であり、その意味で「重評価論」つまりは「真理値ギャップ」との双対性を前提にする議論である点に注意したい。しかし、「ソライティーズ・パラドックス」で発生する矛盾が実在的な事象であり、因果的働きをなしうる実際的効力を持つ、そして「真理値ギャップ」はそうした効力を持っていないが「真理値グラット」にはそうした効力がある、というコントラストあるいは非対称性を見届けることが筆者の捉え方である限り、「真理値グラット」と「真理値ギャップ」との双対性を文字通りに承認する議論をそのまま追認することはできない。

例えば、「摂氏13.5度の気温」という「寒い」の境界線事例に対して、「摂氏13.5度の気温は寒い」という事態が成立している確率を問題とすることによって、「真理値グラット」アプローチに沿った仕方で、しかしリアリティに関わる存在的曖昧性という問題圏のなかで、矛盾を導入することができると筆者は言う。

ここで言及されている確率については、存在的曖昧性を主題化するというこれまでの議論の方向性からして、客観的なものでなければならず、傾向性にとしての確率を念頭に置いている。

「ソライティーズ・パラドックス」の推論遂行のプロセスを確率概念に依拠しながら記述的に分析することで「存在的」曖昧性の問題に立ち向かう、という議論の方向性が確立して来る。そしてそうしたプロセスの確率概念の働きは、一つ一つの推論を順次「因果的」に結び付けてゆくことにあり、したがって、ここで主題となる因果性は第2章で主題化したような確率的因果であることが浮かび上がってくるだろう。

2012年4月 9日 (月)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(16)

第4章 曖昧性は矛盾を導くか─「真理値グラット」アプローチ

1.矛盾の爆発性

「曖昧性」とは、主に言語表現の述語に現われる性質で、その述語を使用して文を作った時、その文が真か偽かについて判定しにくく、ここまでは真でその先は偽といった鮮明な境界線を引けないような事例、すなわち「境界線事例」を許すということによって特徴づけられる。この曖昧性の議論の背後には、論理、知識、倫理の諸問題に本質的に曖昧性の問題が関わっていることの認識が浸透してきたことがある。その根底には「ソライティーズ・パラドックス」というパズルをどうしても産みだしてしまう事態への再注目があった。

言語使用、推論実践、倫理的判断、そうした我々の活動は完璧ではなく、誤りがあっても、全体としてどうにか成功している。そうした活動場面においてその内容が全く意味不明になったり、競合したりしたとしても、互いに内容の理解はできるわけだし、結末の諸可能性についても大筋見当がつく。しかし、その活動全般にわたの曖昧な言葉が出現する。例えば、すべての形容詞や動詞がそうだ。このような状況は、学問的・科学的分析を加えて厳密化・精緻化をいくら施したとしても,残存し続ける。なぜなら、そうした分析の結果を「知る」ことによって、その分析は完結するわけだが、その「知る」という言葉が曖昧だからである。

ところが、「ソライティーズ・パラドックス」の示すところによると、そうした曖昧な言葉は明白な矛盾を産み出すことになる。矛盾が生じるということは、事柄に何の意味も持ちえないということである。なぜか、矛盾は爆発的だからである。矛盾をいったん認めたら、何でもかんでも真だと認めることになってしまうことを意味する。矛盾を認めるならば、その言説は無秩序になってしまって、結局何ら有意義なことを示せない。これが爆発的と呼ばれる。ということは、「ソライティーズ・パラドックス」を解消することができなければ、推論、認識、判断といった活動が合理性から遊離した、内実のないものとなってしまう。

2.「ソライティーズ・パラドックス」再び

例えば、「摂氏2度の気温は寒い」が文句なく認められるとして、0.01度だけ高い気温を考えた時、それが「寒い」から「寒くない」に変わってしまうことは考えられない。0.01度の違いなど識別できない。実際、ハッキリした違いを識別できず、鮮明な境界線を引けず、「境界線事例」を許してしまうということが「曖昧性」の本性といえる。いったん、この論法を認めてしまうと、摂氏2.01度からさらに0.01度高い場合も「寒い」と認めるしかなく、そのよう認定は連鎖的にずっと続くことになる。そうして、摂氏38度も「寒い」ということになってしまう。これが「ソライティーズ・パラドックス」の推論である。

「ソライティーズ・パラドックス」の、形式の単純さの背後に潜む理論的深刻さは、矛盾を産み出すという点にこそある。さきの例で言えば「寒い」という連鎖は続く一方で「摂氏38度は寒くない」という文から始めた場合、同様に連鎖は続く。その場合、摂氏13度について「寒い」と「寒くない」の両方の帰結が導かれることになる。

3.真理値ギャップ

「ソライティーズ・パラドックス」の解消については、いくつかの立場が哲学者たちによって提起されてきた。まずは、このパラドックスを促す曖昧性は言語的なものなのか、存在的なものなのか、という区分に意識的である必要がある。また、このパラドックスがどの次元で生じているのかについて、認識論的、意味論的、心理学的、そして因果的といったように問題の身分を区分けして行くことも求められる。さらには、パラドックス解消のやり方として、前提の拒否、論理形式の拒否、パラドックスを受諾してしまう、といったことも考えられる。

ここでは、まず「ソライティーズ・パラドックス」を言語的なものと捉えて境界線事例をどう解するかという観点から見ていく。その場合、境界線事例に関する態度として、(1)実際に鮮明な境界線は存在するが、無知や錯覚によって境界線が引けないと感じていると論じる(認識説、文脈主義)、(2)文字通り鮮明な境界線は存在しないとする(重評価論、程度理論)、という二つの立場がある。筆者は(2)の立場を優先的に考えたいとしている。

(2)の境界線は存在しないと捉える時、境界線事例に対して「真とも偽とも言えない」または「絶対に真であるとも、絶対に偽であるとも言えない」という評価が現れる。これが「真理値ギャップ」の考え方である。この考え方に則ったもので影響力の大きいのが「重評価論」である。境界線事例があるがゆえに「ソライティーズ・パラドックス」が産みだされるのだから、パラドックスを解消するためには境界線事例の範囲のどこかに(人為的に)境界線を引き、曖昧な述語を鮮明なものにして、境界線事例をその述語の肯定的外延(真の範囲)か否定的外延(偽の範囲)かのいずれかに振り分けねばならない、と論じる。こうした線引き操作が「精確化」である。精確化の仕方はきわめて多数あり、このうちどれかを特権化することなく、これらすべての精確化による真理値評価を重ねていく、という意味論的な操作が「重評価」と呼ばれるものだ。

4.真理値グラットの導入

鮮明な境界線は存在しない、ということを、「真でもあり同時に偽でもある」というように捉えるのが「真理値グラット」と呼ばれる。この考え方は矛盾した文を真であると認めることになるので、爆発性が発生しないことになる。

5.細評価論によるパラドックス解消

「細評価論」は、結果的に見れば、「真理値グラッド」アプローチを採るという意味で、「矛盾許容性」と親和するという点でも「双真理説」とほぼ同じ考え方になる。「双真理説」とは、文字通り、一つの文に対して「真」と「偽」という二つの真理値を適用することを許す立場、言い換えれば「真なる矛盾」を認める立場のことだからである。

「細評価論」は「ソライティーズ・パラドックス」において基本原理として使用されている推論原理「モードゥス・ポネンス」を妥当でないとして拒否する、というパラドックス解消法を提示するのである。例えば境界線事例にある文、「摂氏13.5度の気温は寒い」は、矛盾許容的アプローチに従えば、真であり偽でもあるのだから、真である。しかし、それは同時に偽でもある。ということで、「モードゥス・ポネンス」に基づく推論は形式的に妥当でないことになる。こうして「ソライティーズ・パラドックス」の推論は妥当でないとして退けられる。この解決は、「重評価論」が「ソライティーズ・パラドックス」の前提のどれかを誤っているとして斥けることでパラドックスを解消するのに対して、明白に異なった解決の道である。

2012年4月 8日 (日)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(15)

26.規範としての自然選択

これまでの議論から、生命現象に関する主題は、自然選択と遺伝的浮動という区別を明確化していこうとすることではなくもかつてビーティが記したように、生命現象の変化について確率論的な分析を可能な限り探求すると言う方向に向けられてしかるべきだねということになる。過去についての完全な記述、未来についての絶対的な予見などは、実際上だけでなく理念的・原理的にも不可能なのだということを自覚化し、完全な決定性には至らないと言うことを念頭に置きながら、なんとか精度の高い確率・偶然性の具体的な付置を目指すこと、それが合理的な主題設定でなければならない。これは生命現象が自然現象であるという側面を持つとき、順当な帰結であると思われる。自然現象は決定論的ではなく、非決定論的に生起しゆくものだからである。

ここで、筆者は、このような議論の展開にもかかわらず、単なる偶然とはどうしても思えないような生命現象があることを無視できないと言う。生命現象は自然現象であると同時に、人為現象であるという両義性を持っているのだから、その両義性ゆえに、ゆらぎゆくことを避けられない。

我々が、自然現象を観察した時に感じる非偶然性は次の二点である。

(1)「過去の確定性」に大きな支持を受けていること、つまり、すでにそうなってしまっていた、という既在感を基盤としていること、

そしてその上で

(2)我々の日常言語による語法からして「なぜならば」という原因や理由による説明が「氏」に即して直ちにできること、

筆者の指摘は、(1)と(2)の条件によって非偶然的な変化として理解されてくる、という直観レベルの理解がまず基盤にあって、そこからサイエンスとしての自然選択理論が立ち上がり得ているのではないかという、そういう事情である。

