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2012年4月19日 (木)

吉岡英美「韓国工業化と半導体産業 世界市場におけるサムスン電子の発展」(2)

第2章 DRAM市場におけるキャッチアップのメカニズム

第1節 DRAM需要の牽引役の交代

DRAMの応用製品として何と言ってもコンピュータが中心である。しかし、そのコンピュータと一口に言っても様々な種類の製品が含まれている。そこでコンピュータ向けに消費されるDRAMについての製品別の内訳の推移を見てみる。1970年代から80年代初めまでは、汎用コンピュータが過半数と、圧倒的な割合を占めていたが、1980年代に入ってからパソコンの生産が急増し、1988年に目覚ましい増加を記録して以来パソコンが中心に取って代わった。このことがDRAMの調達・供給に大きな変化を及ぼした。一つは、DRAMの出荷数量の増加である。つまり、パソコンの生産が急増した1980年代半ば以降、DRAMの世代では64K世代以降からSRAMの出荷数量が激増している。もう一つの変化は、DRAMのライフサイクルの長期化である。世代の製品市場が立ち上がってから衰退するまでの期間、つまり製品寿命が延びてきている。

ここで注目すべきは、DRAM需要の牽引役が汎用コンピュータからパソコンにシフトしたことが国によって若干の時間的ズレを伴っていることだった。米国では1980年代後半おきたダウンサイジングは、日本では1990年代にはいってからであり、半導体世代で言えば、米国市場とアジア・太平洋地区では256K/1M世代だったのに対して、日本では1M/1M世代からだった。そのため、汎用コンピュータとパソコンの両方を社内で生産している日本企業の場合、1M世代からDRAM需要の中心がパソコン向けにシフトし始め、4M世代になってから完全にパソコン向けが中心となった。このことと関連して注目すべきは、DRAM需要の牽引役の交代とDRAM市場におけるサムソン電子の急成長が同じ時期に起こっているということだ。つまり、サムソン電子の市場参入とDRAM需要の牽引役の交代という二つの現象に密接な関係がみられる。このようなことから、サムスン電子と日本企業が同じくDRAM市場で先行企業に追いついたといっても、それはそれぞれ全く異なる状況の中で実現されていたことが明らかになる。サムスン電子は1980年代以降、パソコン向けDRAM需要の増大に後押しされる形で日本企業にキャッチアップしたのに対して、日本企業は1970年代から80年代前半に汎用コンピュータ向けDRAM需要の下で米国企業に追いついたということである。

第2節 後発企業への参入障壁

1980年代初めまでは、DRAMの主な消費先は汎用コンピュータであり、その時に日本企業は米国企業にキャッチアップした。この要因は、日本企業が米国企業よりも高いレベルの品質を実現したことである。品質には設計品質と製造品質に大別されるが、日本企業は製品の不良率の低さや信頼性の高さという製造品質の面で米国企業の製品よりも優れていたことによって優位に立てた。

一般に企業の競争力の要因としての品質を考える場合、設計品質し製造品質との間の適合性、すなわち総合製品品質を見る。本来なら、設計品質で市場のニーズと適合していることが求められ、高い製造品質は総合製品品質の必要条件であっても十分条件ではない。ところがDRAMでは、製造品質が競争力の必要十分条件となっていた。その要因を考える。

その一つは汎用コンピュータでは価格以上に品質を重視する傾向があることだ。汎用コンピュータの使用期間は5~10年と長期で、その間コンピュータ企業は顧客に正常な動作を保証する。さらには汎用コンピュータは大容量のデータを高速で処理する高い性能が重視されるが当時のDRAM1個当たりの記憶容量は遥かに小さいものだったため数千個単位でDRAMを搭載していた。もし、そのうち1個でも故障したとしたら、その中から故障品を探し当てることは不可能だった。こうした製品特性から、欠陥ゼロや不良率ゼロが求められていた。

