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2012年4月 9日 (月)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(16)

第4章 曖昧性は矛盾を導くか─「真理値グラット」アプローチ

1.矛盾の爆発性

「曖昧性」とは、主に言語表現の述語に現われる性質で、その述語を使用して文を作った時、その文が真か偽かについて判定しにくく、ここまでは真でその先は偽といった鮮明な境界線を引けないような事例、すなわち「境界線事例」を許すということによって特徴づけられる。この曖昧性の議論の背後には、論理、知識、倫理の諸問題に本質的に曖昧性の問題が関わっていることの認識が浸透してきたことがある。その根底には「ソライティーズ・パラドックス」というパズルをどうしても産みだしてしまう事態への再注目があった。

言語使用、推論実践、倫理的判断、そうした我々の活動は完璧ではなく、誤りがあっても、全体としてどうにか成功している。そうした活動場面においてその内容が全く意味不明になったり、競合したりしたとしても、互いに内容の理解はできるわけだし、結末の諸可能性についても大筋見当がつく。しかし、その活動全般にわたの曖昧な言葉が出現する。例えば、すべての形容詞や動詞がそうだ。このような状況は、学問的・科学的分析を加えて厳密化・精緻化をいくら施したとしても,残存し続ける。なぜなら、そうした分析の結果を「知る」ことによって、その分析は完結するわけだが、その「知る」という言葉が曖昧だからである。

ところが、「ソライティーズ・パラドックス」の示すところによると、そうした曖昧な言葉は明白な矛盾を産み出すことになる。矛盾が生じるということは、事柄に何の意味も持ちえないということである。なぜか、矛盾は爆発的だからである。矛盾をいったん認めたら、何でもかんでも真だと認めることになってしまうことを意味する。矛盾を認めるならば、その言説は無秩序になってしまって、結局何ら有意義なことを示せない。これが爆発的と呼ばれる。ということは、「ソライティーズ・パラドックス」を解消することができなければ、推論、認識、判断といった活動が合理性から遊離した、内実のないものとなってしまう。

2.「ソライティーズ・パラドックス」再び

例えば、「摂氏2度の気温は寒い」が文句なく認められるとして、0.01度だけ高い気温を考えた時、それが「寒い」から「寒くない」に変わってしまうことは考えられない。0.01度の違いなど識別できない。実際、ハッキリした違いを識別できず、鮮明な境界線を引けず、「境界線事例」を許してしまうということが「曖昧性」の本性といえる。いったん、この論法を認めてしまうと、摂氏2.01度からさらに0.01度高い場合も「寒い」と認めるしかなく、そのよう認定は連鎖的にずっと続くことになる。そうして、摂氏38度も「寒い」ということになってしまう。これが「ソライティーズ・パラドックス」の推論である。

「ソライティーズ・パラドックス」の、形式の単純さの背後に潜む理論的深刻さは、矛盾を産み出すという点にこそある。さきの例で言えば「寒い」という連鎖は続く一方で「摂氏38度は寒くない」という文から始めた場合、同様に連鎖は続く。その場合、摂氏13度について「寒い」と「寒くない」の両方の帰結が導かれることになる。

3.真理値ギャップ

「ソライティーズ・パラドックス」の解消については、いくつかの立場が哲学者たちによって提起されてきた。まずは、このパラドックスを促す曖昧性は言語的なものなのか、存在的なものなのか、という区分に意識的である必要がある。また、このパラドックスがどの次元で生じているのかについて、認識論的、意味論的、心理学的、そして因果的といったように問題の身分を区分けして行くことも求められる。さらには、パラドックス解消のやり方として、前提の拒否、論理形式の拒否、パラドックスを受諾してしまう、といったことも考えられる。

ここでは、まず「ソライティーズ・パラドックス」を言語的なものと捉えて境界線事例をどう解するかという観点から見ていく。その場合、境界線事例に関する態度として、(1)実際に鮮明な境界線は存在するが、無知や錯覚によって境界線が引けないと感じていると論じる(認識説、文脈主義)、(2)文字通り鮮明な境界線は存在しないとする(重評価論、程度理論)、という二つの立場がある。筆者は(2)の立場を優先的に考えたいとしている。

(2)の境界線は存在しないと捉える時、境界線事例に対して「真とも偽とも言えない」または「絶対に真であるとも、絶対に偽であるとも言えない」という評価が現れる。これが「真理値ギャップ」の考え方である。この考え方に則ったもので影響力の大きいのが「重評価論」である。境界線事例があるがゆえに「ソライティーズ・パラドックス」が産みだされるのだから、パラドックスを解消するためには境界線事例の範囲のどこかに(人為的に)境界線を引き、曖昧な述語を鮮明なものにして、境界線事例をその述語の肯定的外延(真の範囲)か否定的外延(偽の範囲)かのいずれかに振り分けねばならない、と論じる。こうした線引き操作が「精確化」である。精確化の仕方はきわめて多数あり、このうちどれかを特権化することなく、これらすべての精確化による真理値評価を重ねていく、という意味論的な操作が「重評価」と呼ばれるものだ。

4.真理値グラットの導入

鮮明な境界線は存在しない、ということを、「真でもあり同時に偽でもある」というように捉えるのが「真理値グラット」と呼ばれる。この考え方は矛盾した文を真であると認めることになるので、爆発性が発生しないことになる。

5.細評価論によるパラドックス解消

「細評価論」は、結果的に見れば、「真理値グラッド」アプローチを採るという意味で、「矛盾許容性」と親和するという点でも「双真理説」とほぼ同じ考え方になる。「双真理説」とは、文字通り、一つの文に対して「真」と「偽」という二つの真理値を適用することを許す立場、言い換えれば「真なる矛盾」を認める立場のことだからである。

「細評価論」は「ソライティーズ・パラドックス」において基本原理として使用されている推論原理「モードゥス・ポネンス」を妥当でないとして拒否する、というパラドックス解消法を提示するのである。例えば境界線事例にある文、「摂氏13.5度の気温は寒い」は、矛盾許容的アプローチに従えば、真であり偽でもあるのだから、真である。しかし、それは同時に偽でもある。ということで、「モードゥス・ポネンス」に基づく推論は形式的に妥当でないことになる。こうして「ソライティーズ・パラドックス」の推論は妥当でないとして退けられる。この解決は、「重評価論」が「ソライティーズ・パラドックス」の前提のどれかを誤っているとして斥けることでパラドックスを解消するのに対して、明白に異なった解決の道である。

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