自然選択と遺伝的浮動は連続していて切り分けられないのだが、直観のレベルでは選択と浮動の区別は(1)と(2)の条件に従って為される。そして、特に(2)の条件に強調点を置いて、こうした区別は我々の言語に固着している語法の「規範性」によって為されている。アリクイの口の尖った形はアリを食べるためで「なければならない」のである。そういう風に我々は言葉を既に使ってきているのである。理解し始めた瞬間には、我々はこのような語法の規範性の中で物事を理解し、コミュニケートしているのであり、そうでない語りは、差当り文法違反なのである。こうした事情が(1)の「過去の確定性」という既在感と結びつくとき、過去の確定性・決定性という我々に根深く宿る形而上学的信念の正体が露わとなってくる。それは、そのように確定・決定されたものとして捉え「なければならない」という規範性の様態なのである。

27.決定性と偶然性の共闘

ここまで論を進めると、生命現象に関して、何故単なるランダム浮動とは異なる自然選択と言う意味での決定論的語りが、理論的な困難を持つことはすぐに分かるはずなのに、繰り返し繰り返し現れて来るのかという次第も解き明かされてくる。ます、(1)の条件があり、そこから過去の確定時の全時間への拡張と言う(理論的には錯覚の)「ブーメラン決定論」の種がまかれ、次に重ねて、(2)の条件により、規範性が織り込まれ、その限りで生命現象には「ア・プリオリ」に様相が埋め込まれていく。こうして、理論的にはどう考えているも偶然性の深遠に入り込まざるを得ないはずであるにもかかわらず、しぶとく決定論的語りが蘇生して来る。要するに、規範としての決定性、これが自然選択を遺伝的浮動と切り分ける実相なのである。

実は、「偶然性」の概念それ自体にも、決定論を呼び込んでしまう本性があったのである。もともと「偶然性」という我々の語法は、「過去の既在性」を包含している。「昨日、偶然彼に出くわした」というのは自然な語り口だが、「明日、偶然彼に出くわすだろう」というのは「偶然」と言う語の文法に反している。その点で、実は「偶然性」は、決定論を呼び起こす条件(1)を満たしているのである。けれども、偶然性は「過去の既在性」たけでなく、全く意図していなかった「意図外部性」という特徴も持っている。意図されたり予想されたりすることに対しては、「偶然に」という言葉を適用しないのは、おそらく偶然性概念のまさしく基礎文法だろう。こうした意味で、「偶然性」は、「あらかじめ決まっていた」と言うあり方から外れると言う点で、「確率」概念と結びついてきたと考えられる。つまり、「偶然性」は「過去の既在性」にもともと基盤を持つと言う限りで、無時間制あるいは未来志向性とも馴染みうる「確率」概念とは本来異なるのだけれど、「意図外部性」と言う性質をも持ち、それは「あらかじめ決まっていた」と言うあり方からの逸脱を含意する点で不確実性の様相を本質的に帯びており、それ故に「確率」概念と結託してきたのであり、そのことで「偶然性」は普遍的な概念となってきたと理解することができる。

偶然性は、決定性と異なり、つねに予想の外部にあるという事態にもともとの基盤を持ち、さらには確率と概念的に結託し、そうした結託を通じて未来にも適用されうるようになってゆく。決定論と両立し、そうでありながら決定論と離れてゆくと言う、こうした偶然性のつかず離れずの自在性こそ、自然と人為の両義性のなかでつねにゆらぎゆく、という本性を持つ生命現象と相即不離に偶然性概念が語り出されてくる所以といえる。かくして、章題の「生命現象は偶然的か」に対しては、然り、生命現象は本来的に偶然的である、しかし同時に規範性という次元で決定性と融和的に語られる瞬間もある、と。

2012年4月 7日 (土)

野田余示展「絵画のかたち/絵画の姿」

2012年3月22日(木)国立新美術館

Nodatnran セミナーがあって都心に出かけた。終わったのが午後5時前。折角、都心にでる数少ない機会なので。何か展覧会でもと思って、探してみたら、平日の美術館というのは遅くても6時、早いところは5時に閉館になってしまう。それでは、会社員は見るなということなのか、とちょっと思った。たまたま、国立新美術館は閉館が6時だけれど、入場は5時30分まで間に合うので、思いついて行ってみた。国立新美術館には、これまで行ったことがなかったので、美術展だけでなく、美術館も見に行こう。と思ったけれど、いくつかの企画展を併行してやっていたり、初めてなので勝手がわからず、思わず時間がかかってしまい、出展数も多かったので、肝心の作品は駆け足で眺めることになってしまった。

たいていの場合、とくに予習するわけではないけれど、だいたいのイメージのようなものを抱いて、美術展に臨むのだけど、今回は、何の予備知識も用意もなく、行き当たりばったりできてしまったせいか。展示されている作品との接点が掴めずにいた。結局、それが最後まで続くことになってしまった。

抽象画ということになるのだろう。大画面のキャンバスに一定のバターンで板切れなどを貼り付け立体感を出などの工夫が、なされアクリルで着色された作品が、WORKSの題名で並べられている。「分からない」という呟きが喉元まで出掛かっている。

展覧会パンフレットを見ると、絵画の本質を問い続けてきた、ありました。それは、私がここに展示されている作品に接点を見つけることができず、じっと居心地の悪い思いをしてきたことと関係があるかもしれません。ここで、誤解して欲しくないのですが、このようなことを書いているのは、全く私の側の事情によるものなので、展示されている野田さんの作品の価値を貶めるような気持ちは全くないことは、ご了解願います。というのも、相前後して見たジャクスン・ポロック展での、ポロックの作品は「絵画」としてすんなり見ることができたのに対して、野田さんの作品は、「絵画」として何かしら落ち着きの悪さを感じたためです。具体的にどこがどうと指摘するのか、これから考えていきたいと思いますが。その前に、展覧パンフにあったような「絵画の本質を問い続け」るということを野田さんが行っているのが真実だとしたら、そこには、野田さん自身が「絵画」というものとしっくり折り合いがついていないのではないか、と言うことを感じました。

「絵画の本質」を問うということは、絵画というものは何か、これがないと絵画と言うものが成り立たない、そのこれを見つけ、本当に必要なのかということを再検証することだと思います。でも、普通はそのようなことをすることはないでしょう。卑近な例で考えてみましょう。「人生とは何か」という普遍的な問がありますが、往々にして、このような問いを問うのは、若者と言われる、これから社会生活に本格的に参加する直前の人間が、未だ実際に経験もしていないのに、社会生活に対する期待と不安の中で問われることが一般的です。社会生活を営んでいる、いわゆる大人は、そういう問いを問いかけることは、一般にはありません。もし、大人でそういう問いを真剣に問うような人は、例えば人生に挫折したというような、それまでの生き方を否定されるような経験から人生の意味を問われることを強いられたような人々ではないかと思います。別の例でいれば、今、サッカーの試合に出てゴールを入れた人は、「何のために、サッカーをやっているのか」というような疑問は湧いてこないでしょうけれど、スランプ状態にあってレギュラーメンバーから外され、ベンチで仲間の活躍している姿を焦りの中で見ている人には、そういう疑問が湧いてきているかもしれません。つまり、本質を問うということが行われるのは、自分自身と問われる対象との間に何か障害が生じたような場合に、痛切に浮かび上がってくるものの、普段は、そういう問いは隠されていて問われることはないと言うことです。

そこで、この野田さんがずっと「絵画の本質」を問い続けてきたということは、「絵画」との間に何かの障害があるのではないか、と思いました。それで、展示されている作品を見て回って気が付いたことは、作品がほとんど売れてないのではないか、ということです。展覧会のラベルというのは通常、展示番号、作品名、素材(キャンバスとか油彩というようなこと)、製作年代、とどこに所蔵されているか、と言うことが一般的に記入されていますが、ほとんどの作品で所蔵先が空白になっていました。数多くの作品が展示されていましたが、そのほとんどです。作品が売れていないということは、人々にひろく受け入れられていないことにもなります。(両者は絶対的なイコールではないですが)実際のところ、野田さんの作品が売れているのかどうかというのは、私には、分らないので、これは不正確で、無責任な物言いかもしれません。しかし、展示されているのは、一般の家の室内には飾れない大きな作品で、公共的な場所や美術館のようなところにしか飾るスペースが考えられないで、私が思うような、公共的な場所で求められるようなニーズを満たしているとは思えません。

だから、野田さんが問うている「絵画の本質」を問うということは、野田さん自身の表現の可能性を広げるという面以外にも、作品を受け入れる側にも、従来の常識的な絵画観から抜け出せば、ここで展示されている作品をもっと受け入れられる(売れる)のではないか、という見る側への問いかけがあるように思えます。これは、芸術の世界の住人ではない、卑俗な世界で、毎日、生活のために足掻いている人間の一つの感じ方です。