さらに、汎用コンピュータ市場において寡占構造が形成されていて、この時期のコンピュータ企業は内部に半導体製造部門を有する垂直統合型組織が一般的であった。そのため、需要者がDRAM供給者を絞り込むことが可能な状況にあり、そのふるい落としの基準として各社の品質データが重視された。さらに、DRAMの品質検査には多大なコストがかかるために供給者を絞り込み、とくに社内にコンピュータ部門をもつ半導体企業との取引が選好された。当時のDRAMは実際にカスタム品に近い性質を持っており、半導体企業の側にコンピュータ・システムの特性を十分に理解していることが求められたためである。

これらの需要者の調達皇道派、半導体企業間の競争にとっては、第一優先購入先のポジションを獲得している少数の企業の有利さとなって現れた。次世代製品の供給先を決める場合には、前世代の第一優先購入先とは、コンピュータ企業はコンピュータの製品開発とその構成部品の製品開発うまく連動させることを目的に定期的な会合の場を設けて、技術やマーケティングおよび将来の製品開発に関する情報交換を行っていたためである。このことは、それまでの第一優先購入先が、次世代でも再びそうなる可能性が高いことを示している。そうなると後発の半導体企業にとっては参入に際しての障壁となっていたと考えられる。

第3節 後発企業の参入

1980年代後半以降はパソコン部門やパソコン専門企業が主なDRAM購入先として台頭してくる。これに伴いパソコン企業の調達行動がSRAM市場全体の需要動向を大きく規定し直すこととなった。汎用コンピュータの分野では、DRAM需要者が認定の段階で供給者を絞り込んで主な購入先を決めていたのに対し、パソコンの分野でのDRAM需要者は、供給者間で見積もりを競争させるべく購入先の枠を広く取ったうえで、その中で価格と供給能力を基準にメインの供給者を決定するように調達行動をとる。

この要因は、ます、パソコンは製品サイクルが相対的に短く、構成部品の信頼性の面では、汎用コンピュータ向けに匹敵するほどの厳しい基準は課されない。この背景には、パソコン市場を拡大してきたインテルの戦略がうかがえる。インテルによるパソコン市場の掌握は、IBMパソコンに同社のマイクロプロセッサが採用されたことを契機として、その後、中核部品の供給において独占的な地位を形成・維持するために、2~4年という短いサイクル性能を高めた新製品を次々と市場に投入していった。これによりパソコンが3~4年度買い換えられる製品になった。これに伴い、パソコンの生産が増大しDRAMの消費量が急増した。そのため、パソコン企業にとってDRAMの供給企業を確保すること自体が重要になった。さらに汎用コンピュータに比べてユーザーに対する保証期間が短いため、生産経験のある半導体企業のDRAMならいずれも需要側の求める品質基準をクリアできるレベルにあり、需要者にとって供給企業の選択が容易になった。

これに加えて、汎用コンピュータ市場とは異なり、パソコン市場では同程度のシェアを持つ多くの企業が参入・競争しており競争的な指示用が形成された。IBM互換機を生産するパソコン企業はいずれもOSとMPUという中核部品を外部から調達するため、基本的に製品差別化を図ることが難しく、OSとMPUのバージョンアップや構成部品の部分的変更を通じたコスト削減が製品開発の中心にならざるを得ないからである。パソコン企業にとってはDRAMの調達コストをいかに低く抑えるかが重要な課題となる。このようにパソコン向けDRAMでは、メインの供給者を決定する際に価格が重要な課題となる。こうしてパソコン向けDRAMでは、メインの供給者を決定する際に価格が重要な選定基準になった。

このような変化の過程で、後発の半導体企業にも販路を獲得・拡大する機会が増えた。サムスン電子にとって絶好の機会であった。この時パソコン企業がサムスン電子からDRAMを調達する決め手になったのは価格メリットだったという。ただし、そのような価格メリットは取引開始当初の第一世代に過ぎない。また、パソコン木々用からすると、大量のDRAMを安定的に調達する必要があるため、安定供給を見込める生産規模の大きな企業帆メインにしようとした。それゆえサムスン電子の積極的な設備投資は供給者としての地位向上に貢献した。

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