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2012年4月 4日 (水)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(11)

12.環境への偶然性の浸潤

生命現象の偶然性については、配偶子とか適応概念といった難しいことに言及せずとも、常識レベルですでにして明らかである。生命体の環境と言うことで身近にあるのは、様々な動植物や同種の他の生物などの他の生命体であるそうした無数とも言えるほどの生物の間の相互作用の中で、我々生命体は生きている。生命現象とはそういうものである。これを、遺伝子決定論で一元的に解明することができないのは常識的に明らかである。日常的表現からして、ここには偶然性という表現が当てはまる。

あるいは「環境」の概念自体が、生命現象を媒介して立ち上がって来るのであり、生命の遺伝的組成と環境もつまり「氏と育ち」と言う全体が、生命現象に包含する偶然性の様相に浸潤されていると表現できる。さらにも人間に関する「育ち」、すなわち政治や経済や文化などの社会的環境に限って述べるなら、それが偶然性に色濃く支配された、非決定論的にしか把握できないことは明らかである。我々は、生命体として、そうした社会的因子の影響を大きく受ける。

13.過去の流動性の形而上学

ここまで決定論という見方は過去の確定性・決定性を全時間へと誤って適用してしまった一種の錯覚であると論じてきた。実は、ここで「過去の確定性」という出発点にも困難がある。「過去」は過ぎ去っており、今はないので、本当に確定しているか確かめようがなく、不確実であって、よって過去それ自体もまた偶然性によって浸潤されているのである。

これに対しては、すべては偶然的であり不確実だということになる。過去は確定され決定されているというのは、積極テクな意味で採用すべき、学問的議論の岩盤をなす形而上学的原理である、といった反応が予想される。これに対しては次の二点をもって応じたい。第一に、すべてが偶然的で不確実などと論じる意図はなく、「過去確率原理」と名付けた原理に従って、たったいまの直近の過去に関しては確実性を積極的に認めたい。第二に、過去に関して形而上学的前提が導入されることに異論はなく、我々の言語的理解には多層的な形で何らかの形而上学的思念がはめ込まれている。しかし、我々の日常的語法と整合する過去についての形而上学的前提は必ずしも過去の確定性だけとは限らない。過去の確定性よりも過去の流動性が前提として採用されている場合もある。

一方で過去の確定性・決定性を支持する形而上学が根強く信奉されていることは事実である。おそらく、過去が流動的で変容するとしても、我々が自由にそれを左右できるわけではなく、その限り過去は我々の手の届く範囲の外部であると思われるからだ。そういう意味で過去は我々に対しては結局は確定的・決定的な形で作用して来る、というように表象されてしまう。

14.進化理論と歴史性

生命現象にまつわる決定性や偶然性の問題を現在の論争状況の中で検討するには、進化理論へと射程を広げる必要がある。進化理論の枠内で、決定論と偶然性の対比の問題が特有な仕方で再主題化されているからである。それは、「ランダムな遺伝的浮動」と「自然選択」と言う対比に沿って姿を現す。すなわち、偶然性による個体死や遺伝子プールの変化などのランダムな遺伝的浮動に対して、自然選択とその基盤となる「適応度」に関して、遺伝的浮動のランダム性とコントラストをなすという意味での、ある種の決定性が主張されているのである。

もともと、哲学サイドからは、進化理論が描く生物進化の道筋は、原理的に確実性に到達しようがないことは明白である。

第一、進化する主体についてからして、それを外形的な形の「表現型」と捉えるか、生物内部の遺伝子構成の「遺伝子型」と捉えるか、と言う問題がある。また、「進化」をどのレベルで捉えるかについても、生物種全体の変化を示す「大進化」と、ひとつの持続する種の中での変化を示す「小進化」との異なる位相がある。このように、「進化」とは何かについて、多層的な未規定性があるにもかかわらず、全体として大まかに共通する特徴が指摘できる。それは、進化理論の研究は、人間の歴史についての研究と同様に、研究対象となる現象を繰り返して再現することが原理的にてせきないということ、「再現不可能性」と言うことが自覚されていることである。この場合、「歴史的」ということで主に過去が名指されていることには間違いないが、未来に関する予見や予測を行うことが禁じられているわけではない。過去の事象に立脚して、現在や未来を理解しようと言う態勢のもとにある。その意味では、歴史的の代わりに「時制的」と特徴づけてもよいかもしれない。この点においても進化理論は他の多くの自然科学や他の生命科学とは区別される。物理学や化学等は、時制とは度規律した何らかの法則性を扱っているのに対して、進化理論は個別具体的な学問であると表現してもよいかもしれない。

まさしく、歴史性・時制性に本質的に立脚すると言う点において、進化理論は宿命的に、他の自然科学に比してかなり顕著な不確実性を引き受けなければならない。それは、過去性それ自体にまつわる本質的な不確実性あるいは偶然性が不可避的に立ちはだかって来るからである。そういう根源的な意味で、進化理論は原理的に確実性には到達し得ないのである。

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