それか、「絵画の本質」を問うということに対してですが、それに対する作品を通しての答えというのか、その行為に対しての疑問として、「なぜ絵画でなければならないか」が分らないということです。一般的に絵画でやられないこと、例えば板等を画面に貼り付けて立体的にしたりして、絵画の可能性を広げるといっても、別にそれが敢えて絵画であるする必要がどこにあるのか、例えば、日本には昔から彩色した浮彫という工芸があります。日光東照宮に行けば、素晴らしいものが沢山見られます。野田さんの作品も、そういうものとして扱えばいいことで、何も絵画であることにしがみつく必要がどこにあるのか。作品を見る限りでは、私にはそれが分かりませんでした。また、キャンバスに切り抜いたキャンバスを貼り付けるような行為にしても、貼り絵とか切り絵というものと何が違うのか。むしろ、そういうことを意識して行っていることを敢えて絵画の可能性を開くということで、絵画であることから離れたいという志向性を感じたのです。

そして、一番重要なことだと私には思うのですが、「絵画の本質」を問うときの本質というのは、これがないと絵画が絵画ではなくなってしまう、というものが本質であると思うのですが、そのようなこれだけは絵画に絶対なくてはならない、というものが展示されている作品からは分らなかったのでした。つまり、可能性を問う原点にあるものです。抽象というのは引っ張り出すとか抜き出すという意味合いがあります。つまり、具体的な個々のものから、個々の違いを超越して共通しているものを抽出して、それを本質とする行為です。その結果現われたのが抽象というものです。単に形がないとか言うのではなくて、個々の形という違いを超越しているから形よりも本質的なものを表わしていると考えていいはずです。それが、野田さんの作品からは感じることができなかった。

それで、最初のところに戻りますが、私の率直な「分らない」という感想は、実は、「これは絵画ではない」という意味合いのものです。展覧会パンフには、分らないという前に感じてみましょうとガイドが書かれていましたが、それは、作品が「絵画」であるという前提というのか、描く人と鑑賞する人が共通のフィールドに立った上で、初めて感じるという行為が有効性を発揮するわけで、その共通のフィールドに立てない人にとっては、独りよがりにしか映りません。

印刷された展覧会パンフレットには作品を写真印刷してものが数点載せられていますが、そこで見られる形態や羅列パターン等は、どちらかといえば私にも、受け入れやすいはずのものだっただけに、実物をみたら、そうではなかった、というのが非常に残念でした。

2012年4月 6日 (金)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(14)

23.道具主義と確率解釈

そうなると、生命科学の現場での実践あるいは便宜と言う側面ではどうあれ、原理的には自然選択と遺伝的浮動とは区別できず、連続していると、つまりはビーティの連続説を受け入れるべきだと結論付けるべきなのだろうか。そうなった場合、生命現象はひとしなみに偶然的であって、いかなる意味でも決定性はあり得ない、ということになる。そこで、直ちに決定論は斥けられると結論付けるのは拙速である。例えば、ローゼンバーグの展開した「道具主義」の立場では、生命現象の根源的な偶然性と、その決定性を両立させようとする。それによれば、進化理論がとりわけ遺伝的浮動に即して導入する確率あるいは確率的概念は「認識的」であって、進化の理論に関わるにすぎず、進化の過程には関わらない。進化的な現象それ自体は、量子論的な非決定性をミクロに包含するにしても、結局は決定論的であって、進化理論は我々の認知的な限界を反映しているところの便利な道具に過ぎない。

ここでいう認識的な確率とは、「信念の度合い」として捉えられる主観的確率のことに他ならない。一般にそれはブランダンのいう客観的確率と峻別される確率概念である。ここで筆者は、主観的確率は結局は主体の物理的状態や行動志向性として現われる「傾向性」としての確率として、客観的解釈は頻度が帰属される有機体や集団の物理的な「傾向性」として捉えられる。このような「傾向性」として捉えることによって確率についての実証的な検証がしやすくなると言う。このような筆者の観点からすれば、すべての確率についての解釈を「傾向性」として一括して押さえ直すことができる。

24.偶然性の深遠

以上のように生命現象に対する決定論を徹底的に斥けたとしても、ごく素朴に考えて、生命現象の中には完全に偶然的だとは言い難い事例が存在する。そこで、筆者は究極的として二つの論点を提示する。

ひとつは、適応度、自然選択、遺伝的浮動といった進化理論の基本概念を適用するときの測定単位に関わる論点である。そもそも、自然選択等の変化を考える時、進化理論では一般的に「世代」を測定単位と捉えて、ある世代から次の世代に至るときの子孫数とか繁殖成功率、遺伝子型や対立遺伝子の頻度などを進化の測度としていく。しかし、一つの世代交代でもって進化を語るというのは抽象化であると考えられる。しかし、ずっと先の世代も射程に入れるならば、原理的に不確実性は増大する。同じように、遺伝子型や対立鋳て戦士の頻度を測り集計する場合、大抵は空間的な意味での区画に区切って調査する。こうした調査の仕方には「シンプソンのパラドックス」が生じる可能性が常に存在する。

実は、「シンプソンのパラドックス」は進化理論を展開する時の基礎的な統計全体に及ぶ。それだけでなく、経験的な次元で何らかの統計的手法をとらなければならない知識のすべてに発生可能性があり、我々の認識全体に不安定性と不確実性を、そして根源的な偶然性を、つねに原理的にもたらしているのである。

25.進化の帰結としての確率

もう一つの論点は、自己言及性に深く関わる。進化理論の応用分野として「進化心理学」がうまれ、人間の心理メカニズムを進化理論によって説明するというもので、ある心理メカニズムを持つ個体がそれを持たない個体よりも生存・繁殖に有利ならば自然選択され、人間全体にそうしたメカニズムが広がっていくだろうという考え方を基本とする。

このような進化心理学的アプローチを採り入れた時、進化理論あるいは自然選択理論にとって由々しき「自己言及」が発生する。例えば、人は獲物を捕獲する時の方法等も我々の言う確率や条件つき確率の概念について何らかの理解を持っており、こうした理解を持つことは生存や繁殖成功といった適応度に深く関わっていた。そうなると、進化理論の基本情報として利用される確率は、それ自体で進化の産物や自然選択の結果であると捉える道筋に交わる。確率は進化の産物であるが、進化は確率によって理解されるというある種の「自己言及」が生じている、と考えられる。

このように自己言及性が発生しているとするならば、進化理論が描こうとしている自然選択のシナリオには根本的な次元で不確実性が入り込んでくる。本来的に偶然性が染みわたっている。その限り、自然選択と遺伝的浮動とを明かに区切ることはできない。換言するならば、自然選択という現象を何らかの仕方で決定論的に語ろうとすることは、決定論それ自体が狂言であるということを別にしても、一種の欺瞞なのである。

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(13)

19.自然選択の低確率の結果

しかし、このように適応度の規定を確率化して洗練させても、あるいはむしろそのように洗練することによってこそ、深刻な問題に直面することになる。最大のポイントは、適応度を、子孫の実数ではなく、確率的に解する場合、その値は環境と相対的にしか決めることができないという点にある。

自然選択と言っても、それを特徴づける適応度が確率的に規定される以上、選択の結果には一定のレンジがあり、確率的な分布としてしかそれは表現され得ない。だとすると、低い確率が帰せられている事態が実際に生じることも、自然選択という概念の中にもとから見こされているはずである。しかし、そのような場合、単なる偶然ではなく、適応度に基づく変化である、という自然選択の特徴は薄まってしまう。かくして、単なる偶然による変化、つまりは遺伝的浮動との境界はぼかされ自然選択といて線的浮動とは、単なる程度の違いであって、概念的な区別ではないことが暴露される。ここで、ビーティは、真に探求されるべき問題は、自然選択化遺伝的浮動かという「白か黒か」といったたぐいの問題ではなく、これこれに変化する偶然性の度合いは具体的にどのくらいかという「進化生物学における確率論的問題」を追求することだ、と結論付ける。これこそがビーティが進化理論に突き付けた哲学的主張で、「連続説」と呼ばれる。

20.決定論への揺れ戻し

確率はのっぺりと量的に連続した、グラデーションをなす数値で構成されているわけで、その間に、自然選択と遺伝的浮動というような質的で概念的な区別を設けるのは、恣意的にしない限り、難しいからである。そのため、自然選択と言う概念に特別の重要性を与えると言うダーウィニズムの立場を堅持したいならば、ビーティの示した連続説を乗り越え、なんらかの非連続性を提出しなければならない。

そこで、ミルスタインの連続説への対応は、次の二点からなる。(1)自然選択と遺伝的浮動の区別を論じる際には、「過程」と「結果」とを区別することが肝心で、選択と浮動は結果としては区別できないが、過程において区別できる、(2)そうした過程における区別のポイントは「因果的連関」に基づくのであって、選択は因果的役割を果たしているのに対して、浮動にはそうした働きはない。この二点である。(1)の点に関して、ミルスタインは、結果から過程を区分する時私が意味しているのは、時間を通じて生じる種類の変化(過程)と、ある一つの時点において生じる最終状態(結果)と言う区別である。換言するならば、長いスパンで見た時に見越される変化と、特定の時点にのみ視点を限ったときの変化、と言う区別である。この区別を導入すると。ビーティの連続説は、とりわけ「自然選択の低確率の結果」の議論は、差別的/無差別的に抽出という「過程」に関わる話に基づいていながら、ある時点で期待されていなかった「結果」を持ち出しており、「過程」と「結果」の混同を犯している、診断される。このミルスタインの議論のキーワードは、明らかに「因果的連関」である。とはいえ、ミルスタインはここでの自然選択の偶然性はあくまで自然選択理論の持つ偶然性であって、自然選択過程が決定論的かそれとも偶然的かについては不可知であると留保する。間違いなく、ミルスタインの議論の根底には、「因果的連関」の概念が持つ決定論への傾斜がある。因果性ということで、単なる偶然性ではない何か、が思い描かれている。因果的連関は長いスパンのもとで顕在化すると考えられている。

