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2012年4月16日 (月)

「難波田史男の15年」展(5)~線と色彩の融合

Nambata1968_2  ここで展示されている作品は、前章のコスモスとも言うべき整然とされた画面から、滲みという手法を活用することによって、あらたなステージに入ったことを示しています。まず、「ある日の幻想」では明確な輪郭を備え、強靭に存在を主張していた線はインクを滲ませることで、線の輪郭がぼやけ、極端な場合は流れて拡散してしまいます。さらには、水彩絵の具による彩色に線のインクが溶けて滲んで黒い靄のような状態でなります。また、彩色のされ方も「ある日の幻想」のときのような輪郭に沿ったものから、輪郭線とは関係なく画面のある面を彩色するようになってきます。その彩色の水で溶いて色をうすめ筆により濃淡があらわれる水彩の特徴を活用していくものになって行きます。そして、彩色の水彩と輪郭のインクの両方が滲んで、時には溶け合う、融合するような渾然一体となるような効果を産み出すようになりました。また、水彩絵の具にインクがにじんで混じり合うと、インクの強い黒が混じることになるので、どうしても全体の色調は黒が入りグレーの要素が強くなります。これ以降の難波田の作品の色調はグレーを基調としたものが多くなります。しかし、もともと、この人は20代前半では暗い色調のドローイングを多数描いていた人でもあり、根底には、グレーという色調への嗜好があったのではないか、それを方法的に意識的に用いることができるようになったのか、この時期以降ではないか、と思います。というのも、ここで展示されている作品は、色調こそ暗いものの、かつての陰惨な感じはしなくなっているからです。そして、これ以降、不定形さが歪みではなくて、不思議な揺らぎを感じさせる、まるで海の底を漂っているような、横波にユラユラ揺れるような動きを秘めたダイナミクス(といっても激しいものではないのですが)を獲得していったように思います。そして、難波田史男の作品の基本的なパターンというのは、ここで固まったのではないかと思います。

   て言っても、この人の作品を見ていると、デッサンの勉強のような基礎訓練をあまりやっていないような気がします。というのも、例えば、彼の作品を見ていると奥行ということが全く考えられていないで、徹頭徹尾平面的な思考がなされているような点が指摘できます。抽象画だから奥行は関係ないと言われるかもしれませんが、画面の構成という事は抽象でも具象でもないわけではありません。その際に、難波田の画面というのは、平面的でしかも横方向の拡がりしかない。このような構成のあり方と言うのは、幼稚園のお絵かきの時間に幼児が描くものに通じているように見えるのです。この場合、一般論として考えられるのは、目の前の事物を写実するということはあまりなくて、日曜日にお父さんとお母さんと遊園地に行ったことを描くというような、イメージを頭の中で構成し、それを描いていくと、それは写真のような写実的なイメージとは程遠くて、画面もどちらかというと平面的なケースがあって、いくつかの項目が時間系列や画面上の主従が考慮されず並列的に羅列されるというものでしょうか。それは、まるで難波田の作品の特徴を言っているようなものです。基本的には、難波田の作品から感じられるのはそういうものです。だから、展覧会パンフレットでも無垢といった形容が為されるのではないでしょうか。勿論、彼の作品はそんな単純なものではないですが、それをもとに洗練させていったのが彼の作品のエッセンスにあるといっても、あながち的外れではないと思います。

そこで、前にも少し触れましたが、彼と作品との間に亀裂がないという幸福な作家であったように思います。難波田は高校卒業後、深刻な悩みを作品にぶつけたりしていますが、素直に作品に悩みをぶつけられるほど、描くという行為自体に対する懐疑は感じたことはないのではないか。その意味で、描くという行為との関係はとても幸福であった。例えば、前々回に触れた実存主義という思想は、社会や文化というような色々なものをまとってしまったものを全て脱ぎ捨てて裸の自分というものが、ここにある、ということから始めるというようなものでしたが、その後、構造主義という運動の中で、そういう裸の自分という考え方自体の中に文化とか社会とかいった脱ぎ捨てたものの影響があるので、ありのままの自分という考え方そのものは実はフィクションに過ぎないと批判します。

例えば、絵画を描きそれを作品として売るというこの商業性について、アンディ・ウォーホルはキャンベルのスープ缶をコピーしたものを大量に作品として世に出して、作品を描くという行為に疑問を投げかけてみせました。だいたいが描くということに自分をぶつけるということは近代になって絵画が王侯貴族の装飾や寺院の装置としての役割から脱したことではじめて獲得したことです。だから、たかだか1世紀程度まえに始まったものです。しかし、難波田史男は、そういうことにお構いなく、営々と大量の作品を描き続けることができた。その意味で、難波田の作品には、描く楽しさというのが、どの作品からも感じられるのではないでしょうか。それが難波田の作品の親しみ易さとなって大きな魅力の一つとなっているように思います。

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