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2012年4月24日 (火)

湯之上隆「イノベーションのジレンマ 日本の『半導体』敗戦」(2)

第3章 海外高収益メーカーとの違い

日本の半導体メーカーには過剰技術で過剰品質を作る病気がある。特注仕様にするために装置単価は高い。また、スループットが悪いため装置台数が多い。その上、マスク枚数及び工程数が多く、諸外国のように、歩留まりの向上が徹底されていなかった。つまり、1980年代に形成された性能及び品質の極限を追求する技術文化は、何も変わっていない。2004~2005年の営業利益率は外国企業が20%を超えているのに対して、日本のメーカーの営業利益率は明らかに低い。これは今に始まったことではなく、1980年代から続いている。

最先端の半導体デバイスにおいては、製造原価の60%が製造装置で占められている。したがって、装置コストをどう抑えるかが安く作るための鍵を握る。装置の台数や仕様は工程フローを基に決定される。この工程フローはプロセス開発の初期段階で作られ、量産工場で大幅な変更は難しい。つまり、製造原価に決定的な影響を与える装置台数や仕様はプロセスの初期段階で決まってしまう。ということは、半導体デバイスの製造コストについては、量産する前に、プロセス開発の初期過程で、収益力の勝負がほぼついている。

これについて、日本の半導体メーカーは、工程フロー構築の際、半導体デバイスの性能を最優先していた。というより性能のことしか考えなかった。その際にコストに対する考慮は全くなされない。その結果、工程フローは長くなり、各工程のプロセスは複雑になりスループットが悪くなる。こうしてできた工程フローが量産工場に移され、多数の製造装置、複雑なプロセスに対応させるための特注の装置が導入される。

これに対して、インテルのような外国メーカーでは、最終製品から逆算して、利益が出るように工程フローを組んでいた。先ず、価格を設定し、そこから原価を決めこま原価を実現する歩留まりを決める。それに応じた工程フローを構築するのである。その際最優先されるのはコストである。したがって、極力短い工程フローを組もうとする。極力各工程をシンプルにしてスループットをあげる努力をする。

このような日本のメーカーとインテルとの違いはどこから来るのか。日本のメーカーでは開発部隊と量産舞台は、組織的に明確に分離される。開発部隊は開発にしか興味がなく、コスト意識は希薄であり、「コストは工場の仕事」と考えている。日本のメーカーは、組織の分業化、縦割り化が進み、更には階級意識があり、コストまで含めた全体最適化ができない組織構造になっている。これに対して、インテルでは、社内評価は最終製品の利益で決まるため、開発段階で低コスト化を目指すインセンティブになっている。

サムスン電子も、儲ける工程フローを構築するために、組織に工夫している。開発から量産へ横割りの複数のチームを編成し、チーム同士で競争させる。その時に工程フローを構築する際に、最初から量産立ち上げを視野に入れ歩留まりを向上しやすい工程フローを作成するなど全体最適を常に心がけなくては社内競争に負けてしまう。さらにサムスン電子の組織的な特徴としてマーケティングに力を入れていて、マーケティング部門に多くの人材を割いている。それが1990年代のコンピュータ業界の変化の予兆を的確に捉えることに繋がった。

第4章 自ら陥った4つのジレンマ

1990年代以降、日本の半導体産業は凋落の一途を辿った。それに対して様々な対策を講じたが、競争力向上に寄与せず、むしろ、足を引っ張り、策を講じれば講じるほど、競争力が低下する悪循環に陥った。その原因は、日本半導体産業に関して、正しい診断ができていなかったことによる。そのため、あらゆる処方箋が空回りした。日本半導体産業が自ら陥ったジレンマは、次の4つである。(1)コンソーシアムのジレンマ、(2)合弁会社のジレンマ、(3)組織のジレンマ、(4)特許のジレンマ、である。

(1)コンソーシアムのジレンマ

1990年代以降、日本では数のコンソーシアムが国家プロジェクトとして立ち上げられた。実際のところ、コンソーシアムを作れば、半導体メーカーは技術者を数十人規模で出向させる。その結果、メーカー本体は技術者が減少しやせ細る。また、半導体メーカーの組織内に形成されている暗黙知は。徐々に削り取られていく。一方、これだけ負担をかけたコンソーシアムの成果を取り入れようと考えているメーカーは少ない。そのため、各社ともエース級の技術者は参加させなかった。

(2)合弁会社のジレンマ

多数のコンソーシアムや国家プロジェクトと同時に、2社合併によりエルピーダメモリやルネサステクノロジが設立された。このような2社統合は、規模の拡大とカラーの異なる2社が融合することによるシナジー効果が期待された。しかし、2社が経営統合して合弁会社を設立した場合、①短期間で2社の設計技術を融合することはできない、②2社のデバイス・プロセスの“良いところ取り”をすることも難しい、③片方1社のインフラを基に構築した半導体デバイスの工程フローを、同時に2社の量産工場に移管するのは困難である。このような技術的問題を2重組織による体制が、より深刻化された。その結果各処で指導権争いが生じ、両社の思惑が絡まり合い、事態は2社同号前よりも悪化してしまった。

(3)日本の組織のジレンマ

日本の半導体メーカーのマスク枚数は韓国や米国のメーカーと比較して10枚以上多かった。従って工程数は30%以上多くなっていた。その結果装置が多くなり原価高となって行った。この元となる工程フローを作ったインテグレーション技術者は全体を理解できていなかった。それは、功績をあげた有能な技術者が課長、部長といった管理職に昇進すると技術から遠ざかり、最先端の技術が分らなくなり、功績もあげられなかったものが技術の現場に残されることになる。その結果、最も技術的に能力が低い者が加速度的に難しさを増す技術開発を行わなければならなり、新しい工程フローを作成する際に、以前のフローを踏襲するという安易な方法が取られ、工程数が増えてしまった。

(4)日本メーカーの特許のジレンマ

1987年、日本の半導体メーカーが世界をリードしていた時、テキサスインスツルメンツ社が、DRAMの基本特許侵害を理由に日本の半導体メーカーを提訴した。それを契機に、日本特許出願数とシェアは減少に転じた。一方特許利用料の収入は逆に増大した。それは、韓国や台湾のメーカーが使用料を払ってDRAMの量産を続けたためである。つまり、日本の特許がライバルを育成したことになる。しかし、かつてのテキサスインスツルメンツ社のように日本メーカーは韓国や台湾メーカーを提訴しなかった。その理由は特許使用料収入を失うことを恐れてのことだった。つまり、日本メーカーは特許本来の機能を活かしきれず、凋落を防ぐことはできなかった。

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