21.因果的超越のアポリア

こうした論の方向には注意すべき問題性が宿っていると筆者は指摘する。自然選択の中に因果的連関を読み込むこと自体は、ミルステインに限らず一般的なことである。自然選択の結果として淡われた形質が当該有機体の生存と繁殖成功に対してどのように因果的に貢献するか、ということについての主張をなすことなのである。この際、厳密な言葉づかいをするならば、「適応度」が因果的貢献に直ちにつねに結びつくわけではなく、「適応度」は因果的貢献を果たす形質と単に相関しているだけの場合もある。「因果的連関」と「相関」とは正確には区別されなければならない。相関する二項が、別の共通原因の共通結果である場合があるからである。いずれにせよ、自然選択を構成している因果的貢献とか因果的連関と言うのは、それ自体が確率的なものであるということ、つまりは「確率的因果」が念頭に置かれていること、と言う点だ。ということは、因果的連関を持ち込んでも、偶然性を排除することなくも、決定論的な見方へと至る道は最初から封鎖されているはずである。

ビーティがランダム浮動とも自然選択とも確定しがたいとしたのに対して、ミルスタインは長いスパンで見れば自然選択の一過程と論じたが、こうした議論はひとつの形質を取り出して単独に扱うという、いわば思考実験としての想定といえる。このような形質の独立性に対しては、因果関係を探るという場面で言えば、例えば、断続的に、あるいは隔世世代的に、他の形質と影響を及ぼし合う形質がある、という前提を取ることはなぜ最初から排除されるのか、というような疑問を投げかけることができる。このような因果的連関の可能性をアプリオリに否定することはできない。つまり、ミルステインの論点には、因果関係についての「対象化のアポリア」が暴きだした事態と対応している。このような、「対象化のアポリア」と通底する理論的可能性を前にした時、因果的連関を持ち込むことで単なる偶然性との差別化をはかり、願わくば決定論的なフレーバーを秘かに持ち込み、そのことで自然選択と遺伝的浮動とを峻別する、と言う論の立て方は表層的にする。

22.抽出エラーによる逸脱

(省略)

2012年4月 5日 (木)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(12)

15.自然選択という語法

ダーウィンに始まる「自然選択」の概念は、有益な変異は保存され、有害な変異は廃棄されるという原理を言う。この場合の「選択」の主体は自然ということになる。ダーウィンは、単にある変化が生じているだけなのに、それをあえて「選ぶ」というように表現している。

これはひとつの例といえるが、自然現象を記述する時、ふたつの仕方があるように思われる。直接的な記述と、意図する主体を擬制する記述である。水や風や岩について記述する時は大抵は直接的記述になり、人間の社会的行為について記述する時にはいわば定義的に意図的主体の記述になる。しかし、生物になると両方が混じり合う。これは間違いなく、生命概念の両義性に起因する事態といえる。生命概念は、自然現象でありながら、人為現象へとときどき振れゆく。そのような「ゆらぎ」を概念自体として持っているのである。自然選択の概念も、生命現象の説明機能を果たすものとして導入されている限り、そうしたゆらぎを本質的に受け継いでいる。

16.自然選択の確率的性格

自然選択を観察する場合には、一定の時間間隔のなかでの「変化」のプロセスを見る。例えば、一つの遺伝子型や対立遺伝子が一方的に増大して、他のものが消滅していくような変化のプロセスを見た時、自然選択が生じていると捉える。この時、自然選択が起きているか否かは、例えば「成長比」という統計的にしか算定できない数値を用いる。これは、世代を経るごとに、ある割合で遺伝子Aが生じる確率が増えてくるという捉え方に他ならない。

ということは自然選択は確率的であって、そこには偶然性のプロセスが読み込まれているということだ。

17.遺伝的浮動という偶然性

エンドラーは自然選択を精緻で包括的に規定した。彼によれば、ある集団が次のabcの三つの条件が存在していることを満たし、その上1と2の事態が認められるという過程、それが自然選択に他ならないという。

a、何らかの性質や形質についての個体間の相違、すなわち「変異」

b、その形質と、後輩能力・受胎能力・繁殖力・多産性・生存力との間の一貫した関係性、すなわち「適応感度」

c、その形質に関する、両親と子孫との間で一貫した関係性、しかも共通の環境に由来する結果とは少なくとも部分的に独立の関係性、すなわち「遺伝」

1.年齢上の諸階級や生活史の諸段階において、個体発生から期待されるレベルを越えて、形質頻度分布が相違していく

2.その集団が平衡状態でないならば、その集団におけるすべての子孫の形質分布は、条件acだけの場合に期待されるレベルを越えて、すべての親系列の形質分布と予測の範囲内で異なりゆく

エンドラーによれば、遺伝的浮動とは、世代間で生じうる対立遺伝子のランダムな標本抽出過程のことであり、それの必要十分条件は、自然選択と次の二つの点で異なっている。

(1)条件bが定義的に不在である

(2)有効集団のサイズが、標本抽出でのエラーが有意であることを確実にするのに十分なほど小さくなければならない。

もちろん、自然選択と遺伝的浮動との両方が同時に作用することもあり得る。そして「進化」は、自然選択、遺伝的浮動、あるいはその両者の結果として生じうるが、自然選択や遺伝的浮動が必ず進化に結びつくとは限らないし、突然変異や移住や減数分裂などの、自然選択とも遺伝的浮動とも異なる要因によって進化が発生することもある、という。

ここで筆者が注目しているのは次の三点である。

(ⅰ)エンドラーの包括的な規定においても、集団遺伝学的な規定と同様に、自然選択は、「形質頻度分布」という言い方のもと、確率統計的に理解されていること、

(ⅱ)遺伝的浮動もまた、ランダムな標本抽出として、確率的に、つまりは偶然的な作用として、位置づけられていること、

(ⅲ)自然選択と遺伝的浮動という二つの主たる進化の動因の相違は、「適応度」の差が認められるかどうか、という点に求められていること、

18.適応度の概念

自然選択と遺伝的浮動の区別は、両者とも本質的に偶然性を伴っているので、言ってみれば偶然性についての区別である。換言すれば、両者の区別基準は「適応度」である。ここで、ジョン・ビーティの「偶然性と自然選択」において進化理論における偶然性概念の意義を検討している。

ビーティは無作為抽出のモデルを自然界に適用すると、「親の無差別な抽出」として理解できるとする。ここで「親の抽出」とは、どの個体が次の世代の親になり、各親がどれだけの数の子孫を持つのかを決定する過程のことである。それが「無差別な」と言われるのは、ある世代の個体間に認められる身体的相違が子孫を残すことに関して無関係であるときである。例えば山火事によって「親の抽出」が行われた場合、そうした抽出は、各個体の生存や繁殖の能力とは無関係なので、無差別な抽出である。こうした無差別な過程を経ながら集団が維持されていくならば、その集団の遺伝子型頻度は世代から世代へと「浮動する」と言われている。これに対して、自然選択は、無差別ではない抽出、つまり「抽出の差別的形式」であって、とりわけそれは「適応度差」に基づく差別である。ということは、自然選択と遺伝的浮動のどちらを重視するかという論争は、「適応度差による抽出」と「適応度差によらない抽出」のどちらに重きを置くかという論争なのである。

では果たして適応度とは何か。ビーティによれば、ある有機体の実際の繁殖成功の測度ということになる。つまり、実際に産んだ子孫の数がすなわち適応度だ、という捉え方である。これでは、いかなる「親の抽出」も差別的であって、自然選択だ、ということになってしまう。そのため、子孫の実際数ではない形で適応度を定義する道筋が探られる。こうして「身体的に見て産み出すよう傾向づけられている子孫数」というように適応度を規定することができる。つまり、首尾一貫するためには、自然選択の概念の核をなす適応度の概念の中に、傾向性という形での確率あるいは偶然性を組み込まなければならないということである。換言すれば、自然選択の確率的性格は適応度のこうしたあり方に起因している、ということである。

2012年4月 4日 (水)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(11)

12.環境への偶然性の浸潤

生命現象の偶然性については、配偶子とか適応概念といった難しいことに言及せずとも、常識レベルですでにして明らかである。生命体の環境と言うことで身近にあるのは、様々な動植物や同種の他の生物などの他の生命体であるそうした無数とも言えるほどの生物の間の相互作用の中で、我々生命体は生きている。生命現象とはそういうものである。これを、遺伝子決定論で一元的に解明することができないのは常識的に明らかである。日常的表現からして、ここには偶然性という表現が当てはまる。

あるいは「環境」の概念自体が、生命現象を媒介して立ち上がって来るのであり、生命の遺伝的組成と環境もつまり「氏と育ち」と言う全体が、生命現象に包含する偶然性の様相に浸潤されていると表現できる。さらにも人間に関する「育ち」、すなわち政治や経済や文化などの社会的環境に限って述べるなら、それが偶然性に色濃く支配された、非決定論的にしか把握できないことは明らかである。我々は、生命体として、そうした社会的因子の影響を大きく受ける。

13.過去の流動性の形而上学

ここまで決定論という見方は過去の確定性・決定性を全時間へと誤って適用してしまった一種の錯覚であると論じてきた。実は、ここで「過去の確定性」という出発点にも困難がある。「過去」は過ぎ去っており、今はないので、本当に確定しているか確かめようがなく、不確実であって、よって過去それ自体もまた偶然性によって浸潤されているのである。

これに対しては、すべては偶然的であり不確実だということになる。過去は確定され決定されているというのは、積極テクな意味で採用すべき、学問的議論の岩盤をなす形而上学的原理である、といった反応が予想される。これに対しては次の二点をもって応じたい。第一に、すべてが偶然的で不確実などと論じる意図はなく、「過去確率原理」と名付けた原理に従って、たったいまの直近の過去に関しては確実性を積極的に認めたい。第二に、過去に関して形而上学的前提が導入されることに異論はなく、我々の言語的理解には多層的な形で何らかの形而上学的思念がはめ込まれている。しかし、我々の日常的語法と整合する過去についての形而上学的前提は必ずしも過去の確定性だけとは限らない。過去の確定性よりも過去の流動性が前提として採用されている場合もある。

一方で過去の確定性・決定性を支持する形而上学が根強く信奉されていることは事実である。おそらく、過去が流動的で変容するとしても、我々が自由にそれを左右できるわけではなく、その限り過去は我々の手の届く範囲の外部であると思われるからだ。そういう意味で過去は我々に対しては結局は確定的・決定的な形で作用して来る、というように表象されてしまう。

14.進化理論と歴史性

生命現象にまつわる決定性や偶然性の問題を現在の論争状況の中で検討するには、進化理論へと射程を広げる必要がある。進化理論の枠内で、決定論と偶然性の対比の問題が特有な仕方で再主題化されているからである。それは、「ランダムな遺伝的浮動」と「自然選択」と言う対比に沿って姿を現す。すなわち、偶然性による個体死や遺伝子プールの変化などのランダムな遺伝的浮動に対して、自然選択とその基盤となる「適応度」に関して、遺伝的浮動のランダム性とコントラストをなすという意味での、ある種の決定性が主張されているのである。

もともと、哲学サイドからは、進化理論が描く生物進化の道筋は、原理的に確実性に到達しようがないことは明白である。

第一、進化する主体についてからして、それを外形的な形の「表現型」と捉えるか、生物内部の遺伝子構成の「遺伝子型」と捉えるか、と言う問題がある。また、「進化」をどのレベルで捉えるかについても、生物種全体の変化を示す「大進化」と、ひとつの持続する種の中での変化を示す「小進化」との異なる位相がある。このように、「進化」とは何かについて、多層的な未規定性があるにもかかわらず、全体として大まかに共通する特徴が指摘できる。それは、進化理論の研究は、人間の歴史についての研究と同様に、研究対象となる現象を繰り返して再現することが原理的にてせきないということ、「再現不可能性」と言うことが自覚されていることである。この場合、「歴史的」ということで主に過去が名指されていることには間違いないが、未来に関する予見や予測を行うことが禁じられているわけではない。過去の事象に立脚して、現在や未来を理解しようと言う態勢のもとにある。その意味では、歴史的の代わりに「時制的」と特徴づけてもよいかもしれない。この点においても進化理論は他の多くの自然科学や他の生命科学とは区別される。物理学や化学等は、時制とは度規律した何らかの法則性を扱っているのに対して、進化理論は個別具体的な学問であると表現してもよいかもしれない。

まさしく、歴史性・時制性に本質的に立脚すると言う点において、進化理論は宿命的に、他の自然科学に比してかなり顕著な不確実性を引き受けなければならない。それは、過去性それ自体にまつわる本質的な不確実性あるいは偶然性が不可避的に立ちはだかって来るからである。そういう根源的な意味で、進化理論は原理的に確実性には到達し得ないのである。

2012年4月 3日 (火)

ジャンソン・ポロック展(5)~後期・晩期 苦悩の中で

Pollocknumber81951 ボーリングを全面に展開したオールオーバーの作品を、ずっと作り続けるわけにはいかず、方向性を転換し、新たな方向を模索中に亡くなったため、途中で断絶してしまった、という軌跡を追っています。

展覧会の、この時期の展示タイトルが「苦悩の中で」だったり、パンフなどでは、彼の死を志半ばでの悲劇的な死というような書き方をしていますが。作品を見ている限りでは、そういったものが反映しているようには思えません。ここで、書いているようにポロックという画家は“何を描く”というよりは“いかに描く”という性格の画家だと思っているので、個人的な事情を描くとか、作品に境遇が反映しているとは感じられないのです。むしろ、技法というような表層のこのように表わされているというレベルで勝負しているという画家ではないかと思っています。

Pollocknumber71952 そういう視点で、作品の表層を見ていくと、ポロックの作品というのは年を追うにつれて、要素を削ぎ落としてソリッドになっていったという流れがあると思います。展覧会での説明では、抽象から具象に戻ったということが説明されていました。それよりも、私には、色彩という要素を切り落としていった軌跡して見えるのです。そして、もともと黒の使い方でセンスを感じさせていたポロックが黒と地の白という二色だけを使って、これまで一貫してポロックの作品の中に大きく占めていた構成という要素の集中した作品を産み出して行ったと考えられないでしょうか。その過程で、以前のポロックの作品にはなかった余白という空虚が新たに現われた。それが、私には、ポロックの新たな展開に見えました。そして、表層の見えだけで比べれば、日本の前衛書道のようにも見えてくるのでした。多分、具象に戻ったというコメントが出てくるのは、筆を使って描いているように見えるからではないでしょうか。筆で描いたものが何物かを描いているように見える。それで、具象に戻る、と。しかし、この場合、単に絵の具を画面に乗せるということだけで、ポーリングで流すことと、筆でキャンパスに絵の具を着けるのとの間で、とくに差がないように思います。ポロックにとっては、ポーリングでは出せない線のかすれや筆先の線を出したいから筆を使ったのではないかと思えるのです。それにより、絵の具による線にうねりの様なものが現れ、よりダイナミックな躍動感のようなものが生まれています。そのような線と対比するような余白があるので、画面の各処にアクセントの強弱が生じ、オールオーバーの作品では生かせなかった、ポロックの構成のセンスが再び感じられるものとなっているように思えます。その反面、画面を埋め尽くすような迫力は感じられないため、見る人によっては一種の衰えというのか、後退しているような感想を抱かれる可能性も考えられます。私には、この時期の作品は要素を整理して画面上でメリハリをつけた結果というように見えます。整理するためには、考えなければならず、即興的に(と言っても、考えていないわけにはいかない)一気に仕上げるオールオーバーなポーリングとは違って、作るのに時間がかかれば、自然と作品数も減ってくるものです。

最後に、ポロックの回顧展ということで、この展覧会が一つのストーリーのもとで構成され、展示されたものですが、ポロックに対する見方は、これだけなのか、疑問に思うところがあります。それは、今回、抽象表現主義の他の作家たちとの関係が全く触れられていませんでした。数年前に、近代美術館で抽象表現主義の展覧会があった時に、ロスコやデ・クーニングの作品と並べて展示されていたポロックの作品と、今回の展示とでは印象が大分違っていたので、驚きました。その時のポロックの作品からは静謐さのようなものを感じて、その作品の前で、ぼーっとしていつまでも佇んでいたいと思わせるようなところがありましたが、今回はそういう感じは抱けませんでした。

どちらかというと、表層レベルで楽しむというもので、感情移入とか共感するというような作品ではなくて、画面上の線や形を楽しむという作品として見ていました。だから、もっと画面に即して、画面の黄色い線について具体的に記述するというようなのが、ポロックの作品に対する正しい喋り方であるように思います。

2012年4月 2日 (月)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(10)

7.決定論の不思議

我々は、それを「決定論」という考え方として意識しないとしても、こうした考え方を日常的に信奉して行動しているという。このように決定論の原理を人々が指示する根拠は何なのだろうか。

筆者は次のような二点を主張する。第一に、決定論が過去から未来に至るすべてのことが決定されているという命題だとするならば、それは、我々生身の人間が知り得る範囲を定義的に越えた事柄についての断言・空言であって、文字通りに捉えた場合、完全にナンセンスあるいは無根拠な命題であること、そして第二に、にもかかわらず我々が決定論を信奉してしまうように思われるカラクリは、過去の「確定性」あるいは「不変性」を全時間へと拡張してしまうという点にあるということ、このふたつである。第二の点については、我々が過去の出来事を現前化させ、過去のある時点で確定したもの見做し、その後のその出来事を現在を決定させたものと捉え返して現在へと復帰させる。そしてこの過程は過去の観点からすれば未来に関わっているので、未来に関わる決定論が限定的に現われ、そこから一般的な決定論が虚構的に導かれると論じ。それを「ブーメラン決定論」と呼ぶ。そして、この事態こそ「決定論的誤謬」に他ならないのである

8.過去性と個体性

前項の主張が的を得ているならば、一般的な決定論は過去性に引き摺られたある種の錯覚である。その点で、遺伝子決定論と構造を同じくしている。というよりむしろ、遺伝子決定論は決定論の一つなので、一般的な決定論の特質を継承している、と言うべきであろう。言い方を換えるならば、遺伝子決定論も含めて、決定論的思考と言うのは、過去性という時制に根本的に縛られている、ということである。そして実は、こうした時制束縛性というあり方こそ、物理現象と差別化された意味での生命現象に馴染む理解様式なのである。その意味で、生命現象には宿命的に決定論的思考がまとわりついてしまうのだと、あるいは「決定論的誤謬」に本来的に陥る構造になっているのだと、そう言えるかもしれない。

ここで筆者は、物理現象と違って、生命現象においてはいわば定義的に現象の「単位」つまり同一的「個体」が確定されていると言う点を指摘する。生命は一つ一つが区分けされていて、それを分割することはできない。生物は細胞やDNAという単位へ分割することはできるが、それらの構成要素は、生物の個体になり得る力を持つものであったとしても、それ自体は生物個体ではない。それに対して、物理現象の場合、同一的な個体概念は確保され得ない。例えば一つの塊の鉱物といったとしても、それは便宜上のことで、部分的にかけたり、温度や気圧が変化すれば、少なくともミクロの次元では大きく相違が生じてきてしまい、別の物質であると言いうる。この生命の確定的な個体性というのは、生命の宿命としての「死」という事態から遡及的に規定されるのである。ある生命に死が訪れた時、その生命の個体性・単体性が露わとなる。今死んでしまったこれが、ひとつの命だったのだ、と。

事態がそのようだとするならば、生命現象に関して決定論的思考が入り込みやすい理由が分ってくる。決定論と言うのは過去性に束縛されて生じる錯覚である。しかるに、基本的に、生命は「死」という既に生じた出来事によって個体化されるという機制のもとで理解されるのだと言うなら、そこに決定論と混ざり合う素地があることは疑いようがない。同じことはさしあたりは人間に特化されるが、我々人間社会では、人間一人一人の個体性が決定的に重大な前提であるが、そうした個体性は、言語的には、「誰」と言う疑問詞に対応的に姿を現す。しかるに、「誰」に対する応答は、様々なありよう、つまり名前や属性や性質などを帰属することによって為される。こうした「誰」概念の帰属に基づく構造が際立って顕在化するのは、「責任」帰属の場合である。そして、まさしく「責任」帰属とは過去への遡及的営みに他ならない。そして、これらのことは、生命現象が決定論を呼び込む態勢のもとにあることを指し示すのである。実際、「死」は、すでに生じてしまったならば、不可逆的であり決定的だし、「責任」もまた、起こってしまったことの原因であって、何らかの仕方で補償や穴埋めはできるとしても、当の事象自体は取り返しのつかないという確定性・決定性の装いにくるまれている。

逆に、こうした意味での生命現象と対比される限りでの物理現象、そしてそれを表現する法則性は基本的に可逆的である。純粋な物理現象には「死」や「責任」は無縁だからである。そして物理現象は、決定論的ではなく、非決定論的に生起するものであり、不確定性そして確率性を現象自体に包含している。

9.偶然性への道

過去の確定性から決定論に向かうのは錯覚・誤謬であって、原理的に無根拠な主張である。そこで、決定論とは異なるあり方、偶然性が介入する非決定論的な道筋である。物理現象ではこの点が成り立っている。では生命現象はどうか。生命現象も偶然的であって、非決定論が入り込むものだろうか。この点は生命現象も偶然的であって、非決定論が入り込めるか。この点では、遺伝子決定論が誤りであることは自明であるから容易に確認できるし、跡付けることもできる。例えば、精子や卵子といった「配偶子」は減数分裂によって創り出されるが、卵子の場合は2度の減数分裂により4つの娘細胞ができるが、そのうち1つだけが卵子なるときに、4つのうちどれが卵子となるかは偶然である。さらに娘細胞の23本の染色体は父方由来と母方由来の懇請であるが、どの染色体が父方か母方かは偶然である。このほかにも偶然的なものがあって、1つの個体が作る配偶子は、一個一個まったく異なり、同一のものなどない。すなわち人間について言えば、「私が作る一つ一つの配偶子のなかの、私の両親の遺伝子の混合具合は、偶然の産物である」

また、生命現象の偶然性については、「氏と育ち」の「育ち」に関わる論点からも確認することができる。生命現象を理解する時に「進化理論」を抜きにすることはできない。そして進化理論の基本概念である「適応」とは、生物個体や生物集団のもつ何らかの特徴が、特定の環境のなかで生きぬき、繁殖していくのにどのくらい適しているか、ということを示す概念である。これは「育ち」として表わされる環境と相関している。換言すれば、そのような環境との相関性の中で生命現象は理解されているのである。この「適応」は確率的な性向であって決定論的なものではない。ということはつまり、生命現象は偶然的なものとしても非決定論的に捉えられているということである。

10.決定論的偶然性

11.客観的偶然性としての傾向性

(省略)

ジャンソン・ポロック展(4)~成熟期 革新のとき

抽象表現主義のムーブメントが盛り上がり、ポロックもその中で、充実した仕事を展開していた頃です。この展覧会の目玉でもある「インディアンレッドの地の壁面」が代表作として堂々と展示されています。慥かに、ポロックの抽象表現主義の作品は大画面で圧倒されるようにプレッシャーを感じて眺めるのが、ひとつの代表的な味わい方なのでしょう。この作品は、そのような観方に適う大作です。ポーリングとかドリッピングといったポロックに独特の技法が全面的に展開されて、その画面からは覇気とか迫力のようなものが溢れているように感じられます。それは画面を埋め尽くす絵の具の飛び散りや流れが画面から飛び出してしまうようであり、一度埋め尽くされた、その上にさらに積み重ねられ重層的な厚みあるところでは、大きな塊のようになって迫ってくるようでもあります。まずは、とにかく実物の大きさに圧倒され、画面の上に流れた絵の具が固まりのた打ち回るように凹凸をつくりゴチャゴチャでコンガラガッテカオス状態のようになっている迫力を体感してみてほしいと思います。そこで、普通ではない、非日常性のようなものを感じられるかが、ポロックの作品に親しめるか否かの境目になるのではないかと思います。

少し離れて、遠くから眺めてみると絵の具を流してできた様々な線が勝かみ合って収拾がつかなくなって、さらにそれが折り重なってというのが遠景で塊のようになって、まるで巨大な繭玉のようです。それは、例えば赤ん坊にクレヨンと画用紙を与えて、クレヨンを画用紙にこすると線を書けることを教えてあげると、よれを喜んで、絵を描くという以前にクレヨンで軌跡を線として残すこと自体を楽しみ、手当たり次第に線を引いているうちに、いつのまにか画用紙が線だらけになって、一面がクレヨンで塗られたようになってしまった、というようなものに似ています。それが、大画面でこちらに迫るようになってくると、異様な感じがしてくる。そういう幼児の遊戯性に通じるようなところと異様なところが混在している、というのがポロックのこの時期の作品の大きな魅力ではないかと思います。実際、抽象絵画としてメジャーな画家たちの作品、例えば、カンディンスキーやモンドリアン、マレーヴィチ、ロスコといった人々の緊張感あふれるような作品には見られないものです。

そこで、私には、この作品がイマイチ残念だったのは、あまりにも絡み重ねすぎて、個々の要素を打ち消し合うようになっている点です。当初、この技法を限定的に用いていた時には、個々の絵の具の軌跡を追いかけることができて、そのユニークな動きと複数の流れの絡まりが一様でなく、そのバリエーションを見ているだけで飽きないものでした。そして、限定的に扱うことで地の部分との関係や画面全体の中で、どこに絵の具を流すかとか、色合いなどでポロックという画家の意外なセンスの良さに驚いたりといった魅力が後退してしまうという結果にもなりました。

それはまた、オールオーバーというポーリングを全面展開したポロック全盛時の作品に内在する共通の課題ではなかったか、と私には思えます。というのも、絵の具を流したり、飛ばしたりする作業を画面に一様に施したという作品について、ポロックがやった場合と、他の人が真似をしてやった場合とで、明確な個性の違いがあるのでしょうか。それ以上に作品それぞれに一見でわかる違いがあるのでしょうか。このような作品が1つか2つくらいならば希少価値ということで個性が際立つかもしれませんが、沢山作成されたら、規格品の大量生産と同じようなものになってしまう可能性が大きいと思います。実際、ここで展示されている作品が、例えば「インディアンレッドの地の壁面」と「ナンバー11」が同じ大きさだったら、私は作品の違いを分別できないかもしれません。これが、当初のような限定的な使用に留まっていれば、個々の作品の違いや、ポロックならではのセンスを個性として、他の作品に対して差別化が容易にできたはずです。私が子供の頃、画用紙に水で溶いた水彩絵の具を垂らして、紙の上の絵の具の滴に対して横から息を吹きつけて絵の具を流す「吹き絵」という遊びをやったことがあります。ポロックのポーリングの技法というのは、それと同じようなものでしょう。「吹き絵」は遊びの世界で、それを作品として残すようなものでは、本来ありません。そのようなものに、従来とは全く違った意味づけをして、新たな価値を見出したのはポロックの凄い点ではあると思います。それは、しかし、その時点で終わってしまって、その後の展開を考えるというのは、大変困難だったのでしょう。

しかし、だからと言って、展開したオールオーバーの技法から、後になって限定的な使用に戻すとなると、ホロックは後退したと噂されるのが落ちでしょう。私には、その辺り事情が、ポロックをして新たな展開に踏み切らせた原因が潜んでいるように思えるのです。実際のところ、「インディアンレッドの地の壁面」の迫力には圧倒されるのですが、飽きやすくなってしまっています。

ポロックは自身の手で、オーバーオールの画面の上に敢えて幅広の帯を描いたり、画面を切り抜いておおきな空白を作ったりと工夫していますが、所詮は小手先だけのもので、根本的な解決には至っていません。

2012年4月 1日 (日)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(9)

第3章 生命現象は偶然的か─自然選択と遺伝的行動

1.生命現象の両義性

前章では、因果関係の認識を通じて、我々の認識を本来的に取り囲む不確実性を追跡した。そして、浮かび上がってきたのが、認識や知識というものがダイナミックに振幅していくさまであった。しかるに、そうしたありさまは、我々の生命体としての存在身分、刻一刻と変化してゆくありよう、それに重なり合って来るのではないか。これが、前章の末尾で示した通りだった。この見通しに沿って、ここでは、生命現象に即しながら、不確実性の源泉を探ってみたい。この場合、そうした不確実性は、認識の主体としてのあり方の揺れ動きであると同時に、生命現象を認識対象とする場合の不安定性という、二重の意義の間をも振幅していくことになるだろう。

筆者は、自然営為という伝統的区別の確認から始める。実際のところ「自然と人為」は我々の概念ネットワークの中で世界の森羅万象を切り分け、理解を達成するための区別として有効に働いている。しかし、このような多くの区別は、有効であったとしても絶対的なものではなく、区別基準は可変的だし意味も曖昧でもある。とりわけこの「自然と営為」のような大まかな区別ではそうである。自然と人為のどちらにも分類されるべきか迷うような、境界線事例などいくらでもあげることができる。例えば、最も典型的であり総括的なものとして「生命」あるいは生命現象をあげることができる。

2.DNAと遺伝子

ここでは、生命現象に関して、遺伝子決定論について検討した上で、進化理論における「自然選択」と「遺伝的浮動」という対を題材にして、「決定性」と「偶然性」という対比について考えていきたい。今日の常識では、生物あるいは生命現象は「DNA」や「遺伝子」の概念によって理解されている。まず「DNA」については、生物を構成する化合物の多くの割合は「水」が占めるが、それ以外の分子のほとんどは炭素を含む化合物、すなわち「有機化合物」である。生物を構成する主な有機化合物は、タンパク質、脂質、糖質、核酸の四種類である。このうち、核酸の中に遺伝子情報を担う「DNA」、つまり生物の構造や働きを決める設計図が配置されている。次に「遺伝子」だが、この定義は生物学者によって十人十色であるが、大まかな共通認識としては「遺伝子とは、高分子DNA分子のなかの一定の機能的部分である」というように表現できる。

3.遺伝子による語り

日常的な文脈において、老眼のような身体や健康の状態については、事実上、「遺伝」あるいは「遺伝子」の概念が強力な説明原理として日常的に機能している。糖尿病、肥満といったものも多かれ少なかれ遺伝概念によって理解されているだけでなく、慎重や髪の色等のような身体の外形的特徴の多くも遺伝概念によって説明される。このような日常的な記述や把握の中で「遺伝」あるいは「遺伝子」ということで意味されているのは、両親や先祖から受け継いだ形質という意味と、生まれつきの生物的条件という意味の二つあるように思われる。

こうした遺伝子概念による語りは決して必要十分な根拠を示す説明を志向するものではない。そうした語りはせいぜい、ある事象が生じるための必要条件が遺伝(子)的条件に求められる、という趣旨であって、遺伝(子)的条件が必ずその事象が発生することを決定づける十分な要因であることを意味しているわけではない。

4.氏と育ち

前項は当然のことで、「氏と育ち」という言葉がそのことを端的に物語っている。人を含めて生物というものは、「氏」つまり遺伝的条件のもとで、何らかの「育ち」つまり自然的・社会的環境の中で成長して来るものなのであって、どちらか一方だけが生物の有り様の決定要因となるのではない、ということである。遺伝(子)というのは、そんなに絶対的な決定要素ではないのである。

しかし、時折人々は遺伝(子)による語りに過剰に依存し、遺伝(子)を過度に決定的な要因として捉えがちになってしまう。ここに「遺伝子決定論」あるすは「遺伝子本質主義」という、明らかに誤った見方が現われる。「遺伝決定論」とは、生物に関するすべてのことはその生物の遺伝子によってあらかじめ決定されている、とするいわば自然主義的な主張である。余談だが「血統」に神聖かつ重要な意義を認めるように思考形式も、遺伝子決定論と根底的には同様な見方に由来するのではないか。人間の有り様や位置づけは生物的な条件によって絶対的に決定されている、という発想が流れており、そのような捉え方が何らかの権威の表象と結びつくことによって、単なる事実認識を超えた価値づけまでも発生してきたように思われる。このような「遺伝子決定論」をなぜ、人々は信奉してしまうのだろうか。

5.生物に関する決定論

冷静に事実を見つめるならば、おそらく、遺伝子決定論を文字通り信奉する人は存在しないだろう。そのような不合理性が自明であるにもかかわらず、ある種の文脈においてそうした不合理を一次的に忘却したり、あるは著しく過剰に遺伝子の決定力を強調するような事態に陥る人々がいる、という日常的そして学問的事実がある。

心理学研究の蓄積においては、人間は、データや経験から何かを判断したり意思決定したりする際、ある種の特徴、たちえば、「代表性」、「利用可能性」、「固着性」といった特徴に引っ張られて、偏った認識に至ってしまう。こうした性質は「認知的バイアス」とか「確証バイアス」などと総称される。

しかし、実はこうした事態はデータで示す提示仕方、強調点の置き方、に大きく依存する。

6.過去性・不確実性・自己言及性

遺伝子決定論が説得力を持ってしまう要因について、心理学的な分節とは異なる見地から三つの論点を筆者は指摘する。第一に、生物が生まれた時に既に備えている既定の条件に注目して、それが遺伝概念あるいは遺伝子的条件によってしか説明されないことに思い至るとき、我々は、遺伝子が全てを決定づけるという見方へと容易なに飛躍しがちである、という点である。ここで、筆者が着目するのは、すでに生まれた人が既定の条件として持っている性質である。そこには機能的推論は介在せず、どう説明するのか、ということだけが問題となっている。言い方を変えれば、生物について理解する時に、既定のという意味での「過去性」に注意が向けられるということである。過去に注意を向けるということ、これこそが、生命現象を理解するに際して、強力に我々を誘導する傾向性である。

第二に、既定の条件ではなく、形態や能力の可能性に関して、ある特定の否定的な特徴づけが遺伝的要因によって説明できることが極めて確からしい時、ある種のすり替えが介入し、肯定的な特徴づけも含めて全般的にも生物の有り様を遺伝あるいは遺伝子概念によって決定論的に説明できるという見方へと入り込むのではないか、という点も指摘できる。

第三に経済や社会の制度的要請によって遺伝子決定論が刷り込まれてしまう、という様相を指摘できる。例えば、バイオテクノロジー産業の利潤追求にとって、生物のすべてのありようは遺伝子によって決定されている、という遺伝子決定論の考え方は大変に都合がいいので、健康や能力に関わる研究や商品を報知・宣伝する際に、そうした考え方を意識的にか無意識的にか大衆に刷り込むという傾斜が生じてしまう。このような経済的利潤を追求していく、あるいは制度や体制を保持し擁護していく、という人々の行動志向それ自体が、遺伝子による説明を許容し得ると言うことである。このような事態を「自己言及」と呼ぶ。

ジャクソン・ポロック展(3)~形成期 モダンアートへの参入

Pollock_composition_with_pouring_2 初期で展示されていた「無題 蛇の仮面のある作品」の翌年、ポロックはポーリングという手法を初めて用います。しかし、後年とは違い、限定的で慎重な姿勢でした。

「ポーリングのある構成Ⅱ」という作品を見ると、初期の具象の作品から一気に飛躍して抽象的な作品世界に入ったことが分かります。ポロックというのは、こうだという先入観からでしょうか、私には初期の具象的な作品よりも、こっちの方が遥かに親しみ易い。実際に、展示の順路で初期の作品を見てきて、この作品に辿り着いた時、吹っ切れたような爽やかさを感じたものでした。私には、題材という何かを描くという“WHAT”の要素の軛から解放されて、ポロックが伸び伸びと描くという行為を楽しんでいるように見えます。というのも、色彩の使い方が、初期の色を混ぜすぎて鈍く重苦しい色調であったり、原色を無理して使って塗り絵のような画面になっていたのと比べて、この作品では、全体としてはポロックの色調はグレーかに黒にかけての色が基調になるのでしょうけれど、そこに明るい青が上手く入り込むようになって、重苦しさを感じさせないトーンになっているのです。何物と特定できない形状で色分けされたある画面が、それだけである程度のまとまりを見せているところに、試行的なポーリングの手法で、画面上を絵の具が流れて、筆で描くことができない独特な線がアクセントとして画面を引き締めている。黒、赤、白の流れが独立しているように所々で溜めをつくりつつ不規則な屈折を繰り返す。下地に描かれた画面では、筆の塗り後の線が残り、その線との対照を起こしている。展覧会で説明では試行的となっていますが、後年の最盛期の作品に比べて、この作品は一つ一つの画面を流れる線が単純で独立しているので、それぞれの流れを単独のものとして見ることができます。そのせいか、却ってひとつひとつの線が力強く、多彩さが際立って見える結果となっているのです。

Pollockmoon これ以外にも「月の器」という作品でも、ポーリングの使用は限られていますが、全体的な黒地に絵の具が流れていくさまは、ポロックという画家の黒色に対するセンスの良さを感じさせます。この後、晩年に向けて、ポロックの作品は余計な要素を削ぎ落としていきますが、色彩の点でも、この時点のセンスのいい色彩もやがて放棄されていきますが、黒だけは残され、最後には黒のグラデーションという水墨画とか前衛書道に近いものになっていきます。

この展覧会ではポロックの作品を年代順に展示してしますが、早計かもしれませんが、それを追いかけていくと、ポロックの作品というのは、徐々に余計な要素を削ぎ落としていったように思えるのです。それは、ポロックの作品の本質が徐々に明らかになってくるように見えるのです。そして、ここで削ぎ落とされたのは何かを描くという“WHAT”の要素です。一般的に絵画というのは、肖像画とか風景画というように何かを描いているというものでしょう。初期の作品では、ポロックも家族や労働、あるいはシャーマニズムのシンボルなどを題材に描いています。その場合というのは、現実の世界だったり、想像の世界にしても、絵画の外側にまずお手本があって、それを写すというのが、絵画というものだということになると思います。だから、お手本があるということがメインで、絵画というのはそれを写す、あるいは伝えるツールということになるわけです。しかし、絵画とはそれだけではないでしょう。たとえばね幼児に絵を描かせると、何かを写すことなど、そっちのけで線を引くこと自体を遊んで楽しんでいる。その結果、絵ができてしまったというのもある。ポロックの作品というのは、それに近いのではないか、というのが、私がポロックの作品を見ていて思うことです。だから、カンディンスキーが具象画から出発して内面を表していくプロセスで徐々にものの外形を放棄していったのは、外形で表せない題材を写そうとしたからと思わせるところがあります。その理由として言えるのは、カンディンスキーは描いているのが明白だからです。ところが、ポロックは絵の具を流して、結果をそれに委ねてしまっている。そういう意味で、描かれた結果よりも、描いているプロセスの方がポロックには大切なのではないか、と思うのです。それは、陳腐な喩えかもしれませんが、音楽の抽象性を思い起こさせます。音楽で悲しさを表すことはできませんが、聞く人を悲しませることはできます。つまり、悲しさという題材をあらわすことはできない。しかし、いかに悲しませるかということはできるのです。音楽には内容というものが、もともとありません。あるのは、それを聞いた人をある状態にさせるような効果なのです。しかし、音楽を聴いている人は、だからといって、内容がないから無意味とは思わないでしょう。音楽から与えられる効果によって、何がしかの気分になって、聞く人なりに意味づけするわけです。そして、音楽において聴く人に効果を与えるのは、音楽の構成している音を対比的に扱ったり、複数の音をひとまとめのユニットにしたりする、いうなれば、音の構成によって担われる部分が大きいと思います。例えば、3つ音によるユニットを反復させることにより、乗り(リズム)を生み出すとか。ポロックの作品をそういう目でみてみると、画面上を流れる絵の具の軌跡を追いかけてみると、似たような感じを得ることができます。その流れは何本も絡み合い、交差し、所々で節目をつくっている。その線を構成要素とした関係の動きというのは、何が描かれているかというようなこととは全く関係がありません。却って、そういうものが画面にあると、お互いに邪魔に感じられるのではないかと思います。想像してみて下さい。家族を描いた上に絵の具を流せば、描かれた家族が見えにくくなってしまいます。

そういう意味で、私には何かを描くことから解放された、このことを以って、ポロックの作品の始まりと思っています。

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(8)

11.対象化のアポリア

因果関係の例えば対象となる原因を認識するばあいには様々な偶然的条件に依存していると言える。そのため原因を特定する場合に必然であるとは言えない。だから確率的因果の考えを導くということに合理性があった。しかし、こうした因果関係への理論的追求を進めると、さらに根源的なアポリアがえぐり出される。対象なる原因を求める範囲をどこまで絞ることができるか、可能性のある原因候補のひとつひとつを完璧に斥けることができると言う根拠を我々は持っていない。そもそも、そうした可能性全てを検証する手立てがない。しかしないからといって、それらを完全に排除することはできない。これは要するに、因果関係を相関性に拠って推定しようとするときの、調査の単位となる相関項を対象化すると言うことには、実は、底なしの暗黒が潜在しているということである。これを「対象化のアポリア」と呼ぶ。そもそも、因果性に「必然性」が言い立てられない以上、当該の因果関係は成立しておらず、別の関係性が成立しているのだ、となる可能性が許容されているのである。そういう意味で、因果関係の探求は、本質的に、常に「対象化のアポリア」に陥る可能性に晒されている。

前項で、確率的相関性に手懸りを求めて追求していくことは無限背進に陥ることを指摘したが、そうした無限背進以前に、そもそも相関関係を調べる基となる特定の条件を同定すなわち対象化するに際して、なぜその条件が調査の対象になるのか、という点で「対象化のアポリア」という根源的な疑問が生じると言うことなのである。他の条件を対象にしてはなぜいけないか、と。

我々は、因果関係を認識する時、意識しようとなかろうと、強い束縛を受けている。その束縛を受けている。その束縛を離れて、全然別の条件を考慮して相関関係を調べ直したならば、いままで自明と思っていた因果関係が崩れ去る可能性が常にある。だとしたら、特定の区画だけの相関関係を調べて因果関係を推定しても、もっと大きな視点から調べ直したならば、その推定が崩れ去る可能性が常にあるという事態を指し示すのが「シンプソンのパラドックス」だ。実は、そうした崩壊の可能性は「シンプソンのパラドックス」以前から、経験的に因果関係を認識して行こうとする道筋に最初から抜きがたく巣食っていたと言えることが分かる。このことは逆に言うならば、こうした根源的事態を踏まえているにも拘らず、我々はぬけぬけと因果関係を認識していると思っているのならば、それは何か「神秘的」な作用によるとしか言いようがないのだということもなるだろう。「神秘化」と「無限化」という二つの応答の可能性は、もとから一つの道行きへと、「対象化のアポリア」という一つの謎へと向かっていたのである。

12.アポリアと日常性の振幅

我々は日常的に因果関係から出発し、推定しながら、生きている。それなしでは、一歩足を踏み出すことそえかなわない。一歩足を踏み出すことさえかなわない。一歩足を踏み出すことが、我々の身体の支えを提供する原因となり、次の動作の基盤を産み出す、という因果関係に我々は身を委ねているのである。これを単に「対象化のアポリア」に陥っていると、と記述するのは的を得ていない。ここで考慮すべきは、非必然的な程度説的な考え方ではないか。それは、どのような因果関係でも可能であるという「対象化のアポリア」に完全に陥っているわけでもなく、しかし、特定の因果関係を必然的な関係性として押さえ尽くしているというのでもなく、その中間の、この瞬間だけに限った形の、当座の因果的認識を我々は日常的に抱き、その都度改訂可能性を受け入れながらも、たぶん説得的だと思われる特定の因果的認識を自らピックアップしているのだ、と真相はなっているのではないか。言い換えるならば、因果関係というのは、究極的にはそれを認識する人が「これとこれが原因結果の関係だ」と決定するしかないものではありつつも、何でもかんでも構わないというのではなく、その人が生活している文脈での一定程度の公的な制限に規制されているのであり、おそらくそういうものとして少なくともその瞬間だけの実在性を保っているのだ、と思われる。実際、原因概念はもともと人と人との間で規範的な責任帰属の営みから発生してきたことを思い起こすとき、こうした理解仕方は的を得ていると思われる。

「神秘化」と「無限性」に巻き込まれ、そして規範的な実在性が確認されるという、以上のような議論の道行きは、私自身が因果性に関してこれまで展開してきた「因果的超越」から「制度的実在」へという道筋とぴったり呼応している。因果性の理解は、そうした理解実践からそれ自体を引き起こす、理解実践の外部の原因によるものであり、そしてそうした外部へと超越していくという仕組みは無限層にわたって組み込まれており、それゆえに我々は完璧な仕方で因果関係の理解へと到ることはないというのが「因果的超越」が意味する事態であった。そして、それにもかかわらず、ある瞬間のある文脈において、つまりはある制度的規制の下で、特定の因果的理解が抜き出され、それに実在性が付与されていくと言うのが「制度的実在」の意味するところであった。

「対象化のアポリア」が結局は、現在採用されている文脈に対する外部的視点をもちこんで相関項の対象化を考えていくときに出現する暗黒である限り、それは「因果的超越」という事態に対応することは間違いないし、にもかかわらず日常的な束縛の中で特定の因果関係に身を委ねて実生活を営むことが「制度的実在」に重なることも明白である。こうして、ベイジアン・ネットというきわめて学際的であり応用的な着想から問題を立ち上げても、因果性の問題は、アポリアと日常性の間の、すなわち「因果的超越」と「制度的実在」との間のダイナミックな振幅の位相へとやはり回帰して来る。これは文字通り瞬間ごとに入れ替わる「振幅」であり、必然性とか確実性とかいうものの対極をなす状態であるが、しかしそれが我々の因果関係理解の偽らざる実相・リアリティなのだということだ。こうして、「因果は確率的か」という問いに対して、答えの道筋が浮かび上がってくる。すなわち、確率ということで瞬間的かつダイナミックに確実性の度合いが振幅し変容していくことを意味し得るならば、因果関係は確率的に捉えなければならないのである、と